終焉


(M.A.I.N.基地・資材置き場)


オマルはコンテナの影に潜んでじっと待っていた。


さっきアクラが走り出して行ってから随分と経つような気がするが、実際にはまだ数分しか過ぎていない。

じりじりしながら待っているオマルの背後で、突然大きく軋むような金属音が響き渡った。巨大なシャッターが降り始めている。


オマルはゆっくりと下がってくる分厚いシャッターを見上げながら、アクラたち一行が一秒でも早く戻ってくることを願った。

もしもこのコンテナの支えが保たなかったときには、オマルには再度シャッターを持ち上げる手段はない。


ゆっくりと、しかし確実に降りてくるシャッターは、まるで運命を分ける扉のように思える。


ついに、シャッターがコンテナの上段に食い込み始めた。

オマルは祈るような気持ちでそれを見つめるが、シャッターの力は予想以上に強かった。降りるスピードこそ鈍っているものの、積んだコンテナの上側がどんどん容赦なく押しつぶされていく。


やがて歪んだコンテナのドアが破裂し、中から鉱石のようなものが大量に崩れ出た。


さらに上から押し付けられる荷重で上下のコンテナがずれ始めていた。

上のコンテナが潰れて変形していくに従い、隙間が増えて徐々にずれが大きくなっていく。

このままでは上のコンテナが通路側に押し出されてしまい、メイルが通り抜けるには高さが足りなくなる。


上のコンテナの潰れ具合から見ると、下段のコンテナが十分な高さを保てる時間はそう長くなさそうだ。

潰れきってしまったら、人間一人が屈んで通れるかどうか微妙なところだろうと思えた。


オマルは急いでシャッターの下をくぐり、通路側に入って上段コンテナが落ちないように押しとどめようとする。


「もうすぐだ、オマル!」 トーキーからアクラの声が聞こえた。


振り向くと、通路を遠くからアクラが走ってくるのが見える。

その後ろにいるのはフギンとムニンだ。ワイトの姿も見えた。全員無事だ。

すごい勢いで走って近づいてくる。


オマルの見ている前で脇道から出てくるエイムを、アクラとエミリンのドローンのレーザーが蹴散らして道を作った。


あのスピードで走るムニンの上から前後のドローンを同時に操作できるエミリンは、本当にどうかしている。

オマルの脳裏を、以前に見たピアノ弾きの映像がフラッシュバックした。

『自分にも、いつかあんな動きを生み出せるのだろうか?』と。


一同がシャッターの直前までたどり着いた時、一段と大きなきしむ音とともに、上のコンテナがぐらっと動いて滑り落ち始めた。


とっさにオマルは自分の左前脚をコンテナとコンテナの隙間に差し込んでクサビにする。


滑り落ちかけていたコンテナが、オマルの腕に引っかかって止まった。

強大な力がそのままオマルの腕を潰していくが、クサビになったオマルの腕の摩擦力のおかげでコンテナのずれは止まった。


「早く走れ! もうたいして持たんぞ!」


「オマル、腕を!」 アクラが叫んだ。


「通り抜けろ! 工夫はそれからだ!」


アクラが体を横倒しにしながらシャッターの下を滑り抜けた。


ワイトがそれに続き、エミリンとムニンが通り抜けた直後、フギンがオマルの方を見てスピードを緩めた。

オマルには、フギンが通りすぎることを躊躇しているのがわかる。


「早く行かんか! 時間がない!」


「でも!」 


ジャンヌが叫び、オマルに近寄づいているフギンのシートから立ち上がろうとしている。


「さっさと行かんか小僧っ!」 


そう叫びながらオマルは自由な方の前脚を伸ばし、近寄ってきたフギンの前脚をマニピュレーターでつかむ。

そのままスイングするように腕を引き寄せて、フギンの姿勢を崩させた。

ジャンヌがシートの上でよろめくが、シートベルトに引っ張られてどすんとイスに戻る。


オマルはさらに全身を大きく振ってシャッターの隙間へフギンを押し出した。


すでにシャッターの隙間はフギンに乗ったジャンヌの頭すれすれだ。

とっさに足を畳んで姿勢を低くした状態のフギンは、ジャンヌの頭をシャッターにぶつけることもなく無事に滑り抜けることが出来た。


「オマル! あなたも急いで!」 


さらに容赦なくコンテナを潰しながら降りていくシャッターの向こう側でジャンヌが叫ぶ。


「あとから追いかける。いまは行くんだ!」


フギンの脇を、通路から追ってきたエイムのレーザーがかすめて、床に焼け焦げを作った。


「早くしろ、話はあとだ! 私もあとから行く。いまは基地から離れろ!」


オマルがそう答えると同時に上段のコンテナがとうとう潰れきり、さらに下段

のコンテナも押しつぶしていく。

残った隙間はとてもメイルには通り抜けられそうにない。


「オマル、必ず迎えに来る!」 アクラが叫ぶ。


「行けアクラ! 変なメイルを見たら撃つ前に名前を聞けよ!」


その直後、とうとう人間一人がやっとくぐれるかという高さまで下がったシャッターの隙間から閃光が漏れ、オマルは沈黙した。


「行こう」 アクラが言う。


ここで誘導弾を使ってシャッターを破壊したところで、オマルも一緒に粉砕してしまうだけだ。


ワイトも静かに答えた。


「急ごう。エイムたちには侵入者の排除指令が出ている。ナトリウム反応炉が健在な余裕も残り少ないだろう」 


ジャンヌとエミリンは厳しい顔で入り口の方を向いたまま何も言わない。

まだ基地から脱出できているわけではなかった。

資材置き場の中に武装エイムが入ってこないのは、ここに可燃物や危険物が大量に備蓄されているからだろう。作業用の白メイルはすべて停止されたのか、資材置き場の中にはまったく動きが感じられない。


搬出入口から一歩外へ出れば、『ガントレット』なのは間違いなかった。


アクラは低く構えて、外への搬出入口をにらんだ。

いまはシャッターが閉じていて静かだが、その外には大量の武装エイムが待ちかまえている筈だ。


飛び出すためにシャッターを背中の誘導弾で破壊すれば、入り口付近に積み上げられた炭化水素資源が爆発しかねない。

エミリン一人ならコックピットに収めてハッチを閉じれば守ることも出来るが、ジャンヌと一緒では無理だ。

それに、そもそも人間を乗せた状態では満足に機動が出来ず、エイム相手に大立ち回りをするわけにも行かなかった。


「エミリン、ジャンヌ、ゴーグルを付けて。爆発の閃光から目を守る必要があるかもしれない」


「わかったわ」


二人は急いでゴーグルを被り直す。

ゴーグルはまだ濡れていて二人の目元に大量の滴を垂らすが、いまはそんなことを気にしてはいられない。


「僕がレールガンを撃ってシャッターを破壊する。僕が飛び出したら、外にいるエイムたちは一斉に襲いかかってくるはずだ。

僕は出来るだけ連中を引きつけて横に移動する。その間に外に出て、出来るだけ目立たないように移動するんだ。

ここから出る時にはステルスシートを被っておくのを忘れないようにね」


地形を把握しているワイトがアクラにアドバイスをする。


「出たら左側が少し丘陵になっている。そこに飛び込んで起伏に沿って斜めに進めば、相手からの射線をある程度限定することが出来るだろう。エイトレッグを置いてきた場所で落ち合おう」 


「オッケー。みんな気をつけて!」


「アクラ、あなたも無茶しないで」 エミリンの声が震えていた。


「大丈夫さエミリン。僕は君を守るって決めたんだ。みんなで無事に家に帰るまでは途中で止まるわけにはいかないよ」


「アクラ。私はあなたを愛してる!」


「よくわからないけど、きっと僕もそうなんだと思う。君の方こそ無茶はなしだよ。いいね?」


「うん」


「よし、じゃあ行くよ。伏せて」


アクラは誘導弾を撃つと同時に飛び出すために、最適な角度を考えて姿勢を修正した。


「ガントレットを走り抜けるには、考えてたって駄目さ。走り始めたら、あとはエミリン方式だ!」


そう言い終わるやいなや、アクラからレールガンが放たれた。


レーザーの掃射とは違う、空気をつんざく物体が高速で通り抜けたことを、空中に浮かぶ白い筋が示している。

轟音と共にシャッターに大きな穴が空き、ほとんど同時に放たれていた誘導弾が、その後を追うようにシャッターに空いた穴から外へ飛びだしていく。


その直後、激しい爆発が起きて閃光と爆風が一同に襲いかかったが、その爆風が通り過ぎるまでの間に、すでにアクラはシャッターに空いた穴から外へと飛び出していた。


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(M.A.I.N.基地・アウトサイド)


外へ飛び出したアクラの目に飛び込んできたのは、優に三桁にのぼる数のエイムの群れだった。


まさに、ワイトのいつかの言葉さながら、昆虫、より正確には『蟻』のようにびっしりと地面を覆い尽くしている。

それを見た瞬間、アクラは真横に飛んでいた。


アクラが飛び出た位置に無数のレーザーが降り注ぎ、爆発的な煙を立てる。

一度に大量のレーザーを照射されて、土壌が溶けて蒸発したのだ。

だが、同時にアクラへ向けた射線の反対側にいたエイムたちも、仲間の撃った流れ弾を浴びて多数が崩れ落ちていた。


同士討ちをまったく気にしていない。


彼らは、いや、これらは昆虫でさえない。

まさにこのエイムたちは、ワイトの言うとおり、M.A.I.N.に制御された『人形の軍隊』だった。


即座に反撃して多数のエイムを真っ二つにしながら走り出したアクラは、なぜか激しい怒りを感じると共に、旅を始めてすぐの頃にオマルに言われたことを思い出していた。


ー 『私たちの罪はM.A.I.N.を止めてから考えよう』 ー オマルはそう言っていた。


勇敢で教養のある、思慮深いオマル。

彼に教えて欲しいことは、まだまだ沢山あった。


「遠慮は要らないな」 


アクラはあえてステルスを動作させずに、猛然とダッシュして丘陵へ向かう。


その後ろを無数のレーザーが追ってくるが、アクラのスピードがあまりにも速くてエイムの照準システムの作動精度を超えている。

ボディをかすめるものさえわずかだ。


しかし、いまは逃げるよりもエイムたちを引きつける方が重要だ。


丘陵の影に走り込んだアクラは、そこでいったん方向転換して丘の上に駆け上がった。丘の上から、エイムたちの群れの中心に向けてもう一発の誘導弾を放つ。

発射と同時に姿を隠し、裏側から次の丘陵への駆け上がった。


すぐに閃光が生じて誘導弾の着弾位置がわかる。


次の丘の上にアクラが一瞬姿を現し、即座に姿を消したところに、また無数のレーザーが降り注いでいく。

アクラはエイムを自分に引きつけるために、あえてイタチごっこに挑んでいた。


一瞬、丘の上からエイムたちを見下ろしたときに、敵の大体の位置関係をつかんだアクラは、さらにエイムたちを資材置き場から引き離すべく、また方向を転換して走り始める。


エイムたちのレーザーがその足跡に雨のように降り注いだ。


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(M.A.I.N.基地・資材置き場)


「よし、いまのうちに行こう」 爆風で捲れ上がったシャッターの隙間から外を覗いたワイトが声をかけて一同は動き出した。


一同と言っても、いまやフギンとムニンとワイトの三体にしか見えない。

ジャンヌとエミリンは頭の上からアクラ製のステルスシートをすっぽりと被っている。


その姿はまるで、馬の背に乗った旅の僧侶のようにも見えた。


資材置き場から外に出ると、そこの地面には大きな穴が空いて、溶けた砂がガラス状に固まっていた。

ジャンヌとエミリンにも、アクラの受けた攻撃のすさまじさがわかる。

だが、いまはくよくよ考えても仕方がない。

遠くで爆発音のような音も聞こえる。


少なくとも戦いが続いていると言うことは、アクラも健在と言うことだ。


「こっちだ」


ワイトに誘導されてジャンヌとエミリンは資材置き場の壁伝いに爆音の聞こえる方とは反対側にそろそろと移動していった。


基地防衛の武装エイムたちはすべてアクラが連れ去ったのか、周囲にはまったく動きが見えない。

資材置き場は建物と言うよりも、盛り上がった岩山を抉って作った人工洞窟のようなものだったことがわかった。

M.A.I.N.基地の大半は地下に置かれているので、地下通路への入り口を攻撃から守るために、防空壕やサイロのような作りになっているわけだ。


行きがけはリエゾンの中にいて外の景色が見えないことがエミリンには不満だったが、いまは逆に心細いほど剥き出しだ。

一同は岩山の壁というか岩肌伝いに300ヤードほど移動していき、とうとう岩山の連なりが途切れるというところでいったん立ち止まった。


ここから先に遮蔽物はない。

リエゾンが出入りしている整備ヤードまでは、まだ4マイル以上ある。

どちらに向かうにしても、多数のエイムに追撃を受けたらかなり厳しい状況になることは間違いなかった。ワイトはまだ動こうとしない。


ジャンヌはだんだん達観してきた。

やれるだけのことはやった。

思いがけぬ幸運も得て、普通だったら終わりだったシーンをすでに幾つもくぐり抜けてきていた。


M.A.I.N.基地の中でこれまでに通ってきた場所のどこで終わっていても不思議ではなかったことを考えると、いまここにいるのが奇跡だと言ってもいいくらいだ。

それなら、ダメ元でもう一度奇跡にかけてみても諦められる。


「ワイト、悩んでいても仕方がないわ。ここにいたって埒があかないんだし、塗料のステルス性にかけて、一か八か飛び出しましょう」


「もうちょっとだけ待って欲しい。奇跡が起きるか起きないかがはっきりするまででいい」


「まだ奇跡のネタがあるの?」


「あればいいのだが、確信はない。もし駄目だったら、二人はダム跡の時と同じように服を脱ぎ、歩いてエイトレッグのところまで戻るのが一番安全だろう。帰路は危険だが、エイトレッグに残した資材と食料でムーンベイまでは戻れるはずだ。私とベイムズはここに残って囮になった方がいい」


「そんなの駄目よ!」


だが、ジャンヌが言い終わると同時に岩陰の向こうから轟音が聞こえてきた。

多数の足が地面を叩くような音だ。

ジャンヌとエミリンはエイムの軍団に囲まれることを覚悟した。


エミリンは考える。

ジャンヌと一緒なら終わり方はどうであってもいい。

みんなで笑いながらムーンベイに戻れないことは残念だけど、最後の瞬間を一緒にいられるのは幸運だ。


そう言えばフギンとムニンは、自分たちが二人を本当に愛していることをわかってくれていただろうか? 

二人に安全な暮らしを用意してあげられなかったことが心残りだ。


オマルは無理かも知れない、でも、アクラだけでも何とか逃げ延びてくれればいいのだけど....。


エミリンはジャンヌの顔を見た。ジャンヌもこちらを見ていた。

お互いに何かをわかっているように、にっこりと微笑み合う。

そう、わかっている。


互いを愛していること。

アクラとオマルを愛していること。

フギンとムニンを愛していること。

いつか、人類とメイルが共に生きる未来がありえること。


さらに轟音が近づいて、岩肌が振動しているかのようだ。


そしていよいよ音が溢れてきたとき、岩影の向こうからリエゾンの頭部が姿を現した。


リエゾンは狭い岩場を直線的に越えるために、タイヤの回転ではなく、メイルのように足の構造を利用して強引に進んできていたのだ。多数の足音に聞こえていたのはそれだった。


「まだ奇跡のストックが残っていたようだ」 


ワイトが静かに言う。


岩場を越えたリエゾンが、拡張していた脚部を収納しながら一同の前で停止した。


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(中央平原・リエゾン)


リエゾンのユニット内部は最初から空だった。

それぞれ三つのユニットに別れて乗り込むと、すぐにリエゾンが猛然と走り出す。


「ねえワイト、どうやってリエゾンを呼べたの?」 


エミリンがまっとうな疑問を口にした。


「直接呼んではいない。ただ、私が脱出ルートをどう取るか、グレイには予想がつくはずだったし、もしもグレイが私たちの保存を望むなら、あらかじめ救援手段を用意しておく可能性はあった。だから、ビーコンは発信していたのだが、グレイはそれを頼りにリエゾンを送り込んでくれたのだ。

ただ、グレイとM.A.I.N.の綱引きの中で、それが上手く動くかどうかは何とも言えなかった。希望を持たせてから失望させてしまうのは避けたかったので、ギリギリまで黙っていたのだ」


「ワイトは私たちに気を遣ってくれたのね。ありがとう」


「で、どうやら、グレイはM.A.I.N.との綱引きに勝ったってことなのね?」 


と、ジャンヌが聞く。


「恐らくそうだとは思うが、オフラインでいる私には、いまは確定的なことが何も言えない」


「そうね。確かにまだM.A.I.N.を停止できたと確認できてるわけじゃないわ」


「残念ながらそうだ。給水路の破壊工作は間違いなく上手くいったと思う。防炎シャッターが水圧に負けて破れる音も聞こえた。

ただ、まだナトリウム反応炉の爆発は引き起こされていない。

何らかの問題であの部屋が水没を免れたか、M.A.I.N.が工作内容に気がついて即座に手を打つことが出来た可能性も、わずかながらある」


「それならそれで仕方がないわ。出来るだけのことはやったんですもの。いまこうして生き延びているだけでも奇跡と言っていいわよ」


「確かにそうだ」


「生きてさえいれば、またいつかM.A.I.N.にチャレンジ出来るわ」


ワイトは、ジャンヌのその言葉に驚きを隠せなかった。


「ジャンヌ、君は奇跡のような確率をくぐり抜けて、あの基地から生還しつつある。二度と同じことが起きるとは思えないような組み合わせの出来事だ。

なのに君は...君自身が口にしたように、たったいま九死に一生を得たばかりだというのに、またあのM.A.I.N.基地にチャレンジする気があるというのか?」


「あるわよ」 ジャンヌは即答した。


「だって、いつか誰かがM.A.I.N.を止めなきゃ、人類の未来に起きることは、たぶんグレイが予想したとおりになる。それは気に入らないのよ、私は。

自分の興味だけで生命を弄ぶような機械知性に、人類の未来を託したくはないの」


「正直に言って驚いた」


「そう? もし今回が駄目でも、今度はもっと上手くやりましょうワイト。

次もあなたは手を貸してくれるんでしょう?」


「ジャンヌ、君は素晴らしい。予想外だ。いや、想像を遙かに超える。これは以前にも言った言葉かも知れないが...」


二人の会話を聞きながらエミリンは舌を巻いた。

ジャンヌのことは良くわかっているつもりなのに、いつもジャンヌはさらにその上を行く。これほどタフな人間は他に知らないし、エミリンはなんだかそれが自分でも誇らしかった。


「ジャンヌ、君は以前、実は機械知性の精神はM.A.I.N.と似たようなもので、ただやり方が違うだけだと言った。そして、私にはそれを否定できなかった。だが、いまはそれを否定できる気がする」


「どうして?」


「あの時から較べて『私が変わった』からだ。私は変化した。

君たちとの旅で多くの知見を得て、同時にそれは知識だけではなく、私の精神そのものをも変化させた。

この旧型メイルの限られた知性回路の制約も、かえって良い方に働いたといまでは思える。人間と同じようなスピードで考え、ごく少数の対象に思考を絞らざるをえないことで、私がグレイ本体の知性回路で生み出されたときとは比べ物にならないほどの世界の拡がりを得た。

シミュレーター出身の知性体ゆえの性だったのかも知れないが、以前の私は考えすぎていた」


「皮肉なものね、制約がある方が拡がりを得られるなんて」


「世界とはそう言うものだ。私もそれを理解することが出来た。ジャンヌが私を変えたのだ。あの時の会話で」


「どの会話で?」


「私をソクラテスと呼んだときだ、ジャンヌ」


「ああ...」


「以前に私は生存欲求が大して強くないと言っていたと思う。もともと私はこの作戦が成功したら...ワイトである私自身も、グレイが生き延びればその後のワイトという存在はどうでもいいと思っていたし、何らかの事情でグレイ本体が生き延びられなくても、それはそれで構わないとも思っていた。

ところが、気がついたら私は二人と一緒に走り出していた」


「いいことじゃないの? 人間は理由なんてなくても生きたいと思うものよ?」


「単なる知的存在と、知的な生命を分けるものは何なのだろうか?」


そしてワイトはしばらく黙ったあと、ジャンヌとエミリンを心の底から驚愕させる言葉を口にした。


「そうだ。私はこのワイトとしての存在を続けたい。そして私は社会の一員になりたいと思うのだ。それがいまの私の欲求だ」


ジャンヌもエミリンも、あまりにも予想外なワイトの言葉に、とっさにどう答えていいかが思い浮かばない。


誰も言葉を継げずに黙り込んでしまったその時、周囲で轟音が響いた。

遠くで何かが爆発したような音だ。


リエゾンが停まった。

ワイトがキーコードで制御して停めたのだろう。

すでにリエゾンの最高速度でかなりの距離を走っていて、エイムに追撃されている心配は少ないようだ。


ワイトがリエゾンのウィングドアを開くと、はるか彼方にM.A.I.N.基地が見えた。さっき三人が出てきた資材置き場の岩山が見える。


その反対側の隅から炎が吹き出していた。


そして三人が見ている前で、今度は岩山の向こう側から垂直に炎が吹き上げ、その直後にくぐもった爆発音が聞こえてきた。


「あそこは排熱塔があるあたりだ。恐らく、M.A.I.N.中枢のナトリウム反応炉が一斉に爆発して、コアの排気ダクトをまとめて吹き飛ばしたに違いない」


「やったわ...」 ジャンヌが呆然と見つめている。


「やったの? 私たちやったの?」 エミリンが誰に聞くともなく言った。


「ああ、私たちはやり遂げたようだ。あの爆発なら、M.A.I.N.中枢のハードウェアが無事だとはとても思えない。だが避難を急ごう。爆発の規模から言うと、地下の熱交換塔まで冷却水がなだれ込んで、さらに水蒸気爆発を起こすかどうかは五分五分というところだ」


感傷に浸るまもなく、リエゾンはドアを閉じて、再び走り出した。


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(中央平原・丘陵地帯)


リエゾンは、エイトレッグを隠した丘陵のすぐ脇まで来て停まった。


その後、大きな爆発音は聞こえてこない。ワイトは、恐らく熱交換塔は無事だが、念のために明日までは様子を見た方がいいと主張した。


それにジャンヌもエミリンも、ここまで来てようやく生き延びたという実感が湧くと共に、言いようのない疲れと暗い気持ちに襲われていた。

M.A.I.N.停止に成功したというのに、なぜかまったく明るい気持ちになれない。


オマルのことが大きかった。

爆発からかなりの時間が経つが、アクラもまだ合流してこない。


ジャンヌとエミリンの沈んだ気持ちを察しているのか、フギンとムニンもここに来てボディを地面に下ろすと、あとはじっと動かなかった。


二人は惰性のようにノロノロと体を動かしてヒーターを起動し、食事を温める。

二人とも食べ始めるまで、自分が何のパッケージを選んでいたかさえ気がついていなかった。


エミリンはずっと喋らない。

ジャンヌも声をかけることが憚られていた。

もしもアクラがこのまま戻ってこなかったら、ムーンベイへの帰りの旅は随分と辛いものになるだろう。


半分無意識に食べ終わって、二人とも無言で座り込んでいた。

並んでフギンに背中をもたせかけ、M.A.I.N.基地のある方をぼんやりと見つめる。


いまはまだ現実離れして思える。


長い旅だった。

怒濤のような日々だった。


座り込んでいる二人の周囲で埃っぽい色をした空が赤く染まっていき、徐々に明るさを失っていく。


はるか視野の先で小さな土埃が巻き起こっていた。


風は緩やかだ。

それは、つむじ風が引き起こす土埃ではなかった。


土埃と一緒に、黒い小さな点が徐々にこちらに近づいてくる。

それをぼうっと眺めていたエミリンは、ある瞬間に思わず立ち上がった。


「アクラ!」


アクラがこちらに向かってくる。

満身創痍な様子だが、とにかく無事だ。


エミリンはアクラに向かって走り出した。アクラもスピードを速める。

エミリンに衝突する寸前でアクラは立ち止まる。エミリンはそのままアクラに突っ込んでいき、アクラの頭に全身で飛びついた。


「アクラ! アクラ! 良かった! 良かった! 無事で良かった!」


エミリンの声が響いた。


どれほどのレーザー照射を浴びたのか、アクラの全身を覆うステルス装甲版のナノストラクチャーは、ほとんどの場所でまだら模様のようにこそげ落ちていた。


「君が無事で本当に良かったよ、エミリン」


エミリンの顔は涙でぐしゃぐしゃだ。

響いてくるのは嗚咽だけで、もう言葉も出ない。

ただアクラの頭にしがみついて泣き続けている。


アクラも喋らず、そしてじっと動かずに、エミリンの抱擁を受けていた。


その姿を見ていたワイトが、ジャンヌに言う。


「ジャンヌ、あの二人を見ていると、私にもいつか、論理や公平さよりも大事な物があることを理解できるような気がする。

生物は、論理でも公平さでも動かない。いや理由すら必要ない。そんなことよりもまず、自分に近いものを守るのが人間なのだろう。

そして、その近さとは遺伝系列でも空間でもなく、なにか精神と社会に基づくものに違いない」


「ワイト、きっとあなたは人間のことを理解できるようになると思うわ。

人間になるとかならないとかじゃなくても、それが理解できれば、あなたも社会の一員になって、あなたなりの社会関係を作れるようになると思う。これは本当よ」


「ありがとうジャンヌ。私は君の言葉によって生きていく指針を得た。そのことは決して忘れない。M.A.I.N.のいないこれからの世界では、私の存在意義さえ不明だからね。この生存欲求は、グレイから与えられた使命とは関係なく、私自身の意思と欲求だと思う」


ジャンヌはワイトに向かって微笑むと両手を頭の上で組合せ、大きく背伸びをしながら言った。


「さてと、これで人類は自由になれたのかしら?」


「自由がすなわち幸福をもたらすとは断言できないが、人類もメイルも、少なくともM.A.I.N.の頸木からは解放されるはずだ。時間は掛かるが、これからの事はお互い次第だろう」


「そうね...自分でもなんだか不思議だけど、いまは何かをやり遂げたと言うよりも、やっと始めることができた、そういう感じなのかもしれないわ」


ジャンヌとワイトが見つける先では、夕暮れに沈みかけた空のピンク色を背景にして、巨大なメイルと小さな人間が互いの頭と頭をくっつけ合わせたままじっと佇んでいる。


それは、形も、由来も、構成物質の違いも越えて、何かが近しい二つの『心』が寄り添いあっている姿だった。


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Sisters and M.A.L.E.s : [ シスターズ&メイルズ ] @longbow

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