第3話 理想と現実


2章 理想と現実



 ジェーン・ファシエは王城の廊下を歩いていた。

 すらりとした身体を包むのは、臙脂を基調とした騎士団服。フランチェスカ王国を支える二つの騎士団のうち、女性のみが所属する「薔薇騎士団」の制服である。フォルスやジオドールたちが所属する「黒騎士団」の制服が黒と紫の布地に金の装飾という組み合わせに対し、「薔薇騎士団」は臙脂とクリームの布地に、銀の装飾である。

 聖堂学校で平民クラスにいる時は、ルディアのまねをして明るくお転婆な人格を演じている彼女だが、実際は真面目で冷静な女騎士である。

 長靴のかかとを鳴らせて立ち止まり、ジェーンは豪奢なドアの前で一礼する。

「ジェーン・ファシエ、戻りました。ルディア殿下から書類をお預かりしております」

「ご苦労、ジェーン。入ってくれ」

 同僚の声が返ってきた。入室の許可を得たジェーンは侍従が開けたドアから部屋へと足を踏み入れた。

 ここは、王女ルディアの執務室。ただし現在部屋の主は聖堂学校で勉強中なので、出入りするのは数名の侍従と王女の護衛騎士たちくらいだった。

 主不在でも、騎士たちには仕事がある。地方から手紙が届き、貴族から茶会や舞踏会への招待状が送られる。側近たちで片づけられるものは速めに処理をし、王女本人の確認が必要なものはまとめて聖堂学校に持っていくことになっているのだ。

 執務室には、フォルスとジオドールがいた。先ほどジェーンの叩扉に応えたフォルスが顔を上げ、ペン片手に頬杖をつく。

「……お疲れ。殿下からの書類は?」

「ぶうぶうおっしゃりながらも相当な速度で仕上げなさったわ。ジオドール、地方からの手紙の返事を郵送するように。あとフォルス、貴族からの招待状の返事は全て『欠席』とのことで預かっているわ」

「まあ、妥当だろうな」

 フォルスはルディアがしたためた手紙を受け取り、億劫そうに前髪を掻き上げる。

 王女は女王の命令で聖堂学校で勉強しているのだから茶会やら舞踏会やらに顔を出せるわけないというのに、連日お誘いの手紙が届くのだ。

 巌のような巨体を持つ青年騎士ジオドールが、何も言わずにジェーンから手紙の束を受け取って郵送手続きを始める。

 聖堂学校にいるルディアとの書類のやり取りは、フォルスかジェーンが行う。ルディアを敬愛するジオドールも行きたがっていたのだが、「おまえが行くと聖堂学校の女子生徒たちが怯える」とフォルスに言われ、ルディア本人からも「ジオはわたくしの執務室を守ってね」とお願いされたものだから、黙って引き下がってくれた。

 ジェーンもフォルスの手伝いをしようと筆記用具を出したところで、侍従の一人が時計を見上げて一礼した。

「間もなく休憩時間でございます」

「……ああ、もうこんな時間か。ジェーンも帰ってきたばかりで疲れているだろうし、休憩するぞ。ジオも座れ。おまえ、昼からずっと動きっぱなしだろう」

「俺はそれくらいで弱ったりはしない」

「そういう問題じゃないだろ。適宜休憩を取るようにということは、姫様からも口を酸っぱくして言われている」

「つまりは、休憩を取ることも姫様のご命令なのよね」

「よしすぐに休憩するぞ、フォルス、ジェーン!」

 素直なのは、ジオドールの美点と言っていいだろう。

 ソファに移動した三人の前に、侍従が淹れた茶が運ばれる。休憩時間になるとほんの少しだけ緊張も和らぎ、態度や口調も砕けたものになってくる。

 茶菓子を摘んでいたジェーンは、ふと顔を上げてフォルスを見た。

「ああ、そうそう。フォルスには姫様から個人的な伝言を預かっているのだけれど――」

「何っ、フォルス貴様、姫様とそういう仲だったのか!?」

 ジェーンの言葉に、当の本人フォルスよりジオドールの方が素早く反応した。

 彼はもともと鋭い眼差しをさらにきつくし、隣に座るフォルスに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。

「フォルス! 貴様は姫様に対して何という――」

「何もしてないしそんな趣味はないっての。それと顔、近い。あと、おまえはその握力で姫様お気に入りのカップを破壊する気か」

 ジオドールの手の中で、ルディア自ら選んだという華奢なカップがミシミシ悲鳴を上げていた。

 我に返ったジオドールがしょんぼりとしてカップのひびを指先でなぞる傍ら、ジェーンが冷静に言う。

「姫様からの伝言。『女心の分からないやつは、馬に蹴られてしまえ』」

「…………は?」

 茶菓子に手を伸ばしていたフォルスは、ジェーンの無機質な言葉に眉根を寄せた。

「女心? ……ああ、丸太の件を根に持ってらっしゃるのだろうか」

「……丸太が何のことかは知らないけれど、多分違うでしょうね。わたくしが伺った限りでは、レリンに関することではないかと」

「レリン?」

「……あなたのことで悩んでいるそうよ。とりわけ、今の自分たちの関係に思うことがあるみたいで。心当たりはないの?」

「……」

 言い返そうと口を開いたフォルスだが、すぐに閉ざした。ペンをデスクに置いて眉間に皺を寄せる様子を見るに、彼にも何からの思い当たる節があったのだろう。

 ジェーンはしばらくの間フォルスを見つめた後、ふうっと息をついた。

「……会いに行くのが一番の特効薬なのだろうけれどね。悪いけれど、ここしばらくは時間の融通はできないわ」

「分かっているし、レリンも知っている。……ジェーン、手紙を頼んでもいいか」

「ええ、それくらいなら」

 ジェーンは少しだけ頬を緩め、窓の外を見やった。

 夜でもあちこちに光の踊る、王都サランの町並み。そこから離れた閑静な丘陵地帯にも、ぽつんと光が灯っているのが遠目に見える。

 ジェーンにとってもかけがえのない友である、レリン。

 どうか、彼女の不安が少しでも解消されるように。

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