斜陽の章 第5話 清正
1588年(天正十六年)
6月 筑後柳川にて、隈部親永処刑。同時期、豊前小倉にて息子親泰も処刑。
7月 摂津尼崎にて、一揆勃発の責を負い、佐々成政切腹。
赤星統家、島津家の計らいにより薩摩鹿籠の領主喜入氏の客となる。
1597年(慶長二年)
赤星統家嫡男・赤星親武娘、加藤清正の側室となり、親武も加藤家に出仕する。
1611年(慶長十六年)
6月 熊本藩主加藤清正死去。
1615年(元和元年)
6月 赤星親武、大坂夏の陣に豊臣方として参戦し、戦死。
1619年(元和五年)
6月 流浪先の阿波にて赤星統家客死。
1632年(寛永九年)
5月 熊本藩加藤氏改易され、代わって細川氏が入る。
1638年(寛永十五年)
3月 赤星統家嫡孫・赤星道重、島原の乱にて一揆指導者の一人となり、江戸幕府軍と戦い戦死。
乗る馬を間違えた家の末路は常に悲惨であるが、奇縁もある。側室たちを肥後の女から求めた加藤清正の筋から、敗者復活の可能性が見込めたのだ。側室菊池武国の娘の血から夭折するも加藤忠正が、側室赤星統家の孫娘の血から江戸幕府老中阿部正能が出ている。これは清正が肥後において神格化された一助でもあるとともに、敗者が完全に忘れ去られる事をも防ぐという別の効果もあったに違いない。肥後国人衆のおびただしい死は、全て加藤清正に集約され、新たなる肥後が形成される。
遠周縁の時宜 蓑火子 @minohigo
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