後編

まるで外国の映画にでも出てきそうな広いバルコニー。

鉄柵には蔦の葉が絡まっている。

何から切り出していいのか分からず、男は戸惑う視線を宙に彷徨わせた。

「思い出せないみたいだから自己紹介でもしようか?」

からかうような目をしながら

「オレの名前はスズキタカシ」

その瞬間、男の頬が真っ赤に上気した。

「ふざけないで!”鈴木隆”はボクだ!」

男はタカシの顔を睨み付ける。

「いや、オレは確かに”鈴木隆”だ。

 20年前、アンタが作り出したもうひとりの”スズキタカシ”」

唖然とする男を見つめながらゆっくりと話し出す。

「中学時代アンタは心膜炎の治療で入退院を繰り返し、学校にも殆ど

 通えずにいた。両親は共働きで入院中もひとりでいる事の多かった

 アンタは淋しさを紛らわす為、オレを作り出したんだ」

ハッとしたように男―――鈴木隆の小さな目が見開かれた。

「もうひとりのアンタ・・つまりオレは健康体でスポーツ万能。

 学校創立以来の天才。おまけイケメンときたもんだ。

 元気に学校に行き、授業を受け、みんなの人気者。

 病室のベッドの上でそんな空想をしてたんだよな」

隆の唇がわなわなと震える。

「心臓の手術を受け健康を取り戻したものの、その後の人生もパッとしない。

 何とか入学出来た三流高校も2年で自主退学。

 勤めた町工場は不況の煽りを受けて倒産。

 職を変えても長続きせず、挙句の果てに同僚の借金の保証人になって

 まんまと逃げられた。負債総額500万だったよな。

 今じゃぁ借金取りから追いかけられる生活…」

「やめろ!そんな話聞きたくない」

叩きつけたグラスが鋭い悲鳴を上げ粉々に砕けた。

こぼれた赤ワインが血しぶきのようなシミを作る。

小さな苦笑いを浮かべたタカシは、静かに言葉を繋げた。

「そんな中アンタはますます現実逃避する。

 オレは都内有数の高校をトップで卒業。国立大学の医学部に入って

 外科医となり難しいとされていた手術も次々と成功させていく。

 患者だったお偉い政治家センセのひとり娘に見初められて結婚。

 可愛い子供がふたりも出来た」

薬指のリングがキラリと光る。

「随分とチンケな人生だが、アンタの乏しい想像力じゃ、これが限界だろう」

隆はますます顔を赤くして大声を張り上げた。

「みんなでボクを笑い者にする気だな!

 性質の悪い余興だね・・やっぱり来るんじゃなかった…帰るよ」

くるりと向けられた背中は惨めに縮こまっている。

「また逃げるのか?アンタはそうやって逃げてばかりだ!」

「逃げるんじゃない!こんなくだらない遊びに付き合っているほど

 ボクは暇人でもお人好しでもないからね」

タカシは喉の奥でくくっと笑った。

「いつも自分を庇う言い訳ばかりして・・ずっと逃げ続けてきた。

 身体が弱いのは健康に生んでくれなかった両親のせい。

 勉強が出来なかったのは病気のせい。

 友達に虐められたのは助けてくれなかった教師のせい。

 会社を首になったのは気の利かない上司のせい。

 何もかも他人のせい。自分は決して悪くない」

振り返った隆の目は怒気を含み異様な光を放っている。

「その通りだ!ボクは悪くない!ボクはいつも被害者だ!」

「そうかな?

 心臓の手術を怖がって、頑なに拒み続けていたのは誰だ?

 せっかく担任が届けてくれた授業のノートを開きもしなかったのは

 アンタじゃないのか?

 虐めにあっても仕返しを恐れ、泣き寝入りしていたのは?

 あれだけボンミスを繰り返せば上司だって庇い切れなくなるだろ?

 あんないい加減な男の保証人になったのは脅されて、断り切れなかった

 からだよな?」

いつしか隆の中の怒りは恐怖に変わっていた。

それでも精一杯の虚勢を張る。

「うるさい!黙れ!この嘘つき野郎!

 助けてやるから同窓会に来いなんてメールを寄越して・・

 からかって楽しんでるだけだろ!キミはいじめっ子だった寺田君?

 それとも頭の良かった倉本君か?」

「オレは鈴木隆だ…オレはアンタ。アンタはオレ」

少し哀れむような光をキレイな瞳に湛えると、足元に散らばっていた

グラスの破片を拾い上げた。

「証拠を見せてやるよ」

「証拠?」

隆がオウム返しに尋ねると、ゆっくりと頷いた。

「ちょ・・何を…」

止める間もなく、手にした破片を端正な顔に突き立てる。

頬がすっと切れ、血が滲む。

「いたっ!」

その瞬間、隆の頬に激痛が走った。

まるで刃物で切られたような…。

手で押さえるとヌルリとした感触が伝わる。

あわてて指先を見ると、赤く濡れていた。

「解ったか?オレがアンタでアンタがオレだ」

呪文のようにタカシが呟く。

「嘘だ!そんなの…有り得ない」

小さな体がガタガタと激しく震える。

その様子を眺めながらタカシは肩を竦めた。

昔あこがれていたトレンディ・ドラマの主人公そっくりの仕草で・・

「まぁ信じる信じないはアンタの勝手だが、オレは事実をのべてるまでだ」

「本当・・なの?じゃぁボクを助けてくれるって言うのも?」

弱々しい声で隆が尋ねた。

おおよそ信じがたい話ではあるが、頬の痛みが夢でも芝居でもない事を

実感として伝えている。

「あぁ・・助けてやるよ。

 アンタが二度と自分を傷つけずに済むようにな」

隆はハッとして左の手首を押さえた。

無数についたケロイド状の蚯蚓腫れ。

何度試みても楽になれなかった傷跡。

タカシはにやりと笑うと、くるりと背を向けバルコニーの白い手すりに

手を掛けた。

身を乗り出し、下を覗き込む。

「ちょっと高さが足りない気もするが…大丈夫だろう」

「…なにをする気?」

まさか…そんな事…?

向き直ったタカシは事も無げに言った。

「飛び降りるんだよ。オレが消えればアンタも消える。全ての苦しみから

解放されるんだ」

再び両手で手すりを掴み、懸垂するようにぐっと体を引き上げる。

「じょ・・冗談でしょ?待ってよ」

隆はあわてて駆け寄ると、スーツの裾をグイっと引っ張った。

「やめてよ!そんな事」

「何で?アンタいつも言ってたじゃないか。こんな人生はもう嫌だ。

 とっとと終わらせたいって」

「それは…言ったかもしれないけど…でも・・やっぱりヤダよ!

 死ぬのはヤダ!」

泣き叫びながら必死にタカシの体にしがみつく。

ボロアパートのかび臭い布団の中。団子虫のように体を小さく丸め

死にたい死にたいと呟いていた事など、今は頭の片隅にも浮かんでこない。

唐突に告げられた終焉から身を捩り、なんとか逃れようとする。

死にたくない・・生きていたい…

生への渇望が隆の全てを支配した。

生きたい…生きていくんだ!

タカシは突っ張っていた両腕の力を弛めると、カツンと靴音を響かせ

床に足を着いた。

ゆっくりと振り返り、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった隆の顔を見つめながら

すっと右手を差し出す。

「え・・あの…」

いきなり目の前に差し出された手を躊躇いがちにそっと握ると

そこから不思議な温かさが伝わってくる。

隆は身の内に力が漲るような気がした。

長い間忘れていた”希望”という言葉が脳裏を過ぎる。

「あきらめたらお終いだ。

 死ぬ気になりゃ、何だって出来るさ」

隆が小さく・・でも力強く頷くのを見て、満足そうな微笑みを口元に浮かべた。

不意にその輪郭が宵闇に滲むように崩れていく。

「待って!消えないでよ」

「もう大丈夫だ。オレがいなくてもアンタは立派にやっていける」

最後にニヒルな笑みをひとつ残し、その姿は跡形もなく消え去った。

ひとり残された隆は空を見つめたまま、呆然と立ち尽くしていた。


ボクに出来るんだろうか?

ブルンと大きく頭を振ると、唇を固く結ぶ。

握り締めた拳を胸に押し当てる。


大丈夫―――

ボクはひとりじゃない。

ここに・・もうひとりのボクがいる。ボクを見守っていてくれる。

「死ぬ気になれば何でも出来る・・だよね?」

蒼々とした月を映し出す瞳には、少しだけ強い光が輝き始めていた。



                FIN

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同窓会 一ノ瀬 愛結 @akimama7

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