さかなかナ

飛遊幻リリア

さかなかナ


 ――釣り――

 それは食糧として魚を捕える手段のために誕生した。

 しかし現在では、仕事や商売としての釣りがあり、またスポーツや娯楽のための釣り、はたまた釣果を気にしない息抜きやヒマつぶしの釣りもある。

 もちろん食べるために魚を釣ることも依然多いが、この様に釣りには多種多様な目的があるのだ…。


 深夜の高級住宅地。人気も無くひっそりとしているが、巨大な屋敷や洒落たデザイナーズハウスが立ち並び栄華を競い合っている。

 その住宅街の中心に一際大きく、時代劇に写っていても何の違和感の無い荘厳な造りの屋敷が建っていた。

 その屋敷の塀の上を走る人影があった。

 その人影は姿勢を低くして、音も無く素早くしなやかに移動していた。

 そして屋敷内に生えている松の木の枝に飛び移ると、そのままシュタッと庭に降り立った。


 石灯籠を模した常夜灯に照らし出された人影の正体は少女だった。

 それも身長150㎝ぐらいの小柄な少女で、髪はショートヘアーなのだが頭のてっぺんにチョウチンアンコウの様なアホ毛が1本立っており、ネコ目で気の強そうな顔立ちだ。

 淡いピンクの唇からは肉食獣の如き犬歯が覗いている。

 服装は黒のハイネックの七部袖のシャツに釣り用のベストを羽織り、ホットパンツを穿いていて、健康的なフトモモが夜目にも美しい。

 足元はブーツの様だが、よく見ると丈の短い長靴である。

 そして手には皮の指出しグラブ、右腰にはウエストポーチを付けていた。

 しかし異様なのは、左腰に日本刀の様なものを差しており、左肩から輪っかにした弾丸ベルトを袈裟懸けにしていることだ。

 この少女の名前は 坂奈 可菜。16歳である。


 可菜は何かの気配に気付き、茂みに身を潜めた。誰かの視線を感じたからである。

 しかしそれは人間の視線ではなかった。

 可菜に近づく二対の鋭い眼光。それは番犬として庭に放し飼いにされている2匹ドーベルマンだった。

 どこで売っているのか知らないが、凶悪なスパイクがグルリと付いた首輪をしている。

 2匹のドーベルマンは鼻先にシワを寄せ、低い唸り声を上げながら可菜ににじり寄って来た。

 しかし可菜は逃げるどころか身をかがめたまま犬達に近づいていった。

「シーッ ! シーッ ! あたしよ ! あたし ! 」

 自分の顔を見て下さいと言わんばかりに犬達に近づく可菜。

「フォボス ! ダイモス ! いつもお肉あげてるでしょう ! 忘れちゃったの ? 」

 2匹の犬は威嚇を止めて嬉しそうに尻尾を振った。

「そう、そう、いいコね。」

 じゃれついてくる犬達を撫でまわす可菜。

「あはは ! ダメだったらぁ ! もぅ、甘えんぼさんなんだからぁ~。」

 犬達に舐められていた可菜ハッと我に返る。

「いっけない、遊んでる場合じゃなかったわ。」

 まとわりついてくる犬達を払いのけ、スックと立ち上がる可菜。

「フォボス、ダイモス、お前たちはここで待て ! 」

 ピッと背筋を正してお座りするフォボスとダイモス。

「何があっても騒いじゃだめよ。それじゃあ、サラバ ! 」

 後ろ向きに茂みから出て行く可菜、前足で敬礼して見送るフォボスとダイモス。


 木や茂みに隠れつつ走っている可菜。

「ヤバっ ! もうすぐ見回りの時間だわ。」

 大木を背にして身を隠す可菜。周りの様子をうかがう。

 母屋の傍に直径5m程の池が見える。

 辺りに人影は無い。そして身を潜める遮蔽物も無い。

 ジッと池を見つめる可菜。

「池までざっと10メートルか…。」

 袈裟懸にけした弾丸ベルトの弾丸を吟味する可菜。

 そして一発の弾丸を取り出す。

 しかしそれは弾丸ではなくルージュだった。

 そう、弾丸ベルトに装填されているのは全てルージュだったのである。

 ベストの胸ポケットから折りたたみ式の魚の形をしたミラーを取り出す。

 アジの開きの如くミラーを開け、手際良くルージュを引く可菜。

 血の様に真っ赤な色だ。

 ミラーに写った口元がニイっと笑う。ルージュの赤に白い牙が映えている。

 大木に寄りかかり目を閉じフゥと息を吐く可菜。

「それじゃあ、行ってみますか ! 」

 そう言うとパッと目を開き池に向かって一直線に走り出した。


 隠れる場所は何処にも無い。したがって、全速力で走破する以外に池にたどり着く方法は無いのだ。

 走りながら可菜は腰の刀に手を掛けた。そしてスラリと抜いた。

 しかしそれは刀ではなかった。

 それは鍔の付いた振出式のロッド、つまり伸縮する釣竿だったのである。

 ロッドを天に向けて振り抜く可菜。

 満月を貫く様にロッドは伸び、約2m程の長さになった。

 ロッドを後方に流す様に持ったまま走る可菜。そのまま池のほとりの岩陰にすべり込む。

 辺りの様子をうかがうが変化は見られない。どうやら気付かれずに済んだようだ。

 一息つくヒマも無く、腰のポーチを開け仕掛けの用意をする可菜。

 ロッドの先にテグスを結び付け、カミツブシと呼ばれる鉛のオモリを取り付けた。

 どうやらミャク釣りをするようだ。


 ミャク釣りというのは、ウキを使わずに魚のアタリを直接感じ取って、合わせる釣り方である。

 一番シンプルな釣りではあるが、一番奥が深い釣りとも言われている。


 そして可菜は長めのハリスの先にカエシの無い針を付けた。


 カエシの無い針はスレ針と呼ばれ、カエシの有る針に比べて貫通力が高く、魚に与えるダメージも少なく、魚の口から外し易いという利点があるが、カエシが無い故、ラインにテンションを掛け続けないと魚をバラしてしまう確率が高いのが難点でもある。


 ポーチの中から小型のタッパーを取り出す可菜。

 その中のポテトサラダの様なものを小さく丸めて針に付ける。

「タニシの粉末を練りこんだ特製マッシュポテトよ。美味しいわよー。」

 ロッドとハリスを持って池を覗く可菜。

 確認できるだけでも20匹程のニシキゴイが悠然と泳いでいるのが判る。

 しかもどれも70~80㎝はありそうだ。

 目を凝らして水面ジッと見つめている可菜。

 ひときわ大きな魚影がユラリと動いた。

「いたっ ! あのコだ ! 」

 その目は獲物をロックオンした猛禽類の様だ。

 ペロリと舌なめずりする可菜。

 ターゲットの魚影がゆっくりと方向転換している。

 そして頭をこちら側に向けると動きが止まった。

「今だ!」

 シュワッとキャスティングする可菜。

 見事にターゲットの鼻先に仕掛けがを落ちる。

 一瞬の沈黙の後、ググンとアタリがある。

 ピシッと合わせる可菜。

 途端に物凄いヒキがロッドに伝わってくる。

「来たっ ! 来た、来た、来たあっ ! 」

 半月状にしなるロッド。

「警戒心無いのは良いんだけれど…重~い !」

 魚の動きに合わせてロッドを左右に振る可菜。そしてロッドを立てる。

 バシャッっと水しぶきを上げて水面に姿を現すニシキゴイ。

 それは体長1m越えの見事な昭和三色。

 犬歯を見せてニヤリと笑う可菜。

「お待たせ、ミケゴイちゃん。会いに来たわよん。」

 しかしニシキゴイはバシャバシャと水しぶきを上げて予想外の抵抗を見せる。

「や~ん!静かにしてっ!」

 焦る可菜。唇を噛み締める。

「ヤバい…このままじゃ見つかっちゃうわ…。」

 激しく暴れるニシキゴイ。

 湾曲するロッド。

 何かを決心する可菜。急に顔付きが変わる。

 ザシッと足場を決める。

「一か八か、いくわよ!」

 のけ反るようにして勢いよくロッドを引き寄せる可菜。ゴボウ抜きにするつもりだ。

「とりゃあっ ! 」

 しかしあまりにも相手がデカ過ぎた。

 ニシキゴイは上体を半分出しただけで釣り上げられず、再び水中に沈んでしまった。

「ちいぃぃぃぃ ! ! 」

 ロッドを立てたまま姿勢を低く落とす可菜。

「これならどうよ!!」

 そのまま後ろに倒れ込む可菜。

「あたしのものになっちゃえ ! 」

 Uの字に曲がるロッド。いつ折れても不思議ではない、強度限界ギリギリだ。

 ついにズザザッと水中から引っこ抜かれるニシキゴイ。

 仰向けに倒れている可菜に覆いかぶさる様に飛んで来る。

 可菜はロッドを手放すと両手を広げニシキゴイを抱き止めた。

「やった ! やった ! やったっ ! ついにやったわ !! 」

 素早く針を外しニシキゴイをギュッと抱きしめる可菜。

「ごめんね、痛かったでしょう…。でも素直じゃないあなたも悪いのよ…。」

 寝転がったままニシキゴイの顔をジッと見つめる可菜。真剣な眼差し。

 口をパクパクしているニシキゴイ。

 うっとりとその唇を見ている可菜。

 そして目を閉じると、ニシキゴイにそっと口づけをする。

「…ん、んん…。」

 濃厚なキス。目を半開きにして、頬を紅潮させる可菜。とてもエロい。

 ニシキゴイから唇を離す可菜。

 可菜の唾液なのかコイの粘液なのかは判らないが2人(?)の唇の間に糸が引いている。

 恍惚の表情の可菜。だらしなく開いた口から喘ぎ声が漏れる。

「はあぁぁ~ん♡」

 ニシキゴイを抱いたままショートデス状態の可菜。

 苦しくなったニシキゴイは尾ビレをバタつかせた。

 それに気付いた可菜、慌てて起き上る。

「ゴメン、ゴメン。今、戻してあげるね。」

 ニシキゴイを抱きしめて頬ずりする可菜。

 そして、優しく静かにニシキゴイを池に帰す。

「キッス・アンド・リリースよ。また、チューしようねー♡」

 ウインクする可菜。

 深みに潜って行くニシキゴイ。

 それに手を振って見送る可菜。


 名残惜しそうに池を見つめている可菜。

 突然四方八方からスポットライトが浴びせられる。

 眩しそうに顔を手で隠す可菜。

 何処からか声がする。

「最近この界隈で、愛鱗の唇を無理やり奪っている不届き者が出没していると聞いたが、まさかお前の様な小娘だったとはな…。」

 見ると、池を挟んだ可菜の正面に和服姿の恰幅の良いオヤジが腕組みをして立っている。

 どうやらこの家の主らしい。足元にはフォボスとダイモスがしょんぼりとして伏せている。

「フォボスとダイモスを手名づけたまでは良かったが、そんなに簡単にこの屋敷に侵入出来るとでも思ったのか ? ん ? 」

 小馬鹿にした顔で挑発するオヤジ。

「ぶぁ~か !! これはお前を捕えるためのワナだったのさ。強固で鉄壁で完璧な我が家のセキュリティはワザと切っておいたのだよ。」

 ガハハハハと高笑いするオヤジ。フォボスとダイモスも拍手をしてオヤジを称える。

 可菜を取り囲む様にズラリと現れる警備員達。

 どう見ても普通の警備員ではない。これからエイリアンと一戦交えるのかよ、とツッコミを入れたくなる様な過剰な装備をしている。

「どーだ、我が家の誇る私設警備員達は。命知らずの上に手加減知らずで困っておるわ。」

 両手を腰に当て、可菜を見下すオヤジ。

「ワシが手塩にかけて育てたメティスちゃんのファーストキスを奪ったからには生きては帰れんぞ。」

 そんな言葉にはまったく動じない可菜。

「ふ~ん、あのミケゴイ、メティスちゃんって言うのかー。」

 ニヤーっといやらしく笑う可菜。

「ふっくらとしてハリのある唇だったわよ。あたしが舌を入れたらパクパク吸い付いてきて…。ああ…思い出すだけでまたイッちゃいそうになるわ…。」

 自らの肩をだきしめて身震いする可菜。

 耳を塞いで頭を激しく振るオヤジ。

「ちがう ! ちがう ! そんなハズがあるか ! メティスちゃんがそんなはしたないマネをする訳がないっ ! 」

 震える手で可菜を指差すオヤジ。ツバを飛ばしながら叫ぶ。

「お、お前はメティスちゃんが抵抗出来ないのをいいことに、好き勝手にもて遊んだだけだ !! 許さん ! 」

 可菜はそんなオヤジの声には耳も貸さず、足元のロッドを拾い、折りたたむと鞘に収めた。

「――で、何 ? 」

 可菜の態度にオヤジの怒りが爆発 !

「うにょれ ! 私設警備員達よ ! そのクズをさっさと片付けてしまえ ! 」

「うおぉぉぉ !! 」

 オヤジの一声に、一斉に武器を掲げる警備員達。その手に握られているのは、モーニングスター、クギバット、クサリガマ等、何でもアリだ。

 オーバーアクションで驚いてみせる可菜。

「うっひょーっ、これはまた穏やかじゃないわね。」

 可菜に襲い掛かる警備員達。

 左右をチラッと見て、警備員達が掴み掛る瞬間に池に向かってジャンプする可菜。

 可菜を捕まえ損なって折り重なって倒れ込む警備員達。

 可菜は池から突き出ている岩を飛び石の様にジャンプして池を越えて行く。

 そして最後は池の上に架かった木の枝に掴まり、向こう岸のオヤジに向かって飛んだ。

 不敵な笑みを浮かべた可菜がオヤジに向かって飛んで来る。

「ヒイッ…!! 」

 あまりの急展開に身動き出来ないオヤジ。

 可菜、オヤジの顔に股間でアタック。

 そしてそのままオヤジを後ろへ押し倒す。

「ぶぷっ… ! 」

 顔面に股間を押し付けられて声無き声を上げるオヤジ。

 サッと身をひるがえし走り出す可菜。

「今のは親御さんへの大サービスよ ! アデュー ! 」


 塀に向かって走る可菜。フォボスとダイモスが吠えながら追ってくる。

「ちぇっ ! 恩知らずな奴らだなぁ ! 」

 見れば警備員達も可菜の左右から迫って来ている。

「おおっと ! 私ってばピンチ !? 」

 とにかく真っ直ぐに走るしかない可菜。

 しかし前方の塀はとても高く、足場になる木や岩などが全く無い。

 後ろからはフォボスとダイモス、左右からは警備員達、眼前には高い塀。

 倒れたまま上体だけを起こしてほくそ笑むオヤジ。

「ムリ、ムリ…この屋敷からは逃げられんぞ…。」

 可菜、腰のロッドを鞘ごと抜く。

 そしてそれを塀に向かって投げつけた。

 クルクルと回転しながら飛んで行くロッド。

 塀の下に斜めに立て掛けられる様な感じで地面に突き刺さるロッド。

 可菜、そのロッドの鍔の部分に足を掛けてジャンプ。

 見事、塀の上にスタッと降り立つ。満月をバックにカッコイイ !

 目を見開いて驚くオヤジ。

「何ィ !? 」


 因みにこれは忍者がカベ等を登るときに使うワザである。

 余談だが、足掛かりにし易い様に忍者刀はソリが無く真っ直ぐなのである。


 塀の上に立つ可菜。その手にはいつの間にかテグスが巻き付いており、それを勢い良く引っ張った。

 そのテグスはロッドに繋がっていて、塀に立て掛けられていたロッドが外れて宙を舞った。

 塀を登れない警備員達、フォボスとダイモスも吠えるだけだ。

 ロッドをキャッチする可菜、ウィンクをする。

「ざーんねん ! 」

 ロッドを再び腰に差し、深々とお辞儀をする可菜。

「では皆様、ごきげんよろしゅー ! 」

 塀の向こう側に飛び降りる可菜。

 成す術も無く佇む警備員達とフォボスとダイモス。

 唖然とするオヤジ。

「そ、そんなバカな…。」


 深夜の道路。行き交う車もまばらで、歩行者の姿も見えない。

 横断歩道の信号が空しく点滅している。

 そこにやって来る奇妙な乗り物。

 よく見るとそれは、ありとあらゆる釣り道具を満載して、要塞の様になったママチャリである。

 もちろんそれに乗っているのは可菜だ。

 自転車の重さを気にもせず、楽しげにペダルを漕いでいる。

 鼻歌まじりでゴキゲンである。

「さーて今度はドコへいこうかなー。」


 そう、この少女、坂奈 可菜は、魚にキスすることが目的で釣りをしているのであった…。


 ――THE END――


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さかなかナ 飛遊幻リリア @hatunatunokaze

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