最終話 ウマノアシガタのせい


 ~ 五月二日(水)  家まで、あと百メートル  ~


   ウマノアシガタの花言葉 子どもらしさ



 いつもと同じ帰り道の空は。

 お昼時と変わらぬ水色のピクニックシートが広がったまま。


 この時期になると、空が調子に乗っていつまでもシートを畳もうとしないので。

 ついつい俺たちも、まだ遊んでいて良いのだと。

 うわついた気持ちになってしまうのです。



 でも、そんなうわついた世界にただ一人。

 まるで推理小説の、残り数ページに描かれた真犯人の挿絵のよう。


 仮面を剥がれた醜い表情で。

 必死に名探偵のキメ台詞を拒み続けている俺がいる。


「だからね、兜の飾りを折ったのは……」

「そんなことより、頭に挿したウマノアシガタが今にも落っこちそうです」

「え? これ、キンポウゲじゃないの?」

「黄色い花びらを八重に付けるのがキンポウゲ。ウマノアシガタは、花びら五枚」

「へえ。……それでね? こどもの日にね?」

「そんなことより、久しぶりにカニクリームコロッケ食べたくないですか?」

「食べたいの! KKK!」

「何度も言うようですが、CCCですってば」


 ……そんな犯人の誘導に、いつまでも泳がされる迷探偵の名前は藍川あいかわ穂咲ほさき

 軽い色に染めたゆるふわロング髪で作ったサイドシニヨンに、ウマノアシガタを三本ほど活けている主人公が呑気なことを利用して。

 このまま無事に、残る数ページを凌ぎきって。

 事件を迷宮入りにすることを目論んでいたのですが。


「……さっきから、こどもの日のお話を邪魔されてばっかりなの」


 ぎくり。

 とうとう気付かれてしまいましたか。


「まったくそんな気はございませんけども。あんまり面白そうでは無かったので無意識に逃げていたのかも」

「面白いの。道久君があたしを庇ってくれた美談なの」


 そう言いながら、きらきらとしたタレ目を俺に向けているのですが。

 どうしてそんな事になっているのやら。


「覚えていません。多分君の勘違いだと思うのですが、どんなお話なのでしょう」

「えっとね、あたしが兜の角を折っちゃったの」


 うん。

 いきなり記憶違いです。


「それをママに叱られて、道久君のせいにしたの」


 はい、よく覚えていますので。

 その記憶は間違いじゃありません。


「で、お台所の物置に突っ込まれたの」

「あの反省室に? ……じゃあ、おじさんが木の板を挿してくれたんだね」


 藍川家の台所。

 アコーディオン式の扉で仕切られた物置は。

 俺たちが悪さをすると閉じ込められた恐怖の反省室であり。


 そして、真っ暗じゃかわいそうだからと。

 おじさんが木の板を扉に挟んで、少しだけ明かりをくれた思い出の場所でもあるのです。


 いつでもおじさんは俺たちに優しくて。

 いや、みんなに優しくて。

 怒った顔なんて、まったく記憶にないのです。


「もちろん、かまぼこの板を挟んでくれたの。でもそれだけじゃなくてね、あたしに教えてくれたの」

「なにを?」

「道久君が、自分が折ったって言ってくれたんだよって」




 ………………なんてことだ。




 思わず足を止めてしまった俺に。

 呆然と、ただ悲しい顔を浮かべる俺に。

 君は初夏の太陽にも負けないほどキラキラな笑顔で振り向いて。


 鞄を背に、腰をかがめて。

 下から覗き込むように俺を見上げたかと思うと、繋いでほしそうに、手を差し出してきたのですけれど。



 もちろん俺に、その手を取ってあげる資格などありません。



 おじさんは優しくて。

 俺たちに怒らないから。


 記憶にはないけれど。

 きっと俺は、君が連れ去られた後、すぐに。

 おじさんに罪を打ち明けたのでしょう。



 他の大人にそんな話をしたら怒られるに決まってる。

 父ちゃんにも母ちゃんにも、おばさんにも言えやしない。


 でもおじさんは怒らないから。

 なんとかして欲しくて、正直に話したのでしょうね。



 そして、ここで一つ不幸なことが発生したわけで。

 おじさん、勘違いしちゃったのです。



 俺が穂咲を庇ったと。



 そう感じてしまったようなのです。




 ――つい今しがたまで。

 まるで真昼のようだった空に、カラスの声が一つ響き渡ると。


 それを合図に、ピクニックシートは東の縁の方がすこうし巻き上げられて。

 西の縁に置いてある赤い袋を目指して、ゆっくりと畳まれていくのです。



「だから、感謝なの。あの時はありがとうなの」



 君の笑顔に、俺の胸がぎゅっと握られて。

 とっても痛いのです。

 このままでは、心臓が止まってしまいます。




 ……さすがに。

 年貢の納め時です。




 鞄を置いて、膝をついて。

 そのままおでこを地面につけて。


「どうしたの?」

「…………確定申告中です」

「年貢だったら、ちゃんとお米で納めてほしいの」


 ごもっとも。

 しかし、さすがは幼馴染。

 年貢を納めるという意図が通じたようで嬉しいです。


「なにを謝るの? 冷蔵庫のエクレアだったら許してあげるの」

「そんなの食べてません」

「プリンだったら、三日三晩恨み続けるの」

「違いますので安心してください。実は、俺が先に折っちゃったんです」

「なにを?」

「兜の角飾り」



 ……ああ。

 今更思うことはただ一つ。


 こんな簡単な言葉を伝えなかった、そのせいで。

 俺はどれだけ長い間苦しんでいたのだろう。


 そして、君の事を。

 どれほど傷つけることだろう。




 長い長い、永遠の一瞬。


 そんな、時間で出来た氷をぱりんと割ったのは。


 君の楽しそうな笑い声だったのです。




「なんだ、そうだったの。それで謎が解けたの」

「謎?」


 顔を上げた俺に差し出される小さな手。

 でも俺は、まだそれを握ってあげることが出来ません。


「謎って何? なんで笑ってるの?」

「あのね。片方の角が外れてたから、取り外しができると思ったの」

「………………それで?」

「うん。だからあたし、逆側を折っちゃったの」

「はあ!?」



 …………十数年間。

 知らなかった驚愕の事実。


 じゃあ俺んちの兜。

 角飾りが二本とも無くなってるの?



「その罪を、道久君が庇ってくれたの」

「違いますよ! 俺は自分の罪を告白しただけで……」

「ううん? 結果、我が家では美談として丸く収まったからいい思い出なの」

「良くないです! そんなの俺の気が治まるはずないでしょうに!」


 なんで犯人のうち一人は英雄になってるのさ。

 納得いきません。


 憮然と穂咲を見上げる俺に。

 再び、小さな手が差し出されます。


「じゃあ今更だけど、二人で反省するの」

「…………え? この歳になってあそこに?」

「入るの」

「まじか」

「大丈夫なの。板はこないだ新品に変えたばかりなの」

「……だったら、安心ですね」



 そう言いながら、俺はようやく穂咲の手を取りました。



 ――随分と遠回りしましたけど。

 ずっと胸に刺さったままだった小さな棘が。

 ようやく消えて無くなりました。



 もちろん、俺が全部悪いのですが。

 こいつはこんなにも笑っていてくれて。


 そのことがとっても嬉しくて。

 そして、とっても申し訳なくて。


 でも、俺は何を悩んでいたのやら。


 こいつは俺の手を引きながら。

 ずーっと黙っていたことをバカみたいだと叱りつけたきり。

 楽しそうに、押し入れでトランプをするのとスキップなどしているのです。



 ……俺は、何を悩んでいたのやら。

 こいつがこういう子だという事を。

 だれより知っているはずなのに。



「今年は、一緒に飾るの」



 角飾りのない兜を飾る約束をしながら。

 振り向く君の笑顔は。


 ちょっと悲しい思い出を。

 その眩しさで明るく塗り替えてくれるのでした。





 「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 10冊目🌸

 おしまい♪




 ……

 …………

 ………………



 好きなのか嫌いなのか。

 俺は考えるのをやめています。


 だから構わないのです。

 構わないのですが。


「手、もう離すのね」

「メールなの」


 からっぽになった手の平を見つめながら。

 やっぱり君のことなんか嫌いですという言葉を飲み込んでいたら。


 静かな午後の住宅街を揺るがすほどに。

 君の大声が 響き渡るのです。


「おお! わが友が来るの!」

「友? だれさ」


 友と言っても。

 中学か高校の友達くらいしかいないでしょうよ、君。


「それは内緒なの! 楽しみなの!」


 ……ほんと楽しそうにしてるけど。


「どなた? ヒントは無いの?」


 俺の質問に、こいつは破顔一笑。

 あまり見ない、優しい顔で微笑むと。


「ヒントは、いけめんなの!」



 俺は、そんな不穏な言葉に凍り付きながら。


 スキップ穂咲の背中を見つめていることしかできないのでした。




「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 10.5冊目!


 ゴールデンウィーク特別編!


 2018年5月3日(木祝)より四日間連載予定です!


 果たして、穂咲の友とは!

 イケメンとは!?


 ご期待くださいませ!



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「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 10冊目🌸 如月 仁成 @hitomi_aki

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