始まりの原点  

恵の雨


※唐突な「過去編」です。

それでもよろしければ。どうぞ、お読み進め下さい。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――






 ――――…ザザザッー ザザッー ザザザッザッーー ザッー ……。



「――…さむい……。」



 ……凍える冬の寒さが弱まりつつある、"土礼とれいつき"の終期。「テフォマ豊穣神の涙」と呼ばれ、白く冷たい最後の雪を溶かし。春期"水礼の月"の始まりが近い事を示す、"雨水雪が解け始める頃"の大雨が降りしきる中…。貧弱で貧相な、薄汚れた襤褸を纏うは。一着しかない、その擦り切れと黒い斑だらけの服へ。………遮るものが、何一つない故に……。たっぷりと雨水を含み、重く張り付く服とその冷たさに体を震わせ。"少年"は無意味に、その寒さに呟きを零すも…。小さな呟きは激しい雨の飛沫音と、周囲を通りがかる人々の水っぽい靴音によって掻き消される……。


 "少年"よりずっと立派で、清潔そうな服を着た人々は。大抵は焦げ茶や薄茶・黄土色の革の外套クロークをスッポリと頭巾フードまで被る事で雨を凌ぎ。その革製の外套クロークさえ買えない者は。革よりも非常に水を含み易く……しかし、一応は雨風に直接打たれる事は防げる。綿・麻製の分厚く軽い(今は雨水を含み重い…)、布製の外套クロークを纏って足早に雨宿りの場所を探し。そんな中でも、極僅かな者達は。多少でも水分は含んでしまう革・布製でも関係なく…。『魔法まほう』と呼ばれる、摩訶不思議な力の恩恵によって独りでに"水を弾く外套クローク"を身に着け。周囲の憂鬱そうな雰囲気を気にせず、悠々と歩を進める人々も混じる中を。"少年"はその合間を縫い、目的地を目指しひた走る。そんな"少年"の姿を、多くの者が無関心に視線の端に捉え。その何人かは、あからさまに顔を顰める。……襤褸を纏う"少年"――「孤児」という、育て親のいない少年少女達の存在は。、存在し得る存在であり。そして、その扱いとは、まさに「冷淡」…その一言に尽きる。


 カラミタ教という、「異教の徒にも、広く、その門徒を開き。理解と慈悲をもって、手厚く招き入れよ。」の教えにより。大抵の大小の教会・聖堂には、規模はマチマチだが「孤児院」が併設される事が堅く義務付けられており。その孤児院には、其々の村・町・都市で不幸にも育て親を亡くし、引き取り手のない子供達を保護し。院によって微妙に違うが…大体満15~13歳で孤児院から働きに出されると。その儘、その働きに出された先で自活し始めるのだが。勿論、その収容許容人数には限度があり。その結果、"少年"の様な――「浮浪孤児」が主に都市部で細々と、ひっそりと息を潜め。薄汚れたドブや、日の差さない裏道をひたすらに這いずり回っていた……。


 そんな、浮浪孤児の一人である"少年"は今現在。自身が「隠れ家」としていた、都市のはずれにある「排水溝」へと続く裏道を。浅黒い肌を突き刺し叩きつけられる氷水の礫を甘んじて受け、忙しなく駆け廻りながら。漸く、辿り着いた。……既に廃れた、小規模な排水溝の気持ちばかりの封鎖処理である。古びた木板の遮蔽物の綻び…そこへ、ただ引っ掛けただけの布切れを除けると。何とか、小柄な成人男性が這って通れるような穴が姿を現し。"少年"は、その穴へ体を滑り込ませ布で再びその穴を隠すと。僅かな隙間風のみで循環する、何処か湿り気を帯び埃っぽい空気に満ちた。今では"少年"の胸下辺りまでの水しか供給される事がない、廃棄排水溝の整備用歩道へ足を踏み入れ。明かりのない、暗い暗闇が充満する空間に――…。



 ――――小さな、が。突如、"少年"の手の平の上へ出現し。その濃い、暗闇の中で………灯火の様な「光」を齎す…――。



 …――"少年"が、自身の手の平へ生み出した「小さな火」…。それこそ、この世界に存在する、『魔法』が成し得る業。その、の一つであり。…僅かな飲み水の生成に、撫でる様に柔い風の発生、ポコポコと小さく盛り上がる土の流動と……蝋燭の様にちっぽけな淡い火の発現。其れ等を大きく四つに分けられた現象を「四大属性」と呼ぶ、この『魔法』という力は……。下から"少年"の様な浮浪孤児、上からは「王侯貴族」と称される特権階級者達までが持ち得るもので。全ての人間種は、先に前述した通りの現象を代わりに。その『魔法』を行使する"力"――"魔力"の絶対保有・生成量が殆ど均一で、特出した魔力量を誇る者は極わずかな「種族」である…。


 そんな種族としての特性に漏れない、"少年"の魔力量は。同い年の平民・下民の子供とすれば、多い方であったが、多寡が知れており……。大した魔法的教育を施される事がない、そんな子供達でも行使できる。四属性魔法の最低位――「れき級二等・魔法使い」相当の魔法二つの行使に留まる"少年"だが。浮浪者という、最低身分の者達にとって。この最低位の魔法は、常人の認識より遥かに上位の重要性があり。この魔法を上手い事、直感的に行使できれば良いが…。大抵の浮浪孤児場合、何とか、同じ徒党を組む浮浪孤児へ教えて貰うか。その行使する様子を盗み見て、それを参考に自発的な行使を試みる必要があり。これを怠る……知る機会さえも無かった者達は。非常に厳しい、劣悪な環境下での生存競争へ立ち向かっていかなければならず。そういった浮浪孤児は…………殆どが、最初の1~2年目の真冬を超える事が叶わなかった……。



「……はやく、火をおこさなきゃ…。」



 そうした。素の極限状態で一週間余りを、不眠不休の飲まず食わずで生存可能な人間種に。微々たるものながら、そこへ魔法の力が一つ加わるだけで。驚異的なを発揮する事が出来る、逞しい浮浪孤児の"少年"は。ひたひたと、丈夫な麻袋と紐で作った……紐靴サンダルとも、藁靴わらじとも言い難い…。足回りへ、ただ巻き付ける様に紐で固定した。そのたっぷり水気を含んだ、麻靴あさくつとでも言うべき物を脱いで、手に持ち。細かな砂と小石が転がる、排水溝の歩道端を手の平の灯りを頼りに歩き進め。慣れ親しんだ、みすぼらしい寝床へ急ぐ最中……。



「――…!?……。」



 …何時もならば。他の浮浪孤児達ですら知らず、教えてもこなかった。この常闇の穴倉であり、廃棄排水溝の奥……。ちょうど、左右に分かれた水路の左側から。"少年"の放つ貧弱な光とは違う。使用者の周囲2~3メートルを明るく照らす、強い光の先触れをまだ少し距離のある位置から視認した"少年"は。その手に火を弱め。極々必要最低限の光源に留めると。素早く、そして静かに。今降る雨の影響で若干水嵩の増した、冷ややかな雨水と淡水の水路へ身を沈め。肌から伝わる不快な低温をグッと、子供ながらあっぱれな胆力で堪え。氾濫防止に水路底・横幅を広げた際に出来た、水路の歩道端の。約70センチ幅の出っ張ったへりの下へ潜り込むと。魔法の火を完全に消し。瞬時に訪れた真っ暗闇と、大量の水の匂いを吸い込み。ギリギリ、"少年"の首元辺りまで嵩の増した水に気を付けながら。縁下の水路の壁へピッタリと背中を着け、水音が出ないよう息を潜めると…――。


 ……遠くの水路の水面へ。先程見掛けた"少年"のものではない光が、ゆらゆらと反射し…。その光が着々と"少年"が隠れた歩道の縁下の方――排水溝の出口へ近づいている事を確認すると。"少年"は小さく生唾を呑み込み。漸く、この水の冷たさに慣れて来た体を一層壁へ張り付かせる。……数人のが、排水溝という…半円状のトンネルの閉所空間で響く靴音と混じり聞こえ始め。そしていよいよ、"少年"の隠れた縁上の歩道へ男達が歩を進め――立ち止まった……。



「――もう、この辺で良いだろ…。たっく、めんどくせぇ仕事だぜっ。何だって俺達が、こんなジメジメと暗ぇ所を潜らにゃならねぇんだ……。」


「……仕方ねぇだろ。この前のが上手くいかなかったばかりか…。"御頭"と俺らを除いて、殆どがんだ。こうでもしなけりゃ、御飯おまんまの食い上げだぜっ。」



(――……こいつら…もしかして、"やとう野盗"ってやつらかな?)



 ぶつくさと文句を垂れ……。何やら物騒な理由でもって、この人目のつかない廃棄排水溝を態々通って来たらしい。…姿は確認できないが。彼らの独特の野卑な語り口と、会話の内容から。"少年"は、コソコソと食べ物を漁りに都市の中心部へ裏道を通り向かっていった際。巡回の警備兵らしき者達が話していた、「…最近、この都市近辺に"野盗やとう"が出たらしい。」っと。何やら難しい顔をして話し合っていたのを思い出し。今迄この排水溝を使ってまで、都市へ入り込もうとした者達が皆無だった為。きっと、こいつらが。兵士や商人の大人達が噂する、"悪い奴等"なのだろうと大雑把に考え。"少年"は、場違いにも……。。予め、寝床用の布切れや焚き木の薪等を、老朽化によって崩れた壁の中へ。歩道上へ捨て置かれた空の木箱や木材で隠しておいた事と。このを、他の浮浪孤児達へ教えない為に。今日の様な酷い雨の日と、厳しい冬期の間の家としてしか使ってこなかった為。


 廃棄排水溝内には、毎日通い詰める事で出来る。歩道の砂利が端へ綺麗に掃かれていたり、敷きっぱなしの寝床や焚き木跡がその儘残されていたりする。所謂"生活感"と言われるものが薄く。且つ出口は一見、木板の遮蔽物でしっかりと閉鎖されている様に見える事もあり。男達――「野盗」は"少年"が時たまここを利用し。あまつさえ……その"少年"が、今まさに自身等の足元の水路へ隠れていようとは露知らず…。休憩がてら、雑談に入り出した野盗達を余所に。"少年"は慎重に手足を動かし、歩道の縁から出ないよう水路を歩き進め(幸運にも、足は底に着く程度の水位)。もと来た出口間近になると、空気を小さな肺へ溜め込み。ちゃぷり……っと頭まで水へ浸り。水路の下まで伸び……しかし、一応は水が流れる様に開けられ。底までは達していない遮蔽物の、子供しか通れないような隙間を水中で何とか潜り抜け。その儘急浮上して、外側の排水溝前の水路から顔を出し。新鮮な空気を吸い込みながら、直ぐに、水路の崩れた所を足掛かりにして。水から上がる。


 一瞬、背後の排水溝入り口の遮蔽物へ視線をやるも。布で隠した穴から、男達が這いずって出てくる事はなく。何とか気づかれず、排水溝から出られた事に安慮すのつかの間…。当初よりずっと、体は濡れて冷え切っており。まだ水に浸かっていた時の方が、幾分かマシだったと後悔しながら。兎に角、この場所から離脱するべく。ガクガクと震える足を必死に動かし。裏道の細く、入り組んだ石畳の道を蹴り上げ。排水溝から十分距離を取った、この「貧困スラム街」に広がる古びた…人気の皆無な廃屋へ入っていくと。既に痛いぐらいにかじかんだ両手で、まだ、あまり湿っていなさそうな捨て置かれた家具の残骸を集め。ポツポツと穴の開いた床の一つに目をつけ。その穴を態と手に持った木片で叩き、穴を広げ。その床下の剥き出しの地面が、十分に見える程に穴を広がると。


 そこへ、周囲の木片と壊した床材を小さく積み。震える手へ、また蝋燭程度の火を現すと。その儘、積んだ廃材の薪をチリチリ焦がし火を着けようとするが。やはり、この雨の湿気を含んだ薪はとても燃えにくく……。それから暫くして、約10分後。やっと乾燥して来た薪の一部へ火が移り、赤々と小さく燃える火種を見て。逸る気持ちを抑え、少しずつ、時間を掛けて火を大きくし…。漸くパチパチと、火の粉の爆ぜる音が聞こえだした頃には。日もそこそこと沈み、辺りの薄暗い廃屋の影が更に濃くなったって行くのを見つめ。"少年"は憂鬱そうに溜息を吐きだす…。何時もなら、あの排水溝で暖を取り。しっかりと服を乾かし、それまでに雨が止めば食べ物を探しにゆき。そうでなければ明日まで、あの程よい湿気と温かさが籠る排水溝で夜を過ごせた筈だったが。それも暫くは"おわづけ"となり。きゅるきゅると鳴る自身の腹を、恨みがましく睨みつけながら。



 ……6歳の浮浪孤児の"少年"――ただの""は。また一つ、砕いた廃材を焚き火へ投げ入れ。ふと、視線を下げ……………独り呟く…。



「……麻靴…どこやったっけ…――――。」





   *




   *




「――…あいつ等…ちらかしやがって……。」




 ――…あの日、散々降りしきった「テフォマの涙大雨」により。漸くこの『アルテニカ聖王国』東部にも、雪解けの季節が到来し始めた"3日後"……。


 あの廃屋を一旦、暫く"仮"の拠点として確保した後…。都市の中心部にある、商店街の裏口を見回り。……まだ食べられそうな廃棄物生ゴミを漁り、空腹を満たしつつ。何度か、排水溝がある地区へ"偵察"に赴いた際(この時に、既にドロドロになった麻靴の残骸を見つけた)。…貧困街を縄張りとする荒くれ者――"役座ヤクザ"とは違う。この辺りでは見かけない雰囲気の、「余所者」らしき男達の姿をちらほら見掛け。その中に、排水溝の水路で聞いた"あの男達"の声と同じ二人組を見つけ。より、彼らが件の野盗の残党達である事に確信が強まった頃。ユスレスは危険を承知で、今現在。あの排水溝へと、足を踏み入れていた……。



「……くさい…。」



 ユスレスが、何時も寝床としていた。排水溝の出入口から一番手前の、二股の角の左奥…。そこにちょうど、野盗達が何度か食い寝した様な残骸――旨そうな焼き鳥の足ガラに安い酒類の瓶とコップ、焚き火後の炭と灰。そして、その周囲に敷かれたそこそこ上等そうな毛布が散乱し。更には、何か"薬"でもやったのか……。辺りの空気に、まるで色が付いたかの様な…。独特の臭気が、酒と食い物の匂いと混ざり。それによって生じた不快な香りが、小さなユスレスを取り巻いている。棘のある空気を吸い、少しばかり頭がチクチクと痛くなって来たのに気づき。ここもいずれ、また野盗が戻ってくる為。多少口惜しく思いながらも…長居は無用と、踵を返し――…。



「――ああ!クソッ!…なぁ…やっぱり、この出入口もっと広げねぇか?一々、這いずって入るとか……めんどくせぇだろ……。」


「…うるせぇなぁ。御頭が、目立つから止めろって言ったんだ。大人しく従えよ。……こっちだって、我慢してるんだからな…。」



「…!…。」



 よく通りよく反響する声で、ぶつくさと文句を垂れながら。排水溝前の遮蔽物の穴から、何とか排水溝内へ這いずり入る。、野盗二人組の声が聞こえ。ユスレスは又しても、野盗の残党とかち合った己の不運を恨むも。瞬時に思考を切り替え、再び、水路へ身を浸し縁下へ隠れるが。…予想外な事に……。3日前の大雨により生じた、"雪解け水"によって。水路の水はあの日より少しばかり上がり、水温も気持ち低い…。息継ぎと隠れ場所を兼ねた縁下、約50センチまで上がった水嵩は。優にユスレスの身長を超え、前よりも十分に潜り泳げるほどの水深へと変貌を遂げ。当然ながら、その底に足を着けばユスレスの体は丸々水の中へ沈んでしまう…。何とか沈まず、息継ぎをして隠れて出口へ向かうには。常に足で水を蹴り重力に逆らいつつ、出来るだけ波音をたてぬよう進むしかないのだが。それには前以上の集中力と体力を必要とした…。ただえさえ、肌を刺す様に冷たい雪解け水へ。体温と体力、両方を擦り減らされる状況下で。果たして、ユスレスの精神と体力が持つのか。大きな不安が頭をもたげるが……しかし、それ以外に彼らを躱す術はなく…。


 ユスレスは意を決し。暗い水へ沈み、僅かな縁下の空間に入ると。水面へ口を出すのではなく、鼻を出す様に心掛け。出来るだけ、水を蹴った際の、上下運動の幅を小さく保ち。波を立てないよう、また壁に張り付きながら。静かに、泳ぎ進めるユスレス。二人組が排水溝の初めの角を曲がる前に、ユスレスは水路の壁伝いに角を曲がり。その後直ぐに二人組が角を曲がり、気づかずまた通り過ぎまた事に一息ついた時…――。



「――…うッ!?ぐ、げほッ!けはッ!!」



 一つの小さな危機が過ぎ去った事に、うかつにも安慮し。一瞬の緊張の緩みで、つい、鼻から水を思いっ切り吸い込み。盛大にむせ、咳込んだユスレスの声は良く響き。二人組の足音と話声がピタリと、不気味に鳴り止む……。それに気づいたか気づけなかったか、ユスレスは兎に角自身の置かれた状況の悪さから。慌てて手足をばたつかせるも。それはかえって、二人組へ今いる場所を教えてしまっている様なもので……。たった数十センチ進んだ処で、縁上から太くごつい腕が伸び。その手がユスレスの肩当たりの服を鷲掴むと。グンッ…っと、勢いよく縁下からユスレスを引きずり出すと。あっという間に、歩道上へと引き倒す…――。



「…はっ!この"ガキ"ッ!…よくもまぁ、こんな処に隠れやがって……。」


「浮浪児か……。まさか…俺達の話し、聞いてたんじゃあ、ねぇだろうな?」


「…ぐうッ!!」

 


 二人組の一人に、濡れた黒髪を掴み上げられ。乱暴に捕まれた痛みに、呻る様な声を上げるも。それに構わず、髪を掴まれた状態から宙に吊るされ。ブチブチと嫌な音をたて、髪が千切れ抜ける痛みが頭皮へ奔り。また呻り声をあげ、抗議するユスレスを。それが然も愉快であるかの様に、二人組は下品な嗤声を上げ。ユスレスにもっと鳴け、っと態とユスレスを揺すり。その痛みに悶える様子を一頻り楽しむと……。二人組はこの"ガキ"…ユスレスをどうするかを、短く話し合い始める。



「……さてと…。このガキ、如何する?この儘、水路にでも沈めちまうか?」


「それもいいが。……だが…確か御頭は「ここのガキには、手を出すな。」って。言ってなかったか…?…。」


「知るかよ。たかが浮浪児のガキ一人居なくなったって、誰も気にしねぇだろ。……御頭も、何をまぁ…甘い事言ってんだか……。」


「だがよ……。」


「何だ?お前、らしくねぇじゃねえか?こんなガキ、今迄だってってきただろうが?………たった一人くらい、御頭だって、構やしねぇさっ。」


「……まぁ、そうだな。」


「…ッ!?」



 物騒な言葉が飛び交う、二人の話し合いの答えは。「この浮浪児ユスレスを殺す。」その、一点へ絞られ。何の哀れみも戸惑いもない、無機質に濁った瞳がユスレスへ向けられ。それに思わず、怖気だったユスレスは。必死に足りない頭を捻り、この絶体絶命の危機を打開する策を練り始める……。そんなユスレス…浮浪児を嘲笑うかの様に。一人が少し腰を屈め、歯を剥き出しにして嗤うと。ユスレスの目の前へ、当てつけの様に灯りの灯篭ランプを掲げ。…粘りつく様な声音で、ユスレスへ嘲りの言葉を吐きだす……。



「――…はははっ、今日で漸く、年貢の納め時だなぁ?ガキ。安心しろ、ちゃんと痛くして殺してやるから、しっかり鳴け。…期待してるぜ…?…。」


「ッ!!?」



 到底、受け入れられる筈がない……。愚かしい程傲慢で、残虐な言葉を吐く男に。ユスレスは精一杯の憎悪を込めて睨みつけるも。それは逆に男の愉悦を満足させる、よい刺激程度の効果しか与えられず。ガハハハッっと、汚らしく嗤う二人へ。心中、思いつく限りの呪詛を吐き散らかした後。……は…っと、ユスレスの視線は目の前へ掲げられた、灯篭ランプに吸い寄せられる……。灯篭ランプには、淡い黄色の蝋燭の火が煌々と灯りユスレスの顔全体を照らし出し。そして、恐らくは"盗品"なのであろう…。風除けの硝子の筒は罅割れ、穴が開いており。辛うじて、本当に、単なる"灯り"としての機能しか持たぬ。その灯篭ランプの穴はちょうど、ユスレスの顔の方へ向いている……。そんな、ほんの数秒の考察により閃いた一つの"思いつき"に。ユスレスは全てを掛け、その"思いつき"を実行に移すべく…………――…。



「――うおっ!?」


「なっ、何だ…?…――。」



 一瞬にして、。三人の周辺は、突如として暗黒の世界に取って代わると。ユスレスは、その暗黒世界へ手を突き出し。この空間で、閉じる必要のない瞼を閉じると…。ユスレスは、高らかに叫び上げる――…。



「――…"ひかり"よっ!!!」



 その、声に応え。突き出された、無意味で無力な幼いユスレスの手へ。白色の眩い"光"が生じ、漆黒の闇を切り裂く……。そんな、強烈な白い光に。突然の暗転で動揺し、当然瞼を閉じていなかった二人組は。再び暗闇の中生じた、強すぎる光に目を焼かれ。その後、瞬きの内に、瞬時に消え去った光だったが…。急激な暗転と光により、眼を潰された二人がそれに悶えている間に。緩んだ男の手を払い除け、真っ暗な排水溝の中で唯一光る。排水溝前の遮蔽物の穴目掛け、我武者羅に走り出したユスレスの背後から。「こ、このっ!ガキがあぁッ!!!」と、魔獣の雄叫びの様な怒声が響き渡り。それについ、恐ろしい物見たさで振り返りそうになった自身を叱咤し。愚かな好奇心を振り切ると、もう目前に迫った遮蔽物の穴へ。躊躇することなく思いっきり滑り込み、排水溝の外へ出ると。又も背後から怒声と、何かが無理やり遮蔽物の穴を潜ろうとしている様な音が、微かに耳に入ったが…。それにも、一度も振り返る事なく、走り続けるユスレス…。


 幾度も角を曲がり、時には勢い余って周囲のゴミや取っ掛かりに掴まり。低い壁程度は登り抜け。時にはちょうど、文字通りの井戸端会議に花を咲かせていた。汚れた衣服の洗濯・取り入れをしていた、奥様方の間を通り抜け。その合間に、そこそこ綺麗な乾いた手拭いを一枚かっぱらい。「泥棒ー!!」っと、どやされながら……。流石に、走りっぱなしの為に息が切れ始め。背後に、追手の気配がない事を確認すると。ユスレスは入り組んだ裏道の、細い通りの壁に背を預けると。…ズルズルと、力なく、その場にへたり込み。今度こそ、安慮の溜息を吐きだし。……独り思う…。



「……"運"が、よかっただけだ…。」



 ……かっぱらった、乾いた手拭いに顔をうずめ。暫く、その場を動く事無く。押し黙るユスレス…。



 ――ユスレスの手の平に生じた、あの眩い白い"光"…。それは、全ての僧侶・神官を名乗る者達が。当然の様に扱い、行使する事が出来る"奇跡"の一つ……。この世界に存在する、「魔物まもの」と呼ばれる不浄なる怪物の一種――"屍人しびと"、"死霊しりょう"等を退け、滅する唯一の"力"の片鱗であり「始まりの神聖術」――『先導せんどうひかり』は。……本来、ユスレスの様な浮浪孤児という…。大した情操教育も施されず、食前の『神』への祈り方さえも知らない子らには。到底、扱う事など出来よう筈がないものであったが…。


 『神聖術』とは、魔法と異なる原理によって成り立つ。文字通りの、"神の奇跡"であるなら。『魔法』とは、まさに"人の奇跡"である。そして、その二つを比べた際の最も大きな違いは。魔法…"魔力"は、万人が持ち得る"平等な力"であるなら。神聖術を行使する"力"――『神氣しんき』は、雑多な……限られたのみが持ち得る"不平等な力"である…。その理由として。神氣は魔力の様に「うちに宿るもの」ではなく、「より降ろされもの」で。初めから人が生来持っている力ではない、本当の意味での"神の力"……その一片の"神の煌氣こうき"をその身に得られる力であり。その元来、自身のモノではない神氣を工程が"祈り"であり"信仰"であった。その為、この神氣を扱える「適者」とは自ずと"神の信奉者"に限られ。また、その"信仰"もただ適当な祈り程度では事足りず。己が信奉する『神々』の象を置き、神聖な"祈りの場"を保ちながらその場へ足繫く赴き。真摯に、"祈り"を幾度も捧げ積み重ね……続ける事で初めて。今代では……広く"治癒の奇跡"として知られる、神聖術を扱えるだけの神氣を。自らの体へ、"降ろす"事が出来るように成り。



 ……その、"兆し"として行使できるのが。幼きユスレスが行使し、成し遂げた『先導の光』と呼ばれる"奇跡"である――…。



 …そして。何故、そんな多大な"信仰心"を必要とする神聖術のを。ユスレスという…一見、信仰心の欠片もなさそうに思える孤児が扱えるかと言えば。それは―――それが、『神』の"お導き"であるから―――としか、言えない……。それは極稀に…時たま。…大した"信仰心"も、"祈り"さえも紡げていないのに。…何故か…その身に神氣を降ろせるだけの"肉体"――生来の"器"をもった者達が、確かに、極々小数存在しており。その殆どはで、無教養な偏った知識によって。、信仰心が芽生えない為に。その本来の"真価"は発揮されず…。多くは、他の有象無象によってその"価値"を薄められ、錆び付いてゆくのだが……。まだ弱冠6歳の幼子であるユスレスは。浮浪孤児という身の上の為に、多少、その精神を摩耗させてはいたが。しかし、その"まっさらな精神"の輝きは今だ健在であり。孤児としてのその無教養さは、ある意味で…。その子供特有の"純粋さ"と、"無垢さ"を保持させる事に貢献し。


 また、月に二度の。小教会・聖堂で行われる、貧しき者達への施し「炊き出し」を受ける事もあり。……肝心な処で"救い"をくれない『神』には、少なからずの憤りや恨み言を吐く事はあっても。名を知らずとも、その『神』の存在を知っている事と。微々たるものでも、その施しを受けている側の身で『神』を否定しきる事は出来ず。例え、否定したとして。その『神』という"存在"を知り口ずさむ事は、逆に考えれば。その『神』を"信じている"から、とも捉えられる為。……本当に、本当の意味では。ユスレス並び、多くの浮浪孤児の無神論者というのは。その幼く未熟な肉体と精神を保持している間に限り、その身は確かに。一端の「聖職者」に成り得る"可能性"を多分に持つ………"未来ある"子供達であったかもしれない…………。


 


 …――そんな、子供達の一人でしかなかったユスレスは。無言で、またぐしょぐしょに濡れた服を出来るだけ。手拭いに水を含ませることで、何とか自然乾燥を早く促そうと忙しなく手を動かすが。……折角、3晴れ晴れとした鮮やかな青い空へ。少しづつ……何度目かの、灰色の重たい暗雲が流れ込み始め。瞬く間に、それはユスレスがへたり込む狭い通りからでも視認できるようになると…。唐突に失われていく暖かの陽の日に、ユスレスは「またか。」っとその幼い顔を顰め。……その後暫くして、ぽたぽたと雨粒を零し始めた雨雲に。ユスレスは今だ、しっとり濡れる頭へ手拭いをサッと被せ立ち上がると。顰めっ面その儘に…ユスレスは天上の鈍雲を見上げ、一つの愚痴を零す……。




「――――こんな冷たい雨の…どこが、"めぐみあめ"なんだよ………。」



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謳う戦鎚 ドクダミ @kumomodoki

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