第41話 星を飲んだ蛇
声を失って
彼女にとっては、声こそが命そのものだった。声は羽根であり、足に同じだった。
他所へ飛び立つことも、安心して歩くことも。自由に世界を渡り、自分から他者へ近付いていくことが怖くなった。
『自分が一番愛する人の生きた時間・それと同じだけ、声を失って過ごす』
人魚姫に似た彼女には、『天秤』の魔法が授けられた。片手と片手が釣り合ったとき・または重さや量がある程度分けられたとき、特別な効力を発揮する。
向けられた力を打ち消す
重さを分ける
倍にして跳ね返す
彼女という“器”が耐えられるぶんだけ、魔法は使うことができる。
そして今日。彼女は、剣を与えられた。
彼女の愛する人が生きている限り、彼女の声は戻ってこない――更に言えば、声が戻る期限が先伸ばしになっていくだけだ。
いつまでも、本当のことを伝えられないまま。時と時間が無情に過ぎ去っていくだけだ。
直接愛するひとに会って、その手に触れられたなら、内に秘めるしかない今の想いを少しでも伝えられるかもしれない。
《……会いたい。“あのひと”に、会いたい。でも、会ってしまったら私、どんな顔をすればいいかわからないわ》
彼女は何処か淡い期待を、海に浮かぶ泡のように生み浮かべて、暗がりの道を音を立てずに歩いている。
…………………
《心》を震わせたもの
心臓たる《心》を
もう一度動かすのだ、そのためには
語りかけなければならない
叩かなければならない
《心》が目覚めるように
《心》が耳を貸すように
《心》に感じさせる
《心》に聞かせる
美しい風を
美しい空気の震えを
美しい、歌を――
それこそが、《心》の空白を埋める
それこそが、《心》に色を与える
《心》の近くで生まれ
《心》の近くで育ち
《心》の遠くで歌うもの
《心》を締め付け、苦しめる
愛を持ち
希望を持ち
ひとすじの悲しみの中で笑み
絶望に落ちたもの
それこそが、鍵になる
「ほんとに、面倒だよ。彼女が《声》を手離さなければ、《心》はもう一度動いたに違いないのに」
「彼女の《声》は、ひとりの命と等しく価値ある・尊いもの。仕方あるまいて」
「……しかし、《声》と引き換えられた命は、《精霊》を宿した男のもの。よもや我々が、精霊殺しの業を追う時代が来たとは……」
先ほどから、複数の声だけが右と左・空間を行き来している。閉ざされた扉からは、もう誰も入ってくる気配はない。
「早急に男を始末しなければ。男が生きる限り、彼女の《声》はいつまでも戻らん」
「《双子》が手を尽くしているが、やはり難航している模様。やはり、男を始末できるのは、《天秤》だけだろう」
「よく見張っておくことだ。《天秤》の彼女は、何かあれば自身の命よりも男を優先させるはず。そこで絶たれては叶わん」
円盤のように、ただ中央だけを空けて集まった
星たちは、絶えず囁き続けている。普段は他の者たちのことなど見向きもしないかれらにも、時間の終わりは迫っている。
「《心》は、いつか言っていました。
“この指に・手のひらに鳥を止まらせることの何と難しいことか”……と。誰でもできることではない。手を伸ばし、鳥が応えて、歌を受け取った者だけ。鳥の心を温かく溶かしたものだけが、許される」
「“星”は、昇り、落ち、再び巡ることしか知らない。空の上でしか存在できない、ひとには到底遠い存在。名前のない“星”のことを、人々は知る術も持たないだろうとも」
「幾百の時を経て、眠りに落ちた“星”の《心》を再び空に巡らせるときが来たのだ」
ある者が、音の始まりを告げる指揮者のように人差し指を天に向け、言葉を放った。
「鳥の声を聴かせて差し上げよう」
指揮者の合図に合わせるかのように、場に集まる全ての奏者が静かに頭を垂れ、祈りの如く唱えた。
「《心》のそばで、鳥の声を」
「《心》が目覚めるその日まで」
……………
「《蛇》とワタシ。どちらも唯一無二の毒を持つ者として、《心》のそばに仕え、補佐していたあの頃が懐かしい――」
ある男は図書室で本を開きながら、ふと昔話を始めた。目で追っている文字列とは違う内容なのだろうが、目も手も、口も……いずれかひとつ・どれも止めることなく男は語り続ける。
「《心》はとても不思議なお方だった。高貴な雰囲気を纏いながらも、自分の知らないこと・未だに見たことのない事象に対して、とても純粋な好奇心を持っていた。穏やかで温かく、眩しい存在だった」
わずかに一瞬だけ目が細められたのは、懐かしさからか。私が考えを巡らせる暇もなく、暗雲がたちまち男の表情を曇らせてしまった。
「……故に、果てのない闇底に染まっていく様を、《蛇》とワタシは手を差しのべるでもなく見届けた。それで《心》が安らかに眠ることができるのならば、と」
《――けれど、力を・存在を必要とする星たちが“もう一度”と願ってしまったのね。私が、“あのひと”にそう願ってしまったように》
他の“星”たちの思惑・それによって起こる最悪の結末が、私にはよく理解できてしまう。けれど、食い止めるに至る力が、私には足りない。
「《蛇》亡き今、止められるのは……手を打てるのはワタシだ。いいや……キミもだ」
押し潰されそうな現実を小さく切り取って、人知れず道を開こうとしている私たちのことを、誰も気付かないでいてほしい。飛べない私たちは、飛ばなければならないから。
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