第4話
「今度は、長崎の方に引っ越すことになりました。四ヶ月という短い期間でしたが、ほんまに皆さんありがとうございました」
転入生……はそう言って、いつものようににっこりと笑うだけだった。笑顔を直視できず、ほかの同級生たちのように拍手で送ることもできず、佳代は外の景色を眺めるフリをしてその場をやり過ごした。いつもと変わらない景色は気を抜くとぼんやりと滲んでしまう。澄んだ秋の空さえも、その美しい輝きで転入生を見送っているように見えた。
終会もまた、佳代の号令で終わりを告げる。『ありがとう、草間
「俺も手伝うで」
転入生……否、転出性が声をかけて、手早く黒板を拭う。一番上から黒板消しを真っ直ぐに下ろすように、丁寧に拭いていく。
「随分また、遠くに行くんだね」
「そやなぁ。……なぁ」
目も合わせずに、彼が尋ねた。
「放課後、図書室行かへん?」
佳代もまた彼を見ずに、そっと頷いた。
職員室に挨拶してから向かうから、と彼は図書室に私を待たせた。遅れてきた彼は肩で息をしながらこちらに向かってきた。
「すまん、待った?」
ううん、全然、と佳代は笑ってみせる。実際、今日は時間の経過が早いと感じていた。
「忙しいお父さんなのね。四ヶ月しかいないし、遠くに行くし」
「ちゃうで。俺、父さんおらんし」
「あっ……ごめん……」
「あーあー、気にせんで気にせんで。大阪で父さんと離れてな、とりあえず母さんの実家だったここにきて。それからまたちょっと色々あって長崎行くねん」
『それからまたちょっと色々』と言ったときの複雑そうな表情が、佳代の胸をチクリと刺した。
「知らなかった……」
知らなかった、気づけなかった。自分になら気づけたんじゃないだろうかと思えば思うほど、悲しみは深く心に刻まれた。
「なんで落ち込むねん。そういう風に俺も頑張っとったんやって。まぁでも初めはしんどかったけどな、そんな時その、佳代ちゃんが背伸びしながら黒板吹いてるんを見て、なんか可愛かってん。声かけてもうた……」
恥ずかしそうに語尾をごにょごにょと誤魔化す様子がくすぐったい。
「すぐ転校かもしれんってなんとなく分かってたから、好きになったら俺が辛いだけやろな〜って思ってたけどな。いつも一緒に居ってくれたし、話してると楽しいし……佳代ちゃんのことどんどん好きになった」
ハァー言ってもうたぁ。両手で顔を覆うも、赤くなった耳は丸見えだった。大きい手なのに、緩み切った表情も隠しきれていない。
「俺さ、人のこと好きになるとかよく分からんかった。佳代ちゃんのことも最初は、かっこええなとか可愛いなとか、単純な気持ちしか持たんかった。でもな、元気ない佳代ちゃん見たとき、すごく心配で不安になって……」
心臓が煩い。怖い、でも最後まで聞きたい。何をいうつもりなんだろう、もういなくなるっていうのに。恐れと期待と不安と緊張と、いろいろな感情が、佳代と彼の周りの空気を絶えず緩ませたり張ったりと繰り返す。何を言うの? 何を言ってしまうの?
もう何も、聞きたくないのよ。
「もういい。……ありがとう」
自分のことしか考えてないあの元カレは、14だった私にうつつをぬかしたいい歳したあの男は、簡単に私を抱き寄せたりしたけれど。
「佳代ちゃ……」
長崎? 追いかけることなんてできない。
16歳? 追いかけられることなんか、期待できない。
「私は、大丈夫だから。元気でね」
本当に好きなあなたのことを、追いかけることもできない。
本当に好きなあなたに、追いかけられもしない。
「……さようなら」
図書室を飛び出し、廊下から家まで一気に駆け抜ける。
大人だったら良かったのに。大人だったら良かったのに。ずっと頭の中で繰り返したのはそんな言葉だった。でもずるい大人になったら、無邪気に笑うあなたには出会えなかったかもしれない。そう思っては涙を流した。
やってきた週末は彼と佳代とを綺麗に隔て、二人が再び会うことはないと教えてくれた。
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