第4話 貴族婦人のドレス

その日、裁縫授業の後でジェーン・ファシエが手渡してきたのは象牙色の封筒だった。

「フォルスからあなたへと、預かりました」

 いつもルディアのふりをしている時とは一転、低く落ち着いた口調でジェーンは言った。彼女はルディアの影武者として言動だけでなく、声すらも王女のそれをまねているのだ。ルディアの「裁縫が壊滅的に苦手」という特徴も見事にトレースしている、凄腕である。

 手紙を受け取ったレリンは、はっとしてジェーンを見つめた。

「……フォルス様から?」

「はい。……わたくしも本心では、あなたとフォルスを頻繁に会わせて差し上げたいのです。しかし騎士団の職務があり、それも難しく……今後もこうして、あなた方の手紙のやり取りのお手伝いでもさせていただけたらと思っております」

「……ありがとうございます、ジェーン様」

 ジェーンに礼を言ったレリンは、すぐさま寮の自室に駆け戻った。この後が空き時間でよかった。きっとジェーンも、レリンが他人を気にせずゆっくり手紙を読める時間を見計らって渡してくれたのだろう。

 封筒は一般的な量産型の者で、差し出し人名も宛先も書かれていない。

 フォルスとはしばしば手紙のやり取りをしているのだが、二者が特定されないよう、手紙には名前を書かないことにしていた。手紙を送るとなると、橋渡しをしてくれるのはたいていジェーンだ。郵便機関を利用するわけでもないので、名前を書く必要はない。もし誰かに拾われた際に厄介ごとにならないためである。

(フォルス様、お忙しいのに手紙を書いてくださったんだ……)

 この前に城下町に遊びに行った際、「冬に向けて予定が詰まっているので、これからはあまり時間が取れそうにない」という話を聞いていた。王女護衛騎士という彼の職務を考えれば、多忙であるのも仕方ないとレリンも割り切っている。

 手紙には丁寧な字で、レリンを不安にさせていたことへの詫びが記されていた。「いずれ、直接話しましょう」との一言を添えて。

(フォルス様にも気づかれちゃった)

 手紙だけでは、彼がどう思っているのかは分からない。だがレリンとしても、大切なことは文字ではなく直接聞きたかった。

 それに、フォルスが多忙なのは分かっている。王女の側近としての仕事を三人――ジェーンは基本こちらにいるので、実質ジオドールとの二人――で回しているので、有休もなかなか入れられないのだ。

 そんな多忙な中でも、彼は筆を執ってレリンのために手紙を書いてくれた。レリンが不安に思っていることを理解し、解決しようとしてくれている。

(ルディア様。私は本当に、満足しているのですよ)

 現在、王女として授業に出ている親友ルディアへと語りかける。

(感情を押し殺しているわけじゃない。次にフォルス様に会えた時には――ちょっとだけ、我が儘になるから)

 レリンはフォルスからの手紙を三度読み直した後、ふーっと息をついた。

(……そうだ、フォルス様にも報告しておかないと)

 レリンは立ち上がり、窓辺へと向かう。そこにあるのは、帽子掛けとハンガーを改造して作ったトルソー。やや不格好なそれを覆うのは、薄青色のショール型外套である。

 貴族の婦人が普段着として着用するドレスは重ね着によるアレンジがしやすい。簡素なジャケットで乗馬用、厚手のウール素材コートで冬季の外出用、シルク製の柔らかなショールで室内用と、上に纏うものを変えるだけで使用場面を切り替えることができるのだ。

 どうやらこれは女王メルテルの影響が大きいらしく、王女であるルディア曰く、「お母様は乗馬から帰ったドレスの上着を変えるだけで、そのまま執務室で公務をなさる」とのことである。

 レリンは裁縫ギルドが提供してくれる布の中から、一番手触りのよい綿を選んでショート丈の外套を縫った。一般の女性用外套にはポンチョ型のものが多いのだが、レリンが作ったものは広げると角の丸い逆三角形型になっており、体前面の丈が短く、背面が長くなるというデザインになっていた。

(……うん、薔薇の模様もきれいに浮かび上がっているね)

 その場にしゃがんで布地をなぞりつつ、レリンは外套の出来を確認する。

 裾部分には象牙色の布でフリルを取り付けた他にも、生地には青系統の刺繍糸で細かな薔薇模様を刺繍した。使用した刺繍糸は、三種類。藍に近い濃い色と、ほとんど布地と同じ青色と、水色に近い薄い色。光の当たり具合によって、濃淡の違う三種類の薔薇が浮き出て見えるのだ。

 イメージは、秋の青空に浮かぶちぎれ雲。この季節にぴったりな、庭園散策用の外套である。

 デザインから完成まで半月ほど掛かり、その間他の作品はなかなか作れなかった。そうまでしてでもレリンがこの外套制作に時間を掛けたのには、理由がある。

(マダム・ローレル主催の展覧会は……明後日)

 壁掛けカレンダーの明後日の箇所には、丸印が描かれている。これを書き込んだ当時の自分のはしゃぎっぷりがよく分かる、枠からはみ出た大赤丸である。

 裁縫ギルドの一級裁縫師であるマダム・ローレル。彼女は平民出身でありながら女王メルテルの「王宮裁縫師」を務めている。女王のドレスはもちろん、王子王女の服の多くをマダム・ローレルが手がけているのだという。

 そんな彼女が此度、展覧会を主催するのだ。彼女は城下町の自邸でたびたび展覧会や品評会を開催していた。彼女の展覧会は参加するのに事前申し込みが必要で、しかも競争率が半端でないため予約を取ることも毎度困難だと言われている。

 だが今回、聖堂学校の裁縫教師であるシスター・イデアの事前申し込みが通った。彼女は「聖堂学校で裁縫を習う平民の女子生徒たちに、体験学習をさせたい」と申請し、マダム・ローレルの承認を受けられたのだという。

 入場料なども特に必要ないので、裁縫教室の皆は大興奮だった。何せ、「王宮裁縫師」の作品を間近で見られるだけでなく、事前申し込みすればマダム・ローレルその人にも会うこともできるのだ。

 平民出身のマダムは、レリンたちの憧れの星。平民でも女王の信頼を得られるのだと、その身で証明する大英雄でもあるのだ。

(そんなマダムにお会いできる。会うだけではなくて、お話しすることもできる)

 他のクラスメートたちは見学だけで十分だと言っていたが、レリンはせっかくだからと、自分の作品を持ち込むことにした。

(「王宮裁縫師」の、マダム・ローレル……)

 レリンは薔薇の模様を指でなぞりつつ、噂でしか聞いたことのない女性へと思いを馳せる。

 マダム・ローレルは後進の育成にも努めており、裁縫教室なども積極的に開いている。また、彼女主催の展覧会に自作品を持ってきたなら、一対一で品評してくれるのだという。シスター・イデアがマダムに個人相談の予約を取ってくれたので、レリンは明後日持ち込むための作品を作ってきたのである。

「王宮裁縫師」は、レリンの一番の目標である。女王専属の裁縫師になる――すなわち、次期女王であるジェーンの側近になるのだ。

 フォルスたちと違い、レリンには財力も身分も腕力も知力もない。このままでは、女王になるルディアや側近たちと共に歩むことはできない。

 女王となるルディアを支えるため。

 そして、フォルスたちと共に歩むため。

(「王宮裁縫師」になるのなら、挑まないといけない)

 そのために、この外套を仕上げたのだ。

 控えめな光を放つ外套をじっくり見つめた後、手早く外出の仕度をした。フォルスへの返事を書くのに使うレターセットを買いに行くために。

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王家の裁縫師レリン ほころぶ想いと赤い糸 藤咲実佳/角川ビーンズ文庫 @beans

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