第2話 ペチコート
待ち合わせは、「いつのも場所」。すなわち聖堂学校の女子生徒にも大人気の、城下町のフォント菓子店――通称「三番区カフェ」である。
この店の女店主は非常に気が利き、聖堂学校の女子生徒にはこっそりオマケをし、恋も応援してくれているという。そういった気遣いが、三番区カフェの人気の秘訣である。
(少しはきれいに見えるかな)
カフェに入る前に、レリンは通りがかった店の窓ガラスで自分の姿を確認する。
茶色の髪はくるくるの癖毛で、湿気の多い日は特に撥ねが多くなってまとまらなくなってしまう。ここ最近はからっと晴れた日が続いており髪の調子もいいので、今日はちょっと手を掛けて編み込みにしてみた。
本日の勝負服に選んだのは、先日購入したばかりのハイウエストワンピース。オレンジと茶色のチェック模様で、スクエアカットされた胸元にはビーズのネックレスが輝く。丸く膨らんだ袖と腰の大きなリボンは、フランチェスカ王国で現在流行っているスタイルだった。服や靴が落ち着いた色合いなので、髪をまとめるバレッタは白いべっ甲細工のものを選んでみた。これだけはルディアに借りたので、汚さないようにしなければならない。
三番区カフェの、いつもの席。
片手を挙げて居場所を知らせるフォルスを見、とくん、とレリンの胸が控えめに心臓を叩く。
王女の側近であり、時期によっては聖堂学校に隣接する上級学校で剣術も教えている彼は、城下町でも顔が知られている。そのため質素な普段着姿なのだが、やはり彼の内側からにじみ出る育ちの良さは隠しようがない。
滑らかな光沢のある赤茶色の髪に、澄んだ青緑色の双眸。剣を振るう際は凛とした面差しを見せる彼だが、今は目元を柔らかく緩めている。主君である王女ルディアでさえ見ることのないという、フォルスの心からの笑顔である。
「お待たせしました、フォルス様」
「こんにちは、レリン。今日の装いは秋仕様ですね」
「あ、気づきました?」
向かいの席に座ったレリンは、フォルスの言葉に反応した。ジェーンたちにも助言をもらい時間を掛けて準備したため、身だしなみのポイントに気づいてもらえると嬉しい。
「秋だからこそ着られる服、合わせられる色があると思うのです。見てください、このワンピースは裾が短めなので、ペチコートを重ね履きしているのです。ワンピースは町のお店で買ったものですが、ペチコートは自分で縫いました」
「なるほど。確かに、裾から覗くレースが可愛らしいとさっきから思っていましたよ」
「そうでしょう!」
ワンピースの裾を摘んで説明していたレリンは空いている方の手でぐっと拳を握り、テーブル越しにフォルスに詰め寄った。
「裁縫ギルドに登録されてからは、ギルドから布をいただけるようになったのです。これまでは授業の余り布を縫い合わせるしかできなかったのですが、ギルドに行けば大判の布を譲ってもらえるのです。その布でこのペチコートも作りました」
「それは有り難いですね。譲ってもらえる、ということは無料で?」
「はい。余りものを譲ってもらうので、どうしても布の種類は限られるし、倉庫保管なのでヨレもあります。でも、今の私は自由に使えるお金も限られているので、有り難い限りですね。裁縫ギルドは展覧会や商売だけでなくて、新人の育成にも力を入れてくださっているのですよ」
今年の春、レリンは王都審査会で特別賞を受賞したことにより七級裁縫師の称号を得て、裁縫ギルドに名前を登録された。ギルドの名簿に名を登録されることが、裁縫師として歩む第一歩である。
王都に本部を構える裁縫ギルドはギルド会員であれば出入り自由で、倉庫に保管している布や糸の譲渡、裁縫道具の貸し出しなども行っている。レリンは布だけでなく、立派な裁ち鋏や金属製の製図用定規なども借りており、毎日手入れしながら使っていた。
熱弁を振るうレリンに相槌を打ちながら聞くフォルスが、ふふっと微笑んだ。
「……いいですね」
「そうでしょう? ギルドでは一級裁縫師の方々の作品も展示されているので、時間のある時にゆっくり見て回ろうと考えてまして――」
「ああ、いえ。ギルドの話ももちろんですが、こうしてあなたの話を聞いていると……幸せだな、としみじみ思ったのです」
そう言って目を細めるフォルス。
レリンは彼の言葉で、気づいた。
(……あ! 私、注文もせずに喋ってばかり……!)
「す、すみません! 私ばっかりぺらぺら喋って……」
「何をおっしゃいますか。あいにく俺は裁縫に関してはからっきしです。だから、あなたが教えてくれることは全てが新鮮で、勉強になる。それに、あなたが自分の好きなことをとても嬉しそうに語っているのを見るだけで、俺も嬉しくなるのです」
「……そうなんですか? 嬉しいのですか?」
「そうなんです」
テーブル越しににっこり微笑まれると、それ以上突っ込むのも野暮だと感じられてくる。
フォルスが店員を呼び、二人分の飲み物とケーキを注文した。店もそこそこすいている時間だったからか、間もなく注文した品が運ばれてきた。
フォルスが頼んだのは渋めのストレートティーと、漆黒のチョコレートケーキ。レリンの前には輪切りのレモンが添えられたレモンティーに、赤や紫のベリーがきらきら輝くタルトが運ばれた。
「このタルト、ジェーンが食べたい食べたいって一日に五回は言っていた秋の新作なんです」
「ジェーン?……ああ、うちのパフェ魔神の方ですね」
そう言うフォルスの口の端がわずかに引きつっている。
彼は王女ルディアの護衛騎士なのだが、彼らの主従関係は一風変わったものである。フォルスたちは自由奔放なパフェ魔神――もといルディアにさんざん振り回されてきており、フォルスはフォルスでルディアに対して、わりと砕けた物言いをすることが多い。
(でも、ルディア様本人がそれを望んでいる)
今頃学校でヒイヒイ言いながら書類を仕上げているだろう親友のことを思い、レリンはくすっと笑った。
物言いはわりとぞんざいだが、その頭脳を買われているフォルス。
姫様第一で頑固一直線、無骨だがその真っ直ぐさが王女の信頼を得ているジオドール。
影武者として立ち回り、書類仕事でも日常でも陰から支えている本物のジェーン。
三人の騎士たちは生まれも性格も異なる。異なるからこそ、あの明るくて行動的な王女を様々な方面から支えることができるのだろう。
(それに、私も)
平民出身で、戦う力を持たないレリン。だがきっと、レリンにしかできないことがある。
ルディアは、レリンを友だちに選んでくれた。それはきっと、レリンにしかできないことがあり、王女がレリンを求めているからだ。
冬の世界に閉じこめられる時期は終わった。
今のレリンは、歩ける。
自分で道を選び、進むことができる。
――他のことを考えていたからか、手元がおろそかになっていた。
タルトを切り分けようとしていたナイフの先が滑った。カチャン、と皿にナイフを叩きつけてしまい、タルトの破片が飛ぶ。
「あ……」
「レリン、大丈夫か!?」
向かいの席で上品に紅茶を飲んでいたフォルスが声を上げ、レリンの手元を鋭い眼差しで見てくる。
「手に怪我はありませんか?」
「あ……はい。すみません、大きな音を立てて――」
「考え事ですか? ケーキ用のナイフは肉用ほど鋭くないとはいえ、力を入れたら皮膚が切れることもあります。気をつけてくださいね」
「……はい」
レリンが素直に頷くと、フォルスはほっとしたように肩を落として店員を呼び止め、新しいカウンタークロスを持ってきてもらった。
(フォルス様は、優しい)
店員からクロスを受け取り、テーブルを拭きつつレリンは思う。
レリンがかつて養父母からどのような仕打ちを受けていたのか知っているからか、フォルスはあらゆる場面でレリンに気を遣ってくれる。それは彼がレリンを大切に思ってくれている証に他ならないだろう。
だが――最近、ふと頭の中を過ぎることがあるのだ。
フォルスは優しい。
だがその優しさは、レリンへの愛情ゆえなのか。
今日のように出かけることはたびたびある。だが、レリンたちの関係はいわゆる「恋人」と呼ばれるものなのだろうか。
――贅沢を言ってはいけない、と冷静なもう一人の自分が警告している。
侯爵家子息のフォルスが、これだけ心を砕いて接してくれているのだ。本当なら、平民のレリンでは一緒にお茶することはおろか、彼の近くに立つことすら叶わないというのに。
ルディアをきっかけに知り合ったフォルス。後に、初対面が去年の秋ではなくてずっと昔、子どもの頃であることを知った。全ては、ルディアの編入という大きなきっかけがあったから。
それがなければ、十年前にレリンがフォルスに貸したハンカチはレリンの手元に戻らず彼の実家に眠ったまま、レリンは過去の出逢いを思い出すことも、養父母の圧制下から逃れることもできなかっただろう。
か細い糸によって紡がれた、奇跡のような出来事。
――欲張りな自分が囁く。
一言、尋ねればいい。「フォルス様は、私のことが好きなのですか。私たちは、恋人同士なのですか」と。
(ううん、我が儘を言うことなんて、できないわ)
冷静な自分と一緒に、レリンは心の声を押し殺した。
フォルスを困らせたくない。
それ以上に――フォルスの口から、「いいえ」という返事が為されるかもしれないと思うと――怖い。
もしかすると、彼がレリンに抱いているのは男女間に生まれる愛情ではなく、庇護欲なのかもしれない――最近、そう考えるようになっていた。
暗い世界に閉じこめられていたレリンを哀れに思い、手を差し伸べてくれた。それは、兄が妹を気遣うのと同じ意味での「愛情」なのかもしれない。
(それでもいい、いいの)
レリンはすうっと深呼吸した後、切り分けたタルトを口に運んだ。
「甘酸っぱい、秋の新味覚!」と絶賛されているベリータルトだが、ただただ酸っぱいだけだった。
フォント菓子店を出た後、城下町を回ってルディアたちへのお土産などを買ったりしていると、あっという間に日が暮れてしまった。
「日も暮れてきましたし、そろそろ戻りましょう。学校の裏門前でパフェ魔神と待ち合わせしてますしね」
「……ああ、そういえば今日一日で仕上げたはずの書類を、フォルス様がそのままお城まで持って帰るのでしたっけ」
「ええ。……ジェーンが魔神の尻を叩いてくれたはずなので、完成しているかと」
フォルスと手を繋ぎ、聖堂学校へと続く緩やかな丘を登っていく。王都のはずれに位置する学校の壁はくすんだ白色のため、西側の壁がが陽光を浴びて鮮やかな深紅に染まっていた。
丘を登った先の聖堂学校裏門前には、鮮やかに紅葉した広葉樹が等間隔に並んでいる。はたしてそこに、金髪の美少女が待ちかまえていた。
いつも通り頭からすっぽりフードを被っているので目元は隠れているが、桃色の唇の端がかなり急な角度につり上がっている。
「……おっかえりー。フォルスがあんまりにも遅いから待ちくたびれて、私は広葉樹の一員になってしまうところでしたー」
「なってくれても構わなかったんですけどね」
「ふーん? 樹木になった責任は、取ってくれるの?」
「丸太にして女王陛下に献上します」
「うわ、お母様に渡された日には、暖炉の薪もしくは剣の試し切り用の材木になっちゃうわぁ。却下」
ルディアとフォルスの間でぽんぽんと言葉の応酬が為される。レリンも最初の頃は、フォルスが王女に対してこんなに気軽に話してもいいのだろうかと気を揉んでいたのだが、いずれそれもやめた。彼らは彼らなりに、このやり取りを楽しんでいるようだからだ。
(……でも傍目から見たら、ルディア様とフォルス様の方が仲よさそうに見えるわよね)
今度は書類の引き渡しで悶着を起こし始めた二人を少し離れたところから見つめるレリンは、そっと胸に手をやった。
先ほどから、胸がつきつきと痛む。
フォルスがルディアを「手の掛かる主君」と思っているとの同様に、ルディアもまたフォルスに対して「頼れる臣下」以上の感情を抱いていないのは分かっていた。むしろ彼女はもう一人の男性護衛騎士ジオドールの方がお気に入りで、昨年冬の女王生誕祭でも、ジオドールにお手製の鍋敷き――のようなハンカチを贈ったくらいだ。裁縫の腕前がよろしいとはいえないルディアだが、ジオドールは大切そうにハンカチを胸ポケットに入れていた。彼もまた、ルディアに対して主君としてだけでなく、それ以上の想いを抱いているのだろう。
たとえルディアとフォルスの方がお似合いに見えても、実際両者にそういった類の感情はないはずだから、心配する必要はないはず。
(それでも――)
「……ハイハイ。今度からはもっと計画的に進めるから、今日のところは勘弁してちょうだい」
レリンが考え込んでいる間に、ひとまずの決着は付いたようだ。
ルディアがフォルスの胸に書類を押しつけ、続いて彼の手元の袋に目敏く気づいた。
「……で、それはもしかして、この私への貢ぎ物?」
「せめて、贈り物と言ってください。それにこれは俺からというより……レリン」
「……あ、はい。ジェーンは今日一日書類仕事を頑張ったのだから、お土産を買ったの」
「えっ、レリンが買ってくれたの? ありがとう!」
とたんルディアはぱあっと顔を輝かせ、フォルスから袋を受け取った。今日の土産は、蜂蜜キャンディである。
「お金の都合で、大袋は買えなかったけど……」
「ううん、すっごく嬉しい! ありがとうレリン、大好き!」
そう言ってルディアはレリンに抱きついてきた。二人の身長はほぼ同じくらいなので、元気よくジャンプしながら飛びつかれて、レリンの体がぐらつく。ルディアもろとも倒れなかったのは、すかさずフォルスが背後を支えてくれたからだ。
「まったく……それではそろそろ俺は城に帰ります。レリン、今日は楽しかったです。……これから先、ちょっと仕事が忙しくなるのでなかなか会うことはできなくなるのですが、また時間の取れた時にお会いしましょう」
「そうなんですね……分かりました。今日はありがとうございました、フォルス様」
ルディアに抱きつかれたまま、レリンは答えた。
フォルスは被っていた帽子のツバをちょっと下ろして会釈し、レリンたちに背を向ける。彼のすらりとした長身はあっという間に丘を下っていき、やがてそれも茜色の夕日にかき消されるようにして見えなくなってしまった。
「蜂蜜蜂蜜……今日一日ジェーンにも手伝ってもらったし、寮に戻ったら三人で食べよっか!」
レリンから離れてキャンディの袋を大切そうに抱きしめるルディアは、本当に嬉しそうだ。王宮ではこんなちょびっとの安物キャンディではなく、もっと高級でもっとおいしい菓子を大量に食べられるはずなのに。
そんな身の上にもかかわらず、心の底からレリンのお土産を喜んでくれるルディア。
「大好き!」と言って抱きついてくれるルディア。
「……あの」
「あー、でも先に晩ご飯だなぁ……ん? どうしたの?」
「相談があって……その、フォルス様のことで」
おずおずとレリンが切り出すと、とたんにルディアは笑顔を引っ込め、真顔でこちらを見つめてきた。
「……あいつが何かした? まさか公衆の面前でとんでもないことをやらかしたとか? 心配無用よ。もしそうならこの私が正義の鉄槌を――」
「ううん、そうじゃないの」
中庭をゆっくり歩きつつ、レリンはルディアに本日のデート中に考えていたことを相談してみた。
「……ふんふん、なるほど。あいつの本心が分からない、と」
一通り話し終えると、ルディアは足を止めた。ちょうど目の前には、学校お抱えの庭師が手入れしたささやかな花壇が広がっていた。
秋はあっという間に日が暮れる。先ほどまでは茜色だった世界が、うっすらと夜の色に染まりつつあった。
「そうねぇ……私があなたたちを見た感想を言わせてもらうと、確かにレリンの考えも一理あると思う。なんというか、恋人というより保護者っぽいというか」
「保護者……」
やはりそのように見えるのだ。
レリンは後ろ手に手を組み、ふうっと息をついた。
「……フォルス様にとって、私なんて妹みたいな存在なのかしら」
「そんなわけないでしょ!……と言いたいところだけど、胸を張って反論できないのが申し訳ないわ。でも、五年の付き合いである私から言わせてもらうと――たぶん、これもあいつなりの気遣いの形だと思うの」
「……フォルス様が、私を気遣ってらっしゃるの?」
「うん、まあ、過保護といえば過保護なんだけれどね。大切だからこそ、傷つけたくない。あなたの肩の力がもっと抜けてから仲を深めていきたい――そんなところかしらねぇ」
ルディアの指摘に、思わずレリンはびくっと肩を強ばらせた。
(ルディア様は、気づいていたのね……)
まだ、レリンが肩の力を抜けきれていないことに。
「とはいえ、あくまでも第三者の意見に過ぎないわ。……あいつ、側近の仕事中はこっちが舌を巻くくらい頭が回るし鋭いのに。これはレリンが悩んでも仕方ないわ」
「いいのよ、ジェーン。私は今のままでも満足しているから――」
「自分の感情を殺すのが正義じゃないのよ、レリン」
すぱっとルディアは言い放った。いつになくはっきりした物言いに、レリンは息を呑む。
だが語調に反し、フードの隙間から覗くルディアの眼差しは柔らかかった。彼女は緩く首を横に振り、レリンの肩をぽんぽんと叩く。
「……我が儘な子になりなさい、レリン」
「……ルディア様」
「そう、例えば私くらい」
「う、うん。考えておく」
秋の夜風は、冷たい。
だがルディアに触れられている肩だけ、ほんのり温かかった。
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