第2話

 とても厳しい両親に育てられたのだろうと思われたかもしれないが、

 私はごくごく普通の家庭で育った。


 長女ということもあり、厳しく育てられた方だとは思う。

 母にヒステリックに叱責されることは度々あったし、何度言われても言うことを聞かなければ父からげんこつを食らわされた。

 時代が違えば幼児虐待と言われたかもしれないが、当時は珍しいことではなかったし、

 無理難題を言われたり、理不尽に叱られるようなことはなかったと思う。

 ただ私を心配して叱ってくれていたのだろうと今は思える。


 でも私は幼心に鬱陶しく感じていたし、とても不自由を感じていた。

 私自身、好奇心が強い性格だったことも関係しているかもしれないし、

 もうひとつ、

 両親は愛情表現が下手な人達だった。


 最近のSNSなどを見ていると、まるで恋人のような親子がたくさんいるなぁと思う。

 頬を寄せ合って写真を撮ったり、ハグや時にはキスなどのコミュニケーションをとり、親は子にあなたのことが大切で大好きよと言葉にして伝える。

 子も親に大好きだよと言う。


 それを気分良く思わない人もいるでしょう。

 私も見ていて気持ちの良いものとは思えない。

 だけどこうやって愛情をたくさん受けて育った子は、穏やかで他人を思いやる余裕のある子に育つのではないかなと思う。


 私は親から褒められた記憶があまりない。

 抱きしめられた記憶もあまりない。

 きっとなかったことはないと思う。

 でもたくさん叱られたことはよく覚えている。


 叱られるということは否定されるということだ。

 こちらが悪いとしても、否定され続ければやはり傷つく。


 そして幼い私が何か間違えたりできなかったりすると笑われたことにも傷ついていた。

 嘲笑ではなく、ただ単に子供って面白いわね、という感じで笑っていたのだろうけど、私は馬鹿にされていると感じていた。


 叱られても笑われても、抱きしめて「大丈夫よ」「大好きよ」と言ってもらえていたら何か違っていたのかもしれない。

 そこまでしてくれなくても、たまには思いっきり甘やかしてくれていたら…。

 でも幼い私はただただ毎日、否定されることに心を擦り減らされていた。


 当時は、両親は私のことを特に好きではないのだろうと思っていた。

 私のことを好きでもなく、ただ叱る人達のことを一方的に好きだとも思えず、私も両親のことは特に好きではなかった。


 ちなみに父は当時は口数が少なく、怒らせるとげんこつを食らうのでとにかく恐ろしい存在だった。

 父が家にいる日はピリッとした。

 そして亭主関白でなんでもかんでも母にやらせ、ちょっとしたことに文句を言うのが嫌だった。

 気分屋なところもあり、機嫌がいいと遊んでくれたりどこか連れていってくれたりもした。

 今思えば、おそらくすごく普通な父親だ。


 そんな普通の両親に育てられた私は、だんだんと認められたいという思いが強くなっていった。

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つまらない私のつまらない人生 川瀬響希 @hibiki_k

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