喫茶店で

 カラン……と。

 扉に取り付けられた小さな鐘の音色が、アンティークな内装の店内に響いた。


「いらっしゃいませ~」


 鐘の音に返事するようにカウンターで白い皿を拭いていたオーナーは、こちらに笑顔を向けながら言った。

 艶やかなセミロングの黒髪。

 透き通るような白い素肌。

 細い首筋とは対照的によく育った豊満な胸に、スラリとした脚。

 黒と白の制服に身を包んではいるが、内から漂う色香ははっきりとにじみ出ている。

 一言で言うなれば、美人だ。

 だが、それだけではない。

 彼女は若くして、この喫茶店。

 <レ・カシス>を一人で切り盛りする、天の才をもったオーナーなのだ。


「えっと、2名なんですけど」


 おぶった少女を見せるようにしていった。


 と、その時。


 一瞬だが、彼女が眉を……ひそめた?

 なにか、怪しいものでも見たかの様な……そんな目付きだ。


「2名様ですね? かしこまりました。

 では、こちらへどうぞ」


 だが、すぐに笑顔を浮かべて、俺たちを席まで案内してくれた。

 テクテクと歩む彼女。

 そんな彼女に引っ張られるようにしてついてゆく。

 

 はて? どうしたのだろうか……?


 彼女の訝しげな表情を、前頭葉のホワイトボードに貼り付けてよく見直す。

 

 と、だ。


 思い当たる節があった。

 というか、めちゃくちゃあるな……。

 最も有力なのは、今から話すこの説だ。 

 あくまで仮説であり推察だが……。

 まず、だ。

 おそらく俺は、彼女に顔を覚えられている。

 いつもは一人だ。

 だが、ある日突然。

 その寂しい男が、女子中学生と思しき少女を連れてきたらどう思うだろう。

 きっと今頃、彼女の脳内で俺はロリコン認定を受けているに違いない。

 

 いや、待ってくれ!

 これは違うんだ!

 俺は断じて、そんな趣味趣向は持ち合わせていない!

 断じて、っだ!



 そんな伝わるはずもない弁護を胸で述べていると、彼女はある席の前で立ち止まった。

 

 窓際の。

 外の動き続ける景色がよく望める席だ。

 近くの壁龕に置かれた小柄な鉢から、小柄な観葉植物が「コンニチハ」している。


 ……可愛いな、あいつ。


 しかし少々謎なのが、何故か2人用の席ではないこと。

 店内には、2人用から最大6人ほどまで使えるテーブルと座席のセットが用意されている。

 だと言うのに、彼女が選んだ席は何故か4人用の席だった。


 ……んー。


 こればっかりは、どうにもわからん。

 彼女の行動の意図が汲み取れない。

 深い意味はないのかも知れないが……。

 ならば、隣の席でよくないか?

 背中に乗っている少女を荷とカウントしなければ、別に空いた席に置くような荷物はない。


 だから。


 むしろ二人用の席のほうがしっくり来る。

 だというのに、なぜだろうか?

 ……やはり分からないな。

 まぁ、馬鹿と天才は紙一重というし……。

 あ、いや! 決して彼女の行動が馬鹿っぽいとかそういうことをいっているんじゃない。


 ただ……。


 ベテルギウスを指しながら、「あれが太陽だょ」と言われた気分だ。


 ……反応に困るだろ? 「意味不明」だろ?

 つまり、困惑しているだよ。


 まあ、最も。


 俺はベテルギウスどころか、太陽すらろくに直視したことは無いんだが……。

 まぁ、話を振ったのは俺が何を言っているんだ、って話なのはわかる。


 でもでも。

 でも、だぞ?

 

 普通、点々とした星空のなかからわざわざベテルギウスを見つけよう、なんていう面倒なことをしようと思わないだろ?

 あんなたくさん星がある中で、どれがベテルギウスかなんて識別なんてできねぇって!

 それに太陽は眩しすぎて、直視しようとしてもできない!

 奴はもっと慎ましさを覚えるべきだ、まったく。


「では、こちらになります。こちらがメニューです。では、ごゆっくりどうぞ」


「あ、はい」


 と、そんなどうでもいいことを考えていたら、存外間抜けな返事になってしまった!

 なにが「あ、はい」だ! 

 もっと気の利いた返事の仕方はなかったのか俺っ!


 ……でもあの状況でむしろどんな返事を返すんだよ俺?


 とまあ。

 妄想癖で意味不明思想を広げるだけの、根っから凡人基質な俺はやはり「冴えない」


 だがしかし。


 神はどんな人間にも、平等なのである。

 彼女は、冴えない俺にもにっこりとした笑顔を向けて――。

 そして、去っていった。


 ……眩しすぎる笑顔だった……。


 もう女神と呼んだほうが相応しいとまで思えてきたぞ?

 

 と、とりあえず……。


 俺はおぶっていた少女を、ゆっくりと席に座らせた。



「だ、大丈夫…?」


「……だ、大丈夫……なの……です」


 ――いや、だから無理があるだろ。

 

 少女は相変わらず目を回したままだ。

 もたれるように。

 あるいは、授業中の居眠り生徒のように。

 机の上でグッタリ……と言った感じだ。

 全っ然、大丈夫じゃない。

 ここまで脱力しているのに、なぜ机からすべり落ちないのかが不思議なくらいだ。


 色々聞きたいことは山ずみなんだけどなぁ……。


 そんなことを考えつつ、メニュー表を開く。

 通いつめている喫茶店というだけあって、別に見なくてもいいんだがな。

 やはり、店にきてメニュー表を開く。

 このプロセスが、俺にとっては重要なのである。

 決まりきってる仕事とか言うである。


 あれ? ……ってなんていうんだっけ?

 んー……。

 まぁ、出てこないならいいや。


 でもまぁ、今日はメニューが必要……かな?

 初対面とはいえ、少女の前だ……。

 流石に、俺一人で物を飲食するわけにはいかないだろ?

 故に、この子の分も何か頼んでやらねばなるまい。


 が。

 だが。

 しかし、だ。


 弱った……。


 今日はじめて会ったというか、拾ったというか。

 考えてみれば、そんな子の好物なんて俺が知るわけない。

 街を歩いていたらすれ違いざま、初対面の人間に「宇宙の果てに何があると思う?」 って聞かれるようなもんだ。


 いや、知らねぇよ。


 誰だってそう答えるだろ、そりゃあ。


 だけどそうだな……。


 まぁ、甘いものでも注文してやろうか?

 そんならまぁ……これでだな。


「すいませーん!」


 俺はメニューを閉じてグッタリしている少女を一瞥すると、オーナーという名の女神を呼んだ。

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