玖章:枯凶編

咲き散ると

 僅かに揺れる新幹線の中で、一人、一夜は窓の外を眺めていた。本来いるべきゲンと羚を離して、孤高を静かに貪る。そのうちに、思考を巡らせていた。夏の鎮魂祭から、妙にすっきりとした頭が、ゆらゆらと揺れる。その脳内にあったのは、八割方、真樹を含めた「咲宮家」についてだった。

 咲宮家は、容姿と能力に優れた男児を当主とする「美しさ」と「量産」の家系である。当主を決まって男とするのは、その血を増やすために効率的だからだという。実際、咲宮の先代当主は複数の女と関係し、最も貴い血族の女を正妻としていたと言われている。言われている、というのは、咲宮についてよく知るような者が少なく、幾つかの宮家の者を訊ねて、ようやくそこまでわかったということである。

 最も咲宮家についてよく知っていたのは、紛れもなく樒佑都だった。しかし、それよりも冷静に「現在の咲宮家」を語ったのは、銃夜の従者――――裸女祐多であった。


「咲宮家は原罪の魔女に狂わされた」


 彼が一夜に対して、開口一番に唱えたのは、そんな一言であった。一夜に目を合わせず、我関せずといった表情で、彼は丁寧に、冷静に、黒稲荷神社の一角で、酒の入ったグラスを揺らして言った。

 原罪の魔女、と呼ばれているとある魔女が、先代当主の子を産んだ。魔女はその子の素晴らしい能力と魅了を含んだ美貌をちらつかせ、笑い――――


「――――これを生贄にすれば、より素晴らしい男子が正妻との間……貴い血と共に生まれるだろう」


 と、預言染みた言葉を放ったという。

 その魔女の名をリリス、その子供の名を佑都というとのことだった。


――――そして、咲宮の先代はそれを実行した。十二、十三の咲宮佑都を、咲宮家の別の不明瞭な神に捧げた。その後、全ての期待を背負って生み出されたのが、咲宮真樹という少年であった。


 裸女はそれ以上のことは、自分は知らないと言って、タダ酒を飲み干した。本人が何故それを知っているのか問えば、彼は歯を見せて「美しくはなくとも、大体これでわかるでしょう?」と、鮫のような歯を見せて笑った。それは妖美でも、好印象とも言えない、邪悪さだけを孕んでいた。


 成程、縁者も演者も、とっくに揃っていたらしい。ただ、それらの繋がりが、明るく、輪郭が出来るまでに、酷く時間を要していたのだ。

 そしてもう一つ、一夜は隣の席に置いていたリュックサックを開ける。大量の紙束と、箱。紙束は、いつだったかに千宮から受け取った「柳沢邸」の資料である。


――――犇めく高密度の儀式痕。それに伴う多重の異界。

 現世と異界が「混じっていた」というだけでも、脅威に感じる他ないというのに、それらが複数あったというのだ。真樹がいたあの土地そのもののの調査も、せざるを得ない。故に、目覚めて話を聞いた途端に「手がある」と言った銃夜達を、一夜は亥島に残した。その「手」とやらに、期待こそすることはなかったが。


「そろそろ着くぞ」


 席の後ろから、ゲンが声をかける。思考の中にいた一夜は、一歩遅れてあぁ、とだけ零した。リュックサックの中にある箱が、カタカタと震えた。


「品の無い奴らだ。まだ大人にしていれないのか」


 一夜がそう唸ると、シンとそれは動きを止める。車窓の風景は、少し田舎臭い都市の様子を映していた。車体が止まり、駅の中に車体が入ったことを確認すると、皆が荷を降ろしていく。一夜はその中を何も持たずして、外へ向かう。

 ホームに降り立てば、周りに乗客は少ない。事前に一夜達が向かうと聞いた咲宮家の手配によるものらしい。今現在の咲宮家を知る者達曰く、一かは他の宮家と同様に、その土地の能力者の世界では、強い立場にあるとのことだった。


「……の、割には自分から迎えに来るということは、しないらしいな」


 ふと一夜は溜息を漏らす。後ろで二人分の荷を持つカズが、一夜の顔を覗いた。


「何を考えてる」


 彼の独特な紫眼が動く。瞳孔は収縮し、一夜を捉えていた。


「……お前の寝所に姉さんが行かないように、どう止めるかを、切実に、考えていた」

「な、いや、それは、俺から止める。心配をするな」


 狼狽するカズを横目に、一夜は、どうだか、と歩を進めた。


 夏の東北は北寄りの地と言えど、やはり熱は籠っている。あまり聞きなれない、東京の亥島とは種の異なるらしい蝉時雨を聞きながら、皆、駅の端に座って、荷物確認をする。いつもより少し少ない、十数名ほどの中では、見覚えのない大男が、親し気にカズと話をしていた。

 金の目にしっかりとした黒髪、見てくれは良い方ではないが、健康そうな血色。その男は、一夜の目線に気づくと、朗らかに笑った。


「やあ、神殺し。いや、神代殺しと呼ぶ方が良いかね」


 軽薄で、生々しい言葉選び。ただのその一言だけで、カズとは気が合うのだろうことがわかる。


「お前は何だ。名を名乗れ」

「鷹藤海愛。豊宮本家の食客……いや、最近は仕事を請け負っているし、奉公人? まあ、多分、そんな感じ」

「違う。そうじゃない」


 一夜が、ノアを睨む。その言葉と目線には、僅かな畏怖感を上乗せされていた。


「お前、人間ではないだろう」


 歯を見せて威嚇する一夜に対し、ノアは舌を見せて笑う。


「聞きしに勝るご慧眼……と、でも言っておくかね」


 のらりくらりと、一夜の地位にも威にも動じぬ男。ノアは、一夜と目線を合わせた。


「月読命が鬼の死体と死体ではない魔の者を繋ぎ合わせ、再生を与えたもうたもの――――と、表現したのは、お前の義理の兄……候補だった」

「アレが俺の義兄になることはない。何故なら俺が全力で阻止するからだ」


 そこかよ、と、少々呆れた顔で、ノアは笑う。

 どうやらこのノアという男は、感情と表情が多角的で、嫌みなほどに人間らしく作られている。


「即ちは、月読の神子、ということか、お前は」

「んな所かね。珍しいもんでもないだろう? お父様は宮家が大好きだからなあ。事ある毎に俺達兄弟姉妹を作っては、お前達に贈り付ける。そのうちお前の所にも来るんじゃないか。オトモダチ、なンだろう?」

「量産品、ということか。余りものなら、のしつけて送り返しておこう」

「そんな、デパートの大安売りだとか、百円ショップの季節ものみたいに言うこたないだろう」


 これでも神の子だぞ、と、白い歯を見せて、ノアは笑う。その快活さは、一夜の周囲を取り巻く誰よりも人間らしく感じられた。

 一夜達の準備を待っていたかのように、背後では新幹線がやっと動き出した。ゲンと羚が荷物を抱えて、一夜の肩を叩く。


「……咲宮本邸に行くには、バスしかないそうだが、それに乗るには俺達は人数が多い。とはいえ、レンタカーを借りるにはこちらが連れている大人が足りない。気に食わないとは思うが、咲宮家の方に頼るようにしたから、急ぐぞ。相手方も待ってる」


 そう言って、一夜に歩くよう、ゲンは言った。いつもとは少し異なる面子が、ゾロゾロと東北の地方都市を歩く。この中に、何人咲宮と深い縁があるのか、未だハッキリとはしていなかった。

 一夜達は、宮家は、信頼できる仲間内ではない。それぞれがそれぞれの意志で、お互いを利用し合っている関係である。ただ、それだけの集団だ。唯一、信じられるものは、契約で結ばれている、仕え人だけである。


――――その仕え人も、契約の穴を潜って、主人を黙らせて別行動が可能らしいが。


 チラリと、一夜は葛木を見る。いやに静かな彼は、集団の中から一歩下がって、まるで一夜達を観察するようにして歩いていた。その眼は、誰とも重ならない。


「どうかしたの? 一夜君」


 羚が、ズイと一夜に顔を近づける。その口角は上がっており、目以外は確かに微笑んでいた。


「何も。気にすることはない」


 一夜は瞬き一つ分だけ羚と目を合わせて、短く言う。得体のしれない。と言えば、この異世界から渡り歩いてきたと宣う少年も、そうであった。

 眉を顰めながら、一夜は前に出る。駅前の人だかりは、東京の都市に比べれば空いている方だった。


「――――あぁ、アレか」


 その中で、極めて異質で、それでいて馴染む、そんな「人間」を見る。ゲンを後ろに、一夜は一直線にソレに向かった。


それは白く輝いて、銀細工を思わせる出で立ち。瞳は紫水晶のような、瑞々しい葡萄のような、透き通った紫を称える。その一つ一つが人工的な、所謂作り物のようであるというのに、周囲の人間達は、誰も気に留めない。


「お待ちしておりましたよ、大宮家御一行様」


 そう、銀細工の男は一夜に目線を下げ、アスファルトに膝をつく。近づいてみれば、彼はえらく巨大で、正しく慎ましい人間のようには見えなかった。


「お前は」


 少しだけ、気持ちだけ背を伸ばし、一夜はその男に問う。彼は口元に手を当てながら、目を細める。立ち上がった彼と目を合わせるのは、どうにも首を痛めざるを得なかった。


「失礼致しました。僕は赤檮イチイノゾミと言います。今回、主人から皆様の身の回りの世話を仰せつかりました、うち一人です。宮家の方々によく仕えるよう、言われております……仕え人については、同僚として扱え、とも」


 よろしく、と、イチイはゲンに向かって、手を差し出す。その手には、見たことのない文様が刺青という形で刻まれているように見えた。


「あぁ、よろしく。聞くところ、アンタも本家当主候補の仕え人といったところか。立場は近い。手伝うことがあれば言ってくれ。こちらも人が多いからな」


 ゲンは差し出された手を無視して、腕を組み直した。一気に、空気に圧迫感を齎す。イチイはハ、と笑った。


「勘が鋭い。あの馬鹿龍の息子のくせに」


 だが、良い守護者だ、と、イチイは口を零す。一瞬見せたその表情は、酷く人間的で、また獣性を覗かせていた。


――――これは、主人の方にも問題がありそうだ。

 一夜は唾を飲んで、イチイを隈なく観察する。手にあった刺青は、いつの間にやら消えていた。


「……まあ、話すことはこれから沢山あるでしょう。それでは、咲宮本邸へ……咲宮温泉旅館に向かいましょうか」


 イチイは背筋を伸ばし、他の者達と目を合わせ、そう言った。目線を配る中で、最後に口角を上げて見つめた先は、一人、樒の服の裾に縋って俯く真樹だった。



 大人の頭数と同じだけのレンタカーを示し、それぞれにイチイら成年が乗り込む。彼等を筆頭に、未成年たちは助手席や後部座席に座した。

 一夜が選んだのは、裸女が徐に乗った、一番小さな車。突然、思ってもいなかった少年達が乗り込んだからか、裸女は目を丸くしていた。


「定員が埋まったぞ。何をしている。エンジンくらいかけたらどうだ」


 指図する一夜に、困惑しながらも、彼はエンジンキーを回した。車内は、一夜とその仕え人である羚とゲンに占領され、それ以上誰も座ることは出来なかった。


「……何で、わざわざ」

「人が少ない方が、煩くなくて良い」


 裸女は一夜の簡潔な答えに、溜息を漏らした。先頭を行くイチイの車体が動く。それに合わせて、彼等の車体も動き出した。タイヤが軽快に、舗装されたアスファルトの上を転がる。


「そして、お前にはまだ聞きたいことがある」


 裸女が口以外を動かせない状態で、一夜は言った。


「……ズルいですよ。こんな聞き方」

「元々お前に俺の問いに対する拒否権は無い。俺は宮家上位層で、お前は分家当主の仕え人だ」


 一夜が言うと、裸女は噴き出して、肺をひきつけながら笑った。歯は鋭く、またその言葉も鋭く光った。


「そんなこと無いですよ。俺はアンタに服従する者ではないのだから」

「お前は、いやに偉そうだな。黒稲荷高校で初めて見た時もそうだった。お前は、仕え人として主人を見ていない。まるで、対等に、自分と主人、俺達宮家を天秤に置いている」


 紡がれる一夜の言葉に、裸女は黙る。そして、数秒、赤信号が青に変わると同時に、口を開いた。


「そりゃあ、そうですよ。俺は宮家としての自分を放棄しきっていない。そして、俺は裸女の男。この意味、以前のアンタなら理解していましたよね?」


 以前、という言葉に、一夜は目を見開いた。


「お前、俺の何を知ってる」

「……別に、俺だけが昔のアンタを知ってるわけじゃない。知らないのはアンタだけ、なんて、沢山あるじゃないですか。アンタは大宮本家の次期当主候補だ。だがそれ以前に、極めて不鮮明で不安定な存在だ。だからこそ、俺達から答えを出せない。今のアンタは俺達から突き付けられた事実を、そのままに受け入れることが出来ないからだ」


 知って、その時、壊れる。

 裸女はそう言って、ポケットから煙草を取り出す。火をつけるでもなく、彼はただその一本を咥えた。


「……どういうことだ、それは」


 一夜は唸る。だが、裸女は咥えた煙草を見せつけて、喋れないということを主張した。ギリギリと歯を鳴らす。しかしすぐに、一夜は大人しく背もたれに体を埋めた。


「……羚、ナイフを仕舞え。これは危害じゃない。俺が気分を害すことは、俺への危害とは呼ばない」


 後部座席からナイフを、裸女の首に突き付けていた羚を、一夜は宥める。その刃が引いたと同時に、ガタンと車体が揺れた。ついに、一行は舗装の無い砂利道に差し掛かっていた。

 遠く、木々の隙間に、川と、茅葺の建物などが、立ち並ぶ。それらが温泉街であろうことは、燈籠船と重ね合わせた既視感に付随していた。イチイたちの車が、小さな橋を渡ったのが見えた。一夜達もまた、それを越える。冷涼な空気が、一夜達を包んだ。

 ふと、一夜は自分の影で、パタパタと、飛べない翅をばたつかせる蛾の気配を感じ、踵でそれらを踏みつけた。

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