第5話
今日からまた、以前のような日々が始まる。ただそれだけのことであるはずなのに、佳代はなかなかベッドから出られなかった。また黒板を一人で消さなければならない。あの一番上の十センチメートルは、どうすればいいのだろう。三年前に嗅いだ風の香りが押し寄せる。
父の出勤に続いて、ようやく家を後にする。家には母が残る。そんな、当たり前のことを思うだけで、こんなにも胸が苦しくなる。
いつもの通学コースである川沿いの土手を歩くと、道端にはエノコログサが群生していた。一本だけ引き抜いて、穂先を揺らして遊ぶ。仲間から離れてしまったくせに、少し揺らしてやるだけでふわふわと元気に跳ねる猫の尻尾のような花。
彼がそうだった。いつも、黒板を吹く仕事はチャキチャキと動く癖に、顔ばっかりふわふわと笑っていた。
佳代はおもむろに、エノコログサの茎を噛んだ。グッと噛み締めたところから苦味が口中に広がって、それでも涙は止まらなかった。
また、苦い顔してたかな。でも、この草が苦かったんだもの。
佳代の心の中にいる彼は、そんな佳代の言い訳に苦笑いしているようだった。
追いかけられない 灯火野 @hibino_create
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