カウスリップのせい


 ~ 五月一日(火)  三十センチ  ~


   カウスリップの花言葉 青春の始まりと悲しみ



「はっ!? 思い出したの!」

「…………立ってろ」



 悲しい記憶。

 辛い記憶。


 俺の気持ちが反映されているのでしょうか。

 久しぶりに、随分と離れた机に腰かけるのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 いまだけは、心の距離を三十センチほど遠ざけて。

 胸に浮かぶさざ波が、君の高性能レーダーでも見えませんように。


 子供の日が過ぎたら。

 いつものように接することが出来ますから。


 それまでは。

 どうぞお構いなく。



 …………いや。

 だから言ってるじゃない。



 どうぞお構いなく。



「なぜ俺の手を引きますか」

「思い出したの! 道久君も廊下に来ないとお話しできないの!」

「そのお話しを封じるために廊下に出ていけと言われたのが君には分からないのでしょうか。ねえ先生」


 俺が正常な判断を求めたら。

 異常な先生は、お前も行けと言わんばかりに顎で廊下を指していますけど。


 もうほんと、わけわかりません。


 とは言え、そんな不条理ジャッジはともかく。

 穂咲と廊下に出るのはちょっとだけ困るのです。



 だってこいつが思い出したことって。

 多分、あの件ですし。



 頭のてっぺんでお団子にしたゆるふわロング髪から、これでもかと飛び出したカウスリップを見つめながら。

 俺は、往生際も悪く。

 年貢の支払いを少しでも遅らせたいなあと。

 そんな気持ちで、引っ張られる腕にしばらく抗うのでした。

 



 ――カウスリップ。

 黄花九輪桜キバナクリンザクラ


 既に見慣れた、窓枠のキャンバスに反射して。

 遠くの山並みに、黄色いラッパのようなお花が乗っかっています。


 料理用の香料として使われ、頭痛を緩和させるハーブティーの材料としても有名なこのお花。

 でも、心の痛みにその鎮痛効果は期待できそうもありません。


 俺が十数年前の負債を支払ったその時。

 君の心が負う傷は、一体どれほどのものになるのでしょう。

 君の痛みを感じた俺の心が負う傷は、一体どれほどのものになるのでしょう。


「穂咲、あのさ……、その、あの時は……」

「ありがとうなの!」

「ごめ……………………ん? はあ?」


 これは異なことを。

 でも、穂咲が皮肉なんて器用なことを言えるはずもないし。


 現に、笑顔は偽りもないほど満開で。

 そんなこいつが、嬉々として言うには。


「十数年忘れっぱだったの! 道久君があたしを庇ってくれたの!」

「…………はあ」

「あたしが兜の飾りを壊しちゃったのに、道久君が庇ってくれたんだよってパパが教えてくれたの!」




 …………はあ。

 そうなのですか。




 いやいやいやいや!

 逆です、逆!

 俺が自分の罪を君に押し付けたのですよ?


 唖然とする俺の頭の中で、日記帳をめくってみれば。

 あの日あの時に起こったことが、まるで昨日見たかのように再生されます。



 ……角飾りを折ってしまった後で、俺は。

 鎧兜からできるだけ離れて、大玉の無くなったひなあられを食べていて。

 一人戻って来た君に、大玉は無いのかと文句を言われて。

 今度は甘納豆以外を全部取り上げられたんだ。


 その腹いせに、君に兜で遊ぶように焚きつけて。

 素直に従った君が兜をかちゃかちゃいじっていたら。


 おばさんが戻って来て、折れた角飾りを見て大声を上げて。

 どうして壊しちゃったのって、君を叱りつけて。

 そしたら君が、びーびー泣きながら、俺に罪を擦り付けたんだ。



 ……いや、違う。

 罪を擦り付けたのは俺の方。

 君はただ、真犯人を告発しただけなのに。



 でもおばさんは。

 君が、俺のせいと言ったことが気に障ったらしくて。

 人のせいにするなって、さらに怒って家に連れて行っちゃったんだ。



 ……未だに胸に残るしこり。

 俺の原風景にぽたりと落ちた墨のしみ。


 多分、俺が君に優しくするようになったのは。

 そのしみがもともとの理由なんだと思います。



 ごめんねって気持ちが、そうさせるのだと思います。



「ふう、嬉しかったことを思い出してすっきりしたの」

「あ…………、えっと、その記憶なのですが」

「それより道久君、先週お腹壊したの。平気?」

「…………実は、まだちょっと痛いのです」

「毎年この時期にお腹を壊す道久君なの」

「そうだっけ?」

「決まってこどもの日は寝込んで出てこないの」


 決まって、こどもの日は寝込んで部屋から出てこない。

 その理由は実に簡単で。


 だって父ちゃん、毎年鎧兜を飾るって言うんだもん。

 あんなの見たら、胸が潰れてしまうのです。


 だから俺は、子供の日には腹痛で寝込むのです。

 だから数日前から体調が悪いと「ウソ」をつくのです。



 そう、先週お腹を壊したのも。

 午後の授業の間、トイレに行っていたという話も。


 実はウソなのです。



 悲しい記憶。

 辛い記憶。



 この時期、俺は君からできるだけ離れようとしているのですが。

 その行為すら君を傷つけているようで。


 泣きたいほどつらいのに。

 でも、そんな俺を見つけてくれる人はいないのです。



「心配だから、薬を持って来たの」



 マッチポンプと思わなくはないですけど。

 でも間違いなく、穂咲の横顔には優しさが滲んでいて。


 泣きたい気持ちが治まる薬ではないでしょうけど。

 整腸剤の類なのでしょうけど。


 その気持ちを、有難く受け取らせてください。


 などと思いながら。

 感謝と共に差し出した手に。

 頭のカウスリップをスポンと抜いて乗せるのですが。


 感謝の気持ちを返してほしい。

 イラっとしたわ。


「…………これは鎮痛剤。頭痛薬」

「だからちょうどいいの」

「俺、お腹壊してるんだけど? 全然効かないよね?」

「効くわけないの」

「なにその言い草。頭痛いんですけど」


 俺が呆れ顔を穂咲に向けると。

 こいつは無表情のままカウスリップを指差します。


 カウスリップ。

 主な効果、頭痛の緩和。


「…………ほんまや」


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