嚥下するは子

 夏にしては清涼な、心地よい風が、着物の裾を靡かせる。古いコンクリートと木造を重ね合わせた、典型的な旅館の外装は、宮家の七つの本家に列するに値しない程、朽ちているように見えた。


「長旅お疲れ様です。一夜様」


 ころ、と、ビー玉が転がるような、飴玉を舌先で転がすような、声が聞こえた。車を降りた一夜の目の前、凛と立つのは、一人の少年であった。

 背丈は一夜よりも落ち着いている。瞳は真樹とよく似た、翠眼だった。癖のある黒髪を一つにまとめ、赤い紐で飾っている。その姿は、パッと見れば真樹そのもので、また少女にも見えた。


「咲宮家当主代理、咲宮真希でございます。この度はご足労頂き誠にありがとう存じます」


 生気の無い一つ一つの動きが、まるで人形のようで、その造形物のような見た目によく似合っている。黒くシンプルな和装も、白く表情のない顔を映えさせていた。


「御託は良い。お前、守護者や従者はどうした。イチイは」

「イチイさんは豊宮のご当主様をご案内しております。他に二人、従者がおりますが、人前に出せるものではないのです」

「旅館というなら、従業員はいないのか」

「先月最後の一人がきり、誰も雇用しておりません」

「失踪?」

「はい、屋敷の使用人を含めて計三十名、皆、月の無い夜に消えました」


 淡々と真希は言う。明らかに感情がすっぽりと抜けているように見えた。


「毒花から呼べばいいじゃないか」

「私には扱い切れません。それに、毒花にはわたくしの命を使いたがる方もいらっしゃいますので」


 真希の目線が、一夜の姿を捉える。それは、一夜の後ろ、より向こうの方を見ているようだった。色はあれど、空虚な瞳は、一夜でさえも見ているだけで庇護欲を掻き立てられる。


「わたくしは宮家にも、毒花にも、陰陽師も、この命も体も使わせるわけには参りません、今は、まだ」


 舌足らずだが、異様に大人びていた。そうでなければならなかったのかもしれない。聞いたところによれば、この少年はまだ一〇歳になったばかりだという。燈籠船の、死んだ少年とそう変わらない年だ。誰かの庇護下にあって然るべき齢だった。


「……当主代理と言ったな。父親は何処だ」

「一昨日、毒を盛って殺しておきました」


 は、と、一夜が口を開くと、それを遮るように真希は淡々と続けた。


「錯乱していたので、わたくしと兄上の判別すら出来なかったでしょうから、判断の邪魔になる前に、処分しておきました。生前呪術を嗜んでいたようで、肉体は大変利用価値の高いものと存じます。朝伏様への手土産にも丁度良いかと」


 つらつらと語る言葉は、正しく宮家の人間そのものだ。彼は父親を肉親とも思っていないらしい。

 さて、と、真希は一夜を背にして歩き出した。旅館の中を案内すると言いながら、彼は錆が浮き始めた戸に手をかけた。


「待て、母親はどうした」


 まだ聞いていないことがある、と、一夜が声を上げる。すると、真希の動きが不自然に止まった。それは初めて見た動揺だった。


「お母様は、伏せております」

「邪魔にならないのか」

「……なりません、絶対に。どうせ、人形のようなものです」


 人形のような成りで、彼はそう口にした。その口端からは、侮蔑というよりも、憐れみの感情が見て取れた。その横顔は、泣きわめき弱っていく真樹の寝顔とそっくりだった。


「この子、何か隠してるよね」


 羚が一夜に後ろから耳打ちした。その息を払い退けるように、一夜は彼を睨む。


「そんなの見ればわかる。暫く黙っていろ」


 一夜の言う通り、一目見れば、咲宮真希が何かを隠しているのは明白であった。動揺も、それを無かったかのように振る舞う人形のような無感情な動きも、根本の影がついて動いている。

 そして、一夜の影で、蚕蛾が蠢いていた。オシラサマは咲宮家が祀る邪神である。主祭神とこそ言わないが、咲宮家は生贄と偶然によってオシラサマを作り上げ、富と量産の血縁を作り上げたのだ。

 真希にはオシラサマの加護の気配が無かった。否、そもそも、神の気配がこの土地一帯から失せている。遠くに行ってしまった、というよりも、隠れている、と言った方が正しいか。


「質問を重ねるが、主祭神は何処に祀っているんだ。神社の管理はどうしている」

「奥宮は旅館の最深部で、わたくしと従者たちで全て管理しています。主祭神の両面宿儺は地下に封じられているので」


 封じられている、という言葉に、一夜の中に疑問が浮かんだ。何故祀りたてている神を封じているのか。

 一夜にある知識では、両面宿儺は神代の半神半人の姉弟である。星の神に従属し、自ら戦い安寧の地を守ろうとした、愚者。そして咲宮家はその子孫なのだ。美しい姉の姿をとり、猛々しい弟の獣の如き戦意を継ぐ。宮家の中でも確かにその神代の姿を伝える、神の血を広める者達。それが咲宮家である。それが本当であれば、何故先祖を封じるのか。邪神だとしても、それがその神の在り方だった。この少年は邪魔になるという理由で自分の父親を殺すような人間だ。もしも両面宿儺が大量の贄を欲する様な神だったとしても、真希は淡々とその贄を用意していくだけだろう。


――――ふと、景色が過った。

 それは一人の少年が、少女と共に何処か、野を駆けている風景。少年の口は人からかけ離れた鋭さを見せている。少女はただ美しかった。二人は、一夜に明るい笑顔を見せていた。手を振っている。二人の子供らしい姿は、見ているだけで心地が良かった。それが両面宿儺であることは、朦朧とした一夜の意識にもわかっている。


「――――様! 一夜様!」


 なんだ、一体。


 一夜はぼやけた視界を無理やり上げた。どうやら一夜は廊下に膝をついてしまっていたらしい。見上げた先には、あの少女――――両面宿儺の姉、それとそっくりな真希の顔があった。


「ご気分が優れないのですか」

「違う」

「違いません。部屋で休まれた方が良いでしょう」


 真希はそう言って、鍵を懐から出すと、すぐにエレベーターへ向かった。ゲンが一夜を引きずる。旅館の中は運営しているには暗く、まるで廃墟の中を進んでいるようでもあった。


「一番大きなお部屋を用意いたしました。お話は気が休まってからに致しましょう」


 エレベーターの扉が、ごうんごうんと音を立てて閉まる。錆びついた端々が汚らしい。


「その前に聞いても良いか」

「はい」

「あの二人……両面宿儺を封じたのは誰だ」


 一夜が問うと、真希はきょとんとした顔をする。何を言っているのか、一瞬わからないような様子で、口に手を当てた。


「二人……? 両面宿儺は神代に戦で負け、かつての皇族に封じられました。それで淀んだこの地を、宮家が統治し静めているんじゃないですか」


 どうやら真希と一夜の間には齟齬がある。互いに根にあるものが何か、異なっているようだった。


「一夜」


 ふと、ゲンが一夜の背から声を上げた。


「お前、両面宿儺が二人って、何でそう思ったんだ」


 ゲンの様子からして、認知が広いのは真希の語る方であった。ただ、一夜の中には確信があった。両面宿儺は二人で、姉弟で、咲宮はその子孫だ。彼等もまたなのだ。


「いや、何でも無い。気にするな」


 一夜はそう言って、ゲンの息を振り払った。

 祭りの夜から何かがおかしい。自分の中に、今まで思い出せなかった記憶が芽生えている。自らの記憶は思い起こせていないのにも関わらず、ずっと前、自分ではない自分のような、誰かの記憶を覗き込んでいる気がした。


 そうしているうちに、エレベーターは五階へと辿り着く。ガコガコとあわない歯車がかみ合うような音がして、扉が開いた。暗いが、最低限の灯りはついている。赤を基調とした廊下は、長く、幾つかの部屋の前には既に荷物が山積みにされていた。人の声は聞こえず、誰もこの階にはいないらしい。


「お布団の用意をさせていただきます。従者を呼ぶので暫く廊下でお待ちください」


 真希がそう言って、従業員部屋に入り込んだ。小さな体には似合わぬ錆びた鉄扉が、ギイと鳴っていた。


「あれが葛木君と真樹君の『妹』かあ」


 唐突に、羚がそう言って、壁に体を預けた。


「妹? というか、金糸屋の……葛木がどうかしたのか」


 一夜が問うと、羚はにっこりと微笑んだ。ゲンも鼻をスンと鳴らすと、一夜を少々困ったような顔で見ていた。


「あのな、一夜、咲宮真希は絶対に女だ。おそらく育つ過程で性別を偽る必要がったんだろうが……立派な少女だ。それと、葛木は確実に咲宮家の子息だ。経緯こそわからないが、この土地に来て確信した。腹違いか同腹……いや、後者だろう。それくらい馴染んでいるし、雰囲気が、こう、近い」


 ゲンは言葉を選びながら、淡々と説明していく。確かに、真希はよく見れば手つきや肩が少女的である。だが、一夜にとっては真樹とそれが似すぎていて、違いがよく分からなかった。齢十だというのなら、まだ性的に判別が難しい時期であろう。真樹も顔つきは少女のようで、女装させればバレないのではないかという程だ。なら、真希だって同じだろうと、そう思ってしまっていたのだ。

 それ以上に、腑に落ちないこともあった。


「葛木は顔が全然違うだろう」


 控えめに言って、正直、葛木は顔があまり良い方ではない。平均的、害も無い雰囲気を漂わせてこそいるが、しっかり見れば、その人外的な歯の並びが醜悪と呼んでも良い。

 ふと、その歯の並びを思い起こす。両面宿儺の、弟。その口元が、一致した。その瞬間、ストン、と、何かが落ちた。


「父親に似たのか、アレは」


 成程、と、一夜の溜飲が下がる。その様子を見て、ゲンはハアっと溜息を吐くと、羚と同じく壁に背を付けた。

 そのうち、またエレベーターの扉が開く音がした。足音はこちらに近づいて来ている。ゲンと羚が構えた。後追いで、黒い、大きな影が見える。それは人型を成して、鋭い眼光を一夜達に向けていた。


「小清水さん」


 と、ギィと、従業員部屋の扉が開いた。そこからひょっこりと少年改め、少女――――真希が顔を出す。人影は、よく見れば黒い着流しを着せられている大男であった。大男――――小清水は困った様に笑うと、ぽりぽりと顔を掻く。その風貌は、人畜無害そうな、善人のようだった。


「遅いですよ、呼んだらすぐに来てください」

「すみません、夕食の準備、七竈に引き継いでたら遅くなって」

「あの人は教えなくても大抵出来ますから、そういうのはしなくて良いです」


 いやあ、どうかなあ、などと言って、小清水は部屋の扉を開けた。


「従者の小清水です。呪術や儀式に関しては壊滅的に才能がありませんし、能力も軽く破壊を持っている程度ですが、見てくれの通りの仕事は出来ます。何か力仕事の人手が足りない時はお使いください」


 主人の辛辣な言葉を聞いて、人数分の布団を軽々と持ち出しながら、小清水は笑っていた。慣れた手つきで彼は部屋の家具を移動させていく。観察していれば、小清水は邪魔だと思ったものは全て移動させているようだった。本来動かすものではない筈のテレビや冷蔵庫、果ては靴箱など、持ち上げては少しずらして、置く。主人である真希は、その様子を見守りながら項垂れていた。


「あれ、本当にお前の従者か?」


 一夜が問う。真希は目を合わせた。


「……えぇ、そうです。従者です。契約書もあります。従業員、ではない、ですが」


 どうやら従業員が一人もいない、というのは、予想している以上に咲宮家を緊迫させているらしい。これでは旅館どころか咲宮家の維持も難しいだろう。順当な話、真樹と真希、どちらが当主になるにせよ、難を背負うのは目に見えていた。


「頼れる親族はいないのか。分家とか」


 ゲンが真希を見ると、彼女はグッと下唇を噛んだ。


「分家はもちろんおります。ですが、その」


 真希は口籠って、そのまま口を閉じた。その様子からして、頼れる相手ではないのだろう。寧ろ、本家と分家がある程度手を取り合っている大宮家のような状態が珍しいのだ。分家は常々、本家に成り上がることを画策している。それだけ本家の地位は魅力的なのだ。本来は少女一人に背負えるものではない。だから仕え人がいる。しかし、咲宮真希に仕える者は、どう見ても、従者としては物足りず、クセが強すぎた。


「……もう一人の従者はどうなんだ。そっちもこんなか」


 一夜が声を絞り出すと、透かさず、一つ、声が聞こえた。


「こんな、ですけど。何か?」


 それは音もなく、気配も無く、一夜の後ろに立っていた。少女でもあり、少年でもあるような、中性的な声。背丈は一夜より一回りある程度で、ジャージを着た姿は中学生に見える。ただ、一際目を引いたのは、風貌そのものよりも、顔であった。正しく、それは人形、神が手ずから作り出したと言って、過言ではない。黒い髪は一本の癖も許さず、大きく丸い黒真珠は、光を通さない。


「七竈さん、何で出て来たんですか」


 真希がそれの腕をとった。彼女は妙に焦っている様子に見える。それ、こと、七竈は、つまらなそうな無表情で、真希を見つめていた。


「手が」

「手?」

「手が届かなかった。冷蔵庫のキャベツを取ろうとしたけど。今朝、イチイと小清水が詰めてたやつ。今日のメニューに入ってた」


 異形のような美しさのその口から出たのは、どうも、気の抜けた言葉の数々だった。

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