【どうせ全てが終わるなら本当の言葉を君に与えよう】
部屋の人口密度は、祭りの夜にしては少なすぎるように思えた。先程まで犇めいていた黒服たちは、どうやら、数人を残して何処かへと行ってしまったようだった。
礼の一つも無く出て行くとは、不躾な奴らだと、一夜は残りを鼻で笑う。そのうちの一人、あの錆びた金の男が、こちらを向く。隣にテトリンがにこやかに笑っていたところからして、恐らくは、何か話をしているようだった。男、陰陽師の鈴は、一夜を見下ろす。
「咲宮の餓鬼は見つかったか」
彼は幾度か首をこきりと鳴らすと、ストンと腰を下ろし、一夜と目線を合わせた。
「人間の頸の防腐は難しいぞ。こっちで預かっておいてやろうか」
深淵の奥、更にそれを煮詰めたような、全ての光を埋めるその眼が、一夜の赤い瞳と交差する。何処か楽し気な雰囲気すら見せる鈴の目の前に、一夜は両手を見せる。そのまま、勢いよく掌を合わせた。
破裂音が周囲に響き渡る。近くにいた羚もゲンも、一瞬、思考が止まった。
「煩い。黙れ。お前如きがこっち側に来られても困る」
一夜はそう言って、力の抜けた鈴に顔を近づける。ハッと意識を戻した鈴が、眉間に皺を寄せた。
「国の犬はそれらしく、人間らしくしていろ。今のところお前に役割は無い」
はっきりと、一夜の声が届いたか、鈴は舌打ちをして立ち上がった。そして、一夜の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。ナイフを抜き取った羚とゲンの動きを予知したかのように身を翻し、早足で廊下まで出た。
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらう」
そう言って、彼はトントンと、屋敷の廊下を歩いた。それを追いかけるように、残りの黒服が部屋を出て行く。テトリンが、一夜の傍に駆け寄った。
「一夜、どうだった、真樹君は」
「真樹は眠った。でも多分、すぐに起きるだろう。何か落ち着かせるお茶やおやつがあれば、用意しておいてくれないか。冷凍庫を空けておいてくれ。出来ればすぐに」
そう、と、テトリンは頷く。
「どれくらい大きく広げておけばいいかしら?」
一夜は一瞬、考えるふりをして、無表情に呟いた。
「余裕があれば、大きなスイカが入るくらい。桶を入れるんだ」
すると、テトリンは何かに気づいたように、それなら、と言う。一夜達を薄暗い台所に呼びつけ、明かりも灯さぬままに、その床を見せた。そこには、一つだけ、収納スペースが作られており、夏の夜である今でも、ひんやりと冷たい空気が漏れる。
「今日の為に作ってあったのよ。いつかあるだろう、と思ってね」
テトリンは、苦し気にそう言った。何かを知っている。彼はいつもそうだ。何処かで必ず、テトリンは一夜達を先回りする。一夜はフッと息を吐いて、収納の扉を閉めた。恐らくは、彼もまた関わっているのだろう。
「何をしたのかは知らないが、もし何か関わっているのなら、お前も最後まで付き合え」
嫌だとは言わせない、と、一夜は呟く。テトリンは満面の笑みで了承した。
ふと、急ぐ足音が聞こえた。子供らしい、少年風味のあるリズム感。一夜は、真樹、と呟くが、その目線の先にいたのは、全くの別人であった。
「一夜様、あの、真夜様を知りませんか」
光廣はそう言って、一夜を見つめる。一夜が首を傾げた。
「知らん。食品系の夜店が既にもう全滅しているが、そういうことなんじゃないのか。もう一人の方の守護者も一緒になって」
そう一夜が言葉を繋いでいるうちに、その噂の人物が現れる。何処かいつもよりも気だるげな葛木が、光廣に足音も無く近づいた。光廣君、と、葛木が肩を叩くと、その気配を感じていなかった光廣が、畳を蹴って驚く。言葉も無く筋肉を痙攣させて、葛木を見る。
「そんなに驚かないでくれる?」
「い、いや、ちょっと、あの、気配が違いすぎて……別人かと思ったんだ……」
葛木を見て、光廣は眉間に皺を寄せた。確かに、その違いは一夜にも理解出来た。何処か懐かしい、慈しみや悲しみといった感情が、その影から覗いている。何処かで知った。何処かで出会ったことのある、それらが二つほど、『いる』気がした。一夜が葛木の影を見つめていると、ふと、葛木が言った。
「一夜様、佐々木さんから先に許諾は得ていますが、一応」
しっかりと一夜に目を合わせ、葛木は指を二つ掲げる。
「屋敷の一部で、真夜様と銃夜様が眠っております。布団などは佐々木さんから借りました。明日の朝までここで俺と光廣君と一緒に、真夜様の身を預かって頂きたいと思います。銃夜様も晴嵐君と初風さんが一緒に明日の朝までいるつもりみたいです」
淡々と、業務連絡を続けていく。その調子はいつも通りに見えた。一夜はここまでハッキリと喋る葛木を見たのは初めてだったが、光廣の落ち着いた様子からして、そう変わった行動では無いのだろう。
「待て、何で初風が銃夜と一緒にいる」
一夜が言うと、葛木は暫く押し黙って、口を開いた。
「さあ? でも、悪いアレソレではないみたいですよ」
表情をそのままに、道化を見せる。突っ込んで良い部分では無いのかもしれないと、一夜は鼻を鳴らして黙った。そうだ、と、一夜が再び口を開ける。
「屋台の飯を食いつくしたのはお前達か」
「半分くらいは真夜様ですね。晴嵐君と一緒に回ってたみたいですよ。お腹が空いたって。残ってたのは俺が食べました。俺も空腹だったので」
すらすらと事実だけを述べる。既に始まって暫く経っていた夜店くらい、真夜と葛木であれば全滅させることは簡単だっただろう。
「そういえば、真樹君はまだ出てこないんですか」
周囲を見渡して、葛木は唐突にそう言った。
「何か用でもあるのか」
「まあ、少し、確認したいことがあって」
つまらなそうに彼は呟く。一夜はそうか、とだけ置いて、その場に座り込んだ。共に、葛木と光廣が、部屋の隅で目線を下げる。
ふと、空気の流れが変わる。閉まっていた襖が開いた。
「お待たせしました」
樒がひっそりと部屋へ入る。小脇に桶を抱えて、静かに目線は下を向いていた。
「佑都君、こっち」
テトリンがすぐに、樒を手招く。ふと顔を見上げて、彼等は目を合わせた。示し合わせていたように、樒は真っ直ぐ床下収納へ桶を入れた。ゴトンと重たい音がする。濃い血の匂いが、ツンと鼻についた。一夜が怪訝な顔をしていると、樒が気付いたようで、声を上げる。
「すみません、布を巻いてビニールをかけたのですが、やはり漏れていますか」
樒の言葉に、一夜は、あぁ、とだけ答える。それを不思議そうに、光廣が見ていた。光廣の隣で目を瞑っていた葛木の目が、開く。
「それは……あれは、咲宮佑都の頸ですか?」
唐突に、葛木がそんなことを言った。驚いているわけではない。ただ、真実のみを俯瞰して見ている。
「そうですよ」
同じ温度で声を交わすのは、樒だった。暫くの沈黙。再び葛木が口を開く。
「咲宮家に持って行くんですか」
急転する言葉に、隣では光廣が目を丸くしていた。何処か突っかかるように言う葛木を見て、一夜はふと口を開く。
「持って行くかは別として、咲宮家には行かなければと思っている。どうやらあちらでも何か動きがあるらしいからな」
そう言って、一夜は遠くを見た。その先には、廊下と庭が見えた。それらを挟む襖の、その後ろから、白い毛玉のようなものが覗く。ぬいぐるみのようなそれは、じわじわと視界に入り込み、一夜の眉間に皺を寄せる。
「面倒くさい。入るなら入れ。嫌なら帰れ」
一夜がそう言うと、その毛玉はひょっこりと急いで顔を出す。それは、巨大な鶏の頭。否、鶏の被り物をした青年だった。その異様な存在感に、その場にいる全員が首を傾げる。そんな空気感を無視して、青年は一歩前に出ると、膝を床に着けた。
「咲宮真樹様を守護するよう仰せつかりました、
この手の人間の中ではいささか平凡な名を、淡々と述べる彼は、表情こそわからないが、好意的に頭を低くする。敵意は見られなかった。ただ、真樹を柳沢ではなく、咲宮と呼び、更には主人として呼称する様子は、酷く違和感がある。
「そのふざけた頭はどうにかならないのか」
一夜が問うと、内田は少しだけ頭を抱えて、すみません、とだけ置く。
「顔は見せたままだと、まともに話せないんですよ」
「面布を使えばいいじゃないか」
「あれ、ダサいじゃないですか」
世間話をする鶏頭という姿は、酷く滑稽で、また不自然極まりなかった。一夜は溜息を吐くと、内田を睨んだ。
「それで、お前の主人は誰だ」
「咲宮真樹様です」
「違う、そうじゃない。俺が聞いているのは、お前の雇い主のことだ。守護者は本人が雇う場合も無いわけではないが、真樹が自分でお前を雇ったとは思えない。お前を雇い、真樹を守れと命じたのは誰だ」
答えの如何によっては、と、一夜は歯を見せて、合わない視線を無理やりに繋げた。内田はこてんと首を傾げる。
「それは真樹様がお聞きになられればお答えします。一夜様は大宮家の次期当主候補ではございますが、俺の主人ではあられません。守護者や従者がその契約状況を秘匿するのは、主人を守るため。俺は真樹様を守るために貴方の言葉の一切に従うことなく、真樹様の言葉にのみ行動を行います」
つらつらと並べる言葉の一つ一つに、棘がある。一夜にそれを投げつけて、彼は鶏頭の中で笑った。
「俺は貴方の守護者でも従者でも―――—信者でもないんですよ、一夜様」
周囲から際立つのは、悪意と殺意、そして困惑だった。皆、一夜にそれほど言葉を強く叩きつける仕え人を見るのは、およそ初めてだったからである。困惑する者の殆どが、この内田を見ていた。だが、一人、俯瞰して見ていた葛木だけが一夜を見ていた。
「それで、アンタは何をしに来たんですかね。咲宮真樹の守護者になりました、で、それだけならこの日に来る必要はないでしょ。守護者になった、というだけなら、もっと前に来ても、もっと後に来てもどちらでも良かったはずだ」
葛木がふと内田に目を向けてそう言い放った。そうでした、と内田は硬直した空気を切る。
「咲宮真樹様が十三歳になられるということで、真樹様と真希様のどちらが次期咲宮本家の当主になるか、そろそろ決めなければならないと、本家の方へと、真樹様をお呼びさせて頂きに来た次第です」
本家、と光廣が相槌を打った。一人、樒が目を見開く。
「待て、どうしてそうなるんです。真樹君は咲宮家としては既に鬼籍でしょう。だから彼は柳沢真樹として今まで生きて来たんです。何故今更咲宮家に戻る必要があるんですか」
樒が、ボロボロと言葉を吐き出していく。いつもの彼では見せない姿だった。真樹を中心にして、何かが捻じれている。その場にいる、その何かを知らない全ての人間が、それを直感的に感じていた。
その捻じれたものを正す様に、一夜が唐突に、声を上げた。
「……先程から話を聞いていると、真樹は咲宮の本家の男児ということだな」
「はい」
「その真希というのは双子か」
「いいえ、二つほど下の弟君です。同腹の方ですよ。大変お顔も似ております」
まるで異母兄弟もいると言っているようだった。まあ、そうだろうなと納得できる程度には、一夜は咲宮の性質を知っていた。
咲宮家は元々、女好き、色欲の強い男が生まれやすい気質と、多くの女に多くの子供を産ませる風習がある。現代においても正妻を娶りながらも愛人が二、三いても不思議ではない。産んだ子供の多くは売られるか母親の家系に引き取られるが、中には良質な生贄として、身内で消費することもあるという。真樹は本来、その生贄だったはずである。少なくとも、柳沢邸のことを考えれば、既に咲宮家としては籍を持たず、当主になる権利も無いだろうと考えられた。柳沢という性も、母方のそれであるとすれば、筋は通っていたはずだった。だからこそ柳沢の一人である崇知を手元に置いたのである。親族であれば何か知るところ、出るボロもあるだろう、と。それでも、その本質はわからなかった。そして今、より一層、真樹の過去も処遇も、不可思議なものに見える。
「……確認したい。お前は嘘を吐くか」
一夜は喉を震わせる。その言葉を聞いて、内田は胸に手を置いた。
「夜明けの星に命を預けて、嘘は言わない、言っていないと宣言します」
聞き覚えの無い文言を、彼は唱える。ただ、仕え人が宮家を前にして命を預けると言ったのだ、信じないわけにはいかなかった。
「まあ、良い。最初から咲宮本家には行かねばならないという話ではあった。真樹の様子も、真樹の式神の話もある。ついでに咲宮の次の当主を拝もう」
一夜はそう言って、ゲンに支度を指示する。周囲の人間が、僅かに動き出す。一人、また一人と、次々に準備をしていく。当たり前のように、皆一夜に着いて行くつもりらしい。
ただ、一人光廣だけはその場から離れようとしなかった。立ち上がった葛木が、彼の顔を覗き込んだ。
「今度は何がしたいの?」
どうやら葛木は咲宮本家に行くつもりらしい。当たり前に、光廣がそれについてくるものだと、流れでそう錯覚していた。
「……暫く、真夜様と銃夜様はこの土地から動かさない方が良い、と思うんだ。今日のことで消耗が激しい。体が変わり過ぎた。だから、二人は、真夜様は、咲宮本家には行かせられない」
それに、と付け足して、次々と彼は言葉を流す。葛木は膝をついて目を合わせる。
「それに、今の真夜様には晴嵐君がいないといけない。それと同時に、晴嵐君無しじゃ銃夜様も……」
口籠る。どちらも、主人やその他を優先する答えに聞こえた。葛木と光廣はお互いに言葉を口にしなかった。光廣としては、完成した仕え人たる葛木が、主人達を置いて一夜に着いて行くとは考えられなかった。
「そう。それじゃ、光廣君は暫く一人で頑張って。ここにいる間は安全だと思うけど、何処か遠出するなら樒家から臨時で誰か出してもらえば良いよ。ついでに銃夜のことも見てて。多分、裸女さんも一緒に咲宮に行くから」
今までは、そんなこと無かったのだ。今までは。
指先が震えた。葛木は、やはり変わっている。何かが変異している。感情だとか、そう言ったものの前に、何か、重要な彼の中身が、何かに影響を受けて、彼を彼ではない――別の少年へ昇華させている。その後ろ姿に、海夜を見た。一人で何もかも決めてしまう、あの少女が見えた。光廣は唾を飲んで、彼が行く先から目を瞑った。
そうしているうちに、玄関ががらりと開いた。
「おや、慌ただしいね」
以前見かけた時よりも、少しやつれただろうか。大柄な着物を着たその男は、一夜に笑いかけた。豊宮一姫は、一夜の頭に、躊躇なく掌を押し付ける。
「今日はうちの馬鹿が世話をかけたね。君もよく頑張ったみたいだ」
一姫の大きな掌が一夜の頭蓋を覆う。彼の柔らかい笑みの隣、金髪紫目の女がクスリと笑った。それに合わせて、一姫は一夜に問う。
「すまないが、場所を貸してくれないかな。此処じゃないと話にならない人と会うんだ。それに、お迎えを待ってる子が此処にいるんだ」
少し困ったように彼は言った。不思議と、一夜の中に不快感は無かった。
「貴方には恩があるので、好きにしてください。部屋の用意は佐々木が」
そう言って、一夜は佐々木を呼んだ。その様子を見ていた一姫は、もう一度一夜の頭を撫でる。
「うん、ありがとう。もう少し素直に言葉が言えると良いね。それと、もうすぐ君が一番楽しみにしていたものが来る。正確には違うが、ある意味で君が勝ち取ったものでもある。少し、ここで座って待ってると良い」
じゃあ行こうか、と、支える女に身を寄せて、一姫は佐々木の後ろを歩いた。足に重みが見える。肢体の一部から、腐肉の匂いがした。
暫くして、再び玄関が叩きつけられるような音がして、ドタバダと廊下が煩くなった。その中には驚きの声が混じっている。一夜は一度、目を瞑って、また開いた。音が近くなる。この音を、初めて聞いたようでいて、しかし懐かしいとも感じた。知っている、心臓の音。だがそれは、近くなるにつれて、見知らぬ何か、異物のノイズが巨大になっていく。
「ただいま」
一夜が向いていた襖が、スッと開いた。一夜は伏せていた目を開ける。目の前のソレと、目が合った。言葉が詰まる。言うべきではない言葉を、言わなくてはならなかった。一度舌を噛んで、一夜は口角を作った。
「おかえり、姉さん」
目の前にいたのは、瞳の色も、生命の音すら変わった、姉――まごうとなき朝伏であり、朝伏の姿をしたまた別の誰かだった。
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