転生女神の英雄譚

槻白倫

第1話 壊れる日常

 いつもの通学路、いつもの商店街、そしていつもの学校。何の変わりもない日常。自分はこのまま人生進んでいくのだなと、この時はそう思っていたのだ。


 いや、たいがいの人間はそう思っていることだろう。普通の人生を歩むだなんて皆が思っていることだ。


 だが、ある日、唐突に普通の日常は終わりを告げる。


 それは突然で、準備なんてしてもいない。


 だが、終わりはやってきた。


 こちらが望まずとも、運命とやらはやってくるのだ。


 そして、やってくる運命からは逃げられない。


 逃げられないなら自分でどうにかするしかないのだ。


 どう抗うか。どう逃げるか。どのような選択を取るかは自分の自由だ。


 しかし、その選択は合っているとは限らない。


 彼の場合は、合っているのか、間違っているのか。それとも、彼の選択こそ運命が決めたことなのか。


 今となっては分からない。それに、分かったところでどうしようもない。運命とやらはもう決まってしまい、時間はとっくに進んでしまっているのだから。


 だからこの場合、『どうしてきたか』ではなく、これから『どうするか』が重要になってくる。


 とにもかくにも、つまりは、言えることはただ一つだということだ。


 姿見に写る自身の姿を見て思わず言葉を漏らしてしまう。


「誰?」


 そこに写っているのは銀髪に紅眼の少女。


 その姿に、彼は見覚えが無かった。


「え、誰?」


 しかし、鏡に映る少女の口と自身の口が連動していることに気付くと、納得してしまう。


「あ、俺か……ん?」


 そのセリフに疑問を覚え思案すること数秒。


「俺? お、れ…………は……」


 何が起きているのか理解する。そして、


「はあああああああぁぁぁぁぁぁっ?!」


 訳が分からず絶叫した。



 ● ● ●



 その日もいつもと変わらぬ朝を送っていた。


 通学路を学校へと向かう少年。その少年の名前は崎三幸助(さきみ こうすけ)。容姿から学力、スポーツと、全てにおいて普通のただの高校二年生だ。唯一普通と懸け離れているところと言えば幸助自身が持っているトラブルに巻き込まれる体質くらいだろうか。


 例えば、道でナンパされている女性が幸助を見て「この人私の彼氏なんです!あなた達より断然かっこいい彼氏なんです!なので不細工には興味ないんです!」と、焦っていたのかいらないことまで言って助けを求めてきて、キレた男達が何故か馬鹿にした台詞を言った女性ではなく幸助に殴りかかってきて、それを、護身術を習っていたため返り討ちに出来たのだが、警察に事情聴取と言われ二時間拘束されたりした。


 後半はもうただの説教だった。


 例えば、電車で五月蝿くしていたガラの悪い高校生集団を正義感の強そうな女子高生が注意したとき、たまたま隣に立って吊革に掴まっていた幸助も仲間だと思われ絡まれて、そのときは、胸ぐらを掴まれたので軽く手を捻ったらガラの悪い高校生の腕が折れて救急車を呼ぶ騒ぎになり、また警察に事情聴取と言われ二時間拘束された。


 しかも同じ警官にだ。後半はやはり説教になった。前より説教が長かったのはどういう事なのだろうか。


 例えば、橋を渡っていると鉄骨の上に飛び降りようとしている女性を見つけ、どうしようかと悩んでると周りの人が幸助の視線の先を目で追い、鉄骨の上の女性に気づき辺りが騒然としてパニックになり、何故か幸助が鉄骨を登って説得することになり渋々ながらも登っていって登り切ったところで強風に煽られ、説得しに行った幸助自身が川に落ちて救急車を呼ぶ騒ぎになり、また例の警官にお世話になったり。


 今回は始めからお説教だったが、幸助の身を案じてのお説教だったため甘んじて受け入れた。因みに飛び降りようとした女性は幸助が落ちたことにより怖じ気づいて降りてきたという。人身御供(ひとみごくう)というやつだろう。多分違う。


 とまあ、『例えば』を上げればきりがないほどトラブルに巻き込まれている幸助だ。自分からトラブルを作ってないのでトラブルメーカーならぬトラブルホイホイである。どうせならば美少女ホイホイとか、お金ホイホイとか言う体質の方が良かったとしみじみと思う。


 トラブルの全てが人助けで、その全てにおいて自分が怪我か警官のお説教を受けているので幸せとは程遠く、完全に名前負けしていると言うことをいつもの警官に冗談混じりに言われて気付いた。幸助ではなく不幸助だ。やかましい。


 ただ、どれも重傷などは負っておらず無傷か軽傷で済んでいるため運がいいと言えば運がいい。いつもの警官も「お前は悪運だけは強いな~」と感心していた。悪運が強ければトラブルになんて巻き込まれないだろうと思いながら、警官のお説教を聞き流した。


「はあぁ……」


 学校に向かう道すがらで、これまでの自分の事を考えていたのだが、自然と溜め息が出てしまう。


 運がない。そう思わずにはいられない幸助だ。


 そんな憂いた空気を周囲に纏わりつかせながらトボトボ歩いていると急に背中に衝撃が走る。


「おっはよ~う!」


「うげっ!?」


 痛みに悶えながらも衝撃の正体を確認すべく振り返る。と言っても、友人の少ない幸助にこんな事をするのは一人しか思い浮かばない。


 振り向けば、案の定そこにいたのは幸助の考えたとおりの人物であった。


 挨拶と共に幸助の背中に教材の入った重たいカバンを勢い良くぶつけてきたのは、従姉弟の桐野美結(きりの みゆ)だ。


 幸助は美結を半眼で睨みつける。


「痛いよ美結! もっと静かに、それでいて普通に挨拶できないの?」


 背中をさすりながら痛いとアピールする幸助。


「ムリ! 朝は元気良くいくのがアタシのモットーなの」


 痛いとアピールする幸助を華麗にするーし、言葉通り元気良くそう返す美結を、若干げんなりとしつつ見つめる。


 肩まで伸ばしたうっすらと茶色がかった黒髪。キラリと光を反射する大きな瞳。スッと伸びた鼻筋に、小さな鼻。潤いプルンとしたみずみずしい唇。最上級の顔のパーツそれぞれが綺麗に並んでいる。


 客観的に見ても身贔屓無しにして見ても、美結はとても可愛い顔をしている。そんな可愛らしい美結が屈託なく微笑めば、男どもは誰でも頬を赤く染めてまともに目が見られなくなるだろう。いや、顔も直視できなくなるかもしれない。


 そんな、元気で可愛い笑顔を見ても分かると思うが、明るい性格の美結は友達が多い。クラス、学年、先輩、後輩、教師、老若男女問わずに人望がある。


 その上スポーツ万能、成績優秀、品行方正で学校中の人気者だ。幸助の通う霧島(きりしま)高校で桐野美結の名前を知らない者などいないだろう。それどころか、他校にまで知れ渡っていても不思議はない。 


 そんな、幸助と違い人生の薔薇色街道まっしぐらの美結にも一つだけコンプレックスがある。


「モットーは良いけど、それに俺を巻き込まないでくれよ」


 そう言って、自分のお腹辺りにある美結の頭をポンポンと撫でる。


「ムッキー! アタシを小さいと思う奴はアタシの頭を撫でるなー! 撫で返してやろうか!? 撫で返して背を縮めてやろうか!?」


「それ撫でてない。押し付けてる」


「構わん! 縮んでまえ!!」


 そう、会話でも分かる通り、美結のコンプレックスは背が小さいことだ。


 幸助の身長が大体一七〇センチメートルなのに比べ、一三〇センチメートル位しかない。それが、美結の唯一のコンプレックスらしい。


 その小さな背にはアンバランスであろう程よく育った胸が激昂する美結にあわせてプルンと揺れて主張している。


 背が小さい事から、皆からは妹扱いをされ、しまいには後輩からも「美結ちゃん」と呼ばれている。本人は「もっと、威厳が欲しい…」と言っていた。


(美結よ、身長じゃなくて威厳なのか……)


 そう思ってしまった幸助は悪くないだろう。


 美結は、身長はもはやどうにもならないと諦めているのかもしれない。


 プリプリお怒りのご様子の美結に、相変わらずだなと思いながら苦笑を漏らす。


 幸助の頭を押さえつけようとピョンピョンと飛び跳ねる美結を宥める。


「悪かったよ。さ、早く学校行こう。このままじゃあ遅刻する」


「あっ、待ってよ~」


 適当に誤りつつ止めた足を進める幸助に飛び跳ねるのを止めて慌てて付いて来る美結。


 トコトコ付いて来る美結に歩幅をあわせて歩く。


「そう言えばさ、何でさっき溜め息付いてたの?」


 どうやら、幸助の溜め息が聞こえていたらしく不思議そうに小首を傾げる美結。


「ああ、自分の過去を振り返って……ちょっと、ね?」


「そのちょっとを教えなさいよ」


「面倒だからヤダ」


「え~、ブーブー。教えてくれても良いじゃんか~アタシと幸助の仲じゃんかよ~」


 頬を膨らませ可愛い口をタコのように突き出す美結にキッパリと言う。


「ただの従兄弟だろ? それ以上でもそれ以下でもない」


「寂しいこと言うなよ~。泣いちゃうぞ? アタシ泣いちゃうぞ?」


 なに言ってんだかと美結を見ると若干目が潤んでいる。冗談めかした言葉以上に、結構本気で泣きそうだった。


 はあ~と面倒臭そうに息を吐くと諦めたように首を振り言う。


「分かったよ、仲の良い従姉弟だ。これで良いか?」


 それを聞くと満面の笑みでコクコクと頷く美結。


「分かれば良いのよ! それじゃあお~しえて~」


「それとこれとは話が別」


「え~」


 そんな話をしながら学校に向かう。


 学校に近づいていくにつれ霧島高校の生徒が増えていく。そんな中、学校の人気者の美結には数多くの挨拶の声がかかる。その全てに元気良く答える美結。挨拶した生徒は幸せそうに顔を綻ばせながら去っていく。


 そんな美結とは対照的に、幸助には挨拶は無い。それどころか、何もしていないのに殺意の眼差しを向けられる始末である。


 その理由は至極単純で、つまりは嫉妬である。学校の人気者である美結の隣に何故普通顔の冴えない男がいるのか? ただ、従姉弟というだけなのに! というものだろう。


 確かに幸助自身も、自身が従姉弟でなければ美結の隣に立って歩くことも無かっただろうと思う。実際クラスメイトにも言ったことがある。


 美結にはもっと、相応しい人物が隣に立つべきなのだろうと幸助自身も思っている。


 相応しい人間とは、優しく、美結を傷つけない聡明で賢明で堅実な男だ。


 と、急に幸助に向けられた視線が、幸助の後ろに移動するのが分かった。周囲のその反応に、内心「来たか」と思いながらも振り返ることはしない。振り返れば必ず面倒臭い事になる。ただでさえトラブルホイホイでいらんことを呼び寄せるのだ。朝から面倒事は勘弁願いたい。


 そんな、幸助の気持ちを知ってか知らずか。周囲のざわつきに気付いた美結が振り返る。


「あっ、紫苑く~ん!」


 ブンブンと手を振りながら大きな声で面倒事を呼び寄せる。


(ああ、また面倒なことになるな……)


 そう思い幸助は止まることなく歩き続けようとするが、美結に手を握られて阻止される。そうすれば、必然、止まるしかない。


(ああ、面倒臭い……)


 思わず内心で悪態をつく。


 ふりほどくのは簡単だがそんなことをしては美結は泣いてしまうだろう。面倒事からは逃げたいが美結を泣かせたいわけではないのだ。


 幸助は少しだけ体を振り返らせちらりと視線を送る。


 手を握ったことにより殺意の眼差しが濃度を増したが気にしないことにした。しかし、殺意の濃度が尋常ではないので若干冷や汗を流しているのは内緒である。


 そうこうしているうちに、面倒事達(・)が歩いてやってきた。


 面倒事は美結に笑顔を振りまき挨拶を返した。


「やあ、おはよう桐野さん」


「うん、おはよう!」


 面倒事の名前は紫苑荘司(しおん そうじ)。綺麗に伸ばされた黒髪に、モデルのような整った顔。つまりまあ、超イケメンだと思ってくれれば問題ない。オプションで、スポーツ万能、成績優秀付きだ。


 そんな、超イケメンの荘司の周りにはいつも取り巻きがいる。渡部鏡子(わたべ きょうこ)、西島卓也(にしじま たくや)、多喜史郎(たき しろう)、芹沢計(せりざわ けい)。この四人がいつも荘司の周りにいる取り巻きたちだ。全員面(つら)は良い。


 実は、という程のことではないが、この取り巻きたちも幸助のことを快く思っていない奴が多い。


 荘司は美結に懸想している。その事を知っているから常に美結の傍らにいる幸助が邪魔なのであろう。


 早速、鏡子が幸助と美結が手をつないでいることに突っかかってきた。


「ねえ、何で手繋いでるの? 付き合ってもいないのにおかしくない?」 


「……そうだね、付き合ってもいないのにそう言うことは感心しないな……」


 鏡子の台詞に荘司が反応する。


 その二人の言葉に、幸助はね眉を寄せると、煩わしそうな目で二人を見る。


「ん? 別にアタシと幸助の仲なんだから大丈夫だよ! 問題ナッシングぅ!」


 元気良くそう言うと開いている左手でサムズアップをする美結。そんな美結の、ある意味彼らを煽る行動に、幸助は心中で文句を言う。


(止めてくれ美結。それが新たな火種になるんだ……)


「いや、いくら従兄弟だからってそれは不味いんじゃない? 勘違いされちゃうよ?」


「でも、学校中でアタシと幸助が従兄弟だって知ってるよ? 勘違いなんて無いよ~」


 ケラケラと可笑しそうに笑いながら「紫苑くんは心配性だな~」と付け加える美結。


「それじゃあ、学校でね~」


 少し挨拶と話がしたかっただけの美結はそう言うと踵を返して歩く。手を離し幸助も踵を返して歩く。


 もう用も済んだので手をそのまま離しっぱなしにしても良いかと思っていたのだが、美結に掴まれもう一度手を繋ぐことになる。


 一度和らいだ殺意の視線がまた復活する。


 しかし、周りの視線よりも、今回は余り何も無かったなと思い安堵する幸助。だが、安堵したのも束の間。荘司が幸助のいない方へと回り込む。


「それなら、俺とも手を繋いでも大丈夫だよね? ほら、俺達って仲良いしさ」


 そう言って美結の手を握ろうとするもその手は空を切った。幸助が美結を自分の方へと引っ張ったからだ。


 キッと幸助を睨む荘司に幸助は飄々とした態度をとる。


「なんだよ?」


 睨み付ける荘司に問いかける幸助。


「いや、なんで邪魔をするのかなって思ってね」


 それは邪魔をする理由を聞いているようではあるが、実際には邪魔をするなと言っているようなものだ。


 下心丸見えの荘司の行動に嫌悪感を抱きながら、幸助は半眼で荘司を睨みつける。


「仲が良いってだけの赤の他人なら、尚更手は繋がない方がいいんじゃないか? 確か、勘違いされるんじゃなかったか? つまり、俺はお前が勘違いされそうになるのを未然に防いだだけだ」


 先ほど荘司が言った言葉を悪びれもせずに言い返され、むっとした顔をする荘司。


 しかし、それくらいで止まるほど荘司は柔(やわ)ではない。


「それなら、やはりただ従姉弟ってだけでも変に勘ぐられると思うぞ? その手を離した方がいいんじゃないか?」


「悪いが、がっちりホールドされててな。それに、俺達はお前も言った通りただの従姉弟だ。それ以上でもそれ以下でもない」


「仲が良いだよ!」


 美結が「ただの従姉弟」という単語に反応して怒ったように言ってくる。


(お気に召さないのは分かるが今は勘弁してくれ……)


 内心げんなりしつつも、美結のご機嫌を取る幸助。


「ごめん、忘れてた」


「そこが一番忘れちゃいけない大切なところだよ!」 


 幸助セリフにプリプリ怒る美結。


 そして、その美結のセリフに反応する荘司。


「仲が良いのなら尚更だろう?」


「従姉弟で、それ以上でもそれ以下でもないと言ったはずだ。理解してないのか? その大層な頭は飾りか?」


 幸助のその言葉に荘司は額に青筋を浮かべる。


「俺は君よりも頭は良いぞ? 馬鹿にされる筋合いはないな」


「頭が良くても少々言語理解力にかけるらしいな。お喋りをして鍛えて来いよ。それに、それこそ俺らの仲をお前にどうこう言われる筋合いは無いな。そういうのなんていうか知ってるか? 余計なお世話っていうんだぞ?」


「俺は君たちを慮(おもんばか)って言ってるんだ。それを余計なお世話とは、少し酷いんじゃないか?」


「慮るのは素晴らしいが、押し付けるのは良くないだろ。相手のこともちっとは考えないと、ただの害悪でしかないぞ?」


 害悪と言われ、さすがの荘司も我慢の限界が来たのか声を荒げようとする。


「ちょ、ちょっとストーーーーーップ!!」


 しかし、ヒートアップしてきた幸助と荘司の言い合いを芹沢が慌てた様子で止める。


 二人の――と言うよりは、荘司と手をつないだ幸助と美結の間にだが――割って入ると、少しだけ引きつった笑みで言う。


「二人とも喧嘩は良くないよ?」


「喧嘩なんかしてないさ」


 幸助は芹沢が割り込んだ時点で話は終わりと判断し、美結の手を引いて学校へと向かう。


「おい、待てよ!」


 話は終わってないと言わんばかりに噛みついてくる荘司に、幸助は気怠げに振り向くと言った。


「遅刻するのは勝手だが、俺らを巻き込まないでくれよ」


 その言葉に芹沢が自身の腕時計を確認すると焦ったように言う。


「まっずいよ荘司! そろそろいかないと遅刻する!」


 その言葉を聞き荘司達も渋々といった感じに歩き始める。


 それを確認する事もなく前を向き、ただ歩く幸助。


 今からなら歩いていても時間ギリギリにはなるが遅刻はしないだろう。


「ねえ」


 幸助の顔を覗き込む美結。覗き込むと言っても身長差で必然的にそうなってしまうのだが、のぞき込むように見ているので表現的には間違えていないだろう。


「何であんな皮肉で返したの? 普通に、遅刻するぞ、でよかったじゃない。紫苑くんと何かあったの?」


「何にもないよ」


「本当に?」


「本当」


 そう、幸助と荘司の間には、今日みたいな小さい諍いはあっても、大きな喧嘩などはしたことはないのだ。それなのにこの不仲。だからこそと言ったところもあるだろうが、どちらにせよ美結が気になるのも当然である。


 しかし、幸助が言いたくなさそうにしているので美結はそれ以上の追及を避けた。


(ただ、気に食わないだけさ……)


 気に食わない。幸助が紫苑に抱いている感情はただのその一点のみであった。


 幸助は本当に、ただ気に食わないだけなのだ。


 面(つら)の良い面々を自身の周りに侍らせ、美結にちょっかいを出す。それだけで幸助は荘司が気に食わなかった。


 荘司本人にその気は無いのかもしれないが、幸助には荘司が美結を自分のコレクションに加えようとしているようにしか見えなかった。


 我ながら湾曲した考えだと思っている。しかし、そういう風にしか受け止められなかった。


 幸助がこう思ってしまうのにはある理由があった。


 それは、幸助の両親が関係していた。幸助の両親は父母共に不倫をしている。おそらく、いや、確実にお互いはお互いが不倫していることを知っている。だから、どちらも何も言わない。言う資格も無ければ、そもそも言おうとも思わない。


 相手が誰とどうしていようとどうでもいいのだ。


 ともあれ、両親が不倫をしており、家を空けることが多かったため、幸助は幼少の頃より大抵の時間を一人で過ごすことを強いられていた。


 父母は日替わりに相手の所に行き、家にはめったに帰ってくることはなかった。


 そんな環境でも幸助は、寂しさ以外は特に不自由する事はなかった。父母共にIT企業のエリートでお金には困らなかったからだ。


 衣食住全てにおいて逆に裕福であったと言えた。ただ、いくら着飾っても、いくら美味しい物を食べて腹を満たしても、いくら快適な空間で過ごしても、注がれない愛情分の心の穴を、埋めてくれることはなかった。


 小学校に上がっても友達は出来なかった。いくら級友と同じ時を共にしても、両親からの愛情を注いでくれるわけではなかったからだ。


 普通であれば、人は貰えない物に対して、代用品を望むようになる。代用品で穴を埋めようとする。


 だが、幸助は両親からの愛情に執着していた。両親と一緒にいる子供を見るとひどく羨ましく見えた。


 貰えないからこそ追い求めていった。欲しくて欲しくて、何度も何度も手を伸ばした。そして、ようやく母親が手を取ってくれた。


 とても嬉しかった。やっと望んだ物が手に入る。そう思うと気分は舞い上がった。


 だが、舞い上がった気分は心の穴から伸びた手によって引き落とされた。


 幸助が煩わしくなった両親は母方の祖父の家に幸助を預けたのだ。要するにやっかい払いだ。


 その日から幸助は更に塞ぎ込むようになった。一番愛情が欲しかった両親から愛情を貰えず、その上捨てられる。幸助が心を閉ざすには充分すぎた。


 一番信頼できる人であるはずの両親から捨てられたのだ、他人なぞ勿論信用できるわけ無かった。


 根気強く優しく接してくれた祖父母にも心は閉ざしたままだった。


 心の穴は日をおう事に広がっていった。心を溶かすようにどんどんと広がっていった。


 もしかしたら、それは穴ではなく闇だったのかもしれない。心の闇に飲み込まれている寸前だったのかもしれない。


 しかし、そんな心の闇を払ってくれる者が現れた。


 それが美結だ。


 美結は、飽きることなく毎日幸助のところに来た。毎日毎日、相手にされなくても、何度でも何度でも。


 数か月そうしているうちに、ようやく幸助は美結に心を開いたのだ。


 美結は、幸助にとって恩人である。そんな恩人である美結には嫌な思いをして欲しくない。だから、荘司から遠ざけようとしているのだ。


 自分の両親みたいに見えるやつに大切な人は渡せない。いや、渡さない。何があっても、絶対に。


 そんな思いが顔に出ていたのか美結が心配そうな顔を向ける。


「大丈夫? やっぱり何かあったの?」


「何にもないよ。大丈夫」


 心配そうな美結を適当にはぐらかす。


 そんな会話をしながら学校に向かった。荘司達のせいで多少時間は食ったが少し余裕を持って学校に着くことができた。ちなみに、後ろを歩いていた荘司達は芹沢がこれ以上時間を食うのはまずいと思ったのか、こちらに気を向けさせないようにうまく立ち回っていた。


 チラッと芹沢を見ると彼もこちらに気付くと片目を瞑りウインクする。任せてくれとでも言いたげな表情だ。


 芹沢は荘司の恋は応援するがやりすぎるのをよしとしないタイプなのだろう。なので、幸助も彼にはそれなりに良い感情を抱いている。


 目礼して感謝を示すとニカッと微笑む。


 それを確認すると靴を履き替え教室に向かう。


「おっはよ~!」


 教室に入るなり大きな声で挨拶をする美結を微笑んで挨拶を返すクラスメイト。


 幸助はスタスタと歩き自分の席に向かう。美結は幸助と席が隣なのでその後ろをトコトコと付いて来る。


 少し置いて荘司達が教室に入ってくると、そちらに挨拶をするクラスメイト。


 嫌なことに荘司達も同じクラスなのだ。


 はあと溜め息を吐いて席に着くと荷物を整理する。


 人気者の美結の周りには数人が寄ってきて色々と話をしている。その中には勿論荘司達もいる。


 幸助はそれを見て煩わしそうな顔をすると、カバンから本を取り出して読み始める。


「何読んでんの?」


 本を読んでいる幸助を見て芹沢が話しかけてくる。


 笑顔を浮かべて話しかけてくる芹沢をチラッと一瞥すると面倒臭そうに答える。少しは良く思っているが、彼が荘司の取り巻きだと言うことには変わりないのだ。


「……推理小説」


「ふ~ん、面白いの?」


「面白いよ」


 実際は推理小説なんて読んではいない。ライトノベルを読んでいたのだが、煩わしかったので適当に答えたのだ。


 ライトノベルを読んでいて、オタクだと馬鹿にされるのも癪であった。


 二人が話しているのを見た荘司が一瞬嫌な顔をした後、芹沢に言う。


「計、読書の邪魔をしちゃ悪いだろ。こっち来いよ」


 そう言う荘司の顔を見るも一変たりとも悪いと思った顔をしていない。さっきの台詞は意訳すると『そんな奴と話なんかしないで、こっちで皆と話そう』と言った感じだろう。


 芹沢は幸助を見て申し訳なさそうな顔をする。


「邪魔しちゃってゴメンね! んじゃ!」


 芹沢が荘司達の会話の輪に加わるのを確認すると幸助は読書に戻る。


 暫くして、担任と副担任が教室に入ってくる。


 皆が席に着くと朝のホームルームが始まる。


 幸助はそっと本を閉じて鞄にしまった。





 何にも変わらないいつもの退屈で普遍的な日常。


 幸助の日常は普遍的で変わることのない物だった。そう、この時までは。


「え~、それじゃあホームルームは終わり……なんだ?」


 担任の符井抄造(ふい しょうぞう)が何かに気づいた。符井の視線の先を見るとそこは教室の床の中心だった。いつもなら何の変哲もない教室の床だ。


 だが、今日は普通ではなかった。床には光輝く円が描かれていた。


「なに、これ?」


 誰かがそんな事をポツリとこぼす。すると、それを合図に光の円が広がっていく。


 急速に広がっていく円に騒然とするクラスメイト達。


「皆、教室を出るんだ!」


 我に返り指示を出す符井。だが、すでに遅かった。教室全体がすっぽり入るくらいまで広がった円はその光を増していく。


 眩しさに目を細める幸助は間に合わないと判断し、美結だけは守るべくと美結に近づき抱きしめ光から庇おうとする。


 恐らく、何の意味もないのだろうとは思ったのだが、何もせずにはいられなかった。


「ちょっと幸助!?」


 慌てる美結を抑る。


 普段なら目が痛くなるほどの光量なのだが目に痛みはない。


 視界を光が覆い、全てを理解できなくなる。


 少しの浮遊感が体を襲い直ぐにおさまる。あれほど視界を占領していた光の感覚も浮遊感と共に消え去った。


 恐る恐る目を開けると、そこは、白一色の空間だった。


「なんだ……ここは……」


『ここは神常(かみどこ)の間』


「っ!?」


 誰に話しかけた訳でもなく呟いたその一言に、返事が返ってきて驚く幸助。


 声の方に振り向くとそこには銀髪に紅い双眸を持った美女が立っていた。 


『ようこそ、誘われし者達よ』


 彼女の言っている事は理解できなかった。ただ、これからは普通じゃないことが起こると言うことはその場の全員が直感でそう感じていた。 

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