第42話 ひと針
煉瓦や石の街並みを進んでいた男の足が、前触れもなくピタリと止まった。自分の高い身丈よりも更に高い、頭上のはるか上へと静かに視線を向ければ、
“こんにちは”と、やわらかな声が降ってきた。
「ちょうど良かった。今なら空いてるから」
控えめに右手を降る声の主の姿は、次の瞬間にはそこにはなかった。少しの間下で待っていると、小石が水面を跳ねていくかのような忙しない足音と共に、少女が現れた。
「おい。落ちてるぞ」
「あっ……いけないいけない」
宙に舞う小さな羽根を手のひらで受け止めた男に、控えめな声は少し気恥ずかしそうに答えた。よいしょ、と頭の上の羽根冠を直すと、目線に合わせてしゃがむ男をじっと見る。
「“友達”は元気か?」
「……!はい!あれから、少しずつ練習して……前よりは弾けるように、お喋りできるようになったかな」
そうか、と男も嬉しそうに笑み、少女の頭を撫でてやる。出会った時は泣いていた少女も、もう一人前の管理者――宿の店主になっていた。
「あの。……ジャムとパン、部屋に置いてあります。早めに食べてね」
「……わかった」
少女から受け取った鍵を携え階段を上がった先で、私と彼はひとつの部屋に行き着いた。
「いくつあるか数えてくれ」
「ふたつと、ひとつ。地図のようなものと、鈴蘭の花束よ」
ふと、彼が私に背を向け、荷ほどきをしながら“テーブルの上にあるもの”について尋ねてきた。
一目見れば分かりそうなもの・ことを彼があえて聞くときは、とても重要な・仕事に関わる事項であることがほとんどだ。
私が不思議そうにテーブルを見つめている間に、荷ほどきを終えたらしい。
彼は、低くゆっくりとした声で答えをくれる。
「“ジャム”は、その難易度と報酬の高さに煮詰まって、他の連中が買えない依頼。
“パン”は、様々な形の組織から別々に来たものだが、そのどれもに共通点や繋がりがある依頼のことだ」
「あなたの取り出した“それ”は……?」
「チョコレート……いわば“カトラリー(銀食器)”だ。別々に見える依頼を重ね合わせて同時に進め、確定事項を塗り固めてつぶし、本当に俺に必要な部分を切り分けるための駒」
片目の男は、懐から取り出したまっさらな紙の上に文字を滑らせ、鮮やかに封をした。
“チョコレートを配りに行こう”と話す片目の男は、大柄な男を呼びつけて早速手紙を渡した。
「けっ。甘い見た目に似合わず、苦い報酬だ」
「……お望みなら、もっと割ってもいい」
「分け前が減るだろうが。そう易々と信頼を溶かされちゃ困る」
片目の言う“チョコレート”の意味をすぐに理解して、大柄な男は渋々依頼を受けることに決めたようだ。
「できるだけ気付かれず、上手く“調理”してくれ」
「わかったよ。それも、なるべく火を使わずに……と」
依頼をこなす手順をすでに考え始めているのか、大柄な男は手紙をもう一度見ながら手の中で燃やした。
「仕方ねぇ。“リンゴ”だ。そっちも、傷む前に食べろよ?」
「中心が甘いんだ。時期を逃さずに買うさ」
片目から受け取った“チョコレート”と交換するように、大柄な男は“リンゴ”……赤と緑の石をこちらに投げた。後から聞いた話によると、“リンゴ”は“時期を逃すと受けられなくなる依頼・それに関係するもの”を指すようだ。
「俺にできるのは、“刻む”こと。動くものも動かないものも、小さくして隠す。入り口が見えれば、最奥まで辿り着けずとも他の連中が途中まで突破してくれる」
このとき、片目の男には何かしらの突破口が見えたのだろう。数日間滞在するはずだった宿を1日で後にして、すぐに次へと向かった。
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