第2話 竜を待つ砦

 大地が割れる音がする。

 たくさんの人間の悲鳴と怒号のやかましさに目を開けた。

 でも今日は非番。一切合切関係ナシ。一体何人がこの砦に帰ってくることだろう。

 赤黒い飛竜が灰色の空を行き交う。羽ばたきの音がするたびに、隙間風吹く窓が軋む。このぼろくさい建物なんて、積み上げた石といっしょにバラバラ事件。とうとう何個めかの根城を失うのではないかと不安になってしまう。

 今回のメンツは新人さんが多かった。元気こそ有り余っているようだったけど、やっぱり実践というものは経験が物を言う。自信たっぷりにここを出たのに、ずいぶんと苦戦しているようだった。様子が気がかりになって、寝床から這いだした。お気に入りの頭巾フードをすっぽりかぶって、のそのそと窓の外を見た。

 ところどころに亀裂きれつの入った荒野に、ひとりふたりと大きな翼に叩かれて空に踊る。真新しい鎧の銀色の輝きがひいふうみいよ。尾っぽと遊んでいる場合ではないだろうに、ぴょんぴょん飛び跳ねる新人さんたち。だいたい尾には毒があるから危険な場所だしまず離れよう。

 幸い相手は竜といっても亜竜種だし、サイズは人間の三倍ほどで動きは遅い。飛び道具で落としさえすれば、新人さん向きの当てやすい的だ。第一あれだけの人数で臨んでこうも手間取っていては、彼らもきっと出戻り組だ。もっとも生き残れなければ出戻りすらできない。

 竜退治において、個人主義ではどうにもならない。おとりに誘導、支援にわな。彼らは賢いので、こちらもそれなりに知恵を絞らなければ歯が立たない。だけど要領さえわかればなんとかなる。

 なにせ新人さんというものは当然段取りがわかっていない。自分たちより大柄な獲物との体格差に怖気づいて実力も出せないし臨機応変にも動けない。だから、ベテランさんの的確の指示が肝要になる。でもこの惨状を見るに、優秀な統率者トップには恵まれなかったらしい。もう壊滅寸前だ。最近ついぞ人の出入りが激しいので、仕方がないことかもしれない。

 そんな景色が見える窓は千客万来で、みな一様に不安そうな顔で見守っている。広間でくつろぎながら武具の手入れに勤しむひとも、食事をするひとも、外の様子に不安を覚えているらしかった。だって彼らがたおれたあとの尻拭いをするのは、間違いなくここにいるメンバーなのだから。

 ふいに鈍い音がした。とうとう全滅かともう一度窓の外を注視する。だがそこに、先程はいなかった人物が立っていた。

 砂塵さじんに舞うのは、ひとつに束ねた美しい黒髪。衣服も鎧もすべて真っ黒だった。そのすらりとした後ろ姿が、身の丈ほどの槍を構える。

 飛竜が黒ずくめの槍使いさんを捉え、旋回したのち襲いかかる。とっさに数少ないベテランさんたちが弓や銃で気を散らす。竜の意識が散漫になったところを、逆鱗げきりんに槍を突き刺さした。命中に絶対の自信がうかがえる投擲とうてきは、見事そのもの。竜退治のお手本といっていい手際の良さだった。

 ついに飛竜は最後の断末魔をあげる。

 それを合図に、ようやく窓辺から野次馬が散って行った。



 玄関口に、めずらしく人が集まっている。みな考えていることは同じらしく、恐らく目当ては先程の黒ずくめの槍使いさんなのだろう。

 ほかの人はどうか知らないが、なんとなくこの砦に不釣り合いな品行方正なやり口が気にかかった。実践で培った技量というより、枠にはまった形式的な仕留め方をする人間が、なぜこんなところに来たのか。出所こそ予想はつくが、理由が気にかかった。

 果たして、槍使いさんはそぞろに帰ってきた生存者たちの陰に隠れるようにひっそりと入ってきた。顔を覆う兜に全身を鎧に身を包んでいるため、性別の判断がつきづらい。いくらか視線を彷徨さまよわせたあと、この砦の事務仕事を請け負うおばさまのところへ向かった。いよいよ本格的にこの砦に滞在するつもりらしい。

 ここの人たちは基本的に人見知りがはげしく、新入りに厳しい節がある。だが腕の良い人間に対しては好意的だ。もしかすると、先買いで組みたいと申し出る人間もいるかもしれない。集団と呼べる派閥こそないものの、何人かで組みになる傭兵もいる。むしろその逆で個人主義者もままある。どういうふうに砦の中の社会が変化するのか、じっくりと検分しようと遠巻きに見ていた。

「カノ!」

 不意に、事務のおばさまに名を呼ばれる。この砦に、カノはわたしだけだ。

「カノ、さっさと来ないか」

 ちなみに事務のおばさまは、この砦の食事の管理もしている。作るのは調理員だが、献立は彼女の気持ちひとつで豪勢になるか貧相になるかが決まる。機嫌を損ねるわけにはいかない。

「はあい」

 小走りでおばさまの事務机に向かう。

 近くで見ると、見上げるほど槍使いさんは背が高かった。腰の位置が恐ろしく高く、手足が長い。

「おまえがこの砦のことを教えてやりな」

「ほ?」

「まぬけな声を出すんじゃないよ」

 なぜわたし。たしかに新参ではないけど古参でもない。ほかに世話焼きな人間なんかいくらでもいるだろうに。

 しかしおばちゃんは忙しく書類を抱えて地下へ向かった。砦の責任者のところに提出しに行ったのだろう。あまりにも丸投げが過ぎる。わたしもどうしたらいいかわからないし、槍使いさんだって困っているはず。ひとまずご挨拶だろうか。

「えっと、カノです。とりあえず、さっきはおつかれさまです」

 すると槍使いさんがおもむろに兜をとった。

「ありがとうございます。私はスウと申します。以後よろしくお願い致します」

 ひとめですべてを承知した。これはほかの人間に世話を任せられないだろう。

 物凄い迫力の美女だった。まっすぐの黒髪に、緋色ひいろの瞳。睫毛が長くて神秘的で、吸いこまれそうになる。

 むさくるしい男所帯のなかに放つのが忍びない。というより、同じ女と名乗るのも恥ずかしくなる。けれど、お互い女同士には変わりない。

「もー、美人すぎてびっくりしちゃった。美女ですって自己申告してから顔出してほしかったなあ。心の準備がいるよ、その顔は」

 笑いながらいうと、スウさんは破顔した。

「それは失礼しました。可愛らしいあなたにそういって頂けるとは光栄です」

 笑顔がまぶしい。社交辞令でも、美女にそんなことを言われると照れてしまう。

 思いがけないうるわしの風貌ふうぼうに、周囲がざわめきだした。腕前を見込んで声掛け待機していた傭兵たちが色めき立っている。だがちらりとスウさんが一瞥いちべつすると、彼らはしんと静まり返る。歴戦のベテランさんたちも美女には形無しだ。

「じゃ、スウさんがナンパされちゃう前に、かるく建物案内するね」



「ってかんじだよ。なにか、気になることあるかな?」

 この砦における一通りの生活の場、業務で使用する要所の案内を終えた。

「充分です。また、なにかあれば話しかけてもよいでしょうか?」

 いちいちお上品だなあと苦笑しながらうなずくと、とても嬉しそうに彼女は笑う。

「いつでもどうぞ。ところでもしかして、スウさんは騎士学校出身かな?」

「よくわかりましたね。そのとおりです」

 尋ねると、隙のない笑みがかえってくる。よくわかるもなにも言葉遣いも所作も、綺麗すぎるのだ。それだけに、さらなる疑問が湧く。

「そんな綺麗な顔で腕も教養もあるひとが、なんでまたこんなとこ来たの? ここ、毎日命懸けだし、いまや世界でいちばん物騒なとこだよ。もっといいお勤め先あったんじゃない?」

 騎士学校の名は高い。世界中の身分と実力を持った少年少女が各王家や貴族に仕える前に通う精鋭の学校だ。そこでは知識と体術だけではなく、騎士としての倫理観や忠誠心を叩きこまれるらしい。世界を支える守護者たらんと育成された人間は、やがて歴史と伝統ある華々しい騎士として羽ばたいていくことが約束される。

 一方この砦といえば身分も人格も問わない。実力がすべてで生き残ためになんでもできる人間だけが生きていける。いわば対極に位置する無法地帯に近しい場所。割り当てられる仕事も危険が多く、日々生きるか死ぬかの瀬戸際ばかり。

「それらは、すべて蹴りました。何事も困難な道の先にこそ幸福が待つ、という母の教えです。最初はこれまで身につけた常識が通用しない場で揉まれ、どん底を経験し、実践を積むほうがよいと勧められまして」

 どん底とはずいぶんな物言いだが、この笑顔の前ではなにも言えない。

 たしかにこの砦はどの場所よりも苛酷で、腕を磨くにはこの上ない。磨く前に倒れる者が大半だが、彼女はそこそこの腕前を自負しているからこそ選択できたのだろう。しかし〝母の教え〟というだけで、この地へと滞在する決意をしたというのだろうか。

「そのお母さま、すごいね。借りにも女の子に厳しくできるなんて」

「いえ。母は世界一私に優しい。愛ゆえの厳しさです。父とは違います」

 前後の言葉には、同一とは思えないほどの温度差があった。どうやら父親とはあまり仲がよろしくないらしい。

「ところで、カノさんこそなぜこの砦におられるのでしょうか?」

 彼女にとって、ここに来た理由はそれ以上でもそれ以下でもないらしい。話は終わりとばかりに矛先が向けられた。

「ここがわたしの居場所だからだよ」

「こんな危険な場所が?」

 すこしだけスウさんの目が厳しくなる。それはたぶんわたしにではない。

 けれど品のいい彼女は初対面の人間に不躾ぶしつけに立ち入ることはしない。だいたいこのような場所にいる人間は、一般の枠に嵌らない者が大多数だ。

「最初はね、良い森があったんだ。でも竜に襲われて、焼け野原。また次の土地も、その次も、みんな不幸な事故に見舞われて、転々転とこの砦にきたわけ」

「それは……」

 痛ましげな視線がつらい。振り払うように明るくつづけた。

「だいじょぶだよ! わたし、これでも強くはないけど弱くもないから。傭兵ってのはここにきて初めてのことだけど、そこそこ楽しくやってるよ」

 スウさんは目を剥いた。目がデカいから、迫力がすごい。

「嘘はいけません。そんな貧弱な手足で、無頓着な体運びで、戦いのたの字も知らないような能天気そうな顔で、傭兵などありえません!!」

 率直すぎる言葉が容赦なく刺さる。悪意のないことがありありとわかるだけに、性質が悪い。

「能天気はともかく、貧弱って……傷つくなあ」

「それは失礼しました。ですが、そんなか弱い姿と愛らしい顔で戦場をうろつくものじゃありませんよ」

 ……もしやサイズ的な問題だろうか。小動物とか子どもを見て可愛いという感覚というのなら、納得できる。

 不審なまなざしを向けると、スウさんはすこし顔を赤らめた。なんで。

「いやその……。単純に私のタイプなんです、。丸くてぽちゃっとした顔の輪郭とか色の白さとか、すこし、母に似ていて」

 こんな美人なのにマザコンかあ……。

 そんな節は感じられたが、母に似ているとはどう反応したものか。美人なスウさんの母と似ていると言われるのは気分の悪いものではないが、ともすると。

「残念ながら、私は物凄く父似で……」

 本気で悔しそうにスウさんは拳を握った。それだけ美人に生まれたのなら父に似ようが母に似ようがどちらでもよい気がする。

「でもわたし、スウさんの顔すきだよ」

 笑うと、この上なく嬉しそうにスウさんの顔がゆるんだ。そんなにも大好きなお母さんの顔に似ているのだろうか。複雑だ。

「なんと光栄な……! 今後は私があなたの騎士となり、何者からも守りましょう」

 大袈裟なことだが、美女に好かれるのは嬉しい。それに、彼女はネジがはずれていても腕は確かだ。応用が利くかどうかはわからないが、柔軟な対応はわたしの得意とするところである。言葉どおり世話になる気はさらさらないが、現場における数少ない女同士で組むのもいいかもしれない。

「じゃあ……わたしも。できる範囲でスウさんのこと守ったげる」

 差し出した手が、力強く握られる。なるほど、硬いてのひらは戦士そのもの。

 納得するわたしに対し、スウさんは首を傾げた。

「愛らしいてのひらですが……やはりせません。よくこの戦場で生き残ってこられたものです。あなたの手は、いくさを知らないものに見える」

 どう説明しようかと悩んでいると、

「それはそうさ。そいつの戦い方は、この砦では異質だからな」

 声が降ってきた。

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great mother 至 観希 @miruki

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