雨が降っていた。(女同士)

雨が降っている。昨日か一昨日からか、ずっと鳴り止まない雨音。ざあざあと窓を打つ音。カーテンの隙間から見える空はまだ暗い。

「嫌だわ、いつになったら止むのかしらね。」

独りごちて薄く開いていたカーテンを整える。

「嫌なものは見ないのが一番、あなたも、そうでしょう?」

ちらりと横目でベッドの上の彼女を伺う。気難しい彼女は黙ったまま。

「ああ、そういえば、頭痛持ち、だったのよね。話しかけちゃ、悪かったかしら。」

以前彼女が言っていた。雨の日は頭が痛むから話しかけてこないでと。忘れていたなんて、なんて私は馬鹿なのだろう。これでは彼女に嫌われてしまう。

「頭痛薬、持ってくるわね。」

やっとそれだけ言って、急いで寝室から出ていく。ぱたぱたとパステルカラーのスリッパが音を立てる。音を立ててしまった...! でも、これくらいなら大丈夫よね。きっと、許してくれるわよね。そう自分に言い聞かせ、気を持ち直してキッチンへ赴く。白い棚には二人分の食器、ティーセット、紅茶に少しのお菓子とそれから彼女の薬が入っている。彼女の名前が書かれた白い紙袋とティーカップを取り出す。

「お水、お水......まだあるかな。」

確認するように呟きながら冷蔵庫を開けると、ミネラルウォーターの帯が付いたペットボトルが入っていた。

「良かった、あった。...彼女、これ以外飲まないんだもの。」

冷たいボトルを抱き抱えるようにして持ち、今度は音を立てないように慎重に歩く。

「待った、かしら?」

そろりそろりと寝室へ入る。

「お薬、と、お水......持ってきたから。さ、飲んで。飲めばきっと良くなるわよ、ね?」

紙袋を彼女のもふもふとした掛け布団の上に置く。ボトルの蓋を開け、水をティーカップに注ぎながら、おぼんも必要だったかしらと一人考える。

「ほ、ほら、お水、入れたから。痛いのなんて、すぐに治るわ......。」

ボトルをサイドテーブルに置いて、彼女の白魚のような手をとる。その手はとても冷たく、指は固くなっていた。

「大丈夫、大丈夫。私が、温めてあげるから。きっと良くなるわ、きっとよ。」

何度も繰り返す。その手を両手で包み込み、

温めようとする。強く握れば折れそうなほど細い手指。ずっとその手に触れてみたかった。そして私は思い出すのだ。私がしてしまったこと。決して許されないことをしてしまった。彼女を殺したのは私だ。

雨が降っていた。薄暗い寝室で、彼女の遺体を見た。ベッドから、だらりと垂れた腕。袖を濡らす黒い液体。床に零れた彼女の命。彼女と死の香りが混ざり合ってぐちゃぐちゃになって訳が分からなかった。

雨音は止まない。時計の針は午前零時過ぎで止まっている。彼女の夫は何時帰ってくるのだろうか。私以外にも相手がいたのだろうか。だとしたら、私が手を出す必要はなかったのかもしれない。全ては、夫の浮気に傷付いた彼女を慰め、どうにか彼女を振り向かせられないか、そんな下卑た考えのせいだった。まさかこんなことになるとは、彼女がここまで追い詰められていたとは、思いもしなかった。

思えば彼女と会えたのは、今日も含めてずっと雨の日だった。初めて会い一目惚れをした日も、勇気を出して話しかけた日も、その次に会った日、「雨の日は頭が痛むから話しかけてこないで。」と言われたあの日。あの時にはもう勘づかれていたのかもしれない。夫が浮気をしていて、その相手が私だということに。私のことがさぞかし嫌いだったのだろう。憎んだのだろう。羨ましかったのだろう。例えそうだとしても、彼女が私のことを考えていた時間が、1秒でも存在していたことを考えると、不思議と心が少しだけ安らいだ。

雨が降っている。雨音は止まない。時計の針が動くことはもうない。彼女の夫が帰ってくることも。きっと、私達はこの瞬間に閉じ込められてしまったのだ。なんて不幸せで、なんて幸せなのだろう。

それでも、私はわかっていた。降り止まない雨はないということに。12時をとうに過ぎた魔法は消えてしまうことに。ほら、だって、雨音の中、紛れて、車の走る音が聞こえる。次の瞬間には止まる音。ドアを閉じる音。もうすぐ彼は、ビジネスバッグの中からキーケースに入った自宅の鍵を見つけ出し、玄関の戸を開くことでしょう。そして、リビングのソファーに上着とネクタイを脱ぎ捨て、真っ先に彼女が眠っているか確かめにこの部屋に来ることでしょう。そしたら、そこには血に濡れた彼女と私が寝ているのです。

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メリーバッドエンド。 亜保呂都留 @naitouhiu

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