第43話 「光へ」
目に見えて濁っていく、手つかずの水槽とは違う。
私の行動やその意図を、片目の彼は手に取るように理解しているのだ。
私の身体に不具合や異常が生じる段階まで、彼が放置し見過ごすようなことはまずない。
枯れゆく花に、彼は水を与えた。
息を吹き返した花は、住みかを変え、水から離れずに生きることを選んだ。
「誰にも迷惑をかけずに枯れてしまいたい」という願望よりも、「少しでも長く咲いて彼の隣にいたい」というわずかな希望の方が、花の内側で次第に膨らんでいった。
そうして、すでに・真っ先に醜いほうの花の姿を知ってしまった彼に、「きれいな姿を見てほしい」という欲さえ出てきたのだ。
けれど、彼の与えた水は、極めて特別なものだった。水を確保し花を潤すために、彼自身がとてつもなく苦しむ……
冷たい水を分かちながらも、花は身を焼かれるような情念に悩まされ続けた。
生きて、何処かへ行くことができて、わずかな安らぎを掴むことが叶って。何でもないようなことが、光を受けた水面のように輝きを放つようだった。
私の身体は、いわば透明な水槽だ。必要なだけ水を入れて満たし、定期的に水は取り替えなければならない。
彼には、水を取り替えるべきタイミングがいつなのか、わかるらしい。全てを話してくれたわけではないが、彼もまた、私と同じように水槽を持っていて、私の水槽の水と入れ替えることで成り立っているらしい。
取り替えた水は彼の水槽で浄化され、また私に返ってくる。
彼は、見るからに難しそうな文字列を床に並べ、必要な術式を白いチョークで描いていく。確実に、安全に水の取り替えをするためにも、この工程は省くことができないようだ。
「~♪︎」
幸いにも、私の魔力は「声」に宿っているため、わずかだが彼の手助けをすることができる。私の声に反応して、術式の一部が点滅する。彼からは、点と点を結ぶように……星座を描くようにイメージするといい、と最初に教えてもらった。
幾度めかの点滅の後、全ての文字列が――視界の全てが白く染まる。段々と白以外の色が現実に引き戻されて来る頃、光の粒子がキラキラと雪のように舞い始めた。
――身体が軽い。
それまで何処か痛みがあったわけでも、不調を抱えていたわけでもないのに。何かが変わったことを、私の身体ははっきりと認識している。けれど、私が軽くなったのであれば、彼はその真逆の状態に変わった……ということを忘れてはならない。
彼は額や首筋に汗を浮かべながらも、じっと私の様子を見ていた。今回は特に、前の取り替えから随分経っていたから、彼は痛みを思い出して更に苦しいはずだ。
「○○○」
「……」
私が名前を呼ぶと、彼の紅い目が髪の隙間から揺れ、鮮やかに現れた。
「……雨のように、静かで荒々しい。それでも、避けるよりもすぐ近くで、時を忘れるほどに浴びていたい。そう思うほどに、美しい声だ」
「……」
花の輪郭をそっとなぞるように、彼の手が私の頬へと伸びてくる。私は、やさしい熱を感じて思わず、吸い付くように頬を寄せた。
「……乾いてる」
ちら、と横目で彼を確認しながら、今度はこちらからも手を伸ばす。指先で触れた彼の唇は冷たく、青白いようにも見える。長く雨に打たれた後のように、彼の身体は冷えきっていた。
私は彼の首もとへ、そっと倒れこむ。そしてもたれかかるように身を預けると、彼が良いと言うまで、目を伏せて待つ。
彼は、私の頭を片手で引き寄せて、髪に触れた。
情報屋とバーシンガー なでこ @Zzz4sheep
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