棒が二つあって割れるやつ

牛屋鈴子

おっさん

 ゆうくんが死んだ。

 少年が学校に着いて朝の時間が始まると、先生が重々しい口調でそれを話した。

 少年にとって、ゆうくんはただのクラスメイトだ。話したことも無くて、友達がいるのかどうかも知らない。

 それでも、少年の小さな世界の中で誰かが死んだのは初めてのことで、少年は動揺した。

 人は死ぬのだと、初めて理解した。

「ねえ、先生。あれ、どうするの?」

 少年が、教室の後ろを指差して問いかけた。教室の後ろでは、少年のクラスメイト達の『夢』が記された紙が、一枚一枚、人数分飾られている。ゆうくんの夢は、『お菓子屋さん』だ。

「さぁ、どうするのかしら……きっと親御さんが決めるわ。ここに残すか、家に持ち帰るか」

 ゆうくんの親次第では、あの紙はこの教室に残り続けるのか。

 少年はそう思うと、なんだか気味が悪くなった。



・・・



 学校が終わり校門を通ると、少年は一人のおっさんに話しかけられた。

「アイスあげるから、おっさんに付いておいで」

 少年は黙って頷き、おっさんの後を歩いた。そうしてしばらく二人で歩いた後、おっさんがおもむろに口を開いた。

「……知らない人に付いてっちゃ駄目って、習わなかったか?」

「習った。でも、本当に悪い人なら、『アイスあげるから』なんて分かりやすい事言わない。だからおっさんは悪い奴じゃない。だから付いて行ってもいい」

 少年がそう、淡々と語った。

 それに少年は今日、危ない事をして、ドキドキしたい気分だった。賢い言い方をするなら、自分が生きているという実感が欲しかった。

「うーん……そういうのは今日だけにしとけ?やっぱ色々物騒だからな」

「……ん」

 少年は、了解とも拒否とも取れない、曖昧な相槌で返した。

「それに、寄り道したらお前の親も心配するだろ」

「お父さん居ないし、お母さんは……帰ってくるの遅いから」

 少年は、『ただいま』と言った事がほとんどなかった。少年が母に言う台詞は、いつも『おかえり』だった。

「……そうか。そういう家も、あるか」

 そこから、目的地に着くまで二人は何も喋らなかった。



・・・



「ここで待っててくれ」

 とある小さな公園のベンチに少年を座らせると、おっさんは向かいの駄菓子屋に入っていった。そしてアイスを買って来た。棒が二つあって割れるやつだ。

 おっさんは少年の横に座り、手慣れた手つきでそれを割った。アイスは歪な形になることなく、綺麗に二つに割れた。

「ほら、約束のアイスだ」

 二つに割れた片方が、少年に手渡された。

「ん」

 少年は短い相槌で、それを受け取った。

 またしばらく、二人の間に沈黙が流れた。

 そして、少年がアイスを半分程食べた頃、おっさんはアイスを全て食べ終え、滔々と語り始めた。

「おっさんな。息子が死んじゃったんだ」

 それを聞いた少年が、アイスから口を離した。

「もしかして、おっさんの息子って、ゆうくん?」

「お、なんだ。ゆうの知り合いなのか?」

「うん……同じクラスだった。話したことないけど」

「そうか……」

 おっさんは、下を向いた。

「おっさんの家は、貧乏でな。ゆうには、カードやら、ゲームやら、何にも買ってやれなかった。『遊園地に連れてってくれ』って何度ねだられたっけな……子供には分かんないかも知れないけどな、あれは『ダメだ』って言う方も辛いんだ」

 おっさんが少年に顔を向ける。少年は、今までに母にねだって来た物を、思い返していた。

「……諦められて、何にもねだられなくなる事の方が、俺には辛かったがな。……結局連れてってやれる所なんて、こんな小さい公園が精々だ。買ってやれる物も、この安っぽいアイスだけだった」

 おっさんは、アイスの棒を強く握りしめた。

「俺は……ゆうに何も、父親らしい事をしてやれなかった……」

 おっさんは涙を流さなかった。けれどその顔は、少年が見てきたどんな表情よりも、悲しかった。

「そんな事、ないと思う」

 気付けば、少年は立ち上がって、口は勝手に動いていた。

「どうして……」

「だってアイス、美味しいし」

 少年はアイスが美味しい事をおっさんに伝えようと、アイスの残り半分を一口に頬張った。口の中が一気に冷たくなって、頭がキーンと冷たくなったけど、我慢した。

「……そうか……」

 おっさんは少年の言動を見て、憑き物が落ちたような顔をした。その顔を見て、少年はベンチに座り直した。

「教室の後ろにさ、夢を書いた紙があるんだ」

「あぁ、授業参観の時に見たよ」

「あの紙さ、おっさんがどうするか決めるんだって。教室に残すか、おっさんが持って帰るか」

「うぅん……どうしようかなぁ……」

 おっさんが迷った声を出した。

「捨ててよ。あれ」

 少年は、スパッとそう言った。

「『お菓子屋さん』を目指してる奴はもう、クラスにもおっさんの家にも居ないから」

「……そうだな」

 そう答えると、おっさんは勢いよくベンチから立ち上がった。

「うしっ!じゃあな。ありがとう。もう知らない奴に付いて行くんじゃないぞ」

 そしてそのまま公園から出ていった。途中、強く握りしめていたアイスの棒を、なんでもないように捨てていった。

 おっさんが公園から出ていった後、少年は自分のアイスの棒を見つめた。本当は、思い出として残しておきたかったけど、少年もなんでもないように捨てる事にした。

 このアイスの棒を思い出にしていいのはおっさんとゆうくんだけだし、今更これに特別な意味を込めても、それこそ意味のない事だからだ。

 そして少年も家に帰り始めた。まだお母さんは帰ってきていないだろうけれど。

 もしも自分が居なくなったら、お母さんもおっさんみたいな悲しい顔をしてしまうと思うと、先に帰って毎日『おかえり』と言ってやるのも、悪くないなと思った。


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