最終章 春の日の掛川さん

 約束の五分前、仙台駅ステンドグラス前。スマホをいじっているゆいさんの姿が見えた。そういえば待ち合わせで一度も待たされたことはないな、といつぞやのクソ男と比べながら少し足を速めると、ちょうどスマホから顔を上げたゆいさんと目が合った。

 待たされたことがないどころかストーカーよろしく駅で待ち伏せという前科持ちの変態オジジは、スマホをポケットにしまうとそのままポケットに片手を突っ込んで歩いてきた。「おせーよ」と空いた手で髪をぐしゃぐしゃにされた。

 四月中旬の日曜日。昨日友人の結婚式だったというのが此度のゆいさんの来仙理由である。せっかく来たからと誘われたのが花見で、二つ返事で快諾したのは言うまでもない。

 仙台では例年四月の中頃に桜が満開になる。仙台駅から電車で約三十分の大河原・白石川堤の一目千本桜が特に有名だ。

 川の両岸に満開の桜が約八キロ。堤の上の遊歩道をどこまでも続くピンクのトンネルが覆う。そして桜並木の向こうには雪を頂く蔵王連峰。厳しい冬を越えた後の雄大なる春の風景だ。

 だが今年は春の訪れが少し早かったらしい。

「だいぶ散ってるな」

「私、これくらいのも好きですよ」

 今年は三月末から暖かい日が続き、開花が早かった。ちょうど一週間前に満開だったともなれば現在の桜はやや寂しい。

 堤の上の遊歩道を並んで歩く。満開を逃してはいるものの、花見客が大勢行き交っていた。私たちが下りた大河原駅と一つ前の船岡駅の間を歩くのが定番であり、それぞれの駅から人が交差する。お喋りに夢中で桜なんかろくに見ちゃいない女子高生グループ、桜の下に立つ彼女を彼氏が写真に撮っている微笑ましいカップル、土手にシートを敷いて座っている夫婦とその近くを半袖で走り回る子供たち。

 ふと、私たちが周りからどう見えているのか気になった。友達? 恋人? いやいや恋人とかねーから、と自分で突っ込む。

「お前いい加減彼氏とかいねーの?」

 そんなことを考えている時にゆいさんが急に質問してくるものだから、ほぇ? と間の抜けた返事になってしまった。

「その気になればいつでも作れるべ? お前かわいいし」

「三回に一回くらい茹ダコなのに?」

「三回に二回はオバQな」

「石原さとみと言ってくれ」

 口が滑ったと悟った時にはすでに手遅れ。ゆいさんはひーひー笑っていた。

「ツイッターに上げとこ。やまちゃん、自称石原さと……」

 呼吸困難になりながらスマホを取り出すのを見て、「やめろーー!」と悲鳴を上げながら掴みかかるのだった。

 投稿はなんとか阻止したが、ふてて吐き捨てる。

「彼氏なんていらないし。現実の男なんてしょうもないのばっか」

「そうか? マトモなのもいるだろ、俺とか」

「アニオタロリコン変態ストーカーハゲがよく言うわ」

「言い過ぎ。世の中のハゲに謝れ」

 うっ、と言葉に詰まる。確かにハゲを含めるのは違う。

「あとアニオタとロリコンと変態とストーカーにも謝れ。特に俺に謝れ」

「自分でわかってんじゃん! いいもん彼氏なんか。今のうちにお金貯めて将来イケメン介護士のいる老人ホーム探します。死ぬまでイケメンにお世話してもらう」

「イケメンに下の世話とかしてもらう気か?」

「あぁそっか! ミュゼ行って下きれいに脱毛しとこ」

 下品極まりない会話に興じていると船岡駅が見えてきた。遊歩道を外れ、そばの小高い山にある船岡城址公園に向かうことにした。

 この公園も春には桜色に染まる。麓の桜は川岸と同様散りかけていたが、標高差のおかげか山頂付近の桜は見頃だった。

 売店で玉こんにゃくを買った。ベンチに座って玉こんにかぶりつきながら、さっきまで歩いていた川を上から眺めた。下手に満開の桜を見てしまってますます川沿いの桜の見頃を逃したのが惜しくなる。

「本当だったらピンクの列がずーっと続くんだよな」

 一週間早かったら、川が曲がって見えなくなるまでずっと両岸を鮮やかな桜色が彩っているはずだった。

「また一緒に来ようぜ。次はちゃんと満開の桜並木の下を歩こう」

「そう都合よく仙台で用事ありますか?」

 今回は都合よく友人の結婚式だったが。

「やまちゃんに会いに、じゃ不足か?」

 ……は? 玉こんに歯を突き立てたままフリーズした。

「何言って……」

「結婚式があったのは嘘じゃない。でも本当はお前に会いに来た。これからもお前に会いに来たい。何十年後かも一緒に桜を見たい。あと下の世話は俺がしてやる」

「下の世話はせんでいい!」

と叫んでから、下の世話しか断らなかったことに頭を抱えそうになった。まるでそれ以外は肯定したみたいだ。キッとゆいさんを睨むと、してやったりな表情。玉こんの串を目ン玉に突き刺してやろうかと思った。


 ぎゃあぎゃあ嫌味を言い合うだけだったゆいさんを初めて男性として意識した。そしてそんな自分にぞっとした――。



 ある春の日。満開の桜のトンネルの下で手を繋いで歩く男女がいた。女性の空いた手には弁当の包みがぶら下がっている。

「久々に恵子の汗で炊いたご飯が食べたいな~」

「たまに私の汗でご飯炊いてるような言い方するな! 変態オジジ!」

 左手薬指で環が光る関係になっても二人は相変わらずだった。こうしてぎゃあぎゃあ言い合うのが心地良かったのだと、恵子は指環をするようになってから気づいた。


Fin.

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きみの汗でご飯を炊きたい 深瀬はる @Cantata_Mortis

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