被写体

白玉

被写体


 住宅街でカメラを構えているひとりの女性の姿が目に留まり、買い物袋を両手に持ったまま、僕は声を掛けた。

「なにを撮っているのですか」

 ゆっくりとこちらをむいた女性は、生気のない眼で僕を舐めるように見ると、また正面に向き直った。ファインダーを覗き、ピントを合わせるかのようになにやら手元を動かしている。

「あのう、なにを撮ってらっしゃるんですか」

 あまりにも気になったので、再度尋ねる。

「……なにも」

 今度は返事をしてくれたが、聞き取るのが困難なほどの力のない声で、バツが悪いのかそそくさとその場から立ち去った。

 ……変なの。

 彼女が立っていた場所に立ち、僕は彼女がカメラを向けていたほうを見た。坂の下に位置するここから見上げる形にはなるが、大きな家が数件並んでいるくらいで、特に変わったところはない。荷物で両手が塞がっているため庇を作ることができず、真上から照りつける夏の日差しが目にも肌にも痛かった。もしかして不審者では、と良からぬ思いが脳裏をかすめ身震いをひとつしたところで、視線の先にある豪邸の屋上のあたりから、人らしき影が落ちるのを見た。とっさのことで声すら出ず、僕はそれをただ黙って見ているしかなかった。重い米袋が落ちた音は聞いたことがなかったが、そんなイメージがまさにぴったりであろう鈍い音が、かすかに聞こえた気がした。


 家に着くなり、ルームメイトである友人にこの話をして聞かせた。息を切らしながら伝えるのは至難のわざだった。友人の部屋に居候させてもらっている僕はこの土地に来てまだ日が浅く、わからないことが多かったため、なにかあるとすぐ、この友人に話していた。

「……まさか、見ちゃったのか」

 意味ありげに眉をひそめて、彼は話し始める。

「夏の終わり頃になると、その女は現れるんだ。一見普通だが、どこか普通じゃない。なんだか妙なんだ。そこになにがある? って場所に向かってカメラを構えてる。そしてそいつが現れると、かならず死人が出る。いや、死人が出るとわかっているから女が現れるのか——どちらにしろ、死の瞬間を撮りに来ているようで、気味が悪いんだ」

 ——妙、だっただろうか。僕はあの女性の姿を思い出そうと必死に頭を巡らせたけれど、真っ黒な服装に身を包んでいたことくらいしか思い出せなかった。 思えば、挙動不審だったような気もする。

「見ちゃったのなら気をつけろよ。姿を見られたらあの女、次はそいつを被写体にするために、ついてくるって噂だ」


 どうした青い顔して、と笑いながら言う友人の声は遠く、まだまだ暑いはずなのに、鳥肌が止まらない。

 八月がもうじき終わろうとしている夏の午後だった。物悲しい蝉の声が、響きわたる。



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被写体 白玉 @srtm_

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