王家の裁縫師レリン ほころぶ想いと赤い糸
藤咲実佳/角川ビーンズ文庫
第1話 王宮裁縫師(ロイヤルクチュリエール)
1章 迷いの秋
本日はよい秋晴れである。
青年は窓辺のロッキングチェアにゆらゆら揺られながら、窓の外の風景を眺めていた。
一年中降雨量が少なく乾燥している故郷と違い、ここフランチェスカ王国は四季の変化が顕著である。どうもフランチェスカ王国は真冬になると、外出も困難なほどの豪雪に見舞われるという。彼は冬の寒さが苦手なので雪の季節になる前に故郷に戻り、春になってから戻ってくるべきかもしれない。
そう考えながら手元の布をいじっていた彼は、ふと眼下の光景に気づく。今、玄関のポーチを一人の少女が降りたところだった。深紅の上着はフードがくっついており、歩くたびにぴょこぴょことフード部分が弾んでいる。
彼女の姿が人混みに消えてしまってからも、彼の琥珀色の目はじっと大通りの方を見つめていた。
「あの子は確か……。ふーん……ちょっとくらい、楽しめるかな?」
彼は瞼に掛かる黒髪を掻き上げ、にやりと笑った。
* * *
黄金色の風が吹いた。
友人と一緒に学校の廊下を歩いていたレリンは、目の前を過ぎっていった鮮やかな色に一瞬意識を奪われる。彼女の心を惹き付けた「それ」はふわりと空中で一回転した後、開放廊下の床に音もなく落下した。
「落ち葉……」
「ん? ああ、本当だ。きれいな色ね」
一緒にお喋りしていた女子生徒はレリンの呟きを耳にして立ち止まり、中庭の方に視線を向けてほうっと感嘆の息をついた。
「すっかり紅葉してきたわねぇ。いい眺め」
「本当にね」
「ほら、あっちの木は山盛りコーンサラダみたい。あっちは卵たっぷりのプリン、そこのはちょっと赤みがかっているから、ニンジングラッセってところかなぁ」
「…………あー、うん。おいしそうな色ね」
「だよね! あー、お腹すいたぁ。お菓子食べたい……」
そう言って物欲しそうな顔で木々を見つめるのは、金髪の少女。制服の上着に付いているフードを目深に被っているので陰になってしまっているが、その顔立ちははっとするほど美しい。
大きな茶色の目はくりくりとよく動き、桃色の唇はぺらぺらとよく喋る。すんなりとした両脚でどこまででも走ってゆき、ぽっきり折れてしまいそうなほど細い腕は、「早く行こう、レリン!」とレリンを力強く引っ張ってくれる。
平民の女子生徒ジェーンとして行動している彼女だが、その正体は我がフランチェスカ王国の次期女王、ルディア・レイ・ステイラー王女殿下である。
ルディアは空腹を訴えるらしい腹部をさすりながら言う。
「そういえば今日も、ジェーンにお小言を言われたのよ。殿下の代わりに平民用の授業に出るわたくしの身にもなってください、って」
「今度は何をしたの?」
「二階渡り廊下から飛び降りたら教室移動時間を短縮できるんじゃないかって、皆の前で提案しただけよ」
「それはジェーン様が正しいわ」
「レリンまで!」
ぷうっと頬を膨らませる様は、王女というよりごく普通の少女。
ルディアが様々な重責を背負いつつも、年頃の少女らしく心穏やかに過ごせる時。
王女でありながらレリンに己のことを「ジェーン」と呼ばせ、心からの笑顔を向けてくれる優しい時間。
(そんな時を一緒に過ごせることが……今でも信じられないわ)
レリンは、王女と比べるとずっと地味な容姿である。茶色の髪の毛は毎朝のセットも一苦労なほど癖が強いので、ルディアのさらさらの髪にに密かな憧れを抱いている。学力も十人並みで、この夏に行われた進級認定試験では裁縫のみが「優」、他は軒並み「可」だった。
ちなみにルディアの成績はレリンとはほぼ真逆で、裁縫のみが落第ギリギリの「可」だったという。彼女が落第しなかったのはひとえに、試験前にレリンがつきっきりでルディアの課題制作の補助をしたおかげだろう。
「あ、そうそう。レリンって、うちの護衛君とお約束でもしているの?」
「えっ」
ルディアに話題を振られ、思わずレリンは彼女の顔を注視してしまう。見つめられたルディアはふふっと笑い、レリンの目の前でほっそりした指を振ってみせた。
「私の観察眼を侮っちゃ嫌よ。有休がいくらあってもなかなか取ろうとしなかったあいつが、大まじめな顔で休暇申請を出してくるんだからね。ふふふ、もうちょっといじってやればよかったかも」
そういうことか、とレリンは強ばった笑みを浮かべた。そうして脳裏に浮かんでくるのは、柔和な笑みを浮かべる青年の顔。
フォルス・バルクール。
ルディアの側近騎士の一人で、侯爵家子息でもある青年。
去年の秋に出会った時から紳士的で、レリンに対して限りない優しさと愛情を与えてくれた彼は、今ではレリンにとって誰よりも大切な人である。
裁縫ギルドの一級裁縫師――通称「銀の紡ぎ手」の地位を得て、女王のドレスを仕立てる「王宮裁縫師(ロイヤルクチュリエール)」になりたい。そんなレリンの夢を肯定し、支えてくれた人。去年の冬、意地の悪い養父母に監禁されていたレリンを助け出してくれた人。来年も再来年も、一緒にいると約束してくれた人。
そんな人と、今度城下町へ遊びに行くことになっていた。他の人には内緒にしておこうと思っていたのだが、ルディアには聡く気づかれてしまったようだ。
(……でもまあ、ルディア様相手なら嘘をつく必要もないわね)
「……うん。もう分かっていると思うけど、来週の週末に」
「あはは、やっぱりね! あーあ……その日が書類の締め切りじゃなかったら、私もついていくのに。……あ、ひょっとしてわざと私が忙しい日を選んだとか?」
「……あの、ごめんなさい。フォルス様が、『書類の締め切り日ですから、姫様も俺たちの跡をつけたりしないでしょう』とおっしゃったので」
「あーあ……やっぱりフォルスの提案か。まあ、仕方ないわね。お土産だけよろしく」
「ふふ、了解よ」
少女たちは顔を見合わせ、内緒の話をしているかのようにくすくすと笑いあった。
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