第8話『全知』
神聖な地への道
湖の多い地域から、殺伐としたウラン採石場跡を通り、そして森林を抜けると幾十にも折り重なる山脈地帯が目の前に立ちはだかる。
獣道で立ち止まるタタンカ。精一郎・ゾミトゥカ (17) は辺りを見渡す。生き物の気配が消えている。タタンカは辺りの森林に溶け込むような深い梟の鳴き声を発する。同時に左手で「3」「5」と背後にいるゾミトゥカにサインを送る。目を閉じ深く息を吸い呼吸を整えるゾミトゥカ。気配のなかった右斜面の藪が急にがさごそと揺れる。大きな熊が突然仁王立ち。しばらく二人を観察し、そして再び藪の中に沈む。二人の横の藪を揺らしながら通り過ぎる。目を開くゾミトゥカ。正面の獣道に立つコヨーテの頭と毛皮を身に纏った老婆のインディアン。タタンカはその老婆の方に歩き始める。ゾミトゥカはその場に留まり振り返る。獣道を歩き去る熊を見る。熊の尾はコヨーテの尾。
革袋から赤い布にくるまれた刻みタバコと鷲の羽を老婆に差し出すタタンカ。羽を使いその刻み煙草の匂いを嗅ぐ。満足し肯いてからタバコを受け取る老婆。杖で足元の藪の草を払う。タタンカがゾミトゥカを向き、来いと指図する。タタンカは腰を屈み、藪の中に入る。ゾミトゥカは老婆に一礼する。コヨーテの毛皮下に着た「ホームランドセキュリティー」のTシャツ(四人のインディアンがライフルを構えた写真に「1492年よりテロリズムと戦う」のロゴ)が目にとまる。老婆は首を切る仕草を見せる。微笑むゾミトゥカ。タタンカの後を追い藪の中に入る。
洞穴
くぼんだ山肌の斜面に岩が重なり合うように洞穴の入り口を巧妙に隠している。そこへたどり着くタタンカとゾミトゥカ。
タタンカ(英語) 「ここから先は一人で行きなさい。二時間ほど行くと最深部にたどり着く。そこには鷲の羽の矢が置かれている。その矢は初陣を前にした者が部族を離れる際に触れる神聖なものだ。わしも父も祖父も曾祖父も、その矢に一度だけ触れた。臭いをかぎ、その矢を記憶に焼き付けたら元の場所に置き、ここに返ってきなさい。その矢がきっとゾミトゥカの進むべき道を指し示してくれるだろう。」
タタンカの言葉をかみしめるゾミトゥカ。そして弓をタタンカに渡す、聖なるパイプが入った袋を手渡すタタンカ。それを肩に掛け急傾斜の洞窟を下りる。洞窟の岩肌にコウモリの姿。
外光が届かない場所。振り返ると遠くに小さな入り口の光。意を決したように再び前に進むゾミトゥカ。
古いモーターホーム(屋内)夜
精子 「セイ君、影絵遊びしようか。」
ベッド上に置かれたクッションつきの小さな卓。その中央に置かれたロウソクに火をともす精子。ベッドの淵に両肘を付きロウソクを眺める精一郎(6)。
精子 「じゃ始めるよ。用意は良い?」
精一郎「うん。」
精子に背を向け背後の壁を向く精一郎。
精子 「これ、なぁんだ?」
ロウソクの光で影絵遊びを始める精子。壁に四つ足の動物が歩く姿が映る。
精一郎「わかった。エッグプラント。」
卓上のロウソクで照らされる茄子。茄子にはマッチ棒が四本、手足のようについている。
精子 「あたり、ママの言葉ではなんて言うのかな?」
精子の方を振り返る精一郎。
精一郎「なすび。」
精子 「セイ君、偉いな。」
精一郎「ママ、なんでなすびにマッチが刺さってるの?」
精子 「これはね昔の人が考えた牛でした。このマッチ棒が足だよ。じゃ、次は何かわかるかな?」
壁を向く精一郎。ロウソクの光にマッチ棒が四本足されたキュウリをかざす。壁に細長い胴に四本脚の動物が映し出される。
精一郎「キュウリ。わかった。カメレオン。」
精子 「おしいなぁ。カメレオンにも見えるけど、これは馬でした。」
精子の方を再び振り返る精一郎。
精一郎「緑の馬って変だよ。」
精子 「確かにそうだね。でもこのロウソクの灯りがあると、カメレオンさんも牛さんも馬さんも見えるし、ママも精一郎も見える。」
精一郎「うん、なすびも、きゅうりも」
精子 「この灯りが消えるとどうなる?」
精一郎(両手で両目を塞ぐ)「暗くてママが見えなくなる。」
精子 「でもママが近くにいることは感じる?」
精一郎「うん、感じる。」
精子 「そう、良かった。ママもセイ君と同じように感じる力を持っていてね、暗くて見えなくてもママのお父さんや、お母さん、おじいさん、おばあさん、セイ君のパパを感じる事が出来る。みんなはここにはいないけれど、ママは会いたくなったら、いつでも会える。このロウソクの明かりを消して、心を静かに落ち着けて会いたい人を感じるの。わかる?」
精一郎「目を使わずに見ると言うこと?」
精子 「そう。この練習をたくさんすると、その人の姿が心に思い浮かぶだけでなく、その人の暖かさが感じられたり、お話もできたりするよ。」
精一郎「セイ君も出来るようになりたい。」
精子 「セイ君は気付いていないかも知れないけれど、もう色んなものとお話出来ているよ。それからね、灯りがあるとこのお部屋はとっても狭い。けれど灯りが消えるとお部屋が見えなくなって狭いって思わなくなるよ。面白いでしょう。」
精一郎「ほんとだ。」
精子 「もう少し大きくなって、もっともっと練習したらね、遠くの場所にお出かけ出来るようになるよ。」
精一郎「ママは遠くにお出かけできる?」
精子 「もちろん。この茄子の牛さんや、キュウリの馬さんに乗って、よくお出かけするよ。」
精一郎「ママだけずるい。」
精子 「じゃ一緒に練習しようか。セイ君は誰に会いたい?」
精一郎「パパ。」
精子 「そう。じゃ、灯りを消すよ。」
ロウソクを指でつまみ消そうとする精子。
精一郎「熱くないの?」
精子 「熱くない。」
ゆっくりと暗闇に包まれる二人の顔。
精子(続き)「熱くない。心を静かに落ち着ければ熱くない。」
洞穴
分かれ道。ゾミトゥカの頭に小さなヘッドランプ。それを取り外し手で左右の洞穴を照らす。どちらに進めば良いか分からない。右の様子を探る。穴は続く。
ゾミトゥカ(大きな声) 「トゥンカシュラ。」
洞穴に向かい叫ぶ。反響する声に反応する多くの翼が擦れるようなざわめきが起きる。
空、夕方
夕方の空。大きな黒い影となって漂うムクドリの大群。右や左に収縮する大きな影。鳥がお互い接触することはない。
洞穴
分岐点に戻る。地面に一本のロウソクを灯す。今度は右へ進む。
ゾミトゥカ(大きな声) 「イーナ、ウチ。ビラミア。」
再び叫び声が洞穴に響く。それに呼応するように今度はニシンの魚群が一斉に方向転換するときのうねり音が起きる。
分岐点に戻りそして座禅を組む。ロウソクの灯を見つめながら軽く目を閉じるゾミトゥカ。
海中
ニシン魚群が先ほどのムクドリのように収縮を繰り返す。魚同士が衝突することなく方向転換を繰り返す。
アフリカの大地
地平線を埋める程のインパラ大群。大群が二つに割れる。割れ目を走り抜けるチーター。一匹のインパラの子供が捕獲される。そこにシューッという矢が飛ぶ音。
峰
峰に居る精一郎(12)。
ゾミトゥカ(画面外・英語) 「ニギ、僕は子供の頃ここが高天原だと信じていた。でもこれは僕の思い違いだったのかな?」
精一郎(12)から離れたミヤマキリシマとすすき野の尾根に佇むニギ。
ゾミトゥカ(画面外・英語) 「僕が人を殺める人間になったら、ニギは現れなくなるね。僕は、僕が、分からない。」
生を感じられないニギ。あたかも長い間放置された大きなかかしの様子。
洞穴
ロウソクの火をLEDヘッドランプで照らすゾミトゥカ。ヘッドランプの照度は高く、ロウソクの灯りはかき消される。ヘッドランプを消す。再びつける、再び消す。指でロウソクの灯りを消す。頭にヘッドランプを付け、左の洞穴へ進む。
道中の森
森の中で獣の足跡を調べているゾミトゥカ。そこに煙草の葉を天と地に捧げる。草陰で気配を消し獲物を待つ。手には弓。目を閉じる。
ゾミトゥカ(モノローグ・英語) 「あなたに与えられたこの生を繋ぐため、この森の命を一つ分け与えてください。その命がこの森のケアテイカーであることに感謝し、私はその意志を引き継ぎます。この森のバランスを乱さないことを誓います。与えられた命をこの森に感謝します。」
目を開き風のように弓を掲げる。
森の中でたき火しているタタンカ。野うさぎを抱えて現れるゾミトゥカ。煙草の葉を天と地に捧げるタタンカ。
ゾミトゥカ(英語) 「タタンカ、彼ウサギの痛みを僕に。」
ゾミトゥカの頬をピシャリと愛情をもって叩くタタンカ。祈りを一人口ずさむタタンカ、そしてたき火の前に座る。ナイフで野うさぎの皮を剥ぎ取るゾミトゥカ。
たき火で炙られる野うさぎ。その肉を食べるタタンカ。たき火の炎を見つめるゾミトゥカ、ふと気付いたように小さなカメラを取り出しタタンカが肉を食べている様子を撮影する。
タタンカ(微笑・英語)「出し抜けに撮影するなんて失礼な奴だな。ハイエナのような食いっぷりだったか?ゾミトゥカ、断食は三日目か?」
うなずくゾミトゥカ。
タタンカ(英語) 「食べるか?」
笑って首を振るゾミトゥカ。
タタンカ(英語) 「そうか、続けるか。ゾミトゥカ、何か新しいジョークはないか?」
ゾミトゥカ(英語)「ある石油王の話。ネイティブアメリカンの老人が営む牧場の隣に、石油王の男は広大な牧場を買いました。ある日、男は隣の老人が飼う一匹の馬に一目惚れし、老人にあの馬が心底気に入ったことを伝えます。すると老人は『あの馬はそんなに良くは見えないが』と気乗りせず返事します。男はそれでも引かず、その馬がどれほど素晴らしいか説明し、馬を是非買い取りたいと懇願します。老人は『あの馬はそんなに良くは見えないが』と再び同じ言葉を口にします。男は益々強気になり、とてつもない金額を老人に提案します。それでも老人は『あの馬はそんなに良くは見えないが』と同じ言葉を繰り返すばかり。男は金に糸目は付けないと決め込んでいたので、先ほど提案した倍の金をテーブルに置き退席します。老人はお金を数え始め、再び『あの馬はそんなに良くは見えないが』と独りごちます。男は満足し馬にサドルを取り付け、早速乗馬に出かけます。馬は広い草原に数本しかない木に直ぐさまぶつかりました。その時男は初めて気づくのです、馬は盲目でした。男は老人の元へ急いで戻り、金を返してくれと言います。老人は『だからあの馬はそんなに良くは見えないが』と言っただろと笑いました。」
タタンカ(英語) 「それは白人のジョークだな。どこでそのジョークを仕入れた?」
ゾミトゥカ(英語)「アンクル・ジョセフ」
タタンカ(英語) 「アジアのジョークは知らんのか?」
首を振るゾミトゥカ。
タタンカ(英語) 「じゃ、わしが一つ披露しよう。よいか、東南アジアではオートバイのことをホンダって呼ぶ。なぜかといったらホンダのバイクが市場を占有しているからだ。お前の母さんが生まれた国ではステイプルをホッチキスと呼ぶ。まあそれに似たようなものだ。友人がわしに最近購入したオートバイを見に来ないかと誘ってくれた。新車じゃったから自慢したかったんだな。どれどれという風に見に行ったら彼はわしにこう言ったよ『俺のホンダはスズキだ』って。」
微笑むゾミトゥカ。その笑顔に満足して、野うさぎを一口食べるタタンカ。
ゾミトゥカ(英語)「タタンカ、質問していいかな?」
タタンカ(英語) 「何だ。」
ゾミトゥカ(英語)「(たき火を見たまま)三年前精子が焼身した時、僕は十四才で家にいなかった。僕は彼女の遺体を見ていない。アンクル・ジョセフとタタンカが家の火を鎮火して遺体を運び出したとジーナから聞いた。火災の臭いは今でも想い出すことが出来る。でもどうしても彼女がどのように倒れていたのか見えない。何度もその光景に辿り着こうと試みたけれど、彼女はこのことに対していつも沈黙している。彼女が酔って倒れていたのか、苦痛に耐えられず途中で気を失っていたのか。もし何か覚えている事があれば、タタンカ、教えてくれないかな。」
野うさぎの肉を葉の皿にのせ脇に置くタタンカ。タオルで口元と手をふき少し困惑する。たき火を見ていたゾミトゥカはタタンカを見る。その眼光には固い意思が秘められている。
タタンカ(英語) 「最初に発見したのはジーナだった。農場に来ていないのを心配してバスまで様子を見に行った。ゾミトゥカは学校だったかな。バスの後部から火が出ていた。ジーナは慌ててジョセフの元に返ってきた。わしはロッジの修理をしていた。ジョセフはわしを呼び、我々はあるだけの消化器を持って向かったよ。火災は寝室から始まっていた。二時間ほどで鎮火し、精子を寝室で見つけた。精子はベッドの上に前屈みで両手を合わせ倒れていた。わしが見る限り、取り乱した気配は感じなかった。」
気丈さが崩れ気弱な表情を見せるゾミトゥカ。
ゾミトゥカ(英語) 「タタンカ、ありがとう。」
再びたき火を見つめるゾミトゥカ。
洞穴
広いドーム状の場所。高い天井と側面を照らすゾミトゥカ。古代部族が描いた壁画。バッファローの大群。馬に乗る人物。松明を掲げる人物。円になり舞いを踊る集団。太陽とその周りを飛び交う小さな鳥の影。その下に描かれた一片の鷲の羽。
羽の下の地面を照らすゾミトゥカ。無造作に置かれた人の頭ほどの丸い石。周りの地面を照らすが、矢らしき物はない。石の前に座り地面にロウソクを立て火を灯す。ヘッドライトを消す。乾燥白セージを取り出し火でくゆらす。煙で身体を清める。
ゾミトゥカ(英語) 「ストーンピープル、この場所に僕を招待してくれて感謝しています。あなた方種族がこの大地を作り、この地球を一つにまとめあげ、多くの生命があなた方の手のひらで誕生しました。願わくばその叡智を持って、僕を導いて頂けないでしょうか。」
指でロウソクの火を消すゾミトゥカ。目の前の石がスウェットロッジの焼けた石のように暗闇で赤黒く発光する。それは地球内部のマントルのように輝く。その輝きはやがてカメラが遠ざかるように小さくなり画面左に消える。同時に画面右からは光に照らし出された灰色の淵が見え始める。カメラはその淵の全貌を見出すように全景を見せる。カメラが出てきた暗闇の穴、それは月面にあるショーティー・クレーター。灰色のランドスケープ、有機体の存在しないモノクロの月面風景。黒い空に唯一の色、青い半月の地球。
自転が感じられる高度から見た地球の夜。地球表面に非常に薄い膜の空気層。ゆっくり自転する地球。黒い大地に広がる都市の灯り。雲がないにも関わらず青光りする雷。
光の中で自転する地球。青い海と白い雲、赤茶色い大地。そして雲の間から見える1945年広島・長崎への原爆投下によるキノコ雲。1954年ビキニ環礁で行われた水爆実験のキノコ雲。爆発の閃光・噴煙の形成・空気層の隆起と波動の揺れが立体的に無音で観察される。死の灰が時間の経過と共に大気圏内に広がる。1961年ノヴァヤゼムリャで行われた人類史上最大のツァーリボンバ水素爆弾実験のキノコ雲形成の様子。緑の大地が一瞬にして灰色の雲に覆われる。大気圏内で行われた502回の核実験。短時間に自転する地球表面で立ち上がる無数の大中小のキノコ雲。あたかも地球が突然変異の悪性粘菌で覆われていくかのよう。
スパイ衛星から見た核関連施設。切り替わる映像。普通カメラ、遠赤外線カメラ、ウィルソン霧箱とガンマカメラを応用した放射線検知カメラ。交互に映像が切り替わりながら施設を上空から写す。各国主要核発電所、核燃料再処理施設、廃棄物貯蔵施設が短時間に写される。普通カメラが全ての施設から日中立ち上がる白い煙を捉える。遠赤外線カメラが、夜中に立ち上がる灰色の煙と排水を捉える。放射線検知カメラ映像が、環境に漏れ出す放射能汚染拡大を可視化。エネルギースペクトル値によって識別されたエリアが地球表面上を赤・黄・緑色に区別する。青い地球の至る所が、赤と黄と緑で塗り替えられる。地球は再びけばけばしい色彩を伴う悪性粘菌で覆われる。
これらの映像に突然死した四三歳の心臓の病理組織像、びまん性(広範な)心筋細胞の融解像、筋線維間浮腫像、著しい筋繊維の断裂が認められる心臓の映像、東海村JCO臨界事故で亡くなった方々の皮膚劣化経過の映像、損傷・劣化した遺伝子像へと重ねられる。突然の馬の鳴き声と蹄の音。
最終核廃棄物地下貯蔵施設
座禅姿のまま目を開くゾミトゥカ。細長い地下施設。壁の青白いLED照明。薄暗い室内。両壁沿いに所狭しと並べられたコンクリート製ドライキャスト(大きな黒い放射性危険物マーク)。角の廊下から現れる馬に乗ったジョン・トゥルーデル似の半裸インディアン。馬からゾミトゥカを見下ろす。その存在が纏まとう威圧的な空気。冷静に受け止めようとするゾミトゥカ。
古いモーターホーム(屋内)夜
精子の乾燥ホワイトセイジ内職。ホワイトセイジの束を作り、天井から乾燥させるために干す。乾燥済みのホワイトセイジを赤い糸で束ね装飾を加える。完成したホワイトセイジが積まれたバスケット。
最終核廃棄物地下貯蔵施設
馬から下りるインディアン。背中の矢入れから、鋭利なシリンダー状の矢を取り出す。矢は細い筒で走羽はしりばねに鷲の羽。その矢をライフルの銃口を向けるようにゾミトゥカに向ける。次に右に向けそちら側を偵察。更に左に向け偵察。無表情で一つ一つの動きに無駄のない男は狂人のオーラを纏う。男は立ち上がり、矢を右手に持ち馬の元に戻る。そしてゾミトゥカに背を向けたまま、馬の首元に頭をもたげ、左手を馬の首に回したてがみを優しくなぜる。馬と話をしている間、右手の矢のが馬の心臓の上に置かれる。矢の鏃やじりをめり込ませる。馬は驚き一瞬暴れるが男の左腕で押さえられる。常に男は声にならない呪文を馬に唱える。馬の荒い鼻息や吐き出す息とよだれが次第におさまる。少しずつ皮膚下に沈むシリンダー状の矢が心臓手前にたどり着く。男は冷徹にその感触を確かめ、一瞬間を置いてから更に沈める。矢の節筈ふしはずから馬の血が噴き出す。床が一斉に馬の血で赤く染まる。馬が沈むように倒れる。床は赤い血の池になる。その池で座禅を組み涙を流すゾミトゥカ。
ゾミトゥカ(小さな声・英語) 「あなたに与えられたこの生を繋ぐために、この森の命を一つ分け与えてください。その命がこの森のケアテイカーであることに感謝し、私はその意志を引き継ぎます。この森のバランスを乱さないことを誓います。与えられた命をこの森に感謝します。」
馬の血がゾミトゥカの服を染める。倒れた馬の首を抱きながらインディアンもうずくまり、ゾミトゥカと同じ言葉を唱えている。
ゾミトゥカ(小さな声・英語) 「あなたに与えられたこの生を繋ぐために、この森の命を一つ分け与えてください。その命がこの森のケアテイカーであることに感謝し、私はその意志を引き継ぎます。この森のバランスを乱さないことを誓います。与えられた命をこの森に感謝します。」
動かなくなった馬から矢をゆっくりと抜き立ち上がる男。矢を背中の矢入れに戻し、ナイフを取り出す。馬の腹を大きく裂く。その裂かれた腹から大きな白い皿が取り出される。皿の上には馬の血だらけの臓器が盛られている。その皿を両手で抱え、ゾミトゥカへ近づく。男は再びゾミトゥカを見下ろす。恐ろしいまでの悲哀と狂気を男は纏う。皿をゾミトゥカの目の前に差し出す。血みどろ皿の上の臓器は、しばらくすると血塗られたブロッコリーとマッシュルームに変わる。次第に血が引き、緑と茶と白が識別できるようになる。そしてブロッコリーが森に、マッシュルームが人や動物に、血が土に変化。小さな人間と動物がその森を子供のように駆ける。
ゾミトゥカに血塗られた矢が差し出される。その矢を両手で受け取るゾミトゥカ。その矢にゆっくりと顔を近づけ匂いを嗅ぐ。ゾミトゥカは目の前に立つ男を見上げる。男と馬と血と皿は既に消えている。目の前に無造作に置かれた丸い石。
精一郎(画面外) 「父さん。なぜ母さんは自死を選択したと思いますか?」
古いモーターホーム
小雨の降る中、燃えるスクールバス。
精一郎(画面外・続)「僕が生まれてきたことが原因だと思いますか?」
在某都市総領事館(屋内)
ビジネスビルの一室にある領事館。入り口にはアフリカ系の警備員。荷物検査ゲート、待合室、この国の観光紹介ビデオ放映。
待合室の精一郎(22)。膝の上に戸籍謄本が開かれ、長男と書かれた欄の上に「父・敬宇」、「母・精子」と明記、共に「亡」の表記。精一郎の欄の右隣には、長女・文月の欄、名前に×印(死亡)表記。
男性職員(画面外) 「44番の整理券をお持ちの方、2番窓口までお越しください。」
立ち上がる精一郎。2番窓口に向かう。
男性職員 「布谷さん、パスポートのお名前、生年月日の表記に誤りがないかご確認下さい。それから我が国の国籍法では、重国籍は禁じられております。2年以内にどちらかの国籍を選択する必要がありますので、どうぞご注意下さい。」
(続く)
死霊の歌〜偉大なる虚無の死〜 Wallace F. Coyote @wallacefcoyote
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