最初大丈夫か?!ってくらいふわふわというかポンコツとした主人公で眺めてると微笑ましくなる感じなんですが中盤から急にポップアップしてくる現実圧が凄まじくて凄まじいんだけど確かに説得力が凄くて、いや薄々何かしらダークマターの存在は認識してたけどいやそんな…ちょ…待っ…お慈悲を…たすけてぇぇぇぇぇぇってなるんですけどラストはきちんとどうにかしてくれるお話しです。
何しろ途中の現実圧が凄まじい。語り手のふわふわとした現実感の無さが逆にその生々しさを逆に浮き彫りにしているというか…
個人的にとても刺さったのが自分をポンコツだと認識してる人の哀しみみたいなのがじんわりと広がってくるところです。多分作者さんはどこまで生々しく描いても露悪的にはならないんだと思います。そしてそのバランスは作者さんの人間性によるところだと思えて、そこにすごい共感してしまいます。
最後のハッピーエンドは見ようによっては荒唐無稽なんですけど取ってつけたというより作者さん決死の全力の回し蹴りを現実に叩き込んだという方がしっくり来る気がします。だってこのくらいやったっていいじゃん!創作だもん!うん!最高!もっとやって!!!ってなる。
とにかく最高でした…!!!
※下線以下、ガッツリネタバレ感想です。簡潔に未読の方へのガイドをするなら、決して冒頭の牧歌的なノリでは終わらない、一癖もふた癖もある、色々な意味で深みと読み応えのあるお話です。ある種の覚悟を持って臨んだほうがいいともいえるし、かといって肩肘張って読む類のお話でもない、揺さぶられるタイプというのが正しいかもしれません。
=======================================
まず、主人公の女の子の様子がいきなりおかしい。これは明らかにコメディ時空を生きてきたタイプで、バットで頭を殴られたらドッジボール大のたんこぶが出来るキャラだ。そんな彼女は特にロマンチックな雰囲気を漂わせるでもなく、喋る餅と結婚する。その後の彼女は、自分のことを幸せだという。ここで使われた幸せと言うワードは、後に場面が暗転した際にも繰り返されるので、本当にこれらが同じ意味で使われているのかは分からない。だが、あくまでこの時点での「幸せ」であったり「大好き」は違和感なく受け取れるものであり、このあまりに唐突で異常なシチュエーションでもそれが成り立つということは、この物語の枠組みが(少なくともこの時点で)おとぎ話であることを示しているのではないか。おとぎ話であるからこそ、彼女の「幸せ」や「大好き」からは男女を匂わせる雰囲気がまるで漂わない。
とまれ、ここで話が終われば、これはおとぎ話でしためでたしめでたしで終わってしまう。しかしこの話の中には、現実サイドに立っている人間が存在し、主人公サイドとやり取りするから余計にこじれる。主人公の親友であるところの雪恵がその一人であり、彼女は最終的に「何はともあれ餅が喋っている」という現実を受け止めた上で、主人公たちを祝福することになる。
やがて主人公は現実サイドへ飲み込まれる。ここで断っておくべきなのは、主人公は元々社会人として働いていた経験を持ち、必ずしも現実に適応できていなかった人間ではない。しかし、「あんたの男を見る目って、本当にひどいし」というお墨付きの観察眼で掴んだ昔の男に散々な目に遭わされてからは、病的なまでに生活力を失ってしまった。
中盤は、一転しておとぎ話の世界から引き戻される主人公が痛々しく描写される。コメディ時空からきたはずの主人公にも、床に頭を打ち付ければ痛みは否応もなく襲ってくる。そして昔の男との悪夢の再会を果たすと、前とはうって変わって餅は喋らなくなる。
『シンクに向けて、嗚咽を繰り返しながら。それでも私は、必死で微笑む。
「幸せだよ」』
彼女は自分の意識をかつて短い時間をすごしたおとぎ話の世界においてきてしまったかのように、「幸せだよ」を繰り返す。まるで、そうでなければならないかのように。
この物語に救いがあるのか、自分には分からない。なぜなら、そんなシチュエーションにある彼女を再び救ったのが「おとぎ話の王子様」だったからだ。
人にあらざる存在が人間になるストーリーは、まさにおとぎ話では鉄板である。その意味で、大枠としては美女と野獣であったり、一寸法師などで採用されているモチーフに近いものがある。だが、この話で主人公たちに訪れた試練は、魔女の呪いや凶暴な鬼などではなく、ただひたすらに生々しいテクスチャをした現実の姿である。
これはある種、読み手の意識を現実から引き離そうと試みる、マジックリアリズムの手法であるのかもしれない。見事人間になりおおせた元・餅の王子様との甘美な生活は、たとえ彼が人間の姿を得た後であっても、どこか現実離れした幻想を想起させるのだ。