第2話『思い込みの確率』

「なんか最近、この家にも物が増えてきたな」

 卓上を彩るペーパーナイフ、インク壺、羽ペンや石筆。レトロな文房具が並ぶその様に、僕は口から感嘆混じりの言葉を漏らす。

「言われてみると、だんだん揃ってきましたね、ナオキさん。この家はあまり使っていませんでしたから、長く暮らしていくには少し寂しい感じがしていましたけれど、短い間に思いのほか物が増えましたね」

 僕の言葉に同意しながら周りを見渡して微笑む少女がいた。なにを隠そう僕の雇い主で、一国の姫である。

「増やしたのは主にきみだけどな、ソアラ」

 そして、足しげく僕の家に通いつめては毎度あれこれと物を置いていく張本人でもある。「ですが、これくらいは無いと数学をするのには不便です」

 僕とソアラは、数学という形の無い学問で戦争に勝とうとしていた。形の無いものに形を与えるには、たくさんの筆記がいる。文房具は必需品だ。それはわかる。

「きみの服とかあと部屋とか、もうほとんど居住空間に仕上がってるだろあれ。僕の家なのに」

「でも、客間や玄関口にはもう少し華やかさが欲しいです。まだ使われてないとはいえ、いつ必要になるかわかりません。次は、絨毯を少し明るい色のものと取り替えますね」

「……そうか」

 どっちが家主かわからない。

「? どうかしましたか?」

「べつに。なんでもないさ。好きにしてくれ。僕には花瓶の表と裏もわからないしな」

「男性はよくそういうことを言われますよね。そのわりに、壁にかけた槍の刃は角度ひとつにこだわったりしています」

「おっと、ヒューリスティックの法則だな。確率論の話なら僕だって負けない」

「ヒュー……?」

「『ヒューリスティック』だ。人間の思い込みにかかわる確率の話さ。直感的な判断のこと。

 たとえば“女は細かい”“男は粗暴”。これは典型的な特徴の確率を過大評価してしまう、代表性ヒューリスティック。

 実際には“自分の興味があること以外は関心が薄い”というだけで、男女の性別でちがっているわけじゃない」

「そういうことでしたら、わかります。ナオキさんにも繊細なところがありますから」

「僕に? どんな?」

「インクで指を汚したら綺麗にしてからでないと他の物に触れません」

「あー、うん。そうだな」

「考えごとをされるときは、いったん姿勢を正しています」

「……そうだっけ?」

「それと、果物は必ず洗ってから食べています。乱暴な人ならそのままです」

「なあソアラ」

「はい、なんですか?」

「僕のこと観察しすぎじゃないか?」

「そうですか? 普通だと思います」

「……まあ、僕のことはともかく。そうした直感的な思考と対極にあるのが、論理的な『アルゴリズム』だ。社会規範というのは、そうでなくてはならない。数学が導く確率や統計は、論理的な見極めと行動を導くことができるんだ」

「わかりました。それはたとえば、どのようなものですか?」

「うん、そうだな……たとえば、5種類の景品がある食玩――ええっと、景品つきのお菓子があるとする。

 中身が見えないので、2つ買っても同じ種類の景品がかぶったりする。さて、5種類全部の景品をそろえるために、お菓子は何個くらい買わないといけないと思う? なんとなくでいいから、答えてみてくれ」

「5個、ではないのですよね? 景品が5種類で、お菓子そのものは5個以上あると考えていいのですか?」

「そのとおり」

「では、7個くらいですか?」

「実はな、それだと確率は21%くらいにしかならない。5人に1人だけが目的を果たせるが、4人はかぶったオマケを前に、追加でいくつ買えばいいのかと財布に相談することになるんだ。」

「7個も買ったのに、5種類全部が揃わない確率のほうが高いのですね。それでは、そういったお菓子は――」

「まあ、簡単にわかるよな。そういうお菓子は、景品が5種類なら最初から10個は買っておかなくてはならない。それなら確率は52%だ」

「えっ、『買わない』が論理的な見極めではないのですか!?」

「えっ、だって全部欲しいだろ」

「……あの、10個買っても52%なんですよね? 論理的なお話なんですよね?」

「論理的な話だよ? 運が悪くなくてもそれくらいが平均値付近だ。ちなみに最初から『全部揃えるための平均個数』を求めたいときは、こうなる」


E(5)=5((1/1)+(1/2)+(1/3)+(1/4)+(1/5))= 11.41666666...


「あくまで平均だから、ちょっと運が悪いともっと買うことになる。だから――」

「『買わない』?」

「――これよりもっと多めに買う覚悟をしておく」

「……あの、わたし、論理的というのがよくわからなくなりました」

「うん、まあソアラは異世界人だからな。しかたない」

「たぶんそれは関係ないと思います」

 なぜだか妙にドライな声で言うソアラだった。

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