第1夜――かぐや姫はお金を稼ぎたいようです。


――1


「なぁなぁ、なつー。お金って、どうやったら稼げるんだろうな」


「頑張って働いたら稼げるんだよ」


「いやいや、そういうのじゃなくてさ。なんかこう……一発でどかーんって!! ぎゅどーんって!! そういうの」


「ねぇよ。少なくとも、月の世界のお金をどかんと稼ぐ方法なんて、僕は知らない」


 大学に通うと共に、古郷を抜け出し都会である東京の古びたアパートへと引っ越した。1LDKのこのアパートで、僕は一人暮らしをするのだと意気込んでいたのだが、それはたった三日で終わってしまった。


 その理由は、こいつ。

 リビングに置かれたソファに寝転ぶ、見慣れない着物を着た美少女――竹取かぐやのおかげで、僕の一人暮らしライフはすぐにその幕を閉じたのだった。


 こいつとの出会いは、最悪だった。


 大学の新人歓迎会で帰りが遅くなってしまった僕は、終電ギリギリの電車に乗って帰ることにしたのだが、その時、こいつは――かぐやは駅の改札で白い小さな石ころを売りさばいていたのだ。

 

 その価格は、150ムーン。

 もう一度言う、150ムーンだ。


 それを何かの冗談だと思い込み、僕は150円を手渡し、その石ころを手に取った。


 しかし、かぐやはそれを確認すると、その態度を一変させた。

 まるで詐欺師のように、言葉巧みに僕を追い詰め、代金が払えないのならその対価を払えと要求した。


 そしてその結果、僕はかぐやを部屋に住まわせることになったのだ。


 かぐやはどこからどう見ても幼女……いや、少女の域を超えないただの少女で、すなわち――未成年だった。


 ということで、僕は未成年の少女を家に住まわせるロリコン――さらには児童誘拐の容疑をかけられてもおかしくない立場にいるのだった。


「知らないなんてさ、そんな冷たいこと言わないでよぉ。このままだと、かぐやは月に帰れないんだよ? それで困るのは、なつだって同じでしょー?」


「うっ……まぁ、そうなんだけどさ……」


 かぐやの目的は、月に帰ることだという。

 もう一度言う、月に帰ることなのだ。


 かぐや曰く、かぐやは月の世界のお姫様で、地球には観光で訪れたらしい。

 そして、3月15日の夜――月から迎えの使者が来るはずだったのだが、なんでも使者の奴らが寝坊したとかで、迎えは来なかったのだという。


 しかし、かぐやは諦めなかった。

 地球人には知られていない、月に向かう秘密の電車が実は存在していて、それに乗って自ら月に帰ろうとしたのだとか。


 だが、かぐやのその計画は失敗した。

 その理由は……


「いやぁ、まさかあれがラーメン屋の券売機だったなんて、びっくりだ」


 そう、電車の切符を買おうと思い、券売機にお金……かぐやの場合はムーンという単位の月の世界のお金を入れた所、何故か券売機からは『とんこつラーメン』と書かれた小さな紙切れが出てきたのだという。


「びっくりだ……って、普通間違えるか、それ」


「まぁ、その時かぐやは物凄くお腹が空いていたからな。無意識にラーメン屋のよい香りに誘われて、大好物のとんこつラーメンを注文していても、おかしくはないだろう」


「いや、おかしいだろ。なに正当化してんだよ」


 そんなおかしな経緯で終電と有り金を全て失った自称かぐや姫は、手に持っていた唯一の財産……月の白い石(餅つきのウサギ兄弟のサイン入り)を売ることを思いついた。そして、僕に出会ったのだ。


 まったく、そんなもの、信じられる訳もない。

 月に生物なんているわけがないじゃないか。


 例え、百歩譲って生物が居たとしても、こいつではない。

 だって、月の住人が電車で月に帰ろうとするか? ありえない。


 だが、かぐやをただの人と思えない出来事は、何度か経験していた。

 その内の一つが、かぐやの持っていた白い石が、突如巨岩のように重くなったこと。


「かぐやの能力を使えば、お金儲けなんて簡単だと思うんだけどなぁ……例えば……へいっ!! ぱすっ!!」


「んっ、だから……食べ物を宙に浮かせて投げるな。ここは宇宙船の中でも無重力でもないんだぞ」


 そう、かぐやは物の重力を操ることが出来るのだ。


 それを証明するように、かぐやはよく、食べ物を僕に投げつける。

 今も、かぐやは僕にパンの耳の部分だけを投げつけた。


 しかし、そのパンの耳は重力を無視するように、ゆらゆらと宙を舞い、僕の元まで飛んでくるのだ。


「まったく、パンの耳を残すんじゃない。勿体ないだろう」


「勿体ないから、わざわざかぐやの特殊な能力まで使って、なつに届けたんですけど。パンの耳だって、美味しく食べてくれる人に食べられた方が、絶対嬉しいもん」


「はぁ、正論っぽいこと言ってんじゃねぇよ。全然意味わかんねぇから、それ」


 まぁ、その特殊な能力を見て、僕はとても驚いたけれど、今ではもう見飽きてしまって、当たり前の光景となっていた。

 慣れって怖いですね。はい。


 まぁ、僕がその特殊な能力に動じなくなってしまったことは置いておいて、重要なのは、かぐやがただの頭のおかしい家出少女ではなく、特殊な能力を使うことの出来る頭のおかしい少女だということである。


 ただの頭のおかしい少女なら、僕はきっとかぐやをすぐに警察に預け、後を任せただろう。けれど、かぐやは特殊な頭のおかしい少女だった。

 

 なので、おいそれと他人に任せることは出来なかったのである。


 考えたくはないが、この能力を悪用する人間がいるかもしれない。

 考え過ぎかもしれないが、科学者達の怪しげな実験材料にされてしまうかもしれない。


 そんな僕の正義の心と、ほんの少しの好奇心が混ざり合って、僕はかぐやを自宅にて保護することにしたのだった。

 決して、自身より遥かに年下の少女に、びびったわけではない。

 餓死するまで宙に浮かせ続けるぞ。なんて脅しに屈した訳でも、決してないのだ。


「はぁ……なにかいい方法はないものか……」


 そんな謎の多い少女である竹取かぐやの最近の悩みというのが、楽してお金を稼ぐ方法が見つからないということらしい。

 なんとも最近の若者らしい発言だが、こいつの場合は少し違う。


 そう、かぐやが稼ぎたいのは、円ではなくムーンだ。単位が違うのだ。


「だから、ムーンとやらを稼ぐ方法なんて無いって。ただでさえ、僕はそのムーンという単位のお金を持っている人を見たことがないし、地球に住むという隠れ月の住人も知らない」


「月の住人なら、あまる程居る筈なのだが……」


「ふーん、ちなみにどれくらい?」


 興味本位で聞いてみた。


「うむ、ざっと地球の人口の九割が月の住人だぞ」


 残念、聞かなければよかった。


「多すぎだろ!!! それだと、地球は第二の月になっちゃうじゃないか!!」


「おぉ、確かにそうだな。かぐやが月に帰ったら、さっそくそう呼ばせることにしよう」


 どうやら、僕は残された数少ない地球人らしい。

 が、まぁそんなことはどうでもよくて、問題は何も解決していないのだ。


 かぐやはどうにかして、ムーン――具体的には300ムーンを稼いで、毎夜終電の時間に出発するという、月行きの電車に乗らなければいけないのである。


 なんだかファンタジーな話だが、かぐやがそう言い張るのなら、付き合ってやらなければしょうがない。いつまでもこいつと二人暮らしなんて、御免だ。


「というか、なつ。今日はダ・イ・ガ・クという所には行かなくていいのか? いつも朝遅くから支度をして、気怠そうな顔で向かっているではないか」


「朝遅くじゃなくて、朝早くな」


「いやいや、かぐやは月の住人だからさ。朝遅く寝て、夜遅く起きるのだ」


「結局遅寝遅起きじゃねぇか。かぐや姫っていうぐらいなんだから、生活習慣に気を配れよな」


 というか、月に朝とか夜という概念があるのだろうか。

 地球からは、朝は太陽――夜は月が見えるが、月から月は見えないだろうから、月の夜とは、いったい……と、そんな考えても意味のないことはいい。


 問題は、かぐやのその遅寝遅起きの生活習慣の方である。


「だいたい、お前いつも夜中に起きてきて、リビングでカチャカチャカチャカチャゲームばっかしやがって、眠れねぇんだよ」


「おぉ、それはすまなかったな。これからはゲームはやめて、実況動画を見ることにしよう」


 かぐやは、地球の電子機器をとても気に入っているようであった。

 

 元々僕のものだったゲーム機、タブレットやノートPCまで、今ではそれらを使っているのはかぐやなのだった。

 まぁ、僕はあまりゲームをする方ではないし、タブレットやパソコンも使わないので、それはいいのだが。


 問題なのは、かぐやのそれらの機器の使い方である。


 月の住人を名乗るにしては、妙に慣れた手つきでそれらを操作し、時に三台を同時に使いこなし、ゲームやら動画視聴やら、好き勝手やっている。


 僕と話している今でさえ、なにやらタブレットを使いとある動画投稿サイトに投稿されている動画を食い入るように見ているのだ。


「まぁ、別に僕はそういう趣味を否定するわけじゃないけどさ……節度ってもんがあるんじゃないか? 人と話す時ぐらい、タブレットを置いて僕の目を見て話せよ」


「ん? なつがそう言うのなら、かぐやは別にそうするけれど。ほれ、これでいいのか?」


 言って、かぐやはタブレットをソファに置き、僕を見た。


 あどけない表情を浮かべ、僕の目を真っすぐに見た。


「お、おう。それでいい……」


 正直に言うと、かぐやはとても可愛かった。

 月のお姫様であるかはともかく、由緒正しい家計の娘だと言われれば、その見た目だけなら僕はすぐに信じてしまっただろうという程に。


 少し火照ったきめ細やかな頬に、幼さの残るまん丸の瞳。

 美しい黒髪を、後ろに長く伸ばし、前髪は眉の少し上で平行に切りそろえられている。


 かぐやがもし、もう少し成長すれば、きっと絶世の美女と呼ばれること間違いないだろう。


 なので、僕はこの時、少し照れてしまったのだった。

 かぐやが僕と生活を共にしておよそ一月が経過したが、こんなにまじまじと見つめ合うことなど、今が初めてだったし、なによりかぐやの性格から、あまり一人の女の子として見てきたことはなかったから。


「ふふん、こうして見つめ合っていると、少し照れてしまうなっ」


 そうしてはにかむその表情も、年相応に可愛らしくて、そう思ってしまった自分自身にどこか腹が立った。負けた気がしたのだ。


 なので、僕は話題を変えることに決めた。

 自分から言い出しておいてなんだが、かぐやから目を逸らし、冷蔵庫の中身をチェックする素振りを見せ、何気なくだ。


「まぁ、それはいいとしてだ。大学の話だけどな、今日は行かなくてもいいんだ。大学生は、自分で休みを作ることの出来る素晴らしい特権を持っているんだ」


「なんと! それは素晴らしいな!!」


 とは言ったが、それは単なるサボりだった。

 自主休校という名の、ズル休み。


 まぁ、今日の授業は出席を取るタイプのものではないから、休んでも特に害はないのだ。ただ、僕が授業に遅れるだけだ。


 しかし、勘違いしてもらっては困るのだが、僕は別に、大学に行くのが面倒くさいから、自首休校という手段を選んだわけではない。

 そう、僕にはちゃんとした目的があったのだ。

 今日僕には、どうしてもしなければならないことがあった。


「ほう、カ・ラ・オ・ケ……とは、なんだ?」


 そう、僕は今日どうしても、カラオケに行かなければいけなかったのだ。


「カラオケっていうのはな、好きな曲を好きなだけ歌うことの出来る、素晴らしい場所のことだよ」


「ほぉ、ではなつは、そのカラオケに歌を歌いに行くのだな」


「そういうこと」


 僕は昔から歌うことが大好きで、もはや中毒にまでなっていた。

 なので、定期的にカラオケなりで思いきり歌を歌わないと、過度なストレスに襲われ、体調を崩すことまであるのだ。


 なので、僕のこのカラオケ休暇は、自身の体調管理も兼ねた、しなければならないとても大切なことなのだ、

 別に、退屈な大学の授業をサボる為の口実ではない。

 これは、授業をきちんと受ける為に必要な工程なのだ。


「ほうほう。かぐやはそのカラオケとやらには行ったことはないな」


「まぁ、存在すら知らなかったみたいだし、そりゃそうだろうな」


「うむ…………そこでな……なつ……かぐやから一つ提案があるのだが……」


「一緒に行こうってんなら、お断りだ」


「むむっ?! どうしてだ?!」


 僕は、カラオケのマイクを他人に取られるのが大嫌いだった。

 これだけ聞くと、僕は大層自己中心的な人物だと思われるかもしれないが、別にそんなこともない。

 何故なら、集団で行くカラオケと、一人で行くいわゆるヒトカラで、僕はその歌い方を変えるからだ。

 

 集団なら、みんなが盛り上がることが出来、尚且つメジャーでみんなが共有して楽しめる曲を歌い、他人が歌っている時は、積極的に盛り上げる。

 ヒトカラなら、誰の目を気にすることもないので、ひたすら自分の歌いたい曲を好きなだけ歌うのだ。


 僕が定期的に行う、ストレス発散を目的としたカラオケは、後者のヒトカラの方。

 なので、今日は他人を連れて行くのは嫌だったのだ。


 それが例え気を使うことのない、同居人の少女だとしても、僕は許せない。


「また次の休みにでも連れてっていってやるから、今日は我慢しろよ」


「いやだっ!! 今日がいい!!」


「なんでだよ。次の休みって、明後日だぞ。すぐじゃないか」


「いやだっ!! 思いついたらすぐ行動!! それがかぐやの行動スタイルなのだ!!」


 ソファの上で駄々をこねるかぐやは、そう言って大きな声で文句を垂れ流していた。

 

 思いついたらすぐ行動。

 確かに立派なことだが、今回の場合、それは単なる我儘だろうに。


「我慢しろよ。それとも、どうしても行きたい理由でもあるのか?」


「あるっ!! 前からどうしても歌いたい曲があったのだ!!」


 言ってかぐやは、ソファの上に転がるタブレットを拾いあげ、なにやら操作を始めた。そして、よくかぐやが見ている動画投稿サイトを開き、ある一つの動画を開き、僕にその画面を見せた。


「これっ!! かぐやのお気に入りの曲なのだ!!」


 見せられたのは、とある新人シンガーソングライターのデビューソングのPVだった。


「あぁ、星宮灯ほしみやあかりか」


「なぬっ?! まさかなつ、あかりんのことを知っていたのか?!」


「まぁな。僕がまだ高校生だった頃、地元のライブホールで何度か。確か星宮灯……」


「あかりんっ!!」


「あぁ……そのあかりんが僕の一個上のお姉さんで、なんか親近感が沸いてさ、たまに見に行ってたんだよ。いつの間にかメジャーデビューしてたんだな。びっくりだ」


 言って、僕はかぐやの持つタブレットを取り上げ、ポッケからイヤホンを取り出し、タブレットに差し込んだ。

 そして、タブレットに映し出されるそのPVを再生した。


 僕は曲の世界に入りたい時、こうしてイヤホンをして周りの音をシャットアウトするのだ。じゃないと、曲に集中出来ないから。


「おぉ、歌、上手くなってる」


 イヤホンから聴こえたあかりんの歌声は、あの頃よりも数段上手くなっていた。

 そりゃ、ライブ会場での生歌と、スタジオで録音し編集された音源では完成度は違ってはくるだろうが、それでも尚、こう心にずどんと来るというか……体の芯をするりと通り抜けるような……そんな綺麗な歌声になっていたのだ。


「いいじゃないか。うん、気に入った」


「だろう!! かぐやも初めて聴いた時は身が震えたぞ!!」


「うん、いい趣味してるよ。僕も感動した」


 かぐやが感動したその理由として、きっとこの曲の題名が、『三日月を摘まみ食い』という、月を連想させるものだったからだろう。

 曲名は少しユーモアがあるというか、ハッキリ言えば変わり種だけれど、その歌詞やメロディはとても綺麗で、僕も聴いていてその世界観に引き込まれた。

 きっとかぐやも、そうだったのだろう。

 その証拠に、視聴回数の欄を見れば、どうやらかぐやはこの曲を百回以上繰り返し聴いているようなのだから。


「うーーん、困ったなぁ……」


 確かに、かぐやがカラオケに行きたいという気持ちも理解出来てしまった。

 大好きな曲を思いきり歌えることが出来る場所を知ってしまって、すぐに行きたいという気持ちも理解出来るし、その存在を教えてしまったのは僕だ。


 ここで、二日間ぐらい我慢しなさいというのは、少し残酷な気もする。


 けれど、一つ問題があるのだ。


「この曲……まだカラオケに入ってないよなぁ……」


 そう、この曲は新譜であって、先日リリースされたばかりなのだ。

 しかも、星宮灯……あかりんはまだ新人シンガーソングライターで、すぐにカラオケに新曲が入るわけでもない。

 なので、このままかぐやをカラオケに連れていったとしても、あかりんの『三日月を摘まみ食い』は歌えないのである。


「別に構わんよ? かぐやはただ、思いきり歌えればいいのだから、メロディなどいらない。アカペラでいいのだっ!!」


 まぁ、確かに、別にカラオケに曲が入っていなくとも、部屋さえ借りてしまえば、歌えない歌などない。それこそ、売れないバンドマンのボーカルはカラオケで自身の曲を練習することもあるらしいし。


「それなら、仕方ないか……」


 ちらりと財布の中身を確認して、僕はかぐやに言った。


「行くか。カラオケ」


 すれば、かぐやは飛び切りの笑顔を浮かべて、文字通り飛び跳ねたのだ。


「やったぁぁぁぁ!!!」


 同時、かぐやは体から黄金の輝きを放ち、周囲の重力を無意識に操り、リビングの家具を宙に浮かせた。


「ったく、興奮するとそうやって光る癖、はやく治してくれないか」


「無理っ!! だって、ほんとに嬉しいんだもんっ!!」


 そう言って、いまだ宙に浮き続けるかぐやは、満面の笑みを浮かべ、光続けていた。そう、まさにこれこそ――少女は満面の笑みを浮かべ、それはとても輝いて見えた――なんていう、小説の一節にありそうな光景なのであった。


 けれど、流石に眩し過ぎるので、そろそろ目が痛かった。




――2



「おぉ!!! 上手いななつ!! かぐやは驚きだぞっ!」


 かぐやの体が無事、黄金色に輝かなくなるまでに三十分の時間を使ったが、やはり無事、僕たちは目的地であるカラオケに到着した。


 ここに到着するまでに、数々のポルターガイスト的現象が町中で起きていたが、それはきっと本当にポルターガイストで、それは僕が横に連れていた少女――竹取かぐやの重力を操る能力とは無関係だということは、明白だった。


 きっと、この大都会東京には、数々の怨念やら後悔やらが渦巻いていて、それらが引き起こすポルターガイスト的現象は日常茶飯事なのだろう。


 だが、そんなものは僕には関係ないのだ。

 やけに、かぐやと共に歩いている時だけ、その現象を目にするけれど、それはきっとたまたまだ。偶然だ。


 だから、それらの現象は僕とは無関係なのだ。

 何度でも言うが、無関係なのだ。


 だから、僕はこうして、大学を自首休校にまでしてカラオケを楽しんでいても、まったく問題はないのである。


「っていうか、いいのかよ。僕ばっかり歌っちゃって。かぐやだって、知ってる曲は『三日月を摘まみ食い』だけじゃないんだろ?」


 そう、確かに今日の予定では、僕はヒトカラに来るつもりだった。

 けれど、実際――僕は一人の女の子を連れてカラオケにやって来ていた。

 

 カラオケの店員さんは、平日の昼間から着物姿の美少女を連れてカラオケにやって来た僕を少し訝しむような態度だったけれど、かぐやは着物しか服を持っていないのだから、仕方がない。また普通の少女向けの洋服を買いに行かなければ、目立ってしょうがないけれど、それはまた次の話に持ち越すとして、差し当たっての話題は、それとは関係ない。


 そう、話を戻そう。

 脱線した話題を元に戻せば、今僕はカラオケで歌を歌っていたのだ。

 かぐやを横に座らせて、好き勝手歌ってかれこれ二時間になるだろう。


 いくら歌うことが大好きな僕でも、二時間も一人で歌っていれば、少し疲れてしまう。これがプロのシンガーを目指す大学生ボーカルならば、なにを甘っちょろいことを言ってるんだと怒られてしまう所だが、僕は別にプロのボーカルなど目指していないので、いいだろう。


 また話が脱線してしまったが、二時間歌を歌っていた僕は、この時休憩を取ることにしたのだ。空になったグラスを手に取り、ドリンクバーに新しいジュースを注ぎに行こうと席を立った。すれば、その存在に気づいたのだ。

 

 気づいたというより、思い出したと言った方が的確だろう。

 まさか僕が、いくら歌うことに夢中になっていたからといって、竹取かぐやの存在を一瞬でも忘れてしまうとは思わなかった。

 いやしかし、毎日共に過ごしているからこそ。

 毎夜空に昇るあの巨大な月を、当然だと見ている僕たちだからこそ、忘れてしまってもしょうがなかったのかもしれない。

 

 その巨大な月の姫――終電を逃したドジっ子かぐや姫を。


「うむ。確かにその通りだが……なつの歌を聴くのが楽しくてなっ。ついつい聴き惚れてしまっていた!」


 このドジっ子かぐや姫は、二時間の間、僕の歌う歌をただそこでそうして聞いていたのだ。

 これがもし彼女とのデートなら(彼女など出来たこともないが)僕はとんだ最低の彼氏である。


 いや、例えそれが彼女ではなくても。

 友達でも知り合いでも月の姫であっても、許されるものではないだろう。


 けれど、かぐやは怒るでもなく、ただ僕が好き勝手歌っているのを楽しんで聴いてくれていたようである。

 月の住人は気が長い生き物なのだろうか。

 それとも、僕の歌声には人を楽しませる魅力が、実は備わっていたのだろうか。


 そんなことを考えて、やめた。

 僕は知っていたのだ。

 横でその黄金の輝きを放つ竹取かぐやという少女は、すべてのことを楽しむことの出来る少女なのだということを。

 それは、月の世界独特の感性なのだろうか。

 僕は月の世界の住人を、かぐやしか知らないのでわからないけれど、そんな存在が本当にいると、本当に信じている訳ではないけれど。

 なんだか少し、羨ましいと思った。

 それと同時に、ほんの少し嫉妬もした。


 そんな僕の心情など知る由もないかぐやは、今も尚、僕が次に歌う曲を楽しみに待っている様子だ。


「それはありがとう。嬉しいよ。けど、次はかぐやが歌えよ。僕は休憩だ」


「おっ、そうかそうか。かぐやは歌を歌いに来たのだったな!!」


「忘れんなよ。歌うんだろ。手始めに、他の知ってる曲を歌うのだってアリだぞ。僕が歌ってるのを二時間も見てたんだ。勝手はわかるだろ?」


 僕のそんな提案に、かぐやはけれど首を横に振った。


「いや、いいのだ。かぐやはここに、『三日月を摘まみ食い』を歌いに来たのだ! だから、他の曲は歌わない!! それに、なつの邪魔をこれ以上してはいけないからなっ」


「別に……邪魔じゃないけどな」


 僕が小さくそう呟くと、かぐやは嬉しそうに微笑んだ。

 それと同時に、その黒く長い髪の先が、少しだけ重力に逆らい、宙に浮いた。


「そうか、かぐやは……邪魔ではないか。ならば、嬉しいっ♪」


「お、おう……」


 今度の笑みは、体こそ光っていなかったが、それでも――眩しいくらいの満面の笑みだったと思った。

 その笑みの正体はわからなかったけれど、それを僕がかぐやに与えたのだと思うと、なんだか少し、僕までも嬉しくなってしまう。


「ではでは、歌わせてもらうかなっ! 『三日月を摘まみ食い』」

 

「あぁ、存分に歌えよ。聞いててやるから」


「ふふっ、なんだか照れ臭いが、なつならば、許そう」


「なんだよそれ。さんざん僕の歌を聴いてたくせに」


 そんなやり取りの後、かぐやは席を立ち、立ち上がった。

 その小さな背中を見て、まるで新しい妹が出来たみたいで、少し新鮮な気分になる。


「マイクは、これ使えよ」


「いや、大丈夫だ。かぐやには、いらぬ」


「そ、そうか……わかった」


 とんだお節介だったようだが、かぐやはそんな僕に、とても綺麗な表情で『ありがとう』とお礼の言葉を言った。

 その表情から、本当にこいつはどこかの国のお姫様なのではないかと、思ってしまう。けれど、こいつはどこかの国どころか、別の星――月のお姫様なのだ。


 そんな馬鹿げたことを言うかぐやだが、もしかすれば……本当にそうなのかもしれないと、僕は思った。

 

 かぐやが発した第一声――

 曲の最初の詞を聴いて、僕は思わず言ったのだ。


「綺麗だ…………」


 伴奏もない、指揮もマイクもない。

 本当の生の歌声を聞いて、僕はかぐやの虜になっていた。


 一度しか聴いていない筈のあの曲の伴奏が、リズムが、世界観が、頭の中にあるイメージとして呼び覚まされた。

 それは、月面に立つ一人の少女の姿。

 

 少女はただ一人、空に映るある星を見て、泣いていた。

 青く輝くその星に手を伸ばし、泣いていた。


 その姿はとても可憐で、けれど――触れたら壊れてしまうのではないかという、繊細さも併せ持っていた。


『三日月を一口齧り、美味しいとため息をつく。そんな私は、お姫様。この月に住む――お姫様』


 そんなフレーズを歌い上げるかぐやは、まさに……この曲の主人公だった。

 いや、主人公というより、ヒロインか。


 そんな月のお姫様――竹取かぐやは、曲をすべて歌い上げた。

 時間にして、およそ四分程度だったその歌唱は、けれど、僕とかぐやに、果てしない距離があるのだと、自覚させた。

 それこそ、僕とかぐやには果てしない距離があるのだ。

 だって、かぐやは月のお姫様なのだから。


「ふぅ……やはり……いいな、この曲は」


 そう言って席に座るかぐやに、僕は感想はおろか声すら掛けられずにいた。

 

 その理由は、かぐやがその瞳に涙を浮かべていたから。


「かぐや…………」


 かぐやが何を思い、どういう気持ちであの曲を歌っていたのかを、僕は理解することなど出来なかった。

 けれど、この時僕は思ったのだ。

 そして、誓った。


「かぐや、聞いてくれ」


「ん……うむ……なんだ……どうしたのだ、なつ」


「かぐや、僕は君を……月に返す」


「…………お、おう……」


「そこで、ある方法を思いついた」


 そう、僕は決めたのだ。

 他人に話せば、鼻で笑われてしまうかもしれない。

 

 そんなことを言った僕だって、内心はまだ、信じられてはいなかった。


 きっと、僕はあの曲を歌うかぐやを見て、ただテンションが上がってしまったのだと思う。一時のテンションで、随分大層なことを言ってしまったものだと、後になればきっと後悔するのだろう。


 けれど、僕はもう、見たくはなかった。


 頭の中で涙を浮かべていた、あの月に立つお姫様の姿も。

 今目の前で、必死に涙を隠す、かぐやの姿も。


「かぐやを月に返す。その為に、まずは金を稼ぐ」


 ムーンではなく――円でだ。




 

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かぐや姫は終電を逃して月に帰れないようです。 ゆずみかん。 @bakoba0829

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