巨大な影(完)

「今回の任務は影の討伐。今までうちたちが戦ってきたどの影よりも、大きくて強い。決して気を抜けない相手」

 目的地を前に、セリオの冷静な声が届く。

 樹海のような生い茂った森。不穏な暗さの中でも、空気に負けない覇気を皆が作っていた。

「通常の魔法より、合成魔法が有効だと調査で判明した。特に有効なのが、6種の属性を使った合成魔法」

 任務内容を聞く際に教えられた話も、セリオから聞くほうが身に入る。仲間からの声のほうが集中できてしみるのかな。

「できるだけ、合成魔法で攻撃したいですわね」

「全員が詠唱にさがるっつーのは、痛手だけどな」

 アヴィドの言葉はもっともだ。6種の属性を有した合成魔法を使うとなると、全員が詠唱に参加しないといけない。合成魔法にはマルチエレメントを持つうちが必要みたいだ。うちと属性が同じフィリーは、最悪抜かせる。前衛ではないフィリーは、詠唱の間に影をひきつけることには向かない。

 事実上、7人全員でないと6種の属性の合成魔法はできない。

「後衛が積極的に合成魔法を使って、隙を見て前衛も参加するのが現実的だ」

「言われなくても、そうするっつーの」

 クリシスの戦術に、アヴィドは悪態をついた。以前みたいなピリピリ感はなくて、ただの軽口に思えた。

「任せとけ!」

 前衛のビビも、両手を天に掲げて明るく決意を見せた。

 ビビはバランスを見て後衛にもさがるし、前の合成魔法にも参加した。アヴィドやクリシスと比べたら火力は低いけど、参加できる機会は多そう。

 どれだけの機会を作れるかわからない。もし大きな隙ができたら、その瞬間は全員での合成魔法のチャンスになるかも。その見極めも大切になる。失敗したら、影を前にうちたちは総倒れになりかねない。

 できる。できる。

 弱い心が出てくる前に、ペンダントをきゅっと握った。

「これで終わりゃいーけどな」

 まとまりかけた話を壊したのは、アヴィドだった。軽口の際の表情は消えて、楽観なく遠くを見つめている。

「水晶、でしょ?」

 冷静さを崩さないセリオの声。内情はどんな感情があるかわからない。アヴィド同様、楽観視はしていないんだろうな。うちも不安はある。

 任務の説明の際に聞いた、影についてわかった新しい情報。その中に、以前ミアイアル先生から聞いた『影を作る水晶』の話もあった。

 ほとんどは、ミアイアル先生から聞いた情報がより強まった推測になっただけの内容だった。

「見つけられりゃーいーけど」

 今回見つけられたのは、巨大な影だけ。水晶はまだ見つかっていない。水晶の調査は続けられている。

 もし水晶が永遠に影を作れるなら、今回影を倒しても姑息にしかならない。影は作られ続けて、うちたちの討伐は終わらない。いつか討伐が間にあわなくなって、世界は影におおわれてしまう懸念もある。

 厄日みたいな光景が、世界のあちらこちらで起こってしまうの? 大切な人が、兄さんみたいに消えてしまうことになるの?

 不安に負けてはいけない。

 考えるのは、あとでいい。優先すべきは、目前まで迫った影の討伐だよ。

「水晶なんて、ゲンコツでこっぱみじんだよ! 見つけちゃったらこっちのもんさ!」

「影には物理、効かないよ?」

 エウタの的確なツッコミに、場違いなほどに場がなごんだ気がした。そう思ったのは、うちだけかな。

「オレたちにできんのは、これが影との最後と戦いだって信じるだけか」

 水晶の懸念を消すように、アヴィドは空に声を投げた。いつになくマジメなまなざしは、消えない懸念を映し出す。

「そろそろ準備をいたしましょう?」

 フィリーの言葉に習って、皆は武器に魔力を宿したり補助魔法を施したりした。否応なく高まる緊張。

 準備を終えた皆は、自然と前衛と後衛にわかれて話し出す。後衛のうちたちは、合成魔法を使うタイミング。前衛の皆も、それぞれの立ち回りを考えているんだよね。

 少し続いた話は、息をのんで振り返ったフィリーで中断される。誰もが異変に気づいて、フィリーの向いた方角に視線が集まる。

 なにもないように見えたそこに、黒がぼやりとほのめかされる。

「来やがったな」

 吐き捨てると同時に、アヴィドが魔法を唱えた。クリシスは炎を宿した剣を構えて突っきる。

「わたくしたちも参りますわ!」

 合図しあって、うち、フィリー、エウタ、セリオが魔法を重ねて詠唱する。

 今まで、開戦直後の影の攻撃はゆるかった。初動で合成魔法は使えると、さっき話した。前衛の攻撃があってだろうから、後衛だけの合成魔法だ。

「あたしもっ!」

 ビビも突如加わった。誰も動揺することはなく、詠唱は続けられる。5人の属性が重なって、合成魔法は成功した。影に命中して多く霧散した。

「やったね!」

 喜びをあらわにするエウタの前で、アヴィドとクリシスが戦い続けている。

 回復や補助を必要としないうちは、合成魔法を積極的に使って影を削る。それがうちたちの出した結論。

 合図しあって、同じメンバーで詠唱を重ねる。まだ前衛に出なくてもいいと踏んだのか、ビビも続けて参加した。

 影に命中した合成魔法は、霧散を作った。

 それからも戦況を見てビビやアヴィドが参加したり、機を見てうちは回復魔法を放ったりを続けて。徐々に影は大きさを失っていった。

 長く続いた戦いでうちの体力も奪われていったけど、前を向き続ける。誰もが気力を失っていない。伝わるから。

「たたみかけるよっ!」

 うちたちに駆けたビビ。すぐに理解して、フィリー、エウタ、セリオも詠唱をはじめる。うちも詠唱を重ねる。攻撃を加えて影をひるませたアヴィドも駆け寄った。

「少し、待て」

 詠唱前に届いたアヴィドの言葉は、すぐに理解に至った。

 斬撃をくり広げていたクリシスは、ひるんだ影に炎魔法を放つ。周囲を燃やしつくすほどの業火は焼けこげたにおいを作って、影を遠くに吹き飛ばす。その隙にクリシスが駆けつけた。

 前衛で話していたのは、これだったんだ。後退の大きいクリシスの魔法。影に隙を作ったら、全員で合成魔法に挑める。

 7人そろっての合成魔法。実戦で使うのははじめてだ。

 それでもなぜか、不安はなかった。心にあるのは、成功するという思いだけ。

 霧散をひるがえして接近する影に、7種の詠唱をまとった合成魔法が鋭く貫く。

 風が、氷が、雷が、光が、闇が、炎が。影にまとわりついて。形容できない光と音におおわれて。

 じゅわりじゅわりと影は散って、消えた。

 残ったのは、炭のような黒い点だけ。それもすーっと形を失っていって。

 なにもなかったかのような空間が広がった。

 影は消えた。

 あんなに巨大だった影が。

 それぞれが顔を見て、少しずつ実感を手にして、表情がゆるんでいく。

「やったよね? 消えたよね?」

 今にもこぼれ落ちそうな笑顔が、ビビにあふれている。

「わたくしたちの勝利ですわ!」

「すごい! ぼくたちにできたんだ!」

 喜々にあふれる皆を見て、緊張の糸がゆるんで。

 本当に勝てたんだ。その実感だけがくるんだ。

「完遂、できた」

「本番で合成魔法成功できるとはな」

 かみしめるセリオの横で、クリシスはまだ信じきれないかのように魔法を放った自身の手を見つめている。

「どーよ、お初の感想は」

 クリシスの肩に手を置いて、アヴィドは笑みをこぼして問う。

「ふしぎな、感覚だ」

「スカしてんじゃねーよ」

 軽口を投げたアヴィドに、クリシスはかすかにほころんだ。

「本当に、よかった」

 心からの思いが、口から漏れた。皆に大きな傷もなく、勝利できた。クリシスも含めた7人で、合成魔法が成功した。皆に笑顔がある。こんなにうれしいことはない。

「あとは帰るだけ! 帰るまでが任務だよ!」

 自然と笑顔と安心が漏れる中、ビビの声を合図に歩き出した。

 皆で帰路につく途中、異変を察知した。人通りのない樹海で聞こえる人の声。

「やっぱりか」

 アヴィドが見つめる先には、複数の人、そしてその人たちが対面する小さな影。

「まだ終わりませんの?」

「水晶がある限り」

 返して、セリオは手早く準備を済ませる。それに皆も続いた。

 巨大な影と戦ったばかりで、疲れはあった。小型だったのもあって、前衛の活躍や合成魔法ですぐに倒せた。

 影と戦っていたのは、学園の大人たちだった。調査を続けていた人たちらしい。

 『討伐対象の巨大な影を倒した』と伝えたうちたちに渡されたのは、1枚の紙。

 意識を回復したミアイアル先生が、うちたちにしたためた手紙だった。ミアイアル先生、意識をなくすほどだったんだ。だからお見舞いもできなかったのかな。

『今回はこんな結果になってしまって、心配をかけていたらごめんね。しばらく動けそうにはないけど、元気だよ』

 ミアイアル先生らしい、うちたちを気づかう言葉から手紙ははじまった。

『調査中に僕は水晶を見つけた。急いで皆に伝えようとした帰りに影に襲われて、今の状態になってしまった。結果、水晶という大切な情報を伝えるのが遅くなってしまった』

 ついに出た、水晶の情報。緊張が強まる。

『水晶についての情報は最後に書き記した。水晶は物理が効かない、影と同じ戦いが必要みたいだ。君たち全員が合成魔法を使えるようになったと聞いた。影と同じ戦法が必要な以上、水晶を破壊できるのは君たちしかない。最後まで頼ることになってしまって心苦しいけど、これが君たちに課す最後の任務だ。君たちなら必ずできる。僕はそう信じているよ』

 手紙の最後に、水晶を見つけた場所が書き記してあった。

 最後の任務。

 ミアイアル先生が危険を犯してまで見つけてくれた水晶を壊す。

 うちたちに課せられた、最後の任務。

「いける?」

 セリオの問いに、否定を返す人はいなかった。誰もが強い瞳を宿したまま、突きつけられた任務から目をそらそうとしない。

「最初だろーが最後だろーが、やってやるよ!」

「当然さ! ゲンコツでなくても、バッキバキにしてやるさ!」

「負けませんわ!」

「ぼくだって! みんなと一緒なら戦える!」

 戦ったばかりで疲れもあるのに、誰も疲労に屈したりはしない。

「これで、終わらせる」

 うちの覚悟も変わらない。故郷を、兄さんを奪った影を。皆を危険に犯そうとした影を。

 根本から、壊す。

「俺にやれることをやるだけだ」

 まとまった決起は、皆の結束を強めてくれた気がした。





 水晶の場所に駆けた。駆けて駆けて、ようやくそれと視認する。

 樹海にぽっかりと浮かぶ、まるで人工的に木を伐採したかのような丸い空間。

 その中心にある石造りの地面に、人の大きさほどの水晶が怪しい光を放っていた。

 光っているのに、その周囲に炭のような黒いチリがゆらりゆらりと舞っている。これが時間で影に変化するのかな。不穏が募った。

「これが、水晶ですの?」

 事前に準備を済ませた武器を手に、フィリーは震えた声を出す。変哲もない水晶なのに、どこかおぞましさすら感じて。うちも恐怖を覚えた。

 高まる緊張のせいなのか、水晶の出す影響なのか、息が詰まる感覚。笑顔を作る余裕がある人はいなかった。

「戦える、のかなぁ」

 不安は誰もが同じなのか、エウタの小声がぽつりと届く。

「反撃がないなら、好都合だ」

 炎を宿した剣を構えたクリシスは、素早く水晶に切り込む。影と違って刃は通りにくいのか、甲高い音を響かせた。

 影みたいに霧散がないから、今の攻撃が効いたのか目視できない。

 水晶は回転をしたけど、それ以上の反抗は見せなかった。クリシスの攻撃に対する反応だったのか、無関係の動きなのか。

「動かねーうちに合成魔法だ!」

 アヴィドの声に、クリシスを含めた皆がそろった。ゆらりと動く水晶に、7人の合成魔法を放つ。

 多様な属性にくるまれた水晶は、ガクガクと強く震えた。クリシスの剣とは異なる反応。効いた?

「続けるよ!」

 セリオの言葉に、それぞれの詠唱を重ねて合成魔法を放つ。

 食らった水晶は強くおののいて、くらむほどのフラッシュを発する。

 弱まった光の中に見えたのは、地面から浮かんでうちたちを眼下に見る水晶だった。目がない水晶相手にその表現は誤りかもしれないけど、直感でそう思えた。

 強い耳鳴りのような音が響いて、周囲に舞っていた黒いチリが大きくなる。その黒は、一斉にうちたちに突進を始めた。

 突然の攻撃に身をひるませたうちの体は、アヴィドに強くひっぱられる。うちのいた場所に、鋭く黒が刺さった。

「エウタ!」

 同時に、その奥でフィリーの叫声が響く。逃げ遅れたエウタが、黒におおわれた左の肩を押さえていた。

「反撃手段、アリかよ」

 背後で聞こえたアヴィドの声と同時に、うちの体は投げ出される。すぐさま水晶に駆けるアヴィドが見えた。

 うちも体勢を立て直して、エウタに回復魔法を唱える。エウタの体をくるんだのに、肩の黒は消えない。再度使っても、結果は変わらなかった。

「これ、消せないのかも。効いた感じがしないよ。ほかに集中して」

 忌まわしげに黒にねめついたエウタ。苦痛の様子はない。強い痛みはないの?

 気にはなるけど、今はエウタの声に従う。効きそうにないのに、時間を費やせる状況ではない。

「魔法は使えますの!?」

「平気だよ」

 軽やかに答えたエウタに、うちとフィリーとエウタとセリオが詠唱を重ねる。火力に乏しい後衛だけの合成魔法だけど、少しはダメージにできる。

 合成魔法を食らった水晶は、また黒を散らす反撃を放った。さっきより小さく数も少なくて、全員がさけられた。

 反撃をはじめた水晶は強烈で、前衛が合成魔法に加われそうにはなかった。後衛だけで合成魔法を続けたけど、エウタをおおう黒は大きくなって。徐々にエウタの口から苦しそうな呼気が漏れるようになって。

 心配だったけど、隙を見てうちが回復魔法を使っても黒は勢力を弱めなくて。

 うちがエウタに意識を奪われる中、起こった。

 肩を震わせてしまうほどの強いフラッシュの中、耳朶にふれた絞り出すような声。

 振り返って見たのは、地面にぐったりと倒れるアヴィド。その体は黒におおわれて。

 なにかの攻撃……きっとエウタの黒に似た攻撃を食らってしまったんだと直感した。

 急いで回復魔法を使う。アヴィドに広がる黒は、ちっとも薄まってくれない。指すら動かしてくれなくて。

 瞬間、アヴィドの欠員を理解した。

 さっきの巨大な影との戦いでも、前衛で、合成魔法でと活躍してくれたアヴィド。疲労もあったんだ。

 心配はあるけど、それだけにとらわれてはいけない。

 いつだか言われた言葉。

 倒れた人を守るためにも、戦わないといけない。勝たないといけない。

 それが倒れた人を救う、最善の方法だ。

 前衛には、まだ戦い続けてくれるビビとクリシスがいる。2人もアヴィドの欠員を痛手に思っている。それでも、戦い続けてくれているんだ。

 後衛同士で合図して、魔法を詠唱する。エウタの息が続かなくて、失敗に終わった。

「ごめ……ぼく」

 謝罪すら絶え絶えで、黒のむしばみは想像以上だと伝わる。

「もういいですわ! エウタはさがって――」

 フィリーの声がとぎれたのは、その体を黒が串刺しにしたから。

 目の前の光景に息をのむ間に、フィリーは魂を抜かれたかのようにぐったりと前に倒れた。

「フィリー……」

 手を伸ばしたエウタも、ふれることすらかなわないでヒザをつく。荒れきった呼吸は、もう正常とは言えない。

「ネメ」

 倒れゆく2人を見切って、セリオはうちに駆け寄って首を横に振る。冷酷に思えるけど、このままだと倒れた皆に流れ弾が当たりかねない。少しでも早い勝利が、皆を守るんだ。心配はあとでもできる。

 合図して、セリオと詠唱を重ねる。人数を減らした合成魔法は、さっきより反応が弱かった。それでも攻撃を続ける。細微でも攻撃しないことには、勝利がない。

 セリオと2人で合成魔法、前衛の状態を見て回復魔法を使い続ける。

 人数を減らしたうちたち。与えられるダメージは確実に減った。

 それだけでも、覇気に関係するのに。

 それ以上にモチベーションに影響を与えるのが、変化のない水晶。

 影みたいに削れない。変わらない大きさは、あとどれだけの体力を有しているのかつかめない。

 終わりは近いのか、遠いのか。

 奪われる体力の中、その思いは精神力の維持に直結する。動き回って体力の消耗が激しい前衛なら、その思いはより強いはず。

 激しい剣撃を食らわせた隙に、クリシスは魔法を詠唱して放つ。影を大きく吹き飛ばした業火は、さっき見た魔法だ。

 意味することがわかった。うちとセリオ、そしてビビがクリシスに駆け寄って詠唱を重ねる。

 4人の合成魔法。今できる最大人数の攻撃。

 放たれた合成魔法は、水晶に命中した。ひるみかわからない、激しい回転がゆるんだ頃。

「ヒビ?」

 セリオの声で気づいた。今の攻撃で、水晶に小さなヒビが生じた。

「いける!」

 まっすぐとしたビビの声で、失いかけていた決起がどうにかつなぎとめられた。

 攻撃は効いた。その実感が少しでもある。

 今までの攻撃で、これっぽちのヒビなんて。そう考えたら終わり。心が負けたらいけない。

「さがれ! 来る!」

 クリシスの言葉に、うちとセリオは急いで後衛に戻る。

 激しい回転を見せた水晶は、小さな黒をまき散らした。近くの木々や地面だけでなく、横たわったままの皆にもびちびちと命中する。

 多い黒は、とても回避できるものではなかった。腕で顔をかばうようにするのが精一杯で、腕や体に付着したような感覚。

 感覚を奪うほどの激しい高音が響く。水晶の発する音なのか、うちだけに響く幻聴なのかもわからない。

 攻撃が、音が弱まって腕をおろす。あらわになった視界には、点々と黒にまみれた皆があった。

 詠唱をはじめるビビは、距離を置いたここからでも肩で激しく息をしているのがわかる。体勢を立て直せないままヒザをついたセリオ。重苦しそうに剣を構え直したクリシス。

 見るだけでもわかる。つらいんだ。

 3人とも点々と黒が付着して、今の攻撃の壮絶さを嫌でも感じた。早く倒さないと、倒れた皆も攻撃を食らい続けてしまう。

 回復魔法を詠唱しようとする。息が続かなくて呪文はとぎれた。

 黒は、激しい疲労と脱力感を生んでいた。

 服の上から、うちの精神力を吸収されたみたいで。

 ビビもクリシスも攻撃をはじめたけど、さっきの動きとは比べものにならないほどにぶい。気力だけで動いているみたいだ。

 うちも、戦わないと。

 詠唱ができないなら、弓で。

 構えようとした弓は、ずしりと重く感じる。いつもと同じ弓を使っているのに、何倍も。鉛のようにのしかかる。

 動かないと。

 細微でも削らないと。動きをとめたら、いけない。

 恐怖とは違う震えに満たされて、弦をひくこともままならない。

 戦う。戦わ、ないと。

 切れそうな気力をつなぎとめたうちをあざ笑うように、水晶のまたたきに貫かれたビビはどさりと地に倒れた。

 ビビはかすかに開いたまぶたで水晶をかすめる。黒に侵食され続ける体は、もう起こせそうにない。

 残された前衛は、クリシスだけ。

 後衛は。ゆらりと視線を向けた先には、黒に負けたセリオがぐったりと倒れていた。セリオももう、戦えない。

 残されたのは、2人。

 唯一の前衛のクリシスも、剣を振るのすらつらそうで。目に見えて早さを失った剣の軌道は、空を切ることも多くなった。荒れきった呼吸は、魔法の詠唱すら困難そうに見える。

 唯一の後衛のうちは、魔法の詠唱も続かない、弓の弦もひけそうにないほどで。仮に攻撃できたとして、細微なダメージにしかできない火力。

 水晶のヒビは、さっきと変わらなくて。クリシスの攻撃が当たっても、ヒビは大きくならない。

 つなぎとめた気力の糸が、ぷつりぷつりとちぎれていく。

 黒にそまる世界に、心が支配されそうになる。

 それでも、弓を構えた。

 戦うのを、やめたらいけない。かすかな糸から、けがれのない思いが届いたから。

 力をこめる方法すらわからなくなった体で、弦をひこうとする。

 戦わ、ないと。

 完全にひききれない弦を放とうとした瞬間、激しいまたたきを見せた水晶が俊足で動く。その先にいたクリシスはかわそうとしたけど、にぶりきった体ではかなわなくて。吹っ飛ばされて、地面にばさりと倒れた。

 興奮したようにまたたく水晶をにらんで、クリシスは手を突いて体を起こそうとする。黒に侵食された体は、満足に動かせないみたいで。ずるずると、体が重力に沈んでいく。

 残されたのは、うちだけ?

 うちだけが残って、なにができるの?

 回復魔法も攻撃魔法もまともに詠唱できない。弓だってひきしぼれそうにない。

 仮に攻撃を当てられたとして、与えられるダメージは細微でしかない。

 細微な攻撃を続けて、破壊しないといけない。

 水晶の激しい攻撃に負けないで、たった1人で戦い続けないといけない。

 時間がかかったら、うちの体力が持たない。

 それどころか、倒れた皆に黒をあびせ続けることになって。

 うちに、できるの?

 気づいた瞬間には、うちに鋭利なフラッシュが突進していた。響き渡る高音の中、誰かに名前を叫ばれたような感覚。

 身をちぢませたうちをかすめて、フラッシュが通りすぎる。

 空気を切り裂いて地面に刺さったフラッシュから、小さな破片が飛び散った。

 その破片に見覚えがある、気がする。

 震えながら胸元に伸ばした手は、空を切った。

 服の奥にあるはずのペンダント。そこにあるのは、焼けついたような服だけで。

「兄さ、ん」

 石畳の上に散らばった破片は、もうペンダントには見えないほどの形になりかわって。

 子供の頃から、ずっとうちを支えてくれた兄さん。

 どんなことからも、影からもうちを守ってくれた兄さん。

 それを今、本当に失ったような気がして。

 気力の糸は、完全にちぎれた。

 うちには、できないよ。

 戦うなんて。

 無理だったんだよ、最初から。

 弱いうちには、こんなこと。

 助けてもらったのに。ごめんね、兄さん。

 ペンダントを壊しちゃって、ごめんね。

 精神がどんどん遠のいていく。

「ネメ!」

 真っ白になりかけた精神に、天地を震わすほどの声が響いた。

 戻した視界の先にあるのは、ペンダントの形を失った欠片だけ。

「まだ動けるだろ! 戦え!」

 声は、後方から聞こえた。振り返った先にいたのは、地にふせたまま顔だけあげてうちをにらむクリシス。

 石をつかむようにして、強引にでも体を起こそうとするクリシス。その力すらないみたいで。黒にそまった顔は苦痛にゆがんでいる。

 クリシスですら、ここまでになってしまう相手。まざまざとわかる光景。

「無理だよ。うち、には」

 クリシスにもできなかったことが、うちにできるわけがない。

「大切なのはなんだ!? 周囲を見ろ!」

 うちの大切なもの?

 かくりと見た周囲には、意識もなく倒れた皆。

 ここまで全力で戦って、力つきてしまった皆。

 でも、その誰もが、まだ呼吸をしていた。今にもとぎれてしまいそうなまま、か細い生命の糸をつなぎとめている。

 うちが大切なのは。

 不安しかなかったうちを、励まし続けてくれたビビ。

 いつでも優しくて、兄さんの思いも届けてくれたフィリー。

 冷静な判断で皆を導いてくれて、クリシスが孤立しないように気も配ってくれたセリオ。

 つらい境遇にも負けないで、いつもころころした存在で場をなごませてくれたエウタ。

 意外に広い視野を持って、皆を見守ってくれたアヴィド。

 今も負けないで、うちに言葉をくれるクリシス。

 うちのため、皆のために全力をつくしてくれたミアイアル先生。

 そして、うちを守って、皆と出会わせてくれた兄さんの思い。

 そのすべてを、なくしたくない。壊したくない。

 なのに、うちになにができるの?

 鋭い回転をはじめた水晶は、多くの黒をまとい出す。

 皆をむしばむのと同じ黒。まき散らされたら、地に倒れる皆の被害をまぬがれられない。

 これ以上攻撃が続けられたら、皆はどうなっちゃうの? 無事で済むわけがない。最悪の可能性すらよぎって。

 この攻撃を食らったら。

 動けるうちが、どうにかしないと。

 水晶が攻撃をはじめる前に、なにかを。

「すべての魔力を奪いつくしていい! 使え! マルチエレメントを!」

 瞬間、うちの意識が鋭く覚醒した。

 そうだ、うちにはまだ、これがある。実戦で意識して使えたことは1回もない、マルチエレメントが。

 じっくり皆の魔力をとりこむ余裕はない。

 ただ短い意識に、すべてをゆだねる。

 お願い皆、うちに魔力を貸して!












 目覚めたのは、ベッドの上だった。

 激しい衝動を感知した大人たちが駆けつけて、倒れるうちたちを発見したらしい。

 水晶は、そこから姿を消していた。

 新しい影の反応もそれ以来発生しなくて、水晶は完全に破壊されたと断定された。

 巨大化したネズミとかも徐々に数を減らして、水晶の消失が少しずつ影響を与えたみたいだった。

 ケガをした皆は、床にふせている。全員、命に別状はないと告げられた。身にこびりついた黒も消えた。水晶と同時に消えたのか、時間経過で消えるものだったみたい。

 うちも、ほかの皆も後遺症もなく完治に向かって、日常は徐々に戻っていった。

 そして。

 学食に集まった皆。卓上には、いつもよりちょっぴり豪華な料理が並べられる。

「本当に僕も参加していいのかい?」

 不安そうなミアイアル先生の声に、誰もが点頭した。

「ミアイアル先生の快気祝いでもありますのよ」

 うちたちより早く、ミアイアル先生も完治した。後遺症もなく、教職にも復帰できた。

 うちたちのお見舞いにも何回も来てくれて、数えきれないほどの感謝と謝罪をくれた。

「ありがとう。お邪魔するよ」

 今のこの平穏は、ミアイアル先生がいなかったらきっとなかった。欠かせない存在。

「きょうの挨拶は、当然ネメだよねっ!」

「えっ」

 予想外のビビの言葉に、声が漏れた。

「ネメ以外に誰がいる?」

「わたくしもネメに賛成ですわ」

 続けられたセリオとフィリーの声に、皆の視線が刺さる。これは断れる雰囲気ではない。

 挨拶なんて、どうしたらいいのかわからないよ。

「水晶を壊せて、皆も無事に回復してくれてうれしい」

 巨大な影の討伐、水晶の破壊、皆の復帰を祝しての今回の会。うちに挨拶を任されるなんて。

「そりゃーネメの手柄だろ。オレ、誰よりも早く倒れた記憶がある」

「紛れもない真実だ」

 卓上のチーズケーキを凝視しながら発したクリシスを、アヴィドはいぶかしげに一瞥した。

 悪態だったけど、前みたいな空気を凍りつかせるものではない。親しいからこそ言える冗談に変わっていた。

「仕方ないよ。連戦だったもん」

 とはいえ、うちはフォローをいれる。アヴィドも本気で気にする思いは、少しはあるのかもしれないもんね。

 水晶との戦闘中、アヴィドは黒に襲われそうになったうちをかばってくれた。あの行動がなかったら、うちは早々に倒れていたよ。ありがとう。

「皆が倒れていって、怖かった。それでも最後は、皆のおかげで力が出せた」

 うちの最後の記憶は、体全体に駆けめぐった強い魔力の感覚。それを水晶に放った感覚。

 はじめて自発的に使った、皆の魔力を使ったマルチエレメントの発動。

 それが最後の記憶だった。

 クリシスも魔力を吸われる感覚を最後に、意識がなくなったみたい。そのあとに起こった光景を記憶した人はいない。

 水晶を壊せた。マルチエレメントは成功したんだ。

 皆の魔力に影響はなくて、元の強さに戻った。魔力を吸うのは一時的なもので済んで『奪う』なんてことにはならなかったみたい。よかった。

 誰も記憶がない以上、クリシスがうちにくれた激励を知る人もいなかった。療養中のクリシスにお礼を伝えたうちに返されたのは『そんなの言ったか?』で。

 本当に覚えていないのかなと思ったけど『魔力を吸われた感覚は覚えている』って発言と矛盾は生じる。てれくさくてごまかしたのかな?

 そう思ったのもあって、あの言葉はうちの胸にだけにとどめることにした。うちだけの手柄にするみたいで心苦しいけど、クリシスが嫌なら話さないべきだよね。

 握りしめた胸元に、もうペンダントはない。

 大人たちに聞いたけど、ペンダントらしい破片は現場になかったみたい。マルチエレメントの衝撃で、破片すら消えちゃったのかな。

 それでも兄さんの救ってくれたうちの命は、兄さんが作ってくれた出会いはここにある。それでいい。

「皆、ありがとう。皆がいてくれて、うちは幸せだよ」

 小さく杯を掲げたら、皆も続けてくれた。

「ネメがいない世界に幸せはない!」

 誰よりも高く杯を掲げて、ビビはうれしい宣言を発してくれた。うちも、ビビがいない世界に幸せは感じないよ。

「誰1人欠けることがなくて、とても喜ばしいですわ」

 杯の底に手をそえて、上品に顔まで杯をあげたフィリー。クラスメイトもミアイアル先生も無事だった。こんなにうれしいことはないよ。

「本当、よくやったじゃん。最高だぜ、ネメ!」

 明るい笑顔でうちをたたえてくれるアヴィド。なにもできなかったうちを見捨てないで、支え続けてくれたおかげだよ。

「称賛してやらなくもない」

 ようやくチーズケーキから目を離して、うちに言ってくれたクリシス。冷たい態度は消えても、ぶっきらぼうさは残ったまま。

「素直に言えないの?」

 セリオの小言に、クリシスは視線を揺らめかせて卓に落とした。はずかしいのかな。

 にやにやと見守るフィリーやアヴィドの視線も気になるんだろうな。

「ぼくが代わりに言うよ! ありがとう、ネメ! 愛してるよ!」

 親指を立ててうちに軽口をたたいたエウタ。すっかり元気になったな。心なしか、ビビらしさが移ったように感じるは気のせい?

「そこまでは思っていない!」

 卓をたたいて強く反論したクリシスに、エウタは愉快に笑った。クリシスまで掌中で転がすなんて。エウタ、恐るべし。

「感謝も愛もねーのかよ。非常なヤツだぜ」

 半眼でにやつくアヴィドは、完全にクリシスをあおる目的しかない。眉根を寄せてアヴィドを眼下に見たクリシスも、内情は察知できたよね。

「……恩に着る」

 理解していたはずなのに、クリシスは小さく感謝を作った。言い出しっぺとはいえ意外だったのか、セリオはぽかんとしてクリシスから視線を外せないでいる。

 一瞬だけ驚きを見せたアヴィドは、すぐに軽妙な笑みに戻る。フィリーもエウタも、誰もがあたたかい笑顔だった。

「こちらこそ、ありがとう」

 クリシスの激励があったから、ちぎれそうな気力がつなぎとめられた。今の平穏があるのは、クリシスのおかげだよ。

 『どういたしまして』ではなくて『ありがとう』を言った真意は、クリシスにしかわからない。

 うちの真意が伝わったのか、クリシスは表情を探られるのを嫌うようにうつむかせた。てれていたりするのかな。

「食べるぞー! きょうだけで3年分太る勢いで!」

 天につきそうなほどに高く杯を掲げたビビは、高らかに声を発した。

「あらあら。3年間苦労してしまいますわよ」

 3年分太ったとして、3年でやせられるのかな? やせるほうが大変そう。

「それこそ、幸せ太り!」

 変わらない光景を前に、笑みがこぼれた。

 変わらない。変わらなかった。変わらなくてよかった。

 狂ったようにポテトにむさぼるビビ。療養中は『好きな料理が食べられない』って散々話していた。たまっているんだろうな。ふくらんだ頬がかわいらしい。

「こうして会が開けるなんて。ぼく、幸せだよ」

 両手で杯を持って、目を細めるエウタ。記憶が戻って以来、心労で倒れることはなくなった。

 両親のことで思うことはあるんだろうけど、いつも笑顔でいてくれる。

「わたくしもですわ。ミアイアル先生もご一緒できるなんて、はじめてですもの」

 ポテトすらナイフとフォークを使って上品に食べるフィリー。小さすぎる一口で、おなかにたまるのかな。

「僕もうれしいよ。皆の楽しそうな表情が見られるなんて」

 言葉を裏づけるように、皆を見回すミアイアル先生の表情はとてもおだやかだ。

「君たちには厳しい任務を任せることが多くて、本当に申し訳なかったね。受諾して、完遂して、無事でいてくれた。こんなに幸せなことはないよ」

「ミアイアル先生の助力があったからです」

 セリオはフォークでポテトをさして食べている。ビビなんか、素手でポテトと口の隙間に詰めるように放っているのに。

「教師として、当然のことをしたまでだよ。あとはすべて、君たちの力だ」

 ミアイアル先生はどう言っても、この考えを変えないんだろうな。皆もわかったのか、それ以上の言葉を続けなかった。

 そのあとに続くのは、ただひたすらに楽しいうたげ。

 学食にいる周囲の人に疎ましく思われるかな。そうよぎる瞬間もないほど、皆が笑顔で楽しんでいた。ミアイアル先生までも。

 本当に3年分太りそうな勢いで食べ続けるビビ。

 ポテトすらナイフで切って口に運ぶフィリー。

 口にものが入ったまま話すビビを叱るセリオ。

 あらゆるものをチーズフォンデュにつける挑戦をしては、多くの表情を見せるエウタ。

 意外にも上品に食べ進めるアヴィド。

 案外甘党なのか、最初からケーキしか食べていないクリシス。嫌いなのか、チーズケーキに乗っていたミントはセリオの皿に投げていた。

「ネメには、多くの負担をかけたね。ごめんね」

 うちに顔を向けたミアイアル先生に、首を振って否定した。

 最初はとても嫌だった。戦いもできないうちがこんな学園に放り出されて、理不尽を押しつける大人が嫌だった。

「皆と出会える場をくれた。今はその感謝しかありません」

 影でずっとうちを支えてくれたミアイアル先生。結果に実を結ばなくても、努力はかすめとれるから。

 ミアイアル先生に抱くのは、この環境にとどめ続けた憤りより、うちに向けられ続けた優しさのありがたみだけ。

「ネメからその言葉を聞けるなんて、とてもうれしいよ」

 ほほ笑みかけてくれたミアイアル先生に、うちも笑顔で返した。

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