体重32キログラム、情報重……
目覚めると、知らない天井だった。
真っ白な天井は陽光に照らされ、つい先ほどまで感じていた芯まで冷えるような寒さが幻覚だったかのように、体はじんわりと温かい。
「目が覚めたか」
男が俺の顔を覗く。白衣を着たその男は、聞き覚えのある声をしていた。
「覚えてないか?あの時はマスクとヘルメットも被っていたっけか。俺だよ、マイクだ」
「マイク」
記憶を遡る。マイニング工場跡地で俺の治療をした男が、確かそう名乗っていた。
そうだ、俺は確かにマイニング工場の跡地でテロに巻きこまれて、そこで遥と再会した。チャーリーと遥はプロトメサイアと名乗るテロリスト集団で、原初の種火を用いて情報重という陽炎を……。
俺はそこでガバッと体を起こし、自分の腕を見る。
見慣れた自分の腕だ。治りかけた裂傷の数々が、俺がどれだけの間、意識を失っていたのかを物語っているようだった。
マイクを見れば、マイクも全くあのときの体型のままだ。マスクを取ったマイクの姿は端正な顔立ちの好青年で、私服にさらりと羽織った白衣は小粋ですらある。
「作戦は失敗だ。テロは成功した」
俺が目を白黒させている理由を察したのか、マイクが端的に答えた。
「テロが成功した、ってだったらどうして俺たちの容姿は変わっていない?原初の種火は……」
そこまで言って、自分の得た情報が世の中にどれだけ広まっているのかを懸念し、思わず口を両手でおさえた。しかしマイクは片眉をあげただけで、それから部屋にある薄型ディスプレイの電源を入れて、地上波を映し出した。
ワイドショーは、プロトメサイアについて特集していた。
「プロトメサイア、っていうのがテロリストの正体だったんだってな。あの場所での戦闘直後に、犯行声明を出したんだってよ。情報重を憎み、恨み、それゆえに浄化することを目的とした組織……完全にテロリストだ」
「しかし、テロが成功したのならば俺たちの容姿は体重相応のそれになるんじゃないのか?これではまるで」
情報重は消えていないではないか。
そう言おうとして、一瞬、針に刺されたような頭痛に襲われる。俺が言い淀んでいるように見えたのか、マイクは俺の言葉を継いだ。
「情報重は消えてない、それは確かだ。それには技術的な理由があるらしくてな、ブロックチェーン技術は知っているだろう?」
仮想通貨の発明に際し、カギとなった技術だ。詳しい説明は省くが、龍脈の一穴と呼ばれる施設の多くは旧遺産のマイニング工場跡地で、世界中に存在する施設同士が通信上で繋がり、それぞれに独自の情報重演算を行っているらしい。龍脈の一穴で行われた独自の情報重演算が一つのブロックとなり、それらを龍脈の一穴同士で擦り合わせている。
「あの龍脈の一穴が原初の種火によって焼かれた結果、演算量が減って該当ブロックが龍脈上で採用されなかった。だから、テロは成功したが、同時に失敗もしていたんだ」
ワイドショーでは技術的なことは一切説明されておらず、ただ情報重というものが何となく悪いものであるように感情を誘導している。マイクは龍脈の一穴に関する情報をインターネットから収集したというが、よく集められたものだ。
「犯行声明は、これから積極的に原初の種火によるテロを行っていくという言葉で締められていたそうだ。ブロックチェーン技術についてテロリスト側が知らないはずがないのに、何を考えているんだろうな」
マイクが言いたいことは分かる。
原初の種火は情報重を焼き尽くさず、焼かれたはずの陽炎は価値のない情報として捨てられた。技術の自浄作用が働いて、情報重は守られたのだ。
龍脈の一穴に原初の種火を流すことは、言ってしまえば、滔々と流れる大河に火のついたマッチを投げ入れるようなものである。かつて人々が挙って参加した仮想通貨のマイニング事業は、それだけ激しく、大きな流れだった。
そこにほんのわずかなウィルスを入れたところで、大勢に影響はない。
「ないはずだ……」
しかし、先ほどの頭痛は何だ?
「マイク。マイクは、頭痛がすることはないか?」
「頭痛?ああ、俺は男のくせに結構敏感でさ、気圧が低くなるとどうしても頭痛が起こったりするんだが、って何の話だ?」
「そうじゃない。あの日……事件があったあの日から、何か身体に異変はないかって聞いているんだ」
「いや。特に、ないかな」
ただ……と前置きをつけてマイクは言う。
「ここは俺の親父がやってる病院の一室なんだが、身体の不調を訴える人がここ二、三日で増えたとは聞いたよ。皆、ハラールの高い人たちばかりだった……って、まさか?」
技術の自浄作用で、テロは失敗に終わった?
そもそもなぜ、龍脈の一穴にある演算機が情報重の根源だと知っているのであれば、演算機を物理的に破壊しなかったんだ?
俺は立ち上がり、廊下に躍り出るとそのままの勢いで近くのトイレに駆け込んだ。
鏡に映った俺の顔は、情報重を含んだ普段通りの俺の顔だ。
左手で鏡に触れながら、右手で自分の頬を確かめる。つねれば痛く、触れれば温度を感じる。それは、体重だけではない、情報重が俺に与える本当の感触だ。
本当の感触。
「どうしたんだ、カナタ」
慌ててトイレに駆け込んだ俺を不審に思ったマイクが、俺に問うた。
「これからなんだ……」
「テロリストの活動がか?確かにそれはこれからだろうな」
そうじゃない。
原初の種火に蝕まれた龍脈の一穴は、演算量を減らしてブロックチェーン技術上で信頼を失い始めている。機械における情報の信頼性の喪失は、驚くほどにその後の学習に響くはずだ。
プロトメサイア。何が仮初の救世主だ。彼らは機械同士の信頼を燃やし尽くす炎をもって、機械同士を不信関係に陥らせるだろう。
何ということだ!既に現実を侵食する機械たちの相互の信頼を崩壊させて、ただ一つ、機械の神になろうとでも言うのか!
――ジジッ。
鏡に映る俺の顔が、一瞬、大きく歪んだ。
情報重を失った、痩せ細ったという形容でさえ語れないような、惨めな俺の実体が、目の前の鏡の中に現れたように見えた。
俺は鏡を叩きだす。驚いたマイクが、俺の腕を押さえつける。
マイクの腕は重たかった。
「マイク、君のハラールはかなり……」
再び、一瞬の頭痛。
「まあ……それなりに、ね」
硬く握っていた拳をほどくと、マイクも俺を掴んでいた腕を離した。
「それより、テロリストの活動は……」
マイクの問いかけを遮るように、病院内にも関わらず人の不安を掻き立てるようなアラート音を鳴らして、スマホが鳴り響いた。
俺は一緒になってマイクの握るスマホに映し出された文字を確認した。
「プロトメサイアによるテロルが発生。シンガポールとイタリア」
あれは全ての始まりだったんだ。
全身に力を失って、その場にへたり込む。苦痛の炎に焼かれる遥とチャーリーの姿が、脳裡に一瞬だけ浮かんで、消えた。
PROTO MESSIAH 雷藤和太郎 @lay_do69
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます