第8話 ずっと、ずっと一緒だよ

 初めて一人で街に出た。いつも隣には翼がいて色んなことを教えてくれる。ついいつもの癖で「ねえ、翼?」って言ってしまう。居ないのにね。翼がいないだけで景色が違って見えるって言ったらどう思うかな。そうだなぁ、例えば初めて単独飛行したときのようなドキドキとワクワクが混じったもの。


「いらっしゃいませ。どうぞ、割引券です」

「ありがとう」

「お姉さん、これ見ていって。新商品も出ましたよ」

「はい、また後で」

 

 駅の改札を出てからずっとこの調子で、スカスカだったバッグの中はチラシやポケットティッシュがいっぱいになった。


「知らない人からもらっちゃった。怒るかなぁ、翼」


 周りを見ると、通り過ぎる人はみんな知らない人から貰っている。いらないと断る人もいた。私は、貰ってしまったティッシュをじっと見なかがら考える。


「ティッシュは悪くないよ」


 翼はそんなことで怒らないよ。最近、なんとなく分かってきたの。周りの人たちを見ていたら大丈夫な知らない人もいるということ。私は駅前を通り抜けて道路を渡った先のセンタービルに入った。ここには大型書店があって、ソファに座りながら本を選ぶことができる。のどが渇いたら隣のフロアのカフェに入ればいい。私はそこのカフェオレが好き。


 書店のフロアにつくとすぐに私は児童書のコーナーに向かった。言葉は難しいけれど児童書だったら絵もあるし分かりやすいの。


「11時より絵本の読み聞かせを行います。お時間ある方はどうぞお立ち寄りください。飛び入りで読み聞かせも歓迎します」


 児童書の隣にはキッズスペースというのがあって、小さな子どもたちがそこでお母さんと絵本を読んだり、紙芝居を見たりする。紙芝居って面白いんだよ! でも昔のお話でちょっと難しいけどね。


「私も行ってみよう」


 時間もちょうど11時になるところだったし、私もお話を聞かせてもらうため空いた席に座った。できるだけ後ろの端っこのところ。だって小さな子どもたちが見えなくなるといけないから。


(私は大人、大人は子どものためにがまん、がまん)


 店員さんが一番前に座って開いた本は横に大きくて、絵が飛び出る絵本。はらぺこあおむしって書いてあった。


「あっ!」

「どうかされました?」

「あ、いえ。すみません」

「では、始めますね。はらぺこあおむし」


 声出しちゃった。実はこの本持ってるの。あおむしの赤ちゃんが毎日たっくさん食べてキレイな蝶になるお話だよ。とうってもキレイな蝶になるの。翼が、先輩から貰ってくれたんだけどCD付でお歌もあるの! だから今日もお歌が流れたらいいのに。店員さんの読み聞かせはとても上手で、にこにこがとまらなくなっちゃった。


「ねえ、ねえ。お姉ちゃん、あのお話、好きなの?」

「ん?」


 いつの間にか私の隣に小さな女の子と男の子が座っていた。首を傾げながら私に話しかけてくれた。


「大好きだよ。見て、ほら。最後はあんなにキレイな蝶になったんだよ? 素敵なお話だよね。羽を広げて、お空を飛ぶの。風の匂いとかお日様の光を浴びてキラキラ光るんだよ。とうっても気持ちいいの」

「お姉ちゃん、お空、飛んだことあるの?」

「あるよー。シューッて」

「すごぉい」


 小さな子どもは私を変な人って言わないの。いいなぁとかすごいねーって言ってくれる。


「お姉ちゃんみたいな人、保育園にいたらいいのに。せんせいになって」

「せんせい?」

「うん。僕たちに色んなこと教えて」


 私は、スマホを取り出して「せんせい」を調べてみた。翼が困ったらこれを使うといいよって教えてくれたから。

 先生……学識のある、指導的立場にある人のことを言う。


「学識……?」


 私は先生になれるのかな。色んなことを教える人が先生なの? 私は空を飛ぶことしか教えられないなぁ。でも、もうそれもできないよ。


「あの?」

「はい」


 突然、さっき読み聞かせをしていた店員さんから話しかけられた。店員さんは私に子どもたちのために読み聞かせしてみませんかって言うの。


「私が、読み聞かせを?」

「はい。先ほどの話をとても楽しそうに聞いてくださったので。それに、お子さんたちも、ね?」

「お姉ちゃん、読んで、読んでぇ!」


 私、本を読んであげることになりました。





     ☆ 




 今から電車に乗ります。と、翼にメッセージを送った。

 あれから私は子どもたちに読み聞かせをして、そのあとミリタリーコーナーでいつの間にかおじいちゃんとお話をしていた。すごかったのはおじいちゃんは昔の戦闘機のことにとっても詳しくて、私、零戦なんて知らなかったから驚いちゃった。

 帰りの電車は各駅停車だったから、ゴトゴトのんびり揺らされていつの間にか寝てしまった。


『おい、お嬢さん。そろそろ降りる駅なんじゃないのかい。乗り過ごしてしまうぞ』

「はっ、え?」

『やっぱり聞こえるんだな。あんた、もともと人間じゃないだろ』

「あなたは……」

『俺はなE531系のオッサン』

「こんにちは。私は元ブルーインパルスです」

『うえっ! ブルーインパルスって、俺たちの頭の上を雲噴きながら飛んでるアレか!? なんだよ、なんで人間になったんだ』

「ふふ。好きな人みつかったら人間になりました」

『へぇ。好きな人ね。あんた、人間なんかなって楽しいの? もう飛べないんだろ』

「はい。でも、あのままいても用廃なるだけだったし。今はとても幸せです」

『あ、用廃ね。そっかそっか。あんたラッキーだったんだな。ま、楽しんでくれよ人間さんを。見てると大変そうだけどな』

「大変ですけど、がんばります」

『おう。おっと、次で降りるんだろ、じゃーなー』


 眠っていたのを起こしてくれたのは、私が乗っている車両さんだった。私、まだお話できるんだ……よかった。


「私はラッキー。ふふふっ」



 

     ☆




  電車を降りて駅の改札を通ったところで私のスマホが鳴った。


(つばさから!)


 駅の駐車場に行くと、翼の車が見えた。私が近づくいたのに気づいて車から降りてきた。


「ナナ!」

「翼、ただいま」

「おかえり」


 翼はホッとしたように優しく微笑んだ。たぶん一日ずっと心配をしていたかもしれない。私は人間のこと何も知らなかったし、字も読めなかったから。でも、もう大丈夫だよ? 私、今日はとっても楽しかったから。


「今日、何したの?」


 帰りの車の中で今日のことを話した。駅で知らない人からティシュを貰ってしまったこと。カフェでカフェオレを飲んで、その後、書店で読み聞かせをしたこと。そして、電車の車両さんに起こしてもらったこと、全部話した。


「このティシュ。知らない人がくれたの……でも、みんな貰ってたから」

「大丈夫。大きな駅や街中ではティシュやお店の広告とか割引券を配ってる。ナナは間違ってないよ。要らなかったら、いらないって言えばいい」

「うん! あとね! 私が小さなお友だちに絵本を読んであげたの。飛行機のお話。喜んでくれたんだよ」

「ナナが読んであげたのか! すごいよ、すごいよナナ」


 あっという間にお家に着いた。翼は私の話をとっても喜んで聞いてくれた。一人でできたことをたくさん褒めてくれたの。でも、お部屋に入ったら急にしょんぼりしてしまった。


「翼? どうしたの?」


 翼は困ったときにするように、眉毛を下に下げてしまった。そしてそれが寂しそうに見えた。


「俺さ、ダメな男だな」

「どうして? 翼はダメじゃないよ? つばさぁ」

「ナナはさ、自分の力で頑張ってるじゃん。喜ばしいことなのに寂しいんだよ」


 私が頑張ってるいるのは嬉しい。でも、寂しいって……どうして? 嬉しいけと寂しいが、分からない。


「ナナは何でもできるようになった。もう俺がいなくても出かけられるし、買い物もできるし、友達だってできるだろ? なんだかナナが遠くに行ってしまうみたいで。あれ、俺、何言ってるんだろ。間違いなく嬉しいんだよ! うん。それは本当だ」

「つばさ……」


 翼が泣きそうな顔をしている。私、翼を悲しませてる。どうしよう……。寂しくて嬉しい翼を私はどうしたら笑わせられるかな。私は翼の笑った顔が好きだもん。


「私はどこにも行かないよ。1番機の時、定期点検で離れたときも、翼のことを考えてた。早く松島に帰りたかったの。やっと定期点検明けて戻ったら6番機って言われて、泣いたんだからね」

「え、泣いたの!?」

「うん」


 点検明けにオイル漏れで整備員キーパーたちはザワザワした。でもすぐに翼が来てくれて「これくらい、大丈夫、大丈夫」ってすぐに直してくれたの覚えてる? 翼の手じゃなかったら私は直らなかったんだよ。


「もしかして、初っ端からのオイル漏れ……」

「そうだよ。翼の整備から外れたことが悲しくて辛かったの。もう飛びたくないって、思ったの」


 長年飛んできて、こんなふうに落ち込むことはなかった。整備員が誰になろうと、私はなんの心配も不安もなかった。でも、もう翼に触れてもらえないって思ったら……。


「あんな昔から、ナナには意思があったんだな」

「私だけじゃないよ? 全機体に心があった。3番機ちゃんは整備員キーパーのおねえちゃんが、いっぱい褒めてくれるって喜んでいたし、4番機さんは操縦士ライダーに彼女ができたって大騒ぎしてたし」

「な、は? ええっ!!」


 翼が私のオイル漏れを素早く直してくれたお陰で、当時の整備員たちを纏めていた坂東三佐が「725は青井じゃないとダメだな」と言って、配置換えをしてくれた。みんなが、うんうんって賛成してくれたわ。


「ねえ、翼。分かって? 私は翼の手がないとダメなの。その手で愛してくれないと、死んじゃうの」

「ナナっ!」


 翼がぎゅーっって、抱きしめてくれた。

 T−4のときには味わえなかった翼からのハグ。あんなに毎日、撫でてもらっていたけれど、やっぱりぎゅーっには勝てないよ。


「翼、愛しています」


 ずっと、ずっと、翼と一緒だよ。だから寂しいなんて言わないで。私は青井翼が大好きです。翼がいないと飛べませんっ。分かってもらえたかなぁ……。


「うん、うん。俺も、ナナをっ……愛しているよ」

「泣かないで、悲しいお話はしてないよ? つばさ」

「違うよナナ。嬉しいんだ、泣くくらい嬉しい」


 嬉しくても涙は出ます。やっぱり少し難しいね。


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その手で、愛して。ー 空飛ぶイルカの恋物語 ー 佐伯瑠璃(ユーリ) @yuri_fukucho_love

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