エピローグ






 学園に戻ることは出来ない立場になってしまった聡士が、来ている。

 驚いた。急で、どうしていいのかちょっと混乱して、


「とりあえず、湊と帰る約束してるから、湊に──」

「そう来ましたか」

「あ、でも、聡士の時間を削るとまずい……?」


 そこまで考えて、一旦止まる。

 どうして、聡士は学園に? そして、千里にわたしを呼びに来させたのか。


「確かにお忙しいみたいですけど、今日は意地で作ってきた時間なので、どれくらいでも──は、さすがに無理でも、それなりの時間は意地でも待つと思いますよ」


 それは結局、忙しい時間の合間で、時間をオーバーさせてはいけないということなのでは?


 わたしは、湊への伝言を頼んで、千里の案内に従うことにした。

 聡士は、学園内の一室にいるらしい。

 ついていく道中、わたしは制服の裾に触れたところで、気がついた。

 何だか、いやにそわそわする。

 歩みを進めるにつれ、落ち着かなくなってくる。鼓動が忙しない。緊張、だろうか。


「着きました」


 声をかけられ、見ると、立ち止まっていた。

 周りに、複数の人が現れていた。全く気がついていなかったため、びっくりする。


「警護の人員です」


 千里が、笑って扉に手を伸ばす。ノックの音が響いた。

 わたしは、待ってほしいと言いたくなった。少し、落ち着いてから、と。

 けれど、無情にもノックがされれば、向こう側から「誰だ」と声が返ってくる。聡士の声ではない。


「鳴上千里です。お連れしました」


 中から扉が開かれた。

 覗いた顔は厳めしい男性のもので、千里とわたしを見て、横に退いた。


 彼がいた。


 制服ではない服装の聡士が、椅子に座り、こちらを見ていた。

 視線が交差する。黒い瞳が、少し見開かれたように見えた。


「ここまでか」


 聡士の一番側にいる人が、声を出したようだった。

 瞬きをして、わたしが室内を見ると、室内には扉の両脇と窓際、聡士の背後に警護らしき人が立っていた。


「約束ですから、仕方ありません。これより私共は外に出ておきましょう。警護の人間は窓の外にもいるので、安心して下さい」


 聡士の近くにいた人が、テーブルの上にある紙をまとめ、持ち、こちらに歩いてくる。

 わたしは、とっさに避ける。

 すれ違い様、その人がわたしを見た。


 あ、と声を出しそうになった。

 黒髪に、黄色の目をしていた。この人は、おそらく月城家の人間だ、と顔立ちで察した。月城家には嫡男がいる。その彼だろうか。

 月城家の嫡男と思わしき男性は、笑みを浮かべた。


「殿下、上手くやれよ」

「うるさい」

「よし、全員一旦外だ。一時プライベートを尊重してやろうぜ」


 微かに笑い声を上げながら、本当に室内の警護と千里を連れて、出ていった。


「……え?」


 この状況、何?

 あっという間に取り残され、呆気に取られて、閉まった扉を見つめていた。

 それから、同じ部屋に唯一残っている人の方に、振り返ってみる。


 聡士がいる。

 見た瞬間、彼もこちらを見ていたことでまた目が合って、今度は心臓が反応した。鼓動が打って、そわそわが戻ってきた。

 意味もなく、制服の裾でも弄りたくなる。


「制服、さすがに変わったな」

「う、うん」


 そうか。この制服で、聡士の前に立つのは初めてだ。

 湊の振りをしていたとき、制服はズボンタイプで、男子生徒の成りだった。だけれど、現在は女子生徒のスカートタイプの制服だ。

 そう教えられると、そわそわが増えた。


「そっちの方がしっくりくると言うか、似合うな」


 いや、まあ、そこは性別はやはり女子だったということだろうか。


「へえ、何か新鮮だな」


 わたしの制服姿一つで、何をそこまで言うことがあるのか。

 究極に言えばズボンがスカートに変わっただけで、おおむねのデザインは同じのはず……。

 とか何とか、頭の中で考えるはめになっている原因は、おそらく、聡士が目を細め、柔らかな眼差しで見ているから。

 加えて、歩み寄ってくる。


「髪も長くなると、印象変わるな」

「これは、ウィッグで本物ではないんだけど……」


 切った髪は、そこまで早く元には戻らない。

 湊との印象を変えるため、髪は偽物で長くしていた。元は長かったのに、湊の振りをしている間それなりに短かったからちょっと久しぶりで慣れない部分がある。

 作り物の毛先を触り、わたしは何だか落ち着けない。


「そ、聡士の格好も、制服しか見たことがなかったから、新鮮だね」


 多少噛んだとはいえ、本音だ。

 聡士は制服ではなかった。わたしはというと、学園でしか聡士と会ったことがなくて、思えばいつも制服姿だったのだ。


「ああ、そうかもな。これ、結構窮屈なんだよ。制服の方が楽だ」


 服の襟元に指を引っかけながら、聡士は苦笑した。

 その間に、彼は、すぐそこに来てしまった。


「久しぶりだな」


 今更なことを、言った。

 その当たり前のような挨拶は、妙にわたしを落ち着かせた。


「そうだね」


 とわたしは応じた。

 久しぶりだったからだ。クーデターから、どれくらいだろう。一ヶ月は経った。

 学園で別れて以来の姿を、改めて見ると、ほっとした。


「無事で、元気そうで良かった」


 心の底から言えば、聡士は大きく瞬いてから、何のことか思い至ったようになった。


「お前の父さんのお陰もあってな。無傷だった」

「そっか」

「心配させて悪いな」


 それからありがとう、と聡士は笑んだ。


「それより聡士、忙しいんじゃないの? この時間、大丈夫?」


 わたしは、今更の今更で、聡士がわたしに会った理由に心当たりがあった。

 心当たりに挙げるとすれば、あの約束だ。同時に再会をも意味する、約束。律儀な面があるとは知っていたから、そのためではないかと思って、時間を使っていいのかと尋ねた。


「忙しくない、と言えばすぐに嘘だってばれるだろうな」

「うん」

「だが、時間に関しては気にするな」


 無茶を言う。

 はっきりと「うん」とは返事出来ないでいると、「気にするなよ」と聡士は笑った。

 でも、すぐに真剣な顔になって、わたしは不意を突かれてドキリとした。


「名前──実はもう知ってしまう機会があったんだが」


 彼は、首を傾げた。


「直接、教えてくれないか」


 ああ、やっぱり。

 聡士は、彼がした約束を覚えていた。それで、わざわざ会いに来てくれたのだ。おまけに、もう知ったようなのに。

 わたしは、立場と不釣り合いな行動を起こす律儀さに、笑ってしまう。

 口元に笑みを抑え切れないまま、それならばわたしは律儀に名乗るべきだろうと、口を開く。


「わたしの名前は、水鳥みずとり志乃しの


 水鳥家当主代行、水鳥京介の娘。湊の姉だ。

 あなたに名乗らないまま、湊の振りをして学園生活を送っていた者の名前。


「志乃」


 聡士は、もう知っていたはずなのに、わたしが言ってから名前を復唱して──嬉しそうに笑った。


「俺は、聡士そうし。もう、名字はなくなった」


 王族に名字はない。

 独特の名乗りをし、聡士はわたしに手を差し出した。その手に触れると、軽く握られた。

 まるで、初めて会ったときのように名乗り合って、握手をした。

 わたしは、一連の流れが嬉しく感じて、聡士に笑いかけた。

 最初、名乗らないと決めたのはわたしだった。けれど、やっと名乗ることができた気分だった。


「聡士、わたしが湊の振りをしていることを黙っていてくれたときも思ったけど、律儀だよね」

「ん?」

「わざわざこのために時間を作ってくれて、ありがとう」


 本当に、律儀だ。

 そう言いながら、会えたこと自体も嬉しいことに気がついて、同時にこの時間が次ある保証がないことにも気がついてしまった。

 途端に、胸が苦しくなった。笑顔が崩れてしまいそうだと感じて、焦る。

 崩しては駄目だ、と思い、笑顔でいられる間にと、伝えておく。


「会えて、嬉しかった」


 ──わたしは、聡士に会いたかったのだ


 学園での別れ以来の再会が、今日になった。

 今日まで、時折、ふと聡士と学園で過ごしたことを思い出すと、寂しくなった。

 そうか、わたしは……。


「違う」


 聡士が首を横に振った。

 わたしは、瞬く。

 違う、とは、何が?


「俺は、名前を聞くためだけに来たんじゃない」

「……?」


 それは、わたしにまだ他の用事があるということなのか。学園で他の用事があるということなのか。

 わたしに言うということとは……と、考えても、もう心当たりがない。


「あー……えーっとな……」


 わたしの手から手を離し、聡士は頭に手をやった。

 見たことのない、何かとてつもなく迷っているような、足踏みする様子で、何かを言い淀んでいる。


「何か用なら、遠慮なく言って」


 そんなに言いにくい用事なんて、何だろう。

 とにかく、遠慮することないのだ。わたしに出来ることなら、何でもしよう。


「用って言うか……」


 歯切れの悪い口調で言ってから、聡士は、じっと待っているわたしを見て、目を閉じた。

 前髪をかき乱して。

 目を開いた。手を下ろし、わたしを真正面から捉えた。

 あまりにも、真っ直ぐに目が合った。

 その視線だけで、落ち着いていた心臓が大きく波打とうとした。それと、同時だった。


「志乃、好きだ」


 ドクリ、と心臓が打った。

 聡士が真摯な眼差しをこちらに向けて、続ける。


「俺と、結婚してくれないか」









 え?








「────け、っこ、ん?」


 無意識に出した声は、途切れ途切れだった。

 思考は動いておらず、耳に届いたままを出した音の連なりを理解してもいない。


「段階を飛ばしすぎていることは、重々分かってる。だが、そう言うことはそれが前提になる。混乱させるのは悪いが──元々生半可な気持ちで言っているわけじゃない」

「──ちょっと、待って」

「待つ」


 それはありがたいことこの上ない。

 わたしは、聡士を見上げた状態で、一生懸命理解しようと頭を働かせようとする。何か、言おうとする。


「どういう、ことか……すき、って、」


 好き。

 けっこん。

 結婚。


 音が、一気に言葉に変換された。

 直後、顔が急激に熱を持った。同じくして、急に聡士から目を逸らした。

 逸らしてしまって、はっとして、目を戻す。


「ご、ごめん、そういうつもりじゃ、」

「──いや、気にしてない」


 聡士は、なぜか目を見開いて、何度か瞬きをした。「……予想外だった……」とかいう呟きをしている。


「ここに来て、さらに好きになるとは思わなかった……」


 そんな言葉を聞いてしまって、わたしの顔はますます熱くなる。


「そんなに可愛い反応したら、俺が期待するぞ」

「か、わ……」

「可愛い」


 丁寧に同じ言葉を繰り返し、聡士は唇で笑みを描いた。


「そういう、まだ見たことのない顔も見たい。そう思う志乃が、好きだ」


 好きだ、という言葉をまた言う。

 その言葉の意味が分からないわたしではない。さっき彼が口にした結婚という言葉を合わせると、簡単な言葉ではないことも。


「なんで、わたしを」


 どうして、と思った。

 彼がそれをわたしに向けるとは、予想外以前のことだろう。


 聡士は、問いの意味を汲み取り、「そうだな……」と言いながらも、優しく目を細めた。


「気がついたのは、志乃が倒れたとき……志乃には泣いてほしくないと思ったからだな。知り合って間もないくせに、もっと自由に生きてほしいと思った」


 それも俺に力があれば変えられるのかと考えた、と彼は言う。

 どうして、聡士が、そんなことを思ってくれる。


「極め付きは、クーデターの日だった。お前、危ないかもしれないのに、飛び出して行って、森園環奈を庇って──あのとき俺は、心底お前を失いたくなかった」


 聡士が口にすると、重みを増す言葉だった。

 生まれたときに、奪われたものがある彼。

 胸が締め付けられるようだった。それは、何も胸を痛めたのではない。

 言葉の中に、自分が抱いた近しい感情を見つけたのだ。聡士に危険な目に遭ってほしくなかった。


「俺はこの国を守っていきたい。でも、一番守りたいのは、志乃だ」

「でも、わたしなんて」

「人間の価値を決めるのは、他人であり、自分だ。他の誰かがそう言ったことがあったかもしれない、志乃も自分のことをそう言う。でも、俺はそうは思わない。志乃なんて、なんて思わない。志乃しか考えられない」

「──わたしは、双子の、何も持たない方だよ」


 ほとんどの人は知らないけれど、知っている人は知っている。

 わたしは、貴族にあるべき異能を持たない。わたしは、この手に、何も持たないのだ。


 今、恐ろしかった。

 生まれてからのことで、普段は、そのことに恐怖なんて抱かないのに。でも、なぜかは分かっていた。


 わたしが──聡士のことが好きだからだ。好きで、自分で自覚するまでは良かったけれど、向こう側から向けられる事態になって、素直に喜ぶことが出来なかった。

 わたしは、自覚したと共に、叶うことのない恋だと思った。

 わたしと、彼だから。


「だからどうした」


 この世の中で決定的な不足を、彼ははね除ける。


「大丈夫だ、志乃が不安に思うことは変えられる。俺は一人じゃないからな。志乃の父さんだって、湊だっている。一緒に変えていける」


 わたしが、また何か言う前に、


「だから」


 聡士が、言う。


「俺の一番近くにいてくれないか」


 全ての想いを込めたような、願いと、眼差しだった。

 わたしは、開きかけた口で、言葉を紡げなかった。手が震えて、拳を作り、強く握った。



 わたしに最初に道をくれたのは、京介さんだった。

 わたしを引き取る際の条件だったという、決して表に出さずに育てるという条件の元、わたしはひっそりと暮らしてきた。

 あの家にいたわたしは、あれ以上のものを想像したこともなかった。

 けれど今、わたしはまた一つ自由になり、今度は──王という地位に就く人がわたしの前に、広い世界を当たり前に差し出そうとしてくれている。


「…………わたしは、きっと、相応しくない」


 聡士は、王になる。


「全然至らない部分が、たくさん表れてくると思う。湊の振りをしていたときみたいに」


 いいや、きっとそれよりも。

 その可能性を分かっていて、わたしは、叶わないと判断したばかりのものが叶うと知り、手を伸ばしてしまう。


 違う。手を、伸ばすのだ。


「それでも、わたし、聡士の側にいたい。聡士が、好きだから」


 真っ直ぐに見た聡士は、黒い瞳を揺らし、そして和らげ、わたしに両腕を伸ばした。


「いてくれ」



 ずっとずっと昔、生まれたときは会うはずもなかった人は、わたしを優しく抱き締めた。



 わたしは、押し潰されたりしない。

 わたしは、わたしとして立つのだ。彼の隣に。










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身代わり学園生活 久浪 @007abc

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