されど啼く

 どうも緊張感も現実感も無い七竈に、再び頭を抱える真希。主人と従者と呼ぶには、双方何かが欠けていた。


「七竈さん、布団を敷くくらいなら出来ますよね?」


 か細い声で、真希は言った。それに承諾する七竈が、部屋を整える小清水を呼びつける。


「なあ、アンタら」


 ふと、ゲンが声を上げた。小清水だけが視線を向ける。七竈は振り向きすらせずに、何だ、と、呟いて、部屋に入って行く。


「何処の家の出身なんだ。見てくれからしてイチイは北の魔女の派閥のようだが……まさか陰陽師が宮家の従者なんてすることはないだろ」


 ゲンの言葉に、再び小清水だけが肩を大きく震わせた。拍子を突かれたというように、忙しなく両手を擦り合わせる。一方で、七竈は布団を敷きながら、じとりと一夜とゲン、そして羚を見て、開口した。


「何処でも良いだろう。お前らに問われる筋合いはない。、一人前に素性を語れる立場じゃないだろう」


 最低限の行為だけを澄ませた七竈が、部屋を出ようとサンダルを履いた。一夜の前に立った彼は、首を傾げてその顔を近づける。


「良い夢を。昼寝から起きる頃には、もっと真面に喋れると、期待している」


 悪ふざけでもなく、言い間違いでもなく、彼はそう言って、小清水の尻を蹴る。ウッと声を上げる小清水は、やっとその冷や汗を止めることが出来たらしい。主人に厨房へ戻ると言った二人は、小言を呟き溜息を吐く真希の頭を撫でまわして廊下に消えた。

 整えられていた筈の髪を手で直すと、真希は深々と頭を下げる。


「うちの従者が大変失礼いたしました」

「構わない。お互いに苦労するな」


 苦労なんてかけたっけ、と、羚が一夜に笑った。それをゲンが呆れて見る。


「二時間程でお声がけ致します。ごゆっくり」


 凛とした表情を崩さないまま、真希は一夜の顔を見た。まだ幼く成長段階にある彼女は、三人を見上げた後、とてとてと可愛らしい足音で、廊下を消える。彼女の足音が聞こえなくなってすぐ、一夜は布団に入り込んだ。グラついた頭がスッキリすることは無く、目を瞑ればすぐにでも夢に落ちるように思えた。


「おやすみ、一夜君」


 羚の声で、一夜は目を閉じた。



 一方で、旅館の中庭ではカズが一人、ボーっと目の前に広がる光景を眺めていた。花を愛でる白い髪の少女、朝伏を、彼は視界の中で転がす。彼女が触れ、集めているのは、全て美しい色とりどりの草花だ。しかし、その殆どが毒であることくらいは、カズも気付いていた。


「カズト様、何故貴方の婚約者様はあんなに嬉しそうに毒を集めているのですか?」


 カズの隣で遠い目をしているのは、イチイだった。この三人が伴っているのには、理由がある。一夜達以外が旅館のロビーに着いた瞬間、殆どの者達がイチイの案内に着いて来ることも無く、旅館の隅々に散開していったのだ。唯一、庭を見せろと言って来た朝伏と、それに着いて歩くカズが、彼に案内を任せたのである。


「朝伏は呪術に長けているんだ。父親に似てな」

「あぁ、元治さんの娘さんでしたっけ、彼女」

「……知ってるのか?」

「まあ、そうですね。有名な方ですし、僕も何度かお会いしているので」


 元治を知っている、という、それだけで、カズの中には警戒心が芽生えていた。そもそもこのイチイという男はきな臭い。見た目からして、この国以外の血が流れている。その身体の巨大さは、北の魔女の血を引いていると考えても良い。魔女の血を引くということは、カズとは同胞に当たる。だが、カズはこの男を知らなかった。目立つ存在だろうに、赤檮望という青年について、宮家としても魔女としても、情報が無いのだ。何よりも、咲宮本家の存在が、よりその異様さを際立たせている。


「なあ、アンタ、魔法は使えるか」

「最近のはあまり。昔のものでしたら、手習い程度に」

「いくつだよ、歳」

「二十一ですよ。育ての親が最近の魔法に疎い魔女だったもので」


 質問に対して素直に答えていくイチイは、何処か疲れたような顔をしていた。胸を張って、こちらを煽っていた彼は、仮面だったのかもしれない。そんな考えが頭を過って、カズは問う。


「お前がここにいる理由はなんだ」


 カズの問いに、イチイは柔らかく首を傾げた。


「まあ、多分、言っても納得はしないと思いますよ」

「納得するかどうかは聞いてみないとわからないだろ」


 イチイは、そうですねえ、と、朗らかに笑う。彼は白い犬歯を見せつけながら、カズを見下ろした。


「貴方が今、ここで座っているのと、同じような理由ではないでしょうか」


 下がった目尻と共に、白い睫毛が広がる。彼の色彩は朝伏と似ていた。だが、彼の方が、より一層、造形物のように見える。


「主人のことがそんなに好きなのか?」


 カズの再度の問いに、イチイは目を丸くした。数拍後、噴き出して顔を覆う。震えて笑う姿が、問いを間違えたことを意味していた。


「何をしているの、二人とも」


 異変に気付いた朝伏が、毒を両手いっぱいに持って、二人に駆け寄る。彼女は笑うイチイを見ると、カズの呆けた顔を見て笑った。


「……流石にロリコンってことはないわよ。そうよね、貴方」


 朝伏が、イチイに問いかける。鼻を啜りながら、イチイは頬を掻いた。


「そうですね。十歳の少女を、好きになる程、僕も特殊な性癖ではありませんから。いやまあ、特殊な性癖と言えばそうでしょうけど」

「特殊?」


 カズが首を傾げると、イチイは朝伏と目を合わせた。朝伏はカズの隣に座り、共に話せとせがむ。その様子を見て、イチイは小さく溜息を吐いた。


「咲宮真希には僕を含めて三人の従者がいます。僕達は元々、ここに来る前から三人でこの国を巡っていましたが……今は、ある一人の目的のために、ここで下僕ごっこをしているんです」


 下僕ごっこ、と、反復して、朝伏はクスクス笑った。どうやら彼女は何かを察し始めている。カズは聞き逃すことのないようにと、耳を立てた。


「その目的を持った一人というのが、僕の好きな人です。彼は素晴らしいですよ。可愛らしく、それでいて、強い存在です。憧れてしまう。一緒に付いて来ているもう一人だって、彼の友人を気取っていますが、あれは、信仰の一種ですよ」


 信仰という言葉を聞いて、カズは眉間に皺を寄せる。


「そいつ、まさか八百万の神のどれか、なんてことはないよな」


 警戒心が一つ、カズの中で芽生えていた。咲宮家で何かおかしなことが起きているのは、彼も察している。だが、それが何を踏まえて起きているのかがわからない。オシラサマの暴走、宮家の所在地にしてはあまりにも薄い神性。その中で、魔女の血を継ぐ男が好く、信仰対象が出でたのだ。


「八百万の神なんて、そんな哀れな存在を愛するとか、そこまで愚かではありませんよ。僕は」


 そう言うイチイの目は、本心から、何かを憐れむようだった。嫌味はないと、少なくともカズにはそう見える。


「まあ、その愚かさが産んだものこそ、僕は好きでたまらないのですが」


 恐らく、イチイは八百万の神について、よく知っている。叶わない願いを抱いて狂う存在。自己陶酔の塊で、およそ宮家を道具程度にしか思っていない。

――――この男は、何を何処まで知っている?

 彼がただの魔女ではないことを、カズは確信した。とすれば、この咲宮の本家も、正常ではない。神について正しく理解している魔女を傍に置いている宮家が、普通の宮家であれるはずが無い。

 そこまで考えて、黙ったカズの肩に、朝伏が顎を乗せた。彼女の鼻息が耳に当たる。カズは耳を赤くしながら、朝伏を見た。


「何だよ、トモ」

「何か動いたわ」

「動いた?」


 朝伏が指を地面に向ける。彼女はゆっくりと瞬きをした。その目線は、イチイのものとも交差する。朝伏は同じ表情のまま、口を開いた。


「下に何か居るわね?」

「さあ? 僕にはわかりませんね。僕は宮家ではないので」

「そう、そうね。これは、真希ちゃんに聞いてみた方が良いわね」


 そう言って、朝伏は地面に爪先を立てた。草履の先で、土を掘る。彼女はにっこりと聖母の如く微笑んだ。


「御夕飯の時にでも、聞くわ。だからね、貴方、もう居なくて良いから。私のことを監視してても、特に何も出ないわよ」


 何もする気も無いしね、と、朝伏は手を振る。


「だそうだ」


 イチイの退出を促すように、カズもそう言って、眉間に皺を寄せた。すると、イチイは仕方が無いと言ったように、前髪をかき乱す。小さく舌打ちをしたようにも見えた。


「主人に伝えておきますよ」


 彼はそう歯を見せて笑う。その口は清潔で、白かった。


 イチイが庭を出たのを見た後、朝伏はカズから身を引き、首を傾げる。


「また地中に死体か、神でもいるのでしょうね。封印かしら。これ、私達じゃどうにもならないわね」

「お前、何か色々わかってるみたいだけど」

「わかるわよ? この土地に入った時点で、おかしいということも、異界が既に発生し始めていることも」

「おかしい?」


 異界が発生している、というのは一種の些事ではある。だが、朝伏が『おかしい』という曖昧な表現を使うのは、珍しかった。


「古い神……咲宮の主祭神の気配が薄いの。それよりも……そうね、どちらかと言えば、新しい神の気配の方が強いかしら」


 そう言って、朝伏は地面を指差した。彼女は、それが下にいるのだと、そう笑う。

 宮家が祀る神とは、古ければ古いほど『強い』ものである。故に、時代の古い神程、その存在感も強く、主張も激しく、与える加護も強力になった。それが、新しい神に駆逐されているというのだ。確かにそれは、おかしい。宮家の血が濃い朝伏は、それを敏感に感じ取っていた。


「咲宮家の本来の主祭神は、両面宿儺よ」

「それ、咲宮家が封じてる神だろ。それこそ、燈籠船の山幸彦みたいな」


 カズの言葉に、朝伏はゆっくりと口角だけを上げた。自分の発言が間違っていることに、カズはそこで気付く。記憶に、ブレがある。違和感があった。


「両面宿儺は神代の半神半人。双子の姉弟。咲宮家を作る土台になった二人。封じられた、夜の神々の一部分」


 朝伏は淡々と、記憶を口にしていく。常識をカズに


「オシラサマは血筋の補強に過ぎない。あれは事故よ。狂った女がしでかした、事故。そうね、だから、また『女』が狂ったんだわ」


 オシラサマ、新しい神。宮家が作った機構の一つ。

 カズはその意味を、朝伏から聞き出そうと、彼女の肩に触れる。朝伏は微笑んで、唇を動かした。


「カズ君? 朝伏さん? 何してるの?」


 と、唐突に、背後から少年が一人、草を踏んだ。カズと朝伏がそちらを見る。そこにいたのは、真樹だった。彼はいつも以上に色白の肌を日に輝かせて、眉を顰める。


「中庭に呪術に使えそうな毒草が沢山あったから、少し分けてもらっていたのよ」


 そう言って、朝伏がカズを押しのけた。彼女が両手に持っていた毒草が、地面に落ちたカズに降りかかる。毒の花粉が目に入り、カズは一人、土の上で悶えていた。


「真樹君の方も顔色が悪いわね。お茶でも淹れてあげましょうか。全く、こういうことは、守護者とか、旅館の人がやるものなんだけど」

「守護者……内田さんは、『まだ裁定中だから』って言って、僕の部屋にいて。旅館の人は、その、一人? 樒先生とかの様子も見に来てくれたんだけど、なんというか……」


 口籠る真樹に、朝伏が膝をつけて目を合わせる。何があったのか、と、彼女が口を開こうとした瞬間、もう一つ、草を踏む音が加わった。三人が同時に目を向ける。


「む、少年、ここにいたか。厨房で茶を沸かしたから、飲みに来ないか。あぁ、そこの二人もご一緒に」


 何食わぬ顔で――――否、顔と呼ぶべきかはわからない。それは、糸で閉じられた口を上下させながら、真樹たちを茶に誘っていた。成人男性の響く低音。それが、可愛らしい竜のぬいぐるみから、言葉を発している。


「ガルドさん! 貴方も出て来ちゃ駄目って言ったじゃないですか!」


 そのぬいぐるみの後ろ、駆け寄って拾い上げたのは、真樹にそっくりの、幼い少女。それが咲宮真希であることは、初対面のカズでも理解出来た。だが、それ以上に、カズが気にしていたのは、もう一方のである。


「兄妹って似るのね。うちのとは大違い」


 独り言のように、朝伏が呟いた。緑目同士を合わせる咲宮の兄妹は、そのまま石のように固まる。真希はガルドと呼んだぬいぐるみを胸に抱きこんで、腰を引いた。一方で、真樹は、やり場のない手を宙に掲げたまま、口を開けていた。


「真希、お兄さんとお客さんに失礼だぞ。身構えるな。誰も彼も、全てが全て、敵でも無ければ、気を使うべき相手でも無いんだ。そういうのは従者の三人に任せれば良い」


 きゅぷきゅぷと音がして、喋るぬいぐるみの手が、真希の柔らかな頬を撫でた。諦めたように真希が息を吐くと、真樹も短く息を吸う。


「ご挨拶遅れました。私、咲宮真希と申します。これは私の守護者の、ガルドです。ぬいぐるみではありますが、昔から、厨房や雑事をしてもらっています。以後お見知りおきを、お兄様方」


 作ったような文言を、作り物のような表情で、真希は唱えた。

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行くも餓えるもこれ一重 神取直樹 @twinsonhutago

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