季節は巡る
電車の窓の外が、見慣れた景色に変わっていく。
あれから七年の月日が過ぎた。高校三年生だった私も、いまや社会人三年目になる。
今、あの頃を振り返ると、あれが本当に恋愛だったのかわからなくなることがある。恋心と呼ぶにはあまりに幼くて、愛と呼ぶにはあまりに拙い。本当はただの憧憬だったのかもしれない。
あれから私もいくつかの恋愛をした。あの頃よりもっと距離の近い恋愛や、もっと感情的な恋愛もあった。それでも、私の前には未だに先生を超える人は現れてはいない。
きっと淡い青春を美化しすぎているのだろうと思う。真実は分からない。何せこうしてノートを読み返してあの頃の思い出に浸ってみても、あの頃の先生に会うことは出来ないのだから。
***
車窓の景色が流れ、トンネルを越えると、かつて見慣れた風景が広がる。
今日、久しぶりにあの誠一を書いた作家が新作を出すらしい。それを知ったら無性に懐かしくなって、私はつい机の奥に大切にしまっていたノートを取り出した。
電車が次第に速度を緩め、駅へと入って行く。私はノートを閉じて鞄に仕舞う。たどり着いたここは、前に住んでいた実家から二つ離れた駅だ。
とっくに実家を出て地元を離れていたのだが、懐かしいついでにあの雨の日の本屋を訪れるのも良いと思い、こうしてここまで足を運んだ。
電車を降りれば気持ちのいい小春日和で、私は大きく伸びをした。駅前の商店街を抜けて、コンビニの前を過ぎる。桜の咲き乱れる並木道を通り、この辺りでは一番大型の本屋へとたどり着く。
本屋に入れば、相変わらずの書籍の取り揃えぶりで、少し楽しくなる。何せ今住んでいる最寄りの本屋ときたら品揃えが最悪なのだ。
興味のあるフェアに誘惑されながら、私は目的の純文学のコーナーに辿りつく。新刊の並びを目で辿りながら、事前に調べたタイトルを探した。
白い下地に赤い線の引かれた背表紙が目に入る。たった二冊しかないそれは、タイトルと作者名を見れば、探していた目的の本だった。
マイナーな作家だし、売っていない事も覚悟していた私は、見つかった嬉しさのあまり、反射的に手を伸ばした。しかしその本は背の低い私には少し高くて取りにくい所に置かれていて、ギリギリ届かない。台を探せばよかっただろうに、逸る気持ちを抑えられず、無理に背伸びをしていたら、バランスを崩して本の棚に倒れ込みかけた。
しかしすんでのところで、すぐそばにいた男性に腕を支えられた。
「す、すみません」
謝罪すれば、男性は「大丈夫ですか?」と声をかけられる。
しかし私は親切なその人の言葉に返事をすることが出来なかった。
気にした様子もないその人は、私の取ろうとしていた本を二冊手に取って、一冊を私に差し出す。
「どうぞ」と、言葉を続けるつもりだったのだろうか。口を開けたその人の顔は、そのまま驚きの表情に染まっていく。私もきっと、同じような顔をしているだろう。
「……先生?」
先に確かめたのは私だった。
そこには思い出より少しだけ老けた、けれど確かに思い出と違わない、先生が立っていた。耳の奥で、あの日の雨音が鳴る。
先生は私の名前を小さく呼んだ。そして意味を持たない声を上げながら目を巡らせて、もう一度私を見る。
「そう言えばあの雨の日の約束、破ったままだったな」
遠くで学校のチャイムが鳴るのが聞こえた。
この恋に名前はない 加香美ほのか @3monoqlo
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