第7話 ビジネスパートナー③


 ガレフは長風呂ですっかりふやけた指先を眺めて今日一日を思い起こす。

 最初に思い出すのは、R's hiddenで見かけた少女の事だった。確か、名をアンジェと言った。気にはなった。夜、客として行く事も頭の中でよぎったが、その後立ち寄った整備工場で空調の修理や、そのついでに見つかった駆動系の修理等、随分とトレーラーの修理にふんだくられたおかげでお流れとなってしまった。本当なら、もっと有意義な事で散財するはずだったのに、と顔をしかめた。

「ったく、一日の仕事が終わったってのに。なんでこうしょげてるのかねぇ」

 長座卓を挟んだ向かい側に居た女性がビールをあおった。ショートの、金のメッシュの入った赤みがかった髪。切れ目だが目線はハッキリと通り、その青い瞳が真っ直ぐガレフを見ている。彼女も風呂上がりで上は半袖のシャツ、そしてそこから伸びた二の腕が湯上がりでうっすら赤くなっていた。そんな彼女は、ガレフの前にあるビール瓶を取り自分のコップに注いでいく。その様子を、ガレフは指の間から変わらずぼんやりと眺めている。

「俺の予定じゃあ、ここでゆっくり汗流して。もう仕事もないから酒を飲んで寝るだけだった訳だ」

「まさに今、そうしてるじゃないか」

「大切なのは、それが俺一人だけの至福の時間って奴じゃなきゃいけない、て事なんだよな」

「良いじゃないか、あたしみたいな美人と一緒に酒飲めるんだから」

 彼女はケタケタと笑って、空いた瓶を脇に避けた。そして、折よく通りかかった女の店員にさらにビールを注文する。店員はガレフの方には目もくれず、卓上にあがっていた伝票に記入するとそのまま去っていった。

「美人、てのは今みたいな真面目で丁寧な店員の事を言うのであって、お前さんみたいな他人の金で酒飲むようなのとは違うぞ」

「美味しい仕事をこの情報屋ハーニャが持ってきたってのに、こんな安酒で愚痴ってたらダメよ」

 手をひらひらとさせ、彼女は続けて団子状に丸められた芋の串焼きと安酒を交互に飲み食いする。勿論、全てガレフが注文していたものだ。彼が、一日の仕事の癒やしとして胃袋に全て収めようとしていたものだ。

 この女、ハーニャはいつでも「こう」であった。ある地上都市で、重要情報が詰め込まれた彼女の積荷をガレフが運んでからの付き合いだった。それが、いつだったかはもう覚えていない。確かに彼女の言う通り実入りのいい仕事を持ってくるのだが、ガレフにしてみれば今まさに目の前で繰り広げられている光景のように何の遠慮もない性格で振り回され続けている。その度に次こそは断ろうと心に決めていたのだが、彼女はいつもこうして気が緩んだタイミングで接触をしてくる。これが、情報屋の鼻の良さなのだろうか。既に二枚目となった伝票を手に取り、ガレフは一つため息をついた。

「ま、詳しいことは明日の朝、話すから。この都市の外出たすぐのところで。とりあえず今日はこれだけ渡しておくわね」

 最後の一杯を空け、ハーニャはポケットから黒いケースをつまみ出した。中にほんの数枚のメモしか入らない程の大きさと薄さだ。ガレフはよく知っている。それが彼女の仕事のやり方なのだ。

 ようやく決心をして、ビールをコップへ波々と注ぐ。丁度、先程の女店員が追加の串焼きを持ってきた。かぶりつくように頬張る。一度ふかした芋を潰して丸めたこの団子状の芋は、アンブロイドの人々にとって丸芋と呼ばれ手頃な肴として親しまれてる。それはガレフにとっても同じなのだが、淡白さ故に飽きも早い。視線を少し上げて、壁際にかけられたメニューを見る。明日はもう少し、良いものが胃に入るかな。ガレフは諦めと後悔を吹っ切るように、笑みを浮かべた。






※     ※    ※





 オールデイは、長い上り階段を見上げてボサボサに伸びた茶髪をかきあげた。しかし、クセっ気の強い髪は、まるで意思を持っているように反発しまた目の前に戻ってくる。視線の先の光に不規則なスリットが入る。わずかに顔をしかめるが、それも一瞬の事で視線を落とす。

 留め具の辺りが焼け焦げて歪み、破壊された鉄格子があった。直ぐ下には金属製の錠が落ちている。それを拾い上げ、くるくると向きを変えて見る。鉄格子のそれよりも大きく形がへしゃげた箇所があった。間違いなく、目の前の鉄格子を施錠していたものだろう。その向こうは小部屋が一つ。もぬけの殻だ。ベッドや、一人がけのテーブルと椅子が見えた。

 誰かが居た、それはオールデイも知っていた事だ。それが、今は誰もいない。扉は外から壊されている。そこまで理解すると、錠を持ったまま踵を返した。

 階段を登る間、この施設の事を思い返す。セキュリティは何者かが骨抜きにしていた。飛行型の警備ロボはこちらを視界に捉えながらも、全く反応せずにそのまますれ違う。この警備ロボの異常を受けて到着したと思われる警備員は居たが、最新鋭のセキュリティシステムに甘んじていたのだろう。自分達の相手では無かった。

 登る途中で何かを蹴飛ばした。足元に目線をやると、バイザー付きの暗い色味のヘルメットが転がっていくのが見えた。やがて、それは階段の脇から落下していく。二、三回鋭い金属音が響いた。確か、あれは自分が仕留めた警備員のものだった。片手にも溢れないようなはした金で、よくぞ真面目に仕事に取り組むものだ。

 階段を登りきり、広い廊下に出る。蛍光灯が照らす壁と床は、わずかに白みを残して鮮血で酷く汚れている。眼下には、階段で見たそれと同じように警備員の亡骸が幾つも転がっていた。それらの発する血の臭いが鼻をつく。オールデイは少しばかり顔をしかめた。これでは足の踏み場がない。足を滑らせないよう、縫うようにして廊下を進む。

 左手に扉が開け放された部屋が見えてきた。中を覗くと、幾つもの機械が所狭しと繋がれている。電灯らしいものは部屋には無いが、この多数の機械に付いている電源ランプとおぼしき光源が部屋に光源をもたらしていた。

 室内には、誰も居ない訳ではなかった。キーボード付きモニターの前に、何者か一人立っていた。オールデイからは後ろ姿しか見えない。モニターを見つめているらしい。時折、キーボードを操作するが、画面に表示されるのはエラーの文字ばかり。光源が、彼の羽織っている深い青の戦闘服を薄っすらと浮かび上がらせる。肩幅はオールデイよりも広く、少なくとも男である事には違いない。

「予想通り、もぬけの殻だったよ」

 その人物が、何度かキーボードを叩いた頃を見計らってオールデイは話しかけた。

 と、同時に肩をすくめる。目の前の人間がやっている事は既に自分も試みた事だからだ。嫌味を言うつもりはなかったのだが、彼よりも自分のほうがこういうのは慣れている。自分が試して駄目なら、彼でも駄目なのは間違い無かった。

 少しの間があって、男はモニターから離れ壁際の機会を一瞥する。どれも外部に目立った損傷は無い。

 二人は決して、ここにある機械を求めているのではない。中身、つまりはデータが欲しかったのだが、どれも見事に消滅していた。経緯は分からなかったが、原因は分かっている。しかし、その原因と成るものも姿を消していた。

「後で来た警備員達の様子を見る限り、まあここにはもう用事はないだろうね。それどころか出資者達は証拠隠滅で何をするか分からない。多分今頃どうやってこの施設を放棄するか考えてるんじゃないかな」

 オールデイは手にしていた錠を知恵の輪のように弄ぶ。この施設は、まさに今手にしている錠と同じだと思った。破壊され、二度と閉じることも叶わなくなった錠。手遊びとして使う事も出来なくはないがそれは本当に僅かな間だ。

 目の前の男が頷く。オールデイはそれを確認すると、まるで子供が玩具を投げ捨てるように錠を放り捨てる。図らずとも、それは足元に転がっていたヘルメットの中に収まり金属音を立てる。しかし、それも最後の一呼吸のように小さくなり、やがてヘルメットごと静止した。

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クロウズ・クロス・クライシス @Kakure_R

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