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「山虎坊。四十九日経ったぞ」


 霧雨の竹林、佇む天狗の紅い貌はぼんやりと浮かび上がって見えた。


「カズラ、まことお前にふさわしい名だ。葛の異名を知っているか。秋風に吹きかへさるる葛の葉のうらみてもなほうらめしきかな――葛の葉が風にひるがえれば葉裏の白さが目立つ。そこから裏見草、転じて恨み草よ」


 カズラは黙って唇の端を吊り上げた。上等だ。この恨みこの名と共に一生抱えて生きてやる。


「これでお前に訊くのは最後だ。お前の恨みを話してみる気はないか」

「シラユリを罵った。そうしたら酷く憎まれた。私もあいつを憎んでいる」

「えらく端折ったな」

「細かく話したところであんたに何がわかる」

「さあてな。俺も人を殺して天狗になったのだ、誰かを憎む気持ちはわかるが」


 あんたに何があったっていうの。カズラの胸の内を見て取ったのだろうか、山虎坊は深いため息をひとつついた。


「百年ばかり昔のことだ。僧兵だった俺は村の者からとある女童の歌を見てもらえないかと頼まれた。試しに詠ませてみれば書は下手だが歌は良い。俺が清書して文壇へ持って行ったところ、良い評価を得た。何度か繰り返すたび俺の名は上がった。が、急な戦へ出て戻ってきたとき文壇に俺の帰るべき席は無く、俺の席だった処にはあの女童が座っておった。俺はそれから何百何千と和歌を詠んだが、もはや誰にも認められなかった」


「自業自得じゃないか。たったそれだけの恨みであんたは天狗になったっていうのか?」


「それだけの恨みだと? あんたに何がわかると叫んだ口でそれを言うのか」


 天狗はくろぐろとした口を空に向け、呵呵と哂った。


「そうとも、俺はそれだけの恨み憎しみで天狗となった。俺は書を捨てて山伏となり、だがやはり歌を忘れること叶わず。この身よ虎になれ鬼になれと念じながら尼僧となった女童を殺めた」


 不意に、天狗の紅い体が血の色に見えた。

 山虎坊はからから哂っている。この天狗は全身を返り血に染めている。


「俺にもお前の憎しみはわからん。事の始まりは籠の鳥が籠職人を恨んだ、そういうことか。それだけなのか」


 どこで聞いてきたの。訊き返しかけた言葉を呑み下した。村へ訊き込みに行ってきたのだろうか。まさか。相手は数多の妖術を遣う天狗、おおかた風か獣でも操ったに違いない。


「自分と同じ年頃の娘が、縦横無尽に山野を駆ける猿のような娘が、自分の頭に美しい籠をかぶせる。それが許せなかったんじゃないのか。どうしようもない餓鬼だとは思わなかったのか?」


「同情しろって? 私はあの女を殺さなければ生きることさえかなわないんだぞ!」


 叫んでからカズラはぎゅっと唇を噛んだ。


「……やめろというの」

「四十九日冷ましてなお燃え盛る憎しみは誰が止めたところで止まらん」


 ころん、と天狗の足元で木と木の触れ合う音がした。


「この高下駄をやろう。これでお前は俺のように走れるはずだ。娘をさらい、この山まで連れてこい」


 ぐいと新しい着物をカズラの胸へ押しつける。受け取り広げてみれば真新しい山伏装束だ。


「お前の憎しみをぶつけてくるがいい。存分に」



     *******



 お高くとまりやがって、ひとりじゃなにもできないくせに! お前のどこが白百合だ! ただのなまっちろい人形じゃねぇか! 丹精込めた籠を人形なんぞに壊されて黙ってられるか! 行李に入れられ忘れ去られ、鼠に齧られ朽ち果ててしまえ!


 門の前で叫んだ言葉はシラユリの耳に届いたろうか。村人の前で罵るたび、母の前で毒づくたび、山奥で葛の蔓を採りながら叫ぶたび。ずたずたに切り刻まれた母の籠が家の前に並べられた。葛を乾かしていた柵で小火(ぼや)騒ぎが起きた。行商に行く町で根も葉もない噂が流れ、籠がまるで売れなくなった。そしてカズラが山奥で命を狙われた。


 なぜそんなことをされなくてはならない?

 悪いのはどっちだ。

 悪いのはどっちだ!


 ――お上に楯突いたあんたが悪いんだよ。



     ********



 カズラは目の前の娘を睨み据えた。大地主の孫娘シラユリ――白皙の肌、流れるような黒髪。崖際に立つ人形のような娘を。


 霧雨の中、竹林がざわりと揺れ重い雫を撒き散らす。山の中で纏うに相応しくない錦の着物は濡れそぼり、ぺったり娘の身体に張り付いていた。けれど娘は頓着することなく唇に紅の三日月を浮かべてみせた。


「殺して御覧なさいよ。そのために私を籠の外へ出したのでしょう、山猿?」


 震える声で強気なことを言うものだから、カズラもしずしずと山刀を抜いた。


 天狗が見ている。いま人の身を捨てようとしているカズラの姿を。


 山刀を振りかぶったカズラの目前から不意にシラユリの姿が消えた。一拍遅れて高い悲鳴。カズラは舌打ちしてシラユリのいたところ、足を滑らせた泥の上に立つ。そうして霧にけぶる谷底、そこに滲む紅い衣を睨みつけた。


 山虎坊がなにかしらの妖術を使ったのか、シラユリはろくな怪我もなく谷底へ転がり墜ちたようだ。カズラがここから墜ちた時には傷だらけになったのに。


 まっすぐな視線を感じた。山猿を睨む人形の眼。籠職人を恨む籠の鳥の眼。恐怖をたたえた、だがおそろしいほどの光をたたえた娘の眼。


 殺して御覧なさいよ。私を自由にして御覧なさい。


 カズラは山刀を握りしめた。膝に、天狗の高下駄に力を込める。


 天狗の力でこの崖を一挙に下り、この山刀をもってあの白い肌を朱に染めよう。その血潮をこの身に染み込ませ、天狗の真っ赤な肌に変えよう。あの女はそれだけのことをした。


 そう思うのに。


(同情しろって? まっぴらだ、籠の鳥! 私が悪かったのか? 私があの場で泣きながら立ち去っていればよかったってのか? 冗談じゃない!)


 抜身の山刀が霧雨に濡れて光る。振り返り、叢(くさむら)を薙いだ。薙いだ。薙ぎ払った。高下駄を脱ぎ飛ばし裸足になると、カズラは散らばった葛の白い葉裏を睨みつけた。裏見草。恨み草――。


 肩で息をしながら山刀を鞘におさめ、散った葛をかき集める。葉を払い、数本の葛を結んで長くした。束ねた蔓をぎりりと強くねじり、逆方向にねじった蔓を併せる。蔓にびっしりはえた細かな毛を咬み併せながら。


「……この縄をつかんで登ってこい。力尽きたときがお前の定め、そのときは地獄の底まで墜ちていけ」


 天狗の下駄が高く鳴った。舞い上がった紅い身体がぽうんと竹林へ消えてゆく。


(山虎坊、突き抜けられたあんたが羨ましい。私は)


 細く細く、長く長く。崖の上から垂れ下がる葛の縄。蒼い葛はしなやかだが弱い。この儚い縄で人の体が支えられるかどうか。


 ぎし、と蔓に重みがかかった。葛を縛りつけた太い竹が大きくしなる。カズラは黙って目を閉ざし、哂う天狗を脳裏に描いた。




 葛よ。わたしの名を託した蔓よ。

 この女が生きるべきか死ぬべきか、その答えを与えておくれ。


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憧葛 白馬 黎 @ural

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