二話
あの日から数日経った日曜。
特に用事もなかった僕は、本屋へと出向くことにした。それも、近所の小さい本屋ではなく、都心の方の大きい本屋だ。
正直、電車代などで金を取られるのは、あまり望むところではない。
だが、自転車で行ってみた事を考えたらどうか。駐輪であたふたして時間と駐輪代、両方を持っていかれる。……それよりかはマシだろう。
何せこの辺りは、駐輪料金も高ければ、その割に空きのある駐輪場も少ない。
まあ、電車だ自転車だなどと細かい事を言っても、大して差はないだろうけど。
「やっぱり人多いな……歩きづらい」
僕が、わざわざこんな面倒な事をしてまで都心に来たのは、手に入れたい本があるからだった。
……と言っても、明確に欲しいタイトルがあるわけではなく、抽象画の描き方のような本があればいいな、と足を運んだだけだ。
別に、
それにしても凄い人混みだ。
少し気を抜くと、人の波が自分の前に立ちはだかる壁のように思えてならない。
そのくらい物凄い人口密度のはずなのに、行き交う人はすいすいと人と人の隙間を
僕も一応は、東京生まれ東京育ちではある。
だが、いかんせん外出が少なく、人の密集するところに好んで行くようなタイプでは無いからか、田舎から上京したばかりの人間のような考えが浮かんでしまっている気がする。
結果的に、数回、通行人と肩をぶつけてしまったが、たちの悪い不良に絡まれることはなく、目当ての本屋までたどり着いた。
「……こんなに大きかったっけ」
見上げるビルは高く大きく、大量の陽光を窓ガラスが
このビル一棟が全て本屋なのだから、その蔵書量も凄まじいだろう。
僕は、
自動ドアが開くのと共になだれ込んでくるのは、穏やかな
人の足音や声が密集しているのは、広いレジカウンターがあるからだ。
一見本屋とは思えないようなレジカウンターの
「えーっと、美術関連の本は……9階か」
緑の案内板を見つけ、階数を確認。エスカレーターに乗る。
途中、エスカレーターから見える都心の景色を眺望しつつ、9階へと足を踏み入れた。
――が、そこで見覚えのある人物と遭遇することとなる。
「おぉ! デッサン君じゃないか!」
「………………」
いつの間にやら定着した――というより、自分で定着させたあだ名を付けた、あの先輩がいた。
いや、それだけならまだいい。それ以上にインパクトを受けたのは、その服装だ。
全体の色を表すと、白と黒。これだけの情報なら落ち着いた印象を与えるファッションだろう。だが、彼女が来ている服は、そんな簡素なものではない。
全身を華やがせるフリル、フリル、フリル。
スカートはふわりと、床に向けて花を開くように、緩やかな膨らみを含んでいる。
胸元にはトレードマークと言わんばかりに、黒い大きなリボンが
まあ、俗に言うゴスロリというやつだ。
「挨拶をしたら、挨拶で返したまえよぉ。君はなんか黙る事が多いね」
「……すいません。ちょっと驚いたもので」
「うん? ……まあ、こんなところで会うのはちょっと驚きではあるよねー」
いや、そっちじゃないんだけども……。
しかし、かといって先輩の衣装を指摘する度胸は僕には無かった。
「よし! せっかく会ったんだし、どっかでお茶でもしようか!」
「え……」
僕はたった今、この階に来たばかりなのだが。
そんな僕の気持ちをよそに、先輩は一人で勝手にテンションを上げ、歩を
「急げ急げ! 下りのエスカレーターはこっちだぞ!」
「いや、僕は本を探しに――」
言い終える前に先輩に腕を引かれ、言葉は途切れて消えた。
慌ただしいその姿は、先輩のゴスロリ姿と相まって、周りの視線を急激に集めている。
純粋に本を探しに来ただけなのに、何故それを思い付きの提案によって邪魔されているのだろうか。
その上、恥ずかしさでいたたまれないとなっては、かなり悲惨な状況だ。
エスカレーターで下の階へ下りながら、僕はため息をついた。
――何をしているんだろう、僕は。
まあ、意気消沈していても仕方がないか。
そもそも、僕は先輩がこういう人だと理解している。だからこそなのか、どこか僕自身も諦めて成り行きに
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
てっきり外に出て店でも探すのかと思っていたら、数階分エスカレーターで下ったところにあるカフェに先輩は向かっていたらしい。
こんな本ばかりのところにカフェがあるなんて少し驚きだったが、お目当ての9階からそう遠くない距離だったので、少し安心した。
初めて来る場所で、そわそわと落ち着かない僕を尻目に、先輩は2人分のホットコーヒーとロールケーキを注文していた。
僕が慌てて何か言おうとしたら、
「すいません、ご馳走になっちゃって」
「いやいや、いいんだよ。無理に誘ったのは私だし?」
「自覚があるなら、先に僕の話を聞いて欲しかったところですが……」
ごめんごめんと、快活に笑う先輩。
笑顔を崩さず、そのままロールケーキをぱくりと食べた。
「~~!」
目を見開いて、驚きの表情でロールケーキの美味しさを訴えてくる。
先にコーヒーをすすっていた僕は、流石に一口も食べてないので「美味しいですよね」とは共感できず、とりあえずそのままコーヒーをすすり続けた。
それにしても、先輩のゴスロリ衣装は目を引く。
特にカフェみたいな空間だと、むしろウェイトレスと勘違いされそうな感じすらある。
心なしか、まばらに席の埋まったカフェでも、視線を集めている気がした。
僕が服装をまじまじと見ていると、ロールケーキを
「そう言えば、デッサン君はなんで9階に? 画集でもデッサンするつもりだったの?」
「それはデッサンじゃなくて、模写になりますけどね。……っていうか、別に何か特定の本を探しに来たわけじゃないんですよ」
先輩は、コーヒーをすすりながら、目で先を
「……まあ、何というか……、抽象画を描くヒントになるようなものが見つかればいいな、と……」
「ほほう……」
納得したように
……僕は、この表情があまり好きではない。
「君ぃ、もしかして、私が『デッサン君』と呼んでるのを根に持っているなぁ!?」
「分かってるなら多少は気を遣って下さいよ……!」
先輩のにやけ顔には容赦がない。
口は勿論、前述した通り端を吊り上げているし、目は半月を横にしたような形に
僕への配慮など微塵も無い。
むしろ、笑いを見せつけるような、いっそ清々しいまでのにやけっぷり。
しかし、
「まったく……」
「えへへ。後輩をからかうのも、先輩の特権というやつだよ、デッサン君」
そう笑いながら言うと、先輩は再びロールケーキを頬張り始める。
能天気な表情を
甘味を口で感じながら、
ちらりと、先輩を盗み見するように目を向ける。
「……先輩、僕からも質問させてもらっても良いですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます