心は血、血は心
心は血……血は心……。
心は君を裏切らない。血も君を裏切らない。
君は僕の血に染まって、悪夢を確かめればいい。
(エーデムリング物語五章・ウーレンの血 より)
他の長編作品は、更新したり、章が変わった時に、その度、キャッチ・コピーを変えてきた。
が、『エーデムリング物語』は、昔、連載していた時も、今も変わらず、
「心は血、血は心……」
というクライマックスのメルロイの言葉を使い続けている。
この作品のキモだから。
人は皆、生まれながらにして平等だ、という。
でも、そうだろうか?
若い時ずいぶんと考えた。
貧乏に生まれたもの、金持ちに生まれたもの、美人に生まれたもの、ブサイクに生まれたもの、平和な国に生まれたもの、戦乱の中に生まれたもの、障害を持って生まれたもの、健康に元気に生まれたもの。などなど。
それでも、人間皆平等と言えるのだろうか? 同じであると言えるのだろうか? それは、恵まれたものがいえば、随分と傲慢な話ではないだろうか?
恵まれた環境で生まれ育ったものと、ひどい環境で生まれ育ったものと、同じであろうはずがない。
そもそも、人間が皆同じであれば、平等であると言えるのだろうか?
もしも、平等というものがあるのなら、凸凹とした運命の大地のどこに降り注ぐかわからない雨粒のようなものかもしれない。そこには、良き雨も悪き雨も関係なく、皆、平等にどこかへ降り注ぐのだ。
エーデムリング物語は、私が若かりし頃、多くの人が当たり前のように口にした「皆、同じ人間じゃないか」とか「がんばればあなただってできる」というような美しい言葉に、ひどく疑問を持った……その疑問の物語だ。
皆、同じ人間だと思うから、異質な存在を認められない。
誰もが同じ才能だと思うから、がんばってもダメな人を努力が足りないと決めつける。
同じ人間であることが大事だから、差別が生じる。
人は多様性があり、才能に恵まれている人とそうでない人がいて、同じ人間ではありえない。同じように生きても、同じ結果が得られるわけではない。それを嘆いても仕方がないことだ。
自分探しであり、他人を認めることであり……誰もが同じ人間ではありえない、と知ることで、初めて平等になるのではないだろうか。
誰しも自由に選ぶことができず、善き魂も悪しき魂も考慮されることなく平等に縛られる運命が血、でも、それすらも自分らしさだ。
自分らしくある心は、常に自由だ。
わたしがものをかくわけ わたなべ りえ @riehime
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