第三十九話 AyaとKouの糸

 二〇三三年十月、表は、偶然の雨が降っている。


 Ayaは、自前のストラディヴァリウスに弓をつがえた。


「Kouがバッハの中でも好きなのを」 


 Ayaは、『G線上のアリア』を奏で始めた。


 Kouは、クッションのきいた白いソファーでワインをいただく。

 Ayaの指使いとボーイングが調べに華やかさを与える。

 弓に与えた松脂がリズミカルにKouへと届く。

 一緒に暮らして以来、Ayaは寂しさの生まれ変わりの恋をなくした。

 恋は愛となり、やわらかくKouを包みたいと思うようになった。


「バイオリンのせいではない。いい音色だ」


 KouはAyaを見つめた。

 Ayaは、透き通った肌をよく隠す。

 今まで、黒以外をあまり身にまとわなかった。

 しかし、ウエディングドレスを着せたら、髪を短くしたせいもあってか、白くうねる海のようだった。

 

「妹が艶っぽいって、犯罪だよな」


 Kouがひたっているのは、調べではない。

 可愛いAyaにだ。


「兄さんとは呼びたくないの」


 Ayaが肩でバイオリンを支えたまま、すっと視線をKouにやる。


「私達、お仕事していないわね」


 独奏は美しく盛りを得ていた。


「情報屋をしていて、結婚なんて考えたことなかったな」


「もうお年頃の二十二歳よね。うふ」


 小悪魔に笑う。


「Aya、年齢は内緒だ」


 Kouは、ロゼを一口いただく。


「ヴェローナの外は雨だ。静寂の中聴かせて欲しい」


 『G線上のアリア』が、叙情的にAyaのまごころを突き動かし、熱情を上げていた。


「この街の暮らしはいいわ」


 Ayaは、弓を柔らかに終え、ヨハン=セバスティアン=バッハの『G線上のアリア』をKouに贈った。


 AyaはKouといつまでも一緒にいられないのを知っていた。

 いつだってそうだ。

 こんな甘い時間は過ごせない。


「Aya。むくさんがパリにいるが、行くかい?」


 弓は張りすぎてはいけない。

 松脂も丁寧に塗って、バイオリンケースにしまう。


「ノーと言う訳ないわ」


 Ayaの黒髪を揺すった姿を見てKouは思った。


 髪を伸ばす前のむくのようだと。



 AyaとKouは雨の日に際遇して来た。


 表は再び、にわか雨が十月の地面を濡らしている。



 ――Ayaは、あの出逢いに不思議な感覚を感じる。

 

 それが、全ての始まりであり、永遠の愛となる。


 もう、『孤高の黒龍』ではない。



 Kou、Kouがいる……!



 ――だから、Ayaって、その甘い唇から呼ばれたいの。






『Ayaさん、初めまして。僕はKouです』



 Ayaより年上の男の子。

 初めてなのに、似た匂いを感じた。



『お仕事の依頼があります。僕と仲良く働きませんか?』

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