第四十話 心のスケッチ
「あそこにむく様がいらっしゃるわ!」
「Aya、視力がいいのは雌豹並みだな」
Kouに背中をぽんと叩かれた。
照れたAyaは以前のように後ろから迫られても怒らなかった。
それは、相手がKouだからだろうか。
「Aya様にKou様。驚きました」
むくは、スケッチブックを広げていた。
2Bの鉛筆を描きかけの人物の上に置くと、二人をにこにこと見つめてほっこりと笑顔になる。
「ああ、河合亜弥様ですね。おめでとうございます」
Ayaは、ここへ来る途中に用意していたものがあったのだが、使い道を間違えてしまった。
「きゃー。ありがとうございます」
バラの花束でAya自身の顔を隠してしまったのだ。
「Aya。そのバラは何だっけ? 自分のではないよ」
「あ、ごめんなさいね。はい、年の数だけ揃っているわ」
Ayaは、花束に笑顔も添えて差し出す。
むくは、顔が固まってしまい、うっすらと涙まで湛えている。
やはりそうなったかと、Kouの顔には書いてあった。
「う……。受け取れません。これでは、Aya様のお花がなくなってしまいます。それにお花を買うお金もなくなってしまいます」
「や、やだわ。むく様……。私達、他人じゃないの。神友でしょう? 少なくとも私はそう思っているわ」
行き交う人々を描いていたスケッチブックに涙が落ちる。
Ayaが、買ったばかりのピカソのハンカチを差し出すと、むくの変化に気が付いた。
「あら? リップクリームだけ塗っているの? 桜色が似合うわ」
「アチャ。少し女の子になりたいです」
そこへ、スマートフォンが鳴動する。
「ウルフおじいちゃまですか。はい。はい。分かりました」
お辞儀をしながら話すのは、国民性だろうか。
「おー、ウルフ師匠。相変わらずタフでお元気だろうか?」
「この頃は、そんなに元気はありませんよ」
むくが小声で伝える。
「私は帰ります。もう夕方ですし、何か召し上がりますか?」
「いいわね。手紙に書いた通り、腕を振うわ――」
Ayaは、話すトーンが落ちたかと思うと、顔を上げた。
「むく様? 『私』! 『私』と仰りませんでしたか? ご自身のことを……!」
むくは、シャンゼリゼ通りのレモン色の風に吹かれ、髪をさらさらと流しながら微笑む。
「はい、『私』です」
Ayaは、むくがスケッチブックを落すのも構わずに、抱きしめた。
「むく様――!」
Ayaは、むくの頬を涙で濡らした。
――その日から暫くは、むくのスケッチ旅行を共にした。
◇◇◇
Ayaは、神友との別れの朝に、母との別れを思い出した。
切なくて、何ともいいようのない無情さ。
しかし、そのお陰で李家で仕事をすることになり、Kouとも出会えた。
巡る四季の中で、この夏のしぶとさは忘れられない。
むくの崩壊とそこからの立ち直り。
Kouが、どんな形でもいいからAyaを愛してくれたこと。
そして、AyaもKouに気を許せるようになったこと。
恋が愛へ――。
Ayaの恋も愛へと季節を変え、色づく葉が美しい。
……それは、心の色だから。
むくが描いてくれた、『AyaとKou』を胸に抱く。
「さあ! Kou、新しい仕事よ!」
Fin.
さらば孤高の黒龍、Aya いすみ 静江 @uhi_cna
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