第2話 しお対応の妹
妹の椎名は自分に厳しく、他人にも厳しい。
まず一度何かを始めると、それを自分が極めたと納得するまで絶対に諦めない。
例えば料理や裁縫。料理はお店に出せるようなプロの味を追及し、自分で納得のいく味を作り出すまで同じ料理を何度も作る。今は亡き母の作る肉じゃがの味を完全に再現する為、一週間連続で晩御飯の食卓に肉じゃがが並んだこともあった。僕や姉さんが流石に変わり映えのしない夕飯に呆れて、一度「これは完全に母さんの味をコピーしきったと思う」と評価しても、椎名自身は納得しなかったのか、肉じゃがを作り続けたこともある。
裁縫に関しても、市販のショップに並ぶ服となんら変わらない技術を披露するし、ほつれたボタンを直してもらった時なんかはむしろほつれる前よりも綺麗にボタンが留めてあったように思えた。
そして椎名がこだわるのは日常生活に必要な家事や炊事といったスキルだけに留まらない。学校の勉強や部活動、はたまたたまに家族で遊ぶゲームやちょっとした勝負ごとにも手を抜くことはない。
我が家の末っ子でありながら、家族の誰よりも一番を目指すのが椎名だった。
★★★
我が家の家事は分担制で、ご飯を担当しているのが妹の椎名だ。
朝食、夕飯は勿論のこと、僕らが学校に持っていく弁当も基本的に椎名が毎日作ってくれている。
椎名の負担がとても大きいように感じるが、最初からこうだったわけじゃない。
母さんが死んだ後すぐ、僕らが三人で暮らし始めたばかりの頃は食事は分担制だった。姉さん、僕、椎名が一日交代でご飯を作る。という決まりだ。
けれども僕も姉さんも料理の腕はからっきしで、味も決して褒められたものじゃなく、母さんが死んだ直後ということもあって精神的にも追い詰められることが多々あった僕らは当番をしばしばサボるようになってしまったのだ。そんな中でも決してサボることなく毎日料理を作り続けていたのは当時小学生低学年だった一番下の椎名だった。
幼い頃、椎名は僕にこう言った。
――「いいよ。しいなが作るよ。今はまだ料理もぜんぜん上手じゃないけど、いつかおかあさんみたいに美味しいごはん作るから。そしたら、たぶんおねえちゃんもお部屋から出てきてくれるよね」
――「…………ごめん」
――「いい。おにいちゃんが笑ってくれるまで、しいながごはん作るから」
大好きだった母さんが死んで、崩壊寸前だった我が家を支えてくれていたのは椎名だった。
椎名がいなければ僕も姉さんも今のように笑うことなんてなかった。
だから僕らは、たまに一週間ずっと夕飯が肉じゃがなんて日々があっても、呆れつつも椎名のご飯を食べ続けるのだ。
「ご飯できたよ!」
1階のダイニングから椎名の声が聞こえる。
制服に着替えて登校の準備を終えた僕はその声に返事をしてから、階段を下りた。
「おはよう」
「おはようじゃないわよ。今日も姉さんは寝坊でしょ。兄さん、ちゃんと起こしたの?」
「起こしたよ!……危ういところもあったけど……」
「なにそれ……? とにかく、起こしたのならそろそろ降りてきてもいい頃でしょ。でもまだ降りてきてないの」
「え……もしかして二度寝とか……」
あのイベントをもう一度体験するのは正直つらい。肉体的疲労よりも圧倒的に精神的疲労が圧し掛かってしまう。これから学校だってのに。
「もし二度寝してたら、また起こしに行ってね。なるべく早く。ご飯冷めちゃうし」
「…………はい」
「嫌そうな顔しないの」
せめて普通の格好に着替えた状態で二度寝していて欲しいなぁ。なんて淡い希望を抱く。そもそも一度起きてからちゃんと準備しているのか怪しい。
なんて考えていた時、階段のほうから足音が聞こえた。
「おはよぉ……」
「よかった。ちゃんと起きてたんだね」
「んー……危ないところだったけどねぇ」
姉さんはまだ眠そうだ。
重い足取りで瞼を擦りながら、姉さんは朝食の並んだテーブルに着いた。
「ま、朝からユキ君の可愛いところ見られたから、二度寝して忘れちゃうのももったいなくてねー」
「う……その話はいいでしょ。姉さん」
「そう?」
眠気にまみれた顔が一転、急に悪戯っぽい笑みを浮かべる加々美姉さん。
まったく、この人は……。
「――? なあにそれ。ま、いいわ。ご飯も冷めちゃうから早く食べましょ」
事情を把握していないのは椎名だけだった。
姉さんを起こすのは僕の毎日の務めだけども、椎名にも一度くらいは姉さんを起こしてもらいたい。姉さんの寝起きの悪さを椎名にも知ってもらえれば少しは僕に甘くなると思うんだけど……。
なんて、期待はするけども望みは薄いな。
「「「いただきます」」」
僕らは椎名の作ったご飯に手を付け始める。
今日の朝食は、外はカリッカリ、中はもっちもちに焼かれたトーストの上に香ばしさ漂うベーコンエッグを乗せたエッグトースト、それと鮮やかな緑色を放つ新鮮な野菜を使ったフレッシュサラダ、そして甘い香りが食欲をそそるコーンポタージュの三品だ。
相変わらず椎名の料理は味だけじゃなく、目や香りで楽しませてくれる。椎名のご飯を一度食べてしまえば、もはやそこらのファミレスじゃ満足できなくなってしまう。
朝からこんなに豪華なものを食べられるなんて、なんてことを思いつつ僕らは食事にありつく。
雑談を交わす家族の声とテレビから流れる星座占いを聞き流しながら過ごすのが我が家のいつもの朝食だ。
「それじゃあ私は先にご馳走様」
十分ほど経って、いち早く食べ終わった椎名が席を立つ。
椎名はいつも朝食を食べ終わってから支度を始める。朝起きてすぐに朝食作りに取り掛かっているから、学校の準備などはどうしても後回しになってしまうのだ。その為椎名は僕らよりも早くに食べ終わり、すぐに準備を始める。
「うん。あ、姉さん、ドレッシング取ってくれない?」
椎名よりも食べるのが遅い僕らはそのまま食事を続ける。ちなみに最後まで食事に時間がかかるのはのんびりやの姉さんであることは言うまでも無い。
「いいよー。ユキくんが好きなのはゴマだれだよね?」
「うん」
姉さんがわざわざキャップまで外して僕に手渡してくれる。
「ありがと――」
僕はそれを受け取ろうとして――。
「うわっ!」
滑った手はドレッシングのボトルを弾き飛ばし、天高く舞い上がらせた。
ぽーん、と擬音が浮かびそうなほど綺麗に宙に舞い――
べちゃり。
やがて僕の頭のてっぺんに不時着したのであった。
「ごめんっ、ユキ君!」
さすがの姉さんも大慌て。僕の髪の毛はあっという間にゴマだれまみれになってしまった。
「いや、大丈夫……、そもそも取り損ねたのは僕だし……」
ツイていなかっただけだ。……とはいえ、朝からこれはキツイ……。
髪の毛はベトベト、服には臭いまで染みこんでしまった。しかも服はパジャマじゃなくて学校の制服。完全にやってしまった。
「大丈夫?」
姉さんからタオルを受け取り、頭や肩に飛び散ったゴマだれを拭くが、やはりこのねばねばとした液体は簡単にはとれない。
「さ、最悪だぁ……」
「お姉ちゃん、換えの制服を上から取ってくるから、ユキ君はシャワーを浴びてきなさい。まだ学校までは時間あるし、なによりこんなべたべたの髪じゃ学校にも行けないでしょ?」
姉さんの迅速な対応。こういうハプニング時に加々美姉さんは何かと頼りになる。
「そうだね。ありがとう……お言葉に甘えるよ」
そう言って僕は浴室に向かうことにした。
シャワーを浴びて、ゴマだれと一緒にこんな憂鬱とした気持ちも洗い流してしまいたかった。
――がちゃり。
突然のハプニングにすっかり僕は気を取られていたんだと思う。
僕の頭の中には、早くこの髪を洗い流したいという衝動と、朝から予想外の時間を食われて大層参ったという感情しか存在していなかったのだ。
脱衣所の扉を開ける。
だから仕方が無いのだ。決して悪気があったわけじゃないのだ。
――けれども。
「あっ」
「あっ」
脱衣所には先客がいた。
透き通るような白い肌、すらりと伸びた長い四肢、普段はツインテールに結っている髪も今は解かれ腰の辺りまで下ろしてある。彼女が僕の家族であるからこその過大評価なんかじゃない。椎名は誰が見ても、モデル顔負けのスレンダーな身体をしている。
そしてなにより目を引くのが小ぶりではあるけれど、綺麗な形をしたおっ――
「なにしてんのよっ!!!」
「ごめんなさい! いや、気がつかなくて! ほんとにわざとじゃなくて!!」
「はぁ!? おにいちゃん、私が毎朝シャワー浴びてるの知ってるでしょ!? わざとじゃないなんて言い訳許されないからね!」
「違うんだ! 色々あって忘れてただけで――」
「とにかく見るなっ!!」
脱衣所から追い出される。
しまった、完全に椎名の日課を忘れていた。
椎名の着替えを覗いてしまったのは事故だ。
「仮にわざとじゃなかったとしても、脱衣所からすぐ出ればいいでしょ! なのにおにいちゃんってば三十秒くらい固まって私の身体をジロジロと――」
うっ。
いやそれはほんとになんというか……。
「いや、それは妹の成長をこの目で確認して感動したというか、普段女の子の身体を見ることなんて無いから思わず知的好奇心が駆り立てられたというか、正直見惚れてたというか……」
「おにいちゃん全然それフォローになってないよ!!?」
しまったこの言い方じゃ僕がただの変態になってしまう。
というか慌てすぎて何も誤魔化せなかった……。
「それでおにいち――兄さんはなんでここに……?」
脱衣所の小さな扉の向こうから尋ねられる。
「えっと、さっきゴマだれを盛大にこぼして頭から被っちゃって……」
「……なるほど、それで髪の毛もべとべとになってたのね。……いいよ、私もこれからシャワー入ろうと思ってたけど、先に使って。譲ってあげる」
椎名が僕にとってとても嬉しいことを言ってくれる。
「ほんとに? ありがとう!」
正直、助かった。椎名が後になることは申し訳ないが、僕としては一刻も早くさっぱりとしたい。
嬉しさのあまり僕は早速使わせてくれと言わんばかりに脱衣所の扉を開ける。
「いや喜んで早く入ってもらうのはいいんだけどさ……」
そこには下着姿の椎名。
レモンイエローのフリル付き。椎名の強気なところと女の子らしいところを巧くマッチさせたような可愛らしいブラ――
「ってごめんっ!!」
急いで脱衣所を出る。
危ない。さっきの二の舞になるところだった。
「あーもうっ! そんなに妹の身体に興味津々なわけ!?」
椎名は怒りを通り越して呆れている様子。今のは完全に僕が悪い。
今度はちゃんと椎名が着替えて出てくるのを待ってから脱衣所に入る。
「一分」
椎名が出てくる際、そんなことを呟いた。
「え?」
「シャワーの時間。一分で済ませてよね。ゴマだれ落とすくらいだったら一分で十分でしょ?」
「短いよ! 一分で殆どお湯を流すだけじゃないか!」
「これ、兄さんへの罰も含めてるんだからね。覗きの罰。今後家族から性犯罪者を生み出さない為には罰も必要でしょ?」
「そ、そんなぁ……」
僕のぼやきも厳しい椎名には通じない。
しかし一度だけならず二度も妹の裸体を覗いてしまった身分としては何も反論はできなかった。
大人しく罰を受けるか……。
「ちなみに情状酌量の余地を加えた上での一分だよ」
「それで一分なの!? 余地が小さすぎるよっ。……ていうか自分で言うのもあれだけど何処にそんな余地を加える部分があったの……?」
「ま、実の兄が妹の身体に見惚れてたってのはかなり問題なんだろうけどさ、見惚れられた方としてはあんまり悪い気はしないってことだよ」
そう言って椎名は口の端を吊り上げて悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「それにしたって一分は短いような……」
「さ、早く入る入るっ。私だってあんまり時間ないんだからねっ」
「もう少し温情くれても……」
「あーげないっ! これ以上はだーめ」
「そんなぁ……」
慌しい朝と、厳しい妹。今日の我が家はそんな風景から始まったのだった。
甘ねえとしお妹 蓮視 秋 @aki_777
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。甘ねえとしお妹の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます