蒼穹の下で

@madosuki

プロローグ

「また駄目かっ……どうしたらいいんだよぉお!」


 草臥れたスーツにヨレヨレになったネクタイ、薄汚れた革靴を着用している男が携帯電話を片手に慟哭している。疲れた表情をし、床に座り込んだ。


 ここは長距離バスの巨大ターミナル。誰もそんな男のことは気にせずそれぞれの待つバスを待っている。色んな人々が集まるここでは彼は空気だった。


 この男は在学中から卒業して既卒となった今でも就職活動を続けている。しかし、今の彼を見れば分かるように全く成果は出ていない。その学歴の低さや既卒となり新卒至上主義が大半を占めるこの国の就職状況ではそれは当然であった。


 中には既卒も受け入れると宣言をしている会社もあるがそれはあくまでも高学歴やその分野において目覚ましい活躍をした者への救済措置であってこの泣き崩れている男のような低学歴無実績の人間の為のものではない。それを分かっていながらもそれでも男は就職活動を続けている。就職をし、お金を稼げなければ税金も払えない食費も払えない生きていくことすら出来ない。


 そんな彼の様な者の為の救済措置はあるにはあるがこのそれは恥だった。彼が住んでいる田舎でそれをしたら村八分を食らうだろう。しかしかといってその田舎に職があるわけでもない。


 詰んでいる。


 男はそれを実感していた。もう都会まで行く金すらない。このまま地元に帰っても待っているのは家族や親戚中の冷たい目に旧友の嘲笑ぐらいだ。


 穀潰し、人糞製造機など言われ続けもしている。しかしそれは正論だった。底辺大学で無駄にお金を使い、保険なども払ってもらっている完全な負債だ。


 それを自覚している男の心には自責の念と自殺願望が渦巻いている。


「へ、へへへ。まさか一日で不採用って言われるとはな。なんだよっ。分かってるさ! 俺が俺が俺が駄目だなんてことはっ……う」


 男はトイレへ駆け込み空いている個室に入ると──吐いた。最早心身共に限界が来ていたのだ。


「これじゃバスにも乗れねえや、へへっへ……」


 後、一時間後に来るバス。そこからゆらり揺られて行くのはとても無理な体調であった。しかし、ホテルに泊まる余裕は無い。幸いにもこのバスターミナルは二十四時間営業だしばらく居座ることは出来る。


「つっても疲れは取れないだろうな……それに予約したバス代は帰ってこない帰りの金をひねり出すことも出来ない。かといってこのままバスに乗ったらまず吐く」


 詰んでいる。改めて男はそう思った。どうして自分の人生はこうなったのだろうか。コミュ障に社会不安障害……医者に診てもらったわけではないがそうかもしれない否定され続けてここまで来た人生だ男は自分を何も信用できなかった。


 高校生活に失敗し通信制高校でやり直し、通信制大学に入り卒業したがそんなものは世間の誰も評価しない。ただ残ったのはレールの外れた無能、それも無駄に身内に金を使わせた穀潰しだ。最悪な存在なのは火を見るより明らかだ。


「自殺、か」


 しかし良い方法は思い浮かばない。電車にしても痛いだろうし賠償金請求が遺族に行く。これ以上迷惑をかけたくはなかった。否定され続けて来たがそれでも身内だ。


 どうするか。男は何も考えつかず結局数十分後にトイレを後にした。




「ん? あれは」


 トイレを出た直後だった。通路で見覚えのある人間が談笑しているのを目撃した。あれは今日面接した人事部の人間だ。


 男は止せば良いのに好奇心に負けて耳を傾けてしまった。


「今日来た通信制? ていうの卒業してからずっと無職のクズニート居たじゃん?」


「おー居たなー。よくあんな学歴で恥もせずに応募してきたよな。でもあいつなら書類選考の時点で弾けただろ」


「そりゃな。でもさああいう馬鹿に無駄に金と時間を使わせたくてさーついついやっちゃうんだよね。ま、あんなゴミは応募なんてほぼしてこないけど」


「はは、そもそもあんな学歴でまともな職に就こうってのが無理だからな大人しく自殺してくれれば良いのにな。社会の癌だよあーいうの」


「だよなー。けど生活保護っていうの? あれ使って生き延びそーじゃん」


「ああー。最悪だよなあんなのを養うのに税金払ってねーってのに」


「そうそう。ああいう癌は間引けば良いのにな」


「大体三十歳までオーケー枠っていうのはさ、高学歴や留学とか特定分野で華々しい実績を持っている人間用であんな生ゴミの為じゃないしな」


「分かってないんだよなー。通年採用ってのはああいうのを助けるものじゃないってのを。誰もゴミなんて欲しくないってのを理解できないからああなんだよな」


「そうそう。この前ホームレスってのを見かけて笑ったよ。あいつもああなるのかな」


「自殺する気概すら無さそうだったもんな。ま、どっちにしろあいつは野垂れ死ぬしか無いのさ。俺たちの様に優秀な学生を取りに地方の有名な国公立、私立大学を巡りに行く俺らとは違う」


「ははは。でも新幹線とか飛行機とかバンバン使いたいよなぁ」


「ま、そこら辺は他の部署が売上上げてくれないとな。俺たちのせいじゃないし」


「全く真面目に仕事している人事部にとっては迷惑な話だ」


「ほんとにな」


 彼らは暫く大きな声で笑っていた。


 盗み聞きをしていた男は滂沱の涙を流していた。しかし声は押し殺して。今すぐに彼らに反論したかった。しかし、反論はできない。正論だ、そう思ってしまった。自分は一刻も早くこの世から消えた方が良い。それは男もそう思っていたからだ。


 そう世間が思っているのは理解しているしていたつもりだった。しかし現実に改めて突きつけられるとクルものがあった。


 男は顔を伏せながらバレないようにその場を離れ、ロビーへ戻った。吐き気に襲われたが幸い? にも吐ききっていて出せるものは無かった。


「どうして俺は」


 心の中で自己問答しながらこれまでのことがまるで走馬灯の様に脳裏を駆け巡った。もはや限界に来ていた。


 死のう。どんな方法でも自分はもう消えた方が良い。


 そう、心の天秤が傾いた時だった。


 女性の悲鳴が聞こえた。


「ごぼ、がはっ」


 血が口から吹き出す音。もがく女性。


 バスターミナルロビーで起きた悲劇であった。


「な、な……?」


 さっきまで死のうと思っていた男は突然のことに驚愕したが、なんとか犯人らしき人を見た。それはロビーの入り口でニタリ、と笑っていた。その手には血が滴る日本刀があった。黒いローブに覆われてその人となりはわからない。


 ロビーに居る人々は一斉にパニックとなった。日本刀を持った殺人鬼がまさに入り口に陣取っているのだ当然だった。


 殺人鬼はそれを見て大笑した。そして叫んだ、「逃げろ逃げろ!! さぁ、俺に斬らせろ!!」。


「や、やめろ!」


「なんだ? お前から斬られたいのかあ」


 さっきの人事部の人間だ。口八丁で説得を試みているが狂気に満ちた殺人鬼には通用しなかった。


 その姿を男は若干の期待をしながら眺めていた。死ね、死ね、死ねと。


 だがその一方で僅かに残っていた良心はそうなってほしくないと思っていた。


 そんな心のせめぎ合いをしながら眺めていたが──。


「それでぇ? それだけかぁ?」


「っ……警察が来るぞ!」


「そいつらも斬り殺すそれだけさ」


「な、お、お前何を考えている」


「殺す。それだけぇえええええええええええええええ」


 ヒュンヒュンと日本刀を振り回す。随分と慣れている様子だ。


「「ひっ」」


「なぁ、もういいだろう? いいよね〜。うん、いいよー。! やったー」


「や、やめろー!」


 だが無情にも殺人鬼は辺り構わず斬りかかる。狙われた人たちはなんとか逃げようとするも次々と斬りつけられていく。


 そしてあの人事部の男の番だった。もう片方は既に……。


「う、うわあああああああああ!」


「いいいいいいいいいいいいいいいいいいいやっっっっっっっっっっっっっっほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!! ん!?」


 男は気づいたら人事部の男を庇っていた。アルミ天板のノートPCだしばらくは保つだろう。


 しかし男は自分でもなぜ助けようとしているのかわからなかった。僅かに残っていた良心のせいだろうか。自暴自棄になっているせいだろうか。少なくともこんな奴でもこれ以上人に死んでほしくないそう思ったのだろうか。


「お、お前は!」


「下がっていてください」


「けっ、そうさせてもらうよ! 生ゴミも偶には役に立つんだな!」


 殴り飛ばしてやりたい衝動を抑えながら男は殺人鬼と対峙した。こっちを警戒しているのか日本刀を防がれた後、すぐに距離を取っていた。


「おやおやそいつ助けて良かったのか〜? なんか仲悪そうだけど」


「お前には関係ない! なんでこんなことをしたんだ!?」


「楽しいからさ! それに〜ああいうクズを斬れば更に楽しい! どうだお前もやらないか? たあああああああああああのうしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


「断る」


「?」


「俺だってあいつは嫌いだだけどそれ以上に俺は自分が嫌いだ」


「そう? 変なの俺は自分大好きだ。ひひひひひひひひ」


「全く理解できないな」


「みんなそう言う。仕方ないじゃあああああああお前も殺さないとなああああああ!」


 斬りかかる殺人鬼。ノートPCのアルミ天板で防いでいくがそもそもそんな使い方を想定していないものだ。そう耐えられる物ではない。だがその前に汗により手から滑り落としてしまう。


 その一瞬だった。殺人鬼は鮮やかに男を斬り裂いた。何度も何度も楽しむように。


 激痛が奔る中、男は本当の走馬灯を見ていた。その中に薄らぼんやり、と女性が現れるまでは。

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