数字で救う!弱小国家 ~楽しめる数学雑学を述べよ。ただしお話は短いものとする~

稲穂乃シオリ

第1話『マイナス×マイナスから求められた宇宙』

「んー……」

 今日もきゅきゅっと男装スーツに身を包んだソアラという王女様が、柔らかそうな頬に細い指を当てて喉を鳴らしていた。

「どうした?」

「いえ、大したことではないのです、ナオキさん」

「せっかく僕を相談役として雇ったんだ。話すだけでも試してみなよ。きみのいままでの相談相手の中で、いちばん優秀だぞ僕は」

「あら、自信がおありなんですね、ナオキさん。意外と頼られていたのですか?」

「いままでの相談相手なんて机か壁くらいだろ? きみ、友だちいないし」

「ふ、不敬ですよっ」

「悪かった。なら姫様、ご機嫌を取りたいので相談相手にしてください」

「……素直に『心配してる』と言ってくださればお話ししやすいので、今度からそう言ってくださいね?」

「……努力するよ。で、どうしたんだ?」

「“マイナスとマイナスをかけるとプラスになる”というお話を、だれかにわかりやすく説明する必要があるときには、どう言えばわかりやすいか、と少し考えていたのです」

「ふむ……数学に興味が無い人に?」

「数学に興味が無い人に、です」

「……たとえば、借金をしたとする。利息は1日につき銀貨2枚。これを式で表すと『-2×(日数)=(借金額)』。借金は自分にとって不利益だからマイナスで、日数が増えるとマイナスが増える。“マイナス×プラス=大きくなったマイナス”だ。これはいいよな?」

「はい」

「では逆に、日数を減らせるなら? 3日前までの利息でいいと言われたら、マイナスがマイナスする。時間を戻すんだ。そして戻したぶんの負債が減る。その場合の計算は『-2×-3=6』だろ。減った負債はつまり利益と同じだから、プラスになる」

「なるほど。時間を戻したら、ですか」

「もっと抽象的に言うと――自分にとって恥ずかしい思い出をマイナスとして、その時まで時を戻せたらプラスになる」

「それはいいですねっ!」

「……なにか、やらかしたことがあるのか?」

「だれにだって、そういうことはあります。わたしにもあります。それだけです。本当です」

「……失敗と失敗を合わせたら成功になった、っていう話もある」

 話題を変えてあげることにした。

「それはどういうものですか?」

「ヨハネス・ケプラーっていう数学者がいた。彼は惑星運動を“多面体太陽系モデル”で表した。ま、簡単に言えば、かっこいい形に見える宇宙模型を作ったんだ」

「そのかっこいい宇宙は、どんな誤りと成功をしたんですか?」

「ケプラーは『円運動をする6つの惑星と5種類の正多面体』から、調和した宇宙のモデルを思い描いた。それは一見すると数学的に美しかった。

 だけど科学者は疑り深いから、ケプラーの宇宙モデルをだれも簡単には信じない。ケプラーはどうしても実証してやりたくて、世界でもっとも優れた観測データを持つ天文台で、実際に観測された天体データと数式を突き合わせた。だけど、火星のデータが予想とずれている。

 間違いだったのさ。

 どうしても調和の取れた美しい『多面体宇宙』を認めさせたいケプラーだったからこそ、その美しさから外れた火星の数値が見逃せなかった。彼はやがて、当時の科学者がみんな正円だと思っていた惑星軌道は“楕円軌道である”という結論に至ることになる。

 人がなにかを予想して導き出すときに、自分の世界観、自分の経験、自分の信念で結論を出して、それを盲目的に信じてしまうことがある。ケプラーはまさにそれだった。

 だが、間違った理論が間違ったモデルを作り出して、それを信じたからこそ間違いに気づいて成功した。そういう話だと言えなくもない」

「情熱が正しさを導いた。……良いお話ですね」

「そうだな。さて、じゃあ無駄話にはこのへんで満足してもらうとして、王女様には戦争に勝つための計算を再開してもらおうかな。ケプラーを反面教師にしたいからね」

「はいっ――え、あれ? 反面教師に、ですか?」

 ソアラがきょとんとする。僕は王女に苦笑いしてみせた。

「学術的には成功を修めたケプラーだけど、その最期は雇い主が失脚して給料が払われずに困窮して野たれ死んだ。僕の雇い主のソアラ王女殿下には、戦争に勝ってもらわないと困る」

「明日は我が身……教訓のお話だったんですか」

「さ、間違ったモデルじゃ野たれ死ぬぞ。戦争に勝てるモデルを計算しようか」

「わかりました。ちゃんと集中します」

 お互い置いていたペンを手に取って、机の上の計算に戻る。

 そして数式にとりかかろうとしたとき、ふとソアラが顔を上げて、机と壁に書かれた数式を見つめ、それから僕を見て、

「そういえば、相談相手が『机か壁』というお言葉は、ナオキさんの経験から導いたものなのですか?」

「……きみのような勘の良い王女は苦手だよ」

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