第3話『才能のある人』

「『天才とはなにか』だって? 変なことを訊くねソアラは」

「だって、ナオキさんほどのかたでも数学の天才とは言えないのなら、どんな人が天才なんですか?」

 異世界人の姫様であるソアラは、とても無垢な瞳でそんなことを言う。

 学んでも学んでも次から次へと新しい数学の話が出てくるので、僕に数学者として才能があるのだとかんちがいしていた。それはちがうと教えたところ、ソアラはそんな疑問を抱いたようだ。

「アインシュタインいわく『誰もが天才だ。しかし魚の能力を木登りで測ったら、魚は一生自分はダメだと信じて生きるだろう』」

「いい言葉ですね。どのような信条のかただったんですか?」

「僕の勝手な解釈だけど、知りたいという好奇心。情熱こそが才能。それがアインシュタイン流かな」

「では、ナオキさんは情熱があるから数学に詳しいと――」

「だから僕は天才じゃないし、才能も無いってば。僕は天才の積み重ねたメモ用紙を書き写して、ここに持ち込んでるだけだ。才能の見分けかたなんて知らないさ。……いや、僕の見たなかでお祖父ちゃんとか大学の教授なら、天才って言ってもいい人がいたけど」

「その天才たちなら過去のメモ用紙はひとつも使わなかった、ということですか?」

「いや、それは無いな」

「それなら、なにをもって天才と凡人を分けるのですか?」

「うーん……改めて考えてみるとよくわからないけど……やっぱり『早さ』かな」

「早さ、ですか?」

「そうだ。たとえばこんな話がある。『1から100まですべての数を足したらいくつになるか?』と教師が問題を出した。その場にいた子どもたちは一斉に計算を始めたが、ひとりだけ空中を見つめて動かない子がいた。教師がその子どもを叱ると、彼は教師に向けてこう言った。『わかりました。答えは5050です』と。他の子どもたちの手元では、まだ半分も計算が終わっていなかった。それをやってのけた人物が、後世に残る業績を成し遂げた天才のひとり。フリードリヒ・ガウスという数学者だ」

「それはすごいですね。ガウスは暗算が速かった、ということですか?」

「いいや。彼が考えたのは『1から100まで足し合わせることを別の形で表現できないか?』ということだ。ガウスは問題を聞いて、こんなことを考えた。まず、ふたつの式がある。書いてみよう」


1+ 2+ 3+・・・+99+100=(答え)…A

100+99+98+・・・+ 2+ 1=(答え)…B


「Aの式とBの式の答えは同じだ。そこで、こんな式を考えてみる」


101+101+101+・・・+101+101=(答え)×2


「さて、ここが肝心。これはさっきのふたつの式をひとつにまとめた形なんだ。AとBの1項目めはAが1でBが100。このふたつを足すと1+100=101。2項目めは2と99で、やっぱり101だ」

「……わかりました! 101を100回足せば、ふたつの式を両方とも計算して答えを足し合わせたものと同じになります。それなら素早く答えが出せるんですねっ」

「そのとおり。あとは2で割れば答えが出る。つまり、『1から100までの数をすべて足す』という式は『101×100÷2=』と等しい。これなら暗算してもすぐに答えは出せる。さらに、同じような条件の計算はすべて同じやりかたで答えが出せる。これを数学では『等差数列の和』と呼んで『Sn=(n(a+b))/2』という公式で表すことになった。こういうのが天才の発想だな」

「これは……とても素晴らしいですね」

「僕みたいな凡人は、手を速く動かそうとする。だけど、天才は問題そのものを圧縮して処理を『早く』してしまう。

 やってることは同じでも、時間あたりの効率がまるでちがう。彼らは思考力で凡人の時間を超越してくる。それが天才の『早さ』なんだよ」

「なるほど……では、たくさんの数学を知っているナオキさんは、いったいどれほど時間をかけたのですか? わたしにそれが圧縮できますか?」

「僕か? えっと、小中高と大学で……16年だな。数学だけにってわけじゃないけど」

「じゅうろく……!? わ、わたしが生まれてすぐからずっと、ですか……!! そんなにかかるなんて……」

「そんなに落ち込む話だったか?」

「……いまほど才能がほしいと思ったことはありません」

「僕も16年間そう思ってた。ソアラは才能あると思うけどな。独学の勉強してたとは思えない理解力だし。ガウスみたいな人と自分を比べたって意味無いだろ」

「……そういうことではないです」

「? ならどういうことだ?」

「わたしは……その、人と接する経験があまり無かったので……」

「らしいね。自分で言ってたし」

「ずっと一緒にいたくても、あまり自信がありません。同じものを見たときに、同じものを感じているのか、不安なんです。ですから、ナオキさんがどんなに勉強して、どれくらいの知識をお持ちのうえでお話をしているのかなって思って」

「なんの話なんだそれは?」

「ですから、つまり――」

「つまり?」

「もっと早くナオキさんと仲良くなりたい、というお話です」

「…………………………」

「あの、どうして急に黙るのですか?」

 コミュ力不足なのはお互いさまなんだけど、ソアラはたまに豪速球ストレートをぶちこんでくるので僕の心臓が疲労することがある。

「ソアラ……僕はもうちょっとゆっくりでいいと思うんだ。心臓に悪い」

「ええっ!?」

 僕もいまちょっと才能が欲しい。

 珍しいことに数学ではない才能が、欲しくなっていたり。

「“情熱が才能”か……アインシュタインは正しいのかもなぁ……」

「?」

 ひとりごとをつぶやく僕を、ソアラが不思議そうな顔で見つめていた。

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