三話

「もちろんいいよー。むしろ、君が私のどんなところに興味を持ったのか気になるね!」

「いちいち茶化さないで下さいよ……」


 若干、もう話すの面倒だなと思いつつも、重たい口を開く。


「……その、先輩ってそういう服、好きなんですか?」

「……? そういう服とは?」


 きょとんとして、先輩は首をかしげる。

 飲み込みが悪いあたり、目立っている自覚はないようだった。


「いや、だからその……、先輩が今着ているような服ですよ」


 僕は指で先輩のゴスロリ衣装を指し示す。


「ああ、これねー。うん、好きだよ。」

「そ、そうですか」


 思いのほか、あっけらかんとして答えており、僕は少し拍子抜けした。

 てっきり、もっとこう……、を着るのだから、確固たる意思を持って自分を表現しているのかと思ったのだが……。意外と『好き』というストレートな理由だったようだ。

 先輩はスカートの裾をつまみ、ふわふわと揺らしている。


「ま、こういう服を私服として着る人はあまり見ないかな?」

「どっちにしても、ポピュラーではないですよね」


 動きにつられて、スカートの裾へ視線を向けた。

 しかし、健康的な腿が見え隠れするのにハッとする。

 途端に目のやり場に困り、少し視線を遠くにやりながら、質問を続ける。


「その……こういう聞き方って、ちょっと悪意があるって思われるかもしれないですけど……」

「遠慮せず言いなさいな」

「……そういう衣装を着るのって、恥ずかしかったりとかって、しないんですか……?」

「恥ずかしい?」


 要領を得ず、再びきょとんとする先輩。

 言いたいことがきっちり伝わらず、少しもどかしさを感じる。


「何て言うか、周りの目ってあるじゃないですか」


 先程も注目を集めていたのは、少し恥ずかしかった。

 目の前にいる鈍感な人は、そうでもないらしいが。


「さっきもここに来る途中、結構見られてましたし……」


 好奇の目で見られるというのは、怖いものだ。


「今自分がどんな風に思われているのかとか、気になりません……?」


 僕の投げ掛けに、先輩は煮え切らない表情で応える。

 ……どう言い表すべきか。人間性が違いすぎるせいで、なかなか話が噛み合わないようだ。


 自分がどう思われているのか。

 少なくとも、僕は気になる。

 それを考えた時、僕は、いつの間にか、桃色のカラスを描いた頃のことを思い出していた。


 黒いクレヨンが無く、何らかの理由で手に取ったピンクのクレヨン。

 描き出された、色違いのカラス。

 ――そして、それを見た周りの反応。


 過去を反芻はんすうしながら、あの時黒いクレヨンが残っていたら、ピンクなんて使わなければと、後悔の気持ちが込み上げてくる。

 あまり思い出したくない、嫌な過去だ。


「……うーん。良く分かんないんだけどさ、着たいものを着ちゃダメかな?」

「………………」


 不意に現れた、先輩の虚をつく問い。


「……ダメじゃないです」

「そういうことでしょ、結局」


 先輩は、そう言った。

 再び先輩は言葉を優しく放つ。


「なんて言うか……周りを気にしても、それって結局自分のことは気にかけてあげられてないわけじゃん?」

「………………」

「だとしたら勿体もったいないよ。自分が着たいもの、自分がやりたいこと、全部他人じゃなくて自分のためにやること、なんだからさ」


 それが当然だよ、と、一言。

 珍しく神妙な面持ちの先輩は、はっきりと僕に言ってみせた。


 ――他人じゃなくて、自分を気にかける。


 ――自分のやりたいこと、全て、他人ではなく自分のためにやる……か。


 あの時、僕はどうしたかったか。

 思い出したくない過去。それを敢えて引き出して、考察する。


 カラスを描いた瞬間、誰かに肯定して欲しいという気持ちが、全く無かったわけではないだろう。

 けれども、肯定して欲しいという気持ちそのものがピンクのクレヨンを握らせた本当の動機ではないはずだ。

 やっぱり……、そうだな、自分の為だった気がする。

 子供なりに、杜撰ずさんにも表現がしたかったんだ。自分だけの何かを。

 書き上げたときの満足感は、多分そこから来ている。


 ――だけど、今はどうだろう。

 だいぶ前のことを引きずって、表現らしい事なんて何もやってこなかった。

 自分のデッサンが区展に選ばれたことは、良かった出来事だろう。

 ただし、それこそが、自分に自由な表現以外での自信を付けさせてしまったのだと感じる。


 ……今なら描けるだろうか。


「そう……、ですね」

「そうそう! 周りを気にしすぎたら、何にも出来ないからねー!」


 先輩は神妙な表情から一転、笑顔を見せた。

 その笑顔がいつもより、頼もしい顔に思えたのは気のせいだろうか。


「よし! もうお互い食べ終わったしさ、9階戻ろうよ!」

「え?」

「なーにマヌケな顔してんのさ! 本だよ、本! 探し途中なんでしょ? 付き合うよー」


 素早く立ち上がり、ここに来るときみたいに、先輩は僕の腕を引く。

 しかし――


「いえ……、もう大丈夫です」

「ん? そーなの?」

「とにかく描いてみないと分からないですから」



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 授業を終えた僕は、部室のいつもの定位置に座った。そして、また、いつものようにクロッキー帳を開く。

 モノクロでどこか寂しげな本のデッサンが描いてある。

 そのページを1枚めくる。

 現れるのは空白のページ。

 先週、ただ、見つめるだけだった、あの時のページだ。

 あの時は、まるで凶器でも突き付けられてるみたいに動くことができなかったが、今はもう、そんなことは無さそうだ。自分の中で描けるという自信のみが込み上げてくる。

 僕は色鉛筆セットを手元に取り寄せ、今度は迷いなく、桃色を手に取る。


「すいまっせーん、掃除当番で遅れましたーっと……」


 しばらく経った後、先輩が部室に駆け込んできた。

 酔ってもないのに千鳥足なのは、疲れたことのさりげないアピールなのだろうか。

 僕からしてみれば、みえみえの演技だが……。


「おっとぉ? デッサン君何やらかいてるね……?」


 先輩はゆらゆらとスクールバッグを揺らしながら、早速、僕の絵に食いついてきた。

 来るだろうと、予想はしてたけど、やっぱり面倒くさい。


「ん……これは……」


 先輩は目を細めて、絵を凝視する。

 まだ描き途中だし、先輩の求めた抽象画でもない。それ故に、この絵を何の私情も交えず良いと判断するには、難しいと思った。

 だが、だからこそ先輩に見てもらう価値があるのかもしれない。


「どう、ですかね……抽象画じゃないんですけど」

「なんというかその……、ハジけてるね!」

「……それって誉め言葉なんですか?」


 快活に笑って見せる先輩。


「ハジけてるは、ハジけてるだよ!」


 僕は苦笑いしながら絵に向き直った。

 まだ、抽象画を書くくらい創造性に富んではいないけど、これは僕のという意思表示だ。

 クロッキー帳に描いた桃色のカラスを見て、そう強く思った。

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桃色カラス 練田古馬 @rise_2313

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