第30話

あれから、一年半と言う歳月が経った。

 茂は司法書士、行政書士、社会保険労務士いずれも同時期に取得することが出来た。  いっぱしの書士だが、事務所開業の経験がない。勉強中蓮見の処で、週三日のバイトをさせてもらっていたが、弁護士事務所と司法事務所と掛け持ちだった。蓮見が使い走りでいいか、と言った。何の不服も無いとそれに甘んじていた。一日三往復する役所周りに音をあげたい時もあったが、それを承知で転職に挑んだのだ。その間茂の家庭は、芙紗子の二十四時間勤務状態は変わることがなかった。茂はバイトと良美の世話と資格試験の勉強、専門学校の授業、それに家庭の主夫のありようも変わらなかった。時間の配分を考えたが無駄であることに気付いた。相手は仕事を無限の中に求めてくるのだ。制約された時間の中にそれを納めることは不可能だった。

ある時、三歳を過ぎた良美が、

「パパはどうして時間に迎えに来てくれないの、良美困ってしまうの。どうしましよう」

 と大人顔負けのセリフを言ってのけられた。

 これって良美を取り巻く環境から感じたセリフなのか、良美の持って生まれた感性からのセリフなのか、良美を見詰めた。するとまた徐に言ってのける。

「あまり考えないことよ、パパ。今日の夕飯何にする」

 茂はのけ反ってしまう。頭の中は芙紗子のセリフと重なっている。

 ある日風呂上がりの鏡に映る身体に驚愕した。体重を計ると、約五キロ痩せていた。食欲が落ちたわけではない。外出先でラーメン屋にはいた時もある。一日四食をたべ平らげる食欲はあった。深く考えることを避けた。芙紗子に言われた時がある。

「パパ、食欲はあるのでしょ?」

「どうして、そんなこと聞くの」

「食欲があるのだったら大丈夫よ」

気にも掛けなかったが、痩せて来たことに気付いたのだ。それだったら、もう少し芙紗子が家庭の仕事をしてくれればこんなことはないと、むかっと来た。


 茂は事務所を開くにあたって、経験を積みたいと蓮見に相談すると、二年間臨時雇用と言う期限付きの職員に採用された。主に司法書士のところで働いてくれと言われる。田辺と机を並べてくれた。田辺の下には二人の女子事務員が居る。その二人の仕事ぶりを見ていると、机上の勉強と実務の仕事の差に、追いつきたいと焦る。

 二年と言う歳月は、長いような気もするが、すぐに来てしまうような気もする。もう後戻りは出来ない。実務を習得するのが最課題。時間中に終わらず「家に持ち帰ってもいいですか」と田辺に尋ねた。すると、

「事務所の方が資料もそろっているから簡単に片付きますよ」と怪訝そうな顔をする。

 田辺は茂家族の状況を知らないのだ。蓮見は強いて言う事でないと思ったのだろう。

茂は戸惑ってしまった。家庭内情を話す事が、気まずい垣根を作って、仕事に影響すると感じたからその日事務所で片付けようとした。事務員の平田が、茂の家族情報を知りえていたのか、やんわりと「それわたしの仕事なの。ごめんなさい気がつかなくて」とやんわりと代わってくれた。期限付きであっても社員だ。甘えていいものか迷ったが、保育園から、その日六時十五分までに必ず迎えをお願いします。保母全員研修に行かなくてはならない。一か月前からお達しがあった。言葉に甘えて帰らせてもらった。

実務仕事の経緯を学ぶことに向きあって十日が過ぎた時、芙紗子と良美が、

「パパが、一人で奔走しているのを知っていながら、お手伝いもしなかった。ごめんなさい。良美がパパにありがとうと言いたいと言うの。明日日本橋にあるレストランに予約を入れておいたの。七時から、私と良美はちょっとおめかしして行きます」

 二人は同じ様に首をななめに傾げ、嬉しそうに笑う。


 茂は事務所を出たのは司法書士グループがみんな帰った後だった。言われたレストラに入ると其処には、蓮見と田辺、事務員の二人、立ち上がる。芙紗子と良美が俺の腕をとって席に着かせる。俺の第二章が始まる祝賀? そう思うと涙が滲んだ。   了

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夫と妻の距離 @daichishizuko

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