第2話 サクマ

「我々は、コソボをブランディングの観点から支援するプロジェクトを開始する。国際協力機構JICA開発協力ODA事業の一環だ」


 東京にある大手広告代理店の会議室で、佐久間正紀は宣言した。流行の複合現実MRプランニングには乗らず、共感を呼び起こす伝統的なストーリーテリングの手法で数々の広告賞を勝ち取ってきた老獪な男だ。いくつもの民間企業や公共機関をブランディングしてきたPRのプロフェッショナルとして、威厳のある語り口が板についている。


「コソボ?なんでですか」


 何も知らされずにこの場所にやってきたケンは、困惑しながら問い直した。昨日の深夜に携帯端末にコールが入り、急遽大きな案件が舞い込んできたから明日の朝本社まで来てほしい、とつっけんどんに言われたのだ。広告業界の人間は無茶だ。ありえないくらい滅茶苦茶だ。勘弁してもらいたいが仕方がない。


「ほとんどの人間には馴染みのない国だよな。仮にあったとしても、大概が過去の戦争や内戦のイメージだろう。サラエボ事件、ボスニア紛争、コソボ紛争。あの地域にはいつだって暴力が付いて回ってきた。こうした負の遺産は未だに向こうの産品の価値を下げている。だからこそ、ネガティブなイメージを払拭して、国を丸ごとブランディングする必要があるんだ」


「なるほど……」


一応頷きながら、ケンは腑に落ちない様子で耳を傾ける。


「しかし、率直に言って大きな問題点がある。民族問題だよ。諸悪の根源だ。民族浄化という言葉は聞いたことがあるだろう?」


 民族浄化。エスニック・クレンジング。複数の民族が共存する地域において、一部の民族をその地域から排除しようとする政策。虐殺ではなく、あくまで浄化とする言葉のマジック。世界で最も成功したコピーライティングといっても過言ではなく、九十年代にバズワードとなったその言葉は、メディアを通して世間に大きな印象を残した。


「ええ、民族問題は東欧の根源的な問題です。あそこは多くの民族が入り乱れていますからね。でもコソボはすでにセルビアからの独立を果たしていますし、セルビアもついにコソボを国家として認めました。ですから、アルバニア人とセルビア人の棲み分けに関して大きな問題はないように思えます」


 そう言うと、佐久間は自己陶酔的な笑みを浮かべる。何が面白いのかはわからない。


「表向きはその通りだ。だが、コソボの一部の地域は話が別なんだよ。北部にあるミトロヴィツァという地域だ。噂によれば、そこでは再びセルビア人とアルバニア人の間で抗争が起きているらしい。だが内実は誰にもわからない。そもそもそんなことに関心を持つ奴なんていないからな。だからこそ、ジャーナリストの君に調査を依頼したいんだが、どうかな」


 彼は語尾を上げてそう訊いたが、ケンにとってこの案件を断る理由はない。というよりもむしろ、断ることなどできっこない。フリージャーナリストは信頼やパイプを失えばすぐに仕事がなくなるのだ。それは2人ともよくわかっている。


「わかりました。ところで、どんな情報を持ち帰ればよいのでしょうか」


「後日、クライアントを交えてオリエンテーションを行う。詳細はその時に伝えるつもりだ。今日はただ確認を取りたかった」


 それから一週間のうちに、いくつかの約束事が取り決められた。出発は三日後であること。本案件に関する事項はすべて機密であること。万が一を考慮して、米兵のガードを一人つけてくれること。少し心許ないが、フリージャーナリストなどこんなものだろうとケンは思った。


 ——世界で起こっていることを自らの目で確かめて、嘘偽りのない報道を目指すこと。それが彼の想いだった。客観的な事実に目を向けないポスト・トゥルースの時代が嫌いだったし、ニュースで当たり障りのないコメントを平気な顔をして垂れ流すジャーナリストたちはなおさら嫌いだった。だからこそ、彼はフリーランスの道を選んだのだ。今回もありのままの真実を持ち帰りたい。コソボへ向かう飛行機の中、彼は再度決意を固めたつもりでいた。

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エスニック・クレンジング 美村ミム @memejene

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